魚住 純02:勢いで揺れて、触れて

勢いで揺れて、触れて


 先日のの発言以来、まともに彼女と向かい合うことが出来ていない。
 部活の間は声を掛けることはまず出来ないし、休憩中や部活が終わった後などは意識してがオレを避けているように見えて、おいそれと近付くことが出来なかった。いっそ昼休みに教室まで足を伸ばしてみようかと考えたものの、目ざとい仙道に見つけられてまたのへそを曲げられては堪らないと思うと、二の足を踏んでしまう。
 ――大好きなんて!絶対に言ってやらん!!
 そう叫んだの言葉を、好意的に受け止められないほど鈍くはない。
 だがその意味を掴みとり損ねたままが逃げたものだから、触れていいのか悪いのかの判別がつかず、宙ぶらりんになってしまっていた。今はまだ大丈夫だが、部活に身が入らなくなってしまうのも時間の問題なのかもしれない。

* * *

 昼休みに入り、朝自分でこさえた弁当をつつきながら、意識せずとも吐いた溜息は数知れず、ついにオレの前の席に座る池上に咎められる。
「おい、魚住」
 辛気臭いとでも言いたいのだろうか。窓枠に背中を預けた状態で飯を食っていた池上が、おもむろにこちらへ身体を向け直す。
「お前、なんでここんとこずっとのこと避けてるんだよ」
「避けてなんか――」
「いないとか言うなよ。誰の目から見ても露骨だぞ」
 池上の言葉に萎縮してしまい、箸を揃えて机に置く。
 自分でも解っていることだった。ここ半月程度ではあるが、と全く喋りもしなければ目も合わせていない。
 を探せば尖った鼻先がそっぽを向いている姿しか見つけられない。意図して無視されているのが目に見えていて、気にしないようにと意識はしているが、惚れた女に冷たくされると結構堪える。
 オレが避けているのではなく、がオレを避けているんだと正解を伝えようかと口を開きかけたが、改めて言葉にすることが憚られて黙りこんでしまう。
「……告白でもされたのか」
 お茶でも飲んで落ち着けようかとペットボトルに口をつけた瞬間、唐突に紡がれた池上の言葉に思わず咽てしまう。
「あ、あっさり言うな」
 涙目で答えるオレを、池上は鼻白んだような目で見る。
 アレを告白だと受け止めていいものか、それはオレに解らない。どう考えても自惚れが含まれてしまって正常に判断がつかないからだ。ただ単に怒らせただけだとも言えるのだと、何度その可能性に蓋をしたことか。
 戸惑うオレを尻目に、池上は食べ終えた弁当の蓋を閉めながらオレに質問を投げかけてくる。
「フッたのかよ」
「いや、だからそういうわけでは……」
「そうなのか? お前のことやたらと睨んでるぞ」
「くっ……」
「お前はチラチラ困ったようにのこと見てるし」
「……いや、それは」
「仙道じゃなくても気付いてると思うぜ」
 なんでそこで仙道が出てくるんだ。そう言いかけて、とのあの事件があった日の部活の前のことを思い出す。
 ――もしかしてアレは仙道がに「魚住さんが好きなのか?」とからかったのだろうか。
 また自分にとって都合のいい想像を思い浮かべたことに恥じて、置いたままだった弁当を持ち上げ、そのまま勢い良くかっこむ。ゴッゴッと喉を通って行く飯粒の感触に生理的な涙が滲むようだった。
「で、何があったんだよ」
 咀嚼する間も与えずに話を進めてくる池上に、コイツは鬼だと改めて思う。
 口内に残っている米をぐいっと飲み込み、だがまだ口を開く気になれなくてじっと机の上に視線を落とす。じりじりと額が気になるのは、きっと池上の視線が刺さっているからなのだろう。
「……大好きなんて言わないって言われたんだ」
 ポツリと、に言われたままの言葉を口にする。
 相談する気なんてサラサラかったはずなのに、簡単に池上に告げれたことで、本当は誰かに判断して欲しかったのだと知る。
 が知ったら烈火のごとく怒るのだろうなと、キュッと眉根に力を込める。せっかくくれた言葉を粗末に扱ってるように感じられて胸がほのかに痛んだ。
「そりゃ好きだって言ってるのと一緒だろ。で?」
 またもやさらりと流した池上に、感傷に浸るような心境だった自分がバカらしくなる。
 ――やはり相談なんかするんじゃなかった。
 相談というよりも池上に流されているだけのような気がするが、もう他に何も告げることはない。幸い、との間に起こったことも先程の発言で打ち止めだしな。
「終わりだ」
 簡潔にそう告げると、池上は片眉だけ持ち上げてオレを睨めつける。
「ハァ?」
「だから、それで終わりだ」
「……さすがに何か言い返したんだろ、お前」
「いや、何か言おうとしたんだが……オレが反応する前にがサーッと」
 手のひらを左から右へと流し、彼女が去っていくさまを表すと池上はこちら側に乗り出していた身体を再度窓枠に押し付ける。
「お前……バカだったんだな」
 呆れたような口ぶりにムッと唇を引き締める。池上は大きく肩で息を吐き、顔だけをこちらに向けて口を開いた。
「アイツは口が達者だからって後輩に言い負かされてたら世話ねぇぞ」
「だから、何も言い返すスキもなかったんだと」
「その後何度も顔合わせてるんだろ」
 鋭いその一言に言い返す言葉を見つけられなくて口を噤んでしまう。
「放ったらかしにしてるのがお前の結論だって思われてても知らねぇぞ」
 追い打ちを掛けるように続けられた言葉に気圧されて、池上から視線を逸らす。それは一番オレの中で気にかかっている部分だった。
 から何も追求されないのをいいことに、吟味しているのだと装って、真正面から向き合うことから避けていた。逃げ出して、遠回りして、辿り着く彼女への想いは「好きだ」という物以外の何物でもないのに。
「それは……ダメだ」
 オレの零した言葉を耳にした池上はニヤリと笑う。
「だったらもう、やるこた決まってんだろ」
「そうだな……」
 隠れようとしたところでこのデカイ身体は隠すことなんて出来ない。ならばビビって耳を塞いで自分を守るような真似をせず、にぶち当たるしか道は無い。
 池上の手がこちらへ伸び、労うようにオレの肩を叩く。うん、と一つ頷いて決意をしたことを態度で示すと、池上は白い歯を見せて笑った。
「何も言わずに抱きしめてやれよ」
 コロッと行くだろとこともなげに続けた池上に、今日こそはに話しかけると宣言しようとしかけた口を閉ざす。
 ――本当に、コイツはダメだ。

* * *

 その日の部活は散々だった。
 の姿が目に収まると同時に、池上の声で頭の中に「抱きしめろ」と響いたからだ。おかげで必要以上にに顔を向けることが出来なくて、部活を終える頃には益々彼女との距離が開いてしまったのではと危惧してしまうほどだった。
 着替えを終え、部室の鍵を閉めると部員のほとんどが辺りを散り散りに歩いていた。その中にの姿がないか視線を巡らす。
 同じマネージャーの輪の中には居ないに、もしかして、と仙道の姿を探したが仙道は越野たちと共に居て、そこに彼女の姿は無かった。早々に帰ってしまったのだろうか。諦めに塗れた溜息をひとつ吐くと、不意に背後から声を掛けられる。
「魚住!」
 池上の声だ。そう判断するのも束の間で、振り返ると同時に、オレのすぐそばを足早に歩くの姿が目に飛び込んでくる。
 ――いた。
 声をかけるよりも早く、手が伸びた。目の前を通り過ぎようとするの手のひらを掴む。
 昼休みに言われた池上の言葉に従ったつもりはなかったが、反射的に体が動いてしまっていた。引き止められる格好となったがこちらを振り返ると、その動きに合わせて髪がふわりと広がる。そういうさりげない所作が、胸に甘い痺れをもたらした。
 驚愕に目を見開いたは、オレを見上げたままその場に足を縫い留める。振り払われるかと思った手が離れないことと、その場に残った部員の視線がこちらへと差し向けられたことに、内心でかなり焦ったが、行動を起こしたからにはもう進む他に道はなかった。

「……なに?」
「……少し、時間をくれないか」
 オレの言葉を受けたは、きゅっと唇を結び、オレから視線を逸らした。
 話す気はないということだろうか。繋ぎ止めたい一心で、反射的に手に力を入れると、の肩が小さく揺れる。
「痛っ」
「あ、すまない」
「……別に、いいですけど」
 咎めるような声に、心が挫けそうになる。もう放した方がいい。そう思い、手から力を抜いた瞬間だった。
「……だから、いいってば」
 真一文字に口元を引き締めながら、それでも緩やかに握り返された手に、言葉で肯定されるよりもずっと、安心することが出来た。

 空気を読んでくれた部員と、池上の誘導のおかげで部室の前からは人が居なくなる。
 オレと、のただ2人を残して――。
 気付けば先程からオレはの手を握ったままで立ち尽くしていて、この手を引いたままでいていいのかどうか逡巡する。だが手を放すことでがこの場から離れていってしまってはいけないと、自分に理由を言い聞かせて、その持つ手を緩めずにいた。
 が手を放す素振りをみせないのをいいことに、何をやっているんだろうな。
じっと繋がれたままのオレとの手を見つめていると、が不意に口を開いた。
「……で、なに話すんです?」
 切りだされた会話に、閉ざしていた口元を更に結んでしまう。
 そもそも自分から話がしたいと言っておきながら、黙りこんでいるなんてどうかしている。そう思いながらも、どのようにして先日の話を聞けばいいのかわからなくて、言葉が無駄に空中に押し留められるようだった。
 痺れを切らしたのか、小さく唇を尖らせていたが口を薄く開く。
「……今日、私からずっと視線反らしてたでしょ」
「それは……すまなかった、としか言えない」
「謝んなくていいけど……」
 私も最近避けてたし、とごにょごにょと続けたに、やはり避けられていたのだと知る。
 勘付いてはいたものの、改めて本人に言われるとショックを受けてしまう。怯んで一歩後退ると、の顔がこちらへと向く。
 怒っているのか、少しだけつり上がった眦に見つめられると、にわかに心臓が跳ねた。久しぶりにと正面から向き合っていることを自覚し、狭くなっていた視野が広がるように感じられた。
 震える唇を叱咤し、小さく息を吐くと、観念して言葉を口にする。
「こ、この前のことなんだが」
「そういう話すんの……」
 自然と頬に熱が集まっていくのが解った。漠然としか紡がれない言葉よりも雄弁なオレの表情を目にしたは心底嫌そうに顔を歪める。
 それでもオレと同様に顔を赤く染め上げているので、ガン垂れているとしか言えないその視線さえも愛おしく思えた。
「今更蒸し返さないで下さいよ」
 気丈な物言いではあったが、その声は微かに震えていた。
 それが羞恥によるものなのか、怒りによるものなのかは判別が出来ない。
「すまない……。でも、オレが……どうにも自惚れてしまうから」
「――好きじゃないです」
 直接的な言葉を避けたオレの言葉とは対照的に、の言葉は痛いほどにまっすぐだった。
 自然と眉根が寄った。見下ろしたの姿が歪に歪む。泣きそうになっているのだと気付いたのは、鼻の奥に鈍い痛みが走ってからだった。
 ――好きじゃない、か。
 よくも、まぁこんなにも自信を持って問いただすような真似ができたもんだ。
 学校生活の部活というほんの一部で関わっているだけの間柄、しかも主将とマネージャーという立場だからこそ他よりも関わり合いが多くなっただけなのに、どうして自惚れよ うなどと思ったのか。この前の言葉だって好きだと肯定するものではなく、好きだなんて言わないと否定に塗れたものだったのに。
 入学して間もないまだあどけないの顔や、髪を切って背伸びしたの得意げな表情が脳裏を掠めていく。走馬灯のように1年分のの姿が思い起こされ、消えていく。
 抵抗するように鼻をすすると、に包まれていた手のひらに更に力が加えられた。
「……まだ途中なんだもん」
 微かに聞こえてきた声に、え、と聞き返すよりも先に、キッと柳眉を逆立てたが面を上げて叫んだ。
「そんな風にしつこく言われると確定したくなくなる!」
 母親に勉強しろと言われた途端にヘソを曲げる子供のような言い訳に、思わず面食らってしまう。一瞬で引っ込んだ涙に目を瞬かせていると、益々顔を赤くしたは舌を打ち鳴らしそうな面持ちで言葉を吐き捨てる。
「だからもうその話はなかったことにしてください」
……」
 オレから視線を反らしながらも、縋るように繋がれた手のひらは放される気配がない。
 諦めなくても大丈夫なのだろうか、と先程までに紡がれたの言葉を反芻するが、どう考えても自分にとって都合のいい言葉にしか置き換えできなかった。
 今、の途中にある感情が確定した時、どのような形のものになるのか。それは、オレが今彼女に抱いているものと同じものになるのではないか。
「もっと……自信持って言えるようになったら、私から言うから」
 彼女なりの矜持がそうさせるのだろう。口元を結んだままオレを見上げたの瞳に決意の色が映えた。
 もうコレ以上は追求はしない方がいいんだと薄々感じたが、好きな女にここまで言われて黙ったままではいられない。なかったことになんて出来るはずがない。この握りしめている手が、答えなんじゃないか。
「お前は怒るかもしれないけれど……オレはお前が好きだからな」
 オレの言葉に、一瞬、呆けたように目を丸めたが、緩々と口元を綻ばせたのも束の間で、表情を一変させたは歯を食いしばり、耳まで赤らめて怒りを示す。
「うるっさい! バカッ!!」
 涙目になって叫んだはオレの掴んだ手を振り払おうと腕を振るう。だが彼女の細い腕で抵抗されたところで、オレの力の方が遥かに強くその動きは緩慢に塞がれた。
 告白をしたつもりだった。なのにうるさいと言われ、バカと言われ、悪態をつかれた。腹を立ててもおかしくない状況だったが、好きだと言葉にしたことで、すんなりと情愛が身内に広がっていく。
 悔しそうにオレを見上げるの手を引くと、簡単に彼女はオレの胸にぶち当たる。息を呑んだ音が耳に届く。抵抗できる力を持つ腕は、オレの脇腹に添えられたまま動かない。
 右手で彼女の手を引いたまま、左手を彼女の背中に添える。抱きしめるというには随分ぎこちない体勢になったが、密着した身体から伝わる彼女の感触に心臓がバスケをしている時以上に鳴動する。
「オレは、が、が好きだから……お前がオレを好きになってくれるまで待たせてくれ」
 掠れ気味になった声だったが、この距離ならば恐らくの耳には届いたことだろう。明確な言葉は返ってこなかったが、胸に押し付けられたの頬に、これは自惚れではないのだと確信に変わった。  





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