番外編02

その視線の名は


「翔陽ーっ! ファイッ!」
「オー!」
 グラウンド内から引き締まった声が響く。突然の掛け声に、外周を走っていた男バス連中は、一様にそちらを振り返る。例外なくオレもまた振り返ったうちの一人で、グラウンドの端っこで円陣を組んで掛け声を上げ続ける生徒に視線を伸ばした。
 ひと通りの声出しが終わったのか、離散するその集団が揃って着用している真っ白なそのユニフォームが目に入ることで、やつらが野球部の奴らであることを知る。
 実際に試合で着用するものとは少しは違うのだろうが、態々毎日部活のために着こむほど楽な格好ではなさそうに見えた。恐らくスライディングするとケツが痛いとか、守備練の時に飛びつくと太腿が擦れるとか色々事情もあるのだろうけれど、面倒くさそうだなと他人ごとながら考える。
 自分が所属するバスケ部が普段の練習中は私物のTシャツでの参加が許されているからこその考えだった。各々の守備につく連中を横目で眺めていると、ふと、うちのクラスの中にも野球部のやつがいたことを思い出す。
 
 アイツのことを思い出すと同時に、訥々とした声で否定された言葉も一緒に思い返された。
 ――いや、ソフト部
 苦い表情を浮かべるの顔と共に思い出された咎めるような声に、つい唇を尖らせてしまう。そうだ。野球部じゃねぇや。ソフトだ、ソフト。
 普段関わり合いのない球技に対する分類の甘さに対して、別にに聞かれたわけではないのにほんの少しだけ気まずさを感じる。
 チラリと再度グラウンド内に目を向けると、野球部の隣のスペースで練習するソフト部の連中を目にし、その中からの姿を探そうと視線を巡らせる。程なくして一人の少女の背中を発見し、すぐさまそいつがだと確信した。
 最近では珍しくなった膝から下は黒いストッキングを出した着こなし方。そのオールドスタイルを貫いているのは、このソフト部では一人だけだった。
 以前、何故その格好なのかと聞いた時、こちらの方が動きやすいのだとは言っていた。確かに裾がダボついているよりも走る時に邪魔にならないのかもしれない。実際に着たことがないので想像上でしかないが、本人が楽だというのだからそうなのだろう。
 裾を捲ったズボンをどのようにして止めているのか少し気にはなったが、よもや本人が履いてるものを脱がして確かめるわけにもいかないし、取り立ててに聞くようなことでもないのでその疑問に蓋をすることにした。
 十数メートル走ることで距離と角度が変わり、帽子を目深に被ったの横顔が見て取れるようになる。目に入った彼女が被る帽子がやけに鋭利な角度で鍔を曲げられていることに気がついた。中学の時の男子の野球部の奴らも同じように角度をかなり曲げてどの角度が一番かっこよく見えるのかだなんて談義していたことを思い出す。
 ぼんやりと過去のことを思い出しながら眺めたの帽子からは、イケメンらしさは感じなかったが、眩しさなどからは守られているように見えた。
 そんなことを考えているオレには微塵も気づいた様子のないは、部活に集中している様子がヒシヒシと感じ取れる。守備につくは、足を開き、腰を落とし、ボールの動きに備えているようだ。自然と爪先に重心が乗っているのを目にし、バスケのディフェンスの構えと似ているのだなと感じる。意外とアイツ、バスケしてみたらうまいのかもな。
 スカートでは到底できない格好をするはオレから見ても自然体で構えているように見えるが、一つの疑問が生じた。
 アイツ、この前自分は投手だって言ってたのになんで守備練習をしてるんだ。その疑問も投げかけるべき相手からの返答を今このタイミングで貰えるはずもなく、小さなため息を吐くことしか出来なかった。
 明日覚えていたら聞いてもいいし、そもそも聞くほどのことではないからこのまま忘れてもいいと思える。
 見慣れた場所を走るだけのつまらない行軍の最中で、何気なくの動きを目で追っていると、彼女の視線が不意にこちらへと向いた。
 ――お、気付いたか?
 一瞬、手でも振ってやろうかとも考えたが、の視線が微妙にオレからはズレているのが見て取れて、持ち上げかけた手のひらを引き止める。目が合いそうで合わない視線は覚束ないというよりも、がある意図をもってそちらへ視線を転じたことを推測させる。バスケ部にはオレとあと数人同じクラスのやつがいるが、先にそいつらでも見つけたのだろうか。
 チラリと前方を走る高野に目をやり、の目をもう一度見返したが、どうもコイツを見たわけではないらしい。というより、オレよりも後ろを見ているように感じ取れた。
 の視線を追うように首を捻ると、オレの斜め後ろくらいを走る相手の姿が目に入る。唇を引き締めたまま前を向き、ひたむきに走る丸刈りの男。

――一志?

 おおよそ接点を感じられない組み合わせに、イマイチ確証が持てなくて、もう一度、へと視線を戻すと、やはりそこにはオレとはかち合わない視線があり、先程と同じようにオレから見て少し後方を見つめているようだった。
 ある一点にだけ視線を向けたは、一瞬だけ眉根を細めたのだが、睨みつけるとかそういった類ではないことは瞬時に理解できた。不意に目を見開いたが視線をまごつかせながらも小さく頭を揺らす。
 顎を引いただけとも取れるようなその素振りを見せたは、頭を下げた一瞬だけ外した視線をまたこちら側へと伸ばし、柔らかく笑った。
 教室でも見せたことのないような種類の表情を浮かべた彼女に、思わず目を見張ってしまう。
 ――なんだ、そのキャラ。むしろ誰だお前。
 内心でそのようなツッコミを入れてしまう程にの顔つきは意外なものだった。降って湧いた戸惑いを受け止めきれず、咄嗟にもう一度一志に視線を転じたが、一志もまたと同じように笑んで彼女を見返していた。
 落ち着いた一志の態度に、少しずつオレの身内に生まれた動揺は薄れていったが、それと入れ替わるようにして疑念が湧き出てくる。ついこの前、は一志のことを知らないと言っていた。
 正確に言えば名前を知らないと言っていただけであって、一志がバスケ部だということは把握しているようだったが、その程度の間柄で笑いかけたりするものだろうか。
 クラスに居る時のの姿を思い描き、とりわけ男子とどのように話しをしているかを思い起こす。オレ以外のバスケ部のやつと話すことももちろんあったし、近隣の席に座る男子とも普通に話している様子は簡単に思い出せた。
 だが、先程見せたような表情は誰に対しても向けていなかったように記憶している。クラスでも割りとと話す部類に入るだろうオレだって見たことがない。
 と一志のやりとりは、時間にして3秒にも満たない。オレの見間違いかとも思えるほど短い時間だった。だが、その数秒の中に見過ごせない違和感を感じ取る。
 もう既にこちらを向いていないは、己の部活に集中した横顔だけを見せつける。真剣な眼差し。白球を追う彼女の眼差しはひたすらに、がむしゃらに、それだけを追っている。だが、先程一志に向けた彼女の視線は種類こそ違えど、それよりも実直な視線だったように思えた。
 傍目から見ただけだというのに、妙にドギマギとさせるような力がその視線にはあった。そして、それをなんのてらいもなく受け止めた一志が、笑んで迎え入れたということは、一志はからそういう視線を向けられることに慣れているということなのではないだろうか。
 チラリと一志を振り返ると、一志もまたからは視線を外しており、まっすぐに前を向いてランニングをこなしていた。オレが振り返ったことに気付いたのか、眉を小さく持ち上げてこちらへとその視線を差し向ける。
「どうした、藤真」
「え?」
「こっち見てるから。何かあったか?」
 確かに一志からすれば、オレがランニング中に後ろを振り向く理由など見当たらないはずだ。よもや「とイチャついてたろ」なんて軽々しく口に出来るはずもなく、ただ曖昧に笑んで誤魔化すほかなかった。
 納得したようには見えない一志が追求の言葉を投げかけてこないのをいいことに、進行方向に向き直って、先程のの視線の意味を考える。考えるだなんて大仰なことを言ったところで、用意された仮説なんてひとつしかなかった。
 もしかしたら、本当には一志が好きなのかもしれない。
 先日頭を擡げたばかりの疑念がまたしても顔を出す。クラスが同じだとか、部活が同じだとか、出身中学が同じだとか。何かしらの接点や下地があって、あんな風に笑いかけるのならば別に取り立てて問題なく流したり、ちょっと気があるんじゃないのかと冷やかしてみたりも出来る。
 でもどう考えたところで、2人の間に何かがあるとは考えづらく、今までその疑念に対して確かめるようなマネをしてこなかった。ただ、もしかして、と思ったことが以前にも幾度かあったことは間違いない。

 黒板を拭いた一志の姿と、それを見守ったの表情。
 英語の辞書を借りに来た一志のことを知らせるためにオレに話しかけてきたのあの落ち着きのない態度。
 そして、今しがた2人の間で交わった視線。
 その仮定がしっくりと当てはまる答えは、やはりそれしかないのではないだろうか。


 ――なんだよ、アイツ。結構男見る目あるじゃん。


 自分の中で立てた仮説が外堀を埋めるように繋がっていくのがおかしくて、ニッと口元が持ち上がった。今がランニング中でなかったら声に出して笑っていたかもしれない。
 名前も知らないなんて言ってたくせに、なんだアイツ。
 溢れそうになる声を手の甲で押さえつけたが、どう足掻いても浮かぶ笑みは隠し切れない。もしが一志のことを好きだというのなら、協力してやってもいい。
 相手がわけのわからない奴だったらやかないお節介も、一志を選んだのが他ならぬだというのなら話は別だ。あんな覚束ない態度で想いを示すようなマネしか出来ないなんて、いじらしいじゃないか。
 そうと分かれば善は急げだ。が誤魔化したり認めなかったりするのは手に取るようにわかる。だからこそ言い訳ができないように攻め立てて、絶対に「好きだ」と結論を出させてやる。
 チラリともう一度、グラウンド内に視線を伸ばし、の姿を確認する。
 相変わらず教室にいる時よりかは幾分か明瞭な表情で部活に勤しむを、明日、どうやって追い込んでやろうか。きゅっと唇を結び、飛び出しそうな笑いをこらえたオレは、残りのランニングをこなしながら明日の作戦を綿密に立ててやった。



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