行間03

眩しい背中


「あ、いるじゃん」
 昼休みの食堂には、常に膨大な人数が溢れかえる。そんな中で、とある一角に視線を差し向けた藤真が、不意に言葉をこぼした。顔を上げて遠くを見やる藤真の視線を追う。視線の先には、オレらと同様に昼飯を食うの姿があった。弁当を食べているらしい彼女は、数人の女子に囲まれて楽しそうに笑っている。ただその様子を眺めただけで、胸の奥に暖かなものが流れ出てきた。
 ただ、じっと眺めていることもはばかられ、すぐさま手元の弁当へとその視線を落とす。オレにとって爆弾のような発言を落とした藤真といえば、器用にも視線を逸らしたまま、うどんを啜っていた。その丼の傍らには空の弁当箱と、小皿に乗ったからあげがある。それは食堂のおばちゃんの好意でおまけしてもらったという代物だった。顔がいいというのは、どうやら目に見えて得なことがあるらしい。
「そうだ。さっきにジュースおごらせるって約束させたんだったわ」
「え?」
「なんだ、それ。どうして藤真だけおごってもらえるんだよ」
 俺の小さな戸惑いは、高野の追求によりかき消される。まるで自分だけが聞いてない、とでも言いたげな高野の言葉に、小さく永野は笑った。いろんな女子から食べ物を手に入れようとする藤真を咎めるような視線を向けた花形が口を開く。
「じゃんけんかなにかで賭けたのか?」
「うんにゃ、数学のミニテスト」
 得意げに笑う藤真は、確か数学が一番得意だと言っていた。対しては数学が一番の苦手で、最近、オレと一緒に放課後勉強するようになって少しずつ理解を深めている、という段階だった。得意分野で打ち負かしたことに、何の悪びれもない態度で誇る藤真が、あまりにも藤真らしかった。
「今日の数学で中間試験前のミニテストがあってよ。のやつ、自信があるとかオレに喧嘩吹っかけてきたからさ。点数低かった方がジュースな、って」
「まじかよ。それオレも乗りたかった!」
 手を高く掲げて参加を志願する高野の成績は知らない。だが、声高に主張するのだからおそらく得意なんだろう。高野にニッと笑った藤真は、顎をしゃくり挑発的な表情を浮かべた。
「お、じゃあ次やろうぜ。どうせ来週もやるっつってたし」
「よし、乗った! ちなみに今回は何点だったんだよ」
「オレ90点、70点ー」
「うっ……思ったよりもハイレベル……」
 悲壮な顔をした高野はふたりと同じクラスだからこそ、自分の位置を理解したのだろう。次の藤真の餌食は高野になる可能性が高いのかもしれない。が標的にならないのなら少し、安心だ。チラリと高野へと視線を向けると、参考までに何点だったのかと追求する永野に対し、高野は笛を吹いて誤魔化していた。
「バカな割には頑張ってんじゃねーか。なぁ、一志」
 藤真の視線がオレへと絡んでくる。先程まで浮かべていた自分への誇りに塗れたものとは種類が違う表情に、口元を引き締める。時折、考えてしまうことがある。
 のことを話すときの藤真は、いつもより柔らかい。
 仲がいいだけなのかもしれない。だけど、藤真の口からほかの女子の名前が滅多に上がらないことを考えても、藤真にとっては特別なんだろう。
 どういった反応を取っていいのかわからなくて、黙って首を縦に振った。が頑張っている、という言葉には同意以外の主張はなかった。オレの教え方がいいだなんて言うつもりはまったくないけれど、それでも目に見えて吸収してくと勉強するのは楽しかった。
 もうすぐ中間試験が始まる。それが終われば、もう勉強を口実にに関わることができなくなる。クラスが違うと、しゃべることもできなければ、見かけることも無いまま一日が過ぎてしまうことだってある。無条件で同じクラスだということだけでと関われる藤真や高野が羨ましかった。
「よっし、忘れないうちに行くか」
 いつのまにかうどんもからあげも平らげてしまった藤真は、乱雑に口元を手の甲で拭いながら立ち上がる。椅子をテーブルの下に足で追いやる藤真を、眉を顰めて花形が咎めた。腹に手のひらを添えて、食った食った、と主張する藤真は、丼を持ちあげながらオレへと一瞥を投げかけてくる。
「なぁ、一志も来いよ。うまくいけばお前もおごってもらえるぜ」
「……いや、いい」
 首を横に振って断りを入れると、そっか、と簡単に引き下がった藤真は、返却口へと食器を下げ、そのままのもとへと駆けていく。まっすぐにの元へ走る藤真の姿を眩いような想いで見送った。
「どうした、一志」
 隣に座る永野の問いかけに、視線を藤真から永野らへ戻す。ん、と軽く頭を傾けてオレの言葉を促す永野に、何と答えるべきか逡巡する。だが、うまい言葉を思い描くことはできなかった。
「いや」
 永野の言葉に頭を横に振って応じる。だが、何もないのだと態度に表してもなおひっかかってしまう感情があった。衝動に突き動かされるままに藤真の背中に一瞥を投げかけると、自然と小さな溜息がこぼれた。
「……藤真?」
 花形の呟きに口元を引き締める。オレの内情は知らないだろうに、的確に言い当ててくる聡いところが花形にはあった。ただ、今の件については、オレが正直すぎた感は否めない。目は口ほどに物を言う、というのはこういう時のための言葉なんだろう。
「……あんな風に、素直になれたらいいのにな」
 ぽつりと言葉をこぼした。隠しようがないのなら、伝えるしかない。ただ、心境の全てをさらけ出すまではできなかった。藤真を羨んだのは本当だ。それは気軽さだったり、利発さだったり様々だが、何よりも羨ましかったのは、正直さだった。あんな風に、会いたい人にまっすぐに駆けていくことは、オレには出来そうにもない。
 そのような意味を汲み取ってくれたんだろう。永野や花形らはほんの少し苦い表情を浮かべて、それでも笑った。
「藤真みたいにジュース奢れって言う一志は想像できねぇな」
 肩を揺らして笑う高野は、オレが藤真の性格になったら、という仮定を想像したらしい。たしかに、オレが藤真と同じような行動を起こしたとしたら、笑ってしまうだろう。部活の休憩時間にたまたま見かけたに向かって、おい、だなんて叫ぶ自分なんて想像しただけでもおかしかった。
 高野の言葉に笑っていた永野は、手近に置いてあったやかんからお茶を注ぎ、湯呑を傾けながらオレへと視線を向けた。
「まぁ、でも一志も少しは欲を出していいと思うぜ」
「……あぁ」
 それは藤真にもよく指摘されることだった。だが、欲を出す、ということがよく分からない。自分の中では、ある程度のことはやりたいようにやっているつもりだったからだ。たしかに他人に対して何かを望むことは少なかったが、自分自身で完結できることはただそれで終わらせることが多いというのがダメなんだろうか。
 ほんの少しだけ納得がいかないものがあり、曖昧に返事を返すと、小さく笑った永野がオレの空になった湯呑にもお茶を注いでくれた。まだほんのりと温かい湯呑に手を伸ばし、その中へと視線を落とす。
 今頃、藤真はからジュースをせしめているんだろうか。そう考えるとやはり微笑ましさの影に、羨ましさが滲んだ。
 ジュースなんていらないから、としゃべれたら、またと一緒に勉強できたら、と思う。それが藤真らの言う”欲”なのだとしたら、それだけはハッキリとオレの中にあった。




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