行間01

この恋のベクトルは


「そういやさ、一志。お前今日、何個もらったんだ?」
「え?」
 3つ目のおにぎりを頬張りながら、なんとはなしに会話を振ってきた永野に、首を傾けることで応える。先程まで昨夜見たバラエティの話をしていたはずなのに、唐突に話が切り替わったことでにわかには反応が出来なかったからだ。
 オレの反応を受けた永野は「またまたぁ」と呆れたように口角を持ち上げて笑う。
「チョコだよ、チョコ。バレンタインの。もらっただろ?」
「あぁ、それか……」
 教室中に蔓延する浮ついた空気には当然朝から気付いていた。例にも漏れず、永野もまた今日は普段よりも楽しそうな様子を垣間見せている。
 嬉しそうに笑う永野は、もしかしたら意中の相手から貰ったのだろうか。だとしたらよかったなと思う反面、羨望に似た感情が沸き起こりかける。
「いや、別に貰ってないよ」
 永野の質問に答え、箸をつけたままだった卵焼きを口に運び、そのまま咀嚼する。甘めに作られたそれを飲み込むのと、永野が呆れた声を上げたのはほとんど同じタイミングだった。
「嘘だろ……だって何人か義理チョコ配ってたぞ。あ、ホラ、見てみろよ」
 永野の指示されるままに、へと視線を伸ばす。数人の女子に囲まれたは、大袋に入ったチロルチョコやらキットカットやらを貰っていた。細々としたそれらを両手で掬うように持ったの表情は緩みきっていて、幸せそうだなと他人ごとのように思った。
 恐らくと同じように永野もまた彼女たちからチョコを受け取ったのだろうけれど、そこに自分を置き換えることだけはあまり想像が出来なかった。
 休憩時間に入る度に、至るところで義理チョコが振る舞われている光景を目にした。実際に、オレ自身も30粒くらい入ったチョコの箱を差し出され、その中から取って食べろと何人かの女子に言われはしたが気安くそれを受け取ることが憚られて彼女たちの進言はすべて丁重に断った。
 早い者順だと言われると、オレ以外の人が食べれなくなるのではと危惧してしまう性分なのだからそれも致し方ないというものだ。
「いや、オレはいい」
「なんでよ、いいじゃん。お祭りみたいなもんだろ」
「……いや、要らない」
 キャラじゃない、と頭を振って拒絶を示すと、永野は目を丸くさせる。
「お前、甘いもの嫌いだったっけ」
「別にそういうわけではないけれど……そういうイベントの時だけいい顔するのは違うと思う」
「一志はホントにシャイだなぁ」
 呆れたように笑った永野は、今日もらったのだろうチョコをオレの机の上に並べ、好きに食えとばかりにこちらへ差し出してきた。無碍に断るのも悪い気がして、その中の一番小さいものを拾い上げ、食べ終えたばかりの弁当箱の横に置いた。
 永野は小さく笑い、それらのいくつかをこちらへと机の上を滑らせて寄越し、自分の側に残したものを拾い上げて口の中に放り込んだ。
「藤真とか相当貰ってるんだろうなぁ」
「あぁ、貰ってそうだな」
 机の横に下げた鞄の中に弁当の包みを入れながら答えると、永野は大仰に溜息を吐いた。
「いいよなぁ……」
 椅子の縁に肘をつき、掌で顎を覆った永野は、目を伏せてまた「ホント、いいなぁ……」と呟いた。
 夏のインターハイの時にも冬のセンバツの時にも、藤真に向けられる視線や声援は甚だしいものだった。無関係なオレでも圧倒されたくらいだ。その矛先とされた藤真の心中は推して知るべきもののはずだ。
 永野のように羨ましいとは到底思うことが出来ず、オレは肯定も否定もできず口を閉ざしてしまった。
「オレにも誰か本命チョコとかくれないかなぁ……」
「誰かって?」
「別に今は好きな女いねぇけどさ。そういうことされたら好きになっちゃうじゃん、やっぱ」
 力なく笑った永野の言葉に、そういうものなのだろうか、と考える。もし誰かに本命チョコを渡されたとして、その相手を好きになれるか否か。
 その可能性を考えてみれば、意外と永野の言うことも一理あるのでは、と思い浮かぶ。甘いものに釣られて簡単に恋に落ちるほど幼くはないが、自分のことを憎からず想ってくれているのだと意思表示を受け取ることで、その相手を意識してしまうというのは十二分に想像がついた。
 チラリと横目で教室の中にいる女子の集団に視線を走らせる。同じクラスにも差し障りなく話す女子がいないわけではなかったが、個人的にチョコを渡されるほど親しくしている相手は思いつかない。
 ましてや本命チョコを渡してくれるような間柄の女子などもってのほかだった。だけど、もし……もしも、誰かから、本命チョコを貰うのなら――。
 空想を頭に思い浮かべると同時に一人の少女の面影が頭の中に思い描かれる。永野の言うように、誰かからもしも本命チョコをもらえるのだとして、それがだったなら、どんなに喜ばしいことか。
 想像だけは強欲に、甘美に淡い期待を育ませてくれた。だが脳裏に思い描かれたは、頬を赤く染め上げてはいたものの、オレではなく藤真へと手にしたチョコを渡す。妄想でさえも自分に都合のいいものを思い描けないことに呆れて溜息を吐き零した。
「どうした? 一志」
「いや、藤真が羨ましいなって思って……」
「そうだろ! ……やっぱそう思うよなぁ」
 永野の問いかけに曖昧に応えると、一瞬声を弾ませた永野だったが、またしても俯いて 藤真を羨む言葉を紡いだ。
 オレもまた一つ、溜息を吐き、先程の空想へと思いを巡らせる。
 ――藤真は貰ったのだろうか……に。
 ちらついた考えに、キュッと口元が引き締まる。
 貰って当然だろうなという予想はほぼ確信めいたものだったが、それが本命なのか義理なのかでその意味は大きく違ってくる。
 出来れば後者であってほしい、と欲張りな祈りを抱いてしまう。
 高校に入ってから、とは随分仲良くなったと思う。
 オレにとっては一番仲良くしている女子は誰かと聞かれたら、間違いなくの名前を挙げられる。
 でも恐らく、にとってのオレはそうではないはずだ。
 移動教室で通りすがりで彼女のクラスを見かけた際に、同じクラスの男子と楽しそうに話してるさまを何度だって見かけた。
 たまたま廊下で鉢合わせるだけのオレでは、にとって何番目に仲がいいのかと考えることすらおこがましい。
 ただひとつ解ることはある。
 多分、否、間違いなく、にとって一番仲がいい相手は藤真のはずだ。
 を見かけた時に、もっとも傍にいたのは藤真だった。それは回数だけではなく、距離的なものも含まれている。
 男子に対しては明け透けな対応を見せる藤真でも、女子に対しては一歩引いたところがあったのだが、だけは無遠慮に触れる距離に置いていた。
 その普段では考えられないようなパーソナルスペースに入れるだけではなく、肩を抱き寄せたり、頬を摘んだり、手を引いて歩いたり、自然とそういうことをやってのけていた。
 は跳ね除ける素振りを見せてはいたけれど、口にする理由は「痛い」というもので触られたことに対する嫌悪感は無さそうに見えた。
 もしかして2人はオレが知らないだけで付き合っているのではないかと危惧してしまうのも無理の無い話だ。
 現に藤真はオレと二人でいる時はよくの話を振ってきた。
 アイツは今日はどうしただとか、こんなアホなことを言っていただとか。
 取るに足らないことを、本当に嬉しそうに報告してくる藤真に、オレは毎度「敵わないな」と思い知らされる。
「あーぁ……」
 急に耳に入ってきた諦念の声に思わずびくりと肩を震わせる。今のオレの心境と合致したような声音の出処に目線を落とすと机に突っ伏した永野が見つかる。
 ドキリと心臓が締め付けられるような痛みが走ったのは、見抜かれたのかという焦りがもたらしたものだった。自然と寄った眉根から力を抜き、嫉妬じみた考えが沸き起こった自分を恥じて頭を振る。
 別にとオレが付き合ってるわけでもないのに、どうしてそこまで増長した考えを抱けたのかと嫌気が差した。感情を塞ぐように唇を引き締め、頬杖をついて廊下に何気なく視線を向けると、がなり立てながら歩く藤真の姿が目に入る。
「ボサボサしてんじゃねぇよ。オレが呼んでやっからチャッチャと渡せっ!」
「だからってご飯食べてるの邪魔しなくても……」
 耳に届いた声に、自然と頬が掌から離れた。ぼんやりと追っていた視線を凝らせば、今しがた対で考えた片割れの藤真だけでなく、までもが廊下を歩く姿が目に入る。
 の腕を引き歩く藤真の顔は声の通りに怒ったような表情を浮かべており、反しては困惑に塗れた顔ながらも頬を赤く染め上げている。そんな2人の様子は双眸に嫌でも焼きつき、藤真への羨望を覆い隠すためのものだったはずの掌が頬を離れればタガが外れたように増幅されるだけだった。
「うるせぇよ、オレが食い終わったんだよっ!」
「えぇー……」
「だいたいお前はメシと一志とどっちが大事なんだよ!」
「あ!あれ藤真くんじゃないっ?!」
「え、うそうそっ!」
「――に決まってるじゃんっ」
 にわかに騒がしくなった女子の声に阻まれて、の声が掻き消される。少し聞いてみたかったような気もするが、その2択で、まして盗み聞きした結果に一喜一憂するのもおかしな話だと自分を戒める。
 藤真の口から出てきたオレの名前に反応したのか、永野が体を起こし、チラリとオレへ視線を投げよこす。
「……呼ばれるんじゃね?」
「……え?」
「一志っ!ちょっと来いっ!」
 永野の言葉に疑問を投げ返す前に、予言通りというか、藤真がオレを呼びつける。一瞥を藤真とへ差し向け、もう一度永野へと戻すと、永野は苦笑いを浮かべてオレにヒラヒラと手を翳した。
 永野の見送るかのような仕草と、藤真の「早く来い」という言葉を大義名分に背負い、の元へと足を向ける。2人の正面に立ち、チラリと目を向けると、藤真に掴まれた腕を顔を真っ赤にして振り払おうとしている姿が見て取れた。
 逃げ出しそうな素振りを見せるは、オレに視線を向けるとその顔色を益々赤く染め上げる。藤真と仲良くしているのを見られたことが恥ずかしいのだろうか。そう察しがつくと同時に、わずかに胸が痛んだ。
「オラ、お届けモンだ」
 怒ったような顔をした藤真が掴んでいたの腕を放るように離し、教室の入口から放り込む。運が悪いことに、バランスを崩したと入れ替わるように、クラスの女子たちが藤真へと雪崩れ込んでいき、彼女たちがぶつかることでが更に安定を失ったように後退った。
 恐らく、放っておいたところでたたらを踏む程度のものだったかもしれないけれど、自然と身体はの元へと動く。転ばないようにと腕を伸ばせば、簡単に、背中から抱き留めるようにがオレの胸へ収まった。
「は、長谷川ゴメンっ」
「いや、それよりは大丈夫か?」
「あ、うん……ありがとう」
 背中越しにオレを振り仰ぐは、目に見えて動揺を示しており、口元をまごつかせて言葉を探しているようだった。
 だが、はたと気付いたように目を見開き、また「ごめんっ!」と大きく謝罪の言葉を口にし、慌てて身体を翻す。もう少し触れていたかったという感情が擡げ自然と眉が下がったが、それを抑えて「気にするな」とへ告げた。
「あのさ、長谷川……ちょっと、今、話……してもいい?」
「……あぁ、もちろん」
「ここじゃなんだから……出よ」
 言って、の手がこちらへと伸び、ブレザーの袖口を引く。に手を引かれるままに、女子に集られている藤真の横を通り抜け、階段の方へと足を進める。
 前を歩くの胸に掻き抱くように隠された紙袋にはリボンが付けられているのが目に入った。弁当を持ってきたとかではなさそうだ、と考えると同時に先程、永野と話していた会話が頭を過る。

 ――もしも本命チョコを貰えたら、好きになっちゃう。

 踊り場へと辿り着いたが、オレから手を離し、振り仰ぐ。窓から差す陽光を背に受けたが、いつもよりも緊張した面持ちで両手に持った濃紺の紙袋をこちらへと差し出してくる。
 想像さえも出来なかったものが、目の前で今、起ころうとしていることに自覚していたはずの想いが更に膨れ上がるのを感じた。  



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