参番隊01:251話沿い

ここがオレのいるべき戦場


 弐代目東京卍會と関東卍會の抗争はタケミっちの掛け声と共に始まった。参番隊の隊長としておよそ3年ぶりの出撃に、思う存分、拳を振り回す。50人対500人。圧倒的に不利な状況での開戦となったが、勢いは決して負けていなかった。
 タケミっちが鶴蝶を抑えている間、千冬や千堂が望月、斑目と名の通った幹部を倒す大金星をあげた。果ては三ツ谷と八戒の弐番隊コンビがあの六本木のカリスマ・灰谷兄弟までも退けたという歓声も耳に入ってくる。
 優勢だと安堵するわけにはいかない。それでも周囲に巻き起こる勢いを肌で感じる度に、どんどん力が湧いてくる。その勢いはオレだけでなく他の東卍メンバーにも広がった。
 追い風を背に受け、まっすぐに突き進んでいた参番隊はマイキーの近くまでようやく辿り着いた。肩で息を整えながら、コンテナの上に腰掛けたまま高みの見物を続けるマイキーを見上げる。
 戦況を見守ってはいるが、下にいるオレやぺーやんには一切気が付いてないようだ。自分のチームの連中にしか興味が無いってことだろうか。
 ――オレらのことは眼中にねえってか。……つれねぇなあ。こっちは中一の頃からの付き合いだってのに。
 フゥ、とひとつ大きく息を吐く。殴り疲れてあがっていた息を吐いただけのつもりだったが、思った以上に感情が乗っかった。
 額から垂れた汗を拭おうと特攻服の二の腕辺りをこめかみへと押しつける。刺繍の縫い目の粗さがひっかかるとほんの少しだけ痛みが走った。
 汗を拭いながらも視線はずっと遙か高みへと差し向けられたままだった。いくら見上げていてもマイキーがこちらの視線に気付くことはないんだろう。だが、それを残念だと嘆いたり不満を募らせたりするだけでは何の意味もない。
 ――じゃあ、オレに出来ることは何だ?
 呼吸を整えながら、自らに問いかける。頭の中にオレなりの考えははちゃんとあった。それこそ、抗争の話が出たときから、ずっとだ。
 ――マイキーと、ちゃんと話がしたい。
 オレの中にあるのはこれだけだ。だけどこんな抗争の最中に、マイキーに立ち向かっていいものかどうか。
 判断に迷う理由はひとつしかない。多分、オレはマイキーに負ける。拳のひとつさえきっとマイキーには届かないだろう。中一のとき、10回挑んで10回とも負けた苦い記憶が頭を過る。蹴られた頬の痛みまでもが蘇ってきそうなほどに鮮烈な記憶は嫌ってほど心身共に染みついていた。
 勝てるビジョンも持てないまま挑んでしまえば、きっとぺーやんたちに迷惑をかけてしまう。そう思うと、どうしても踏ん切りが付かなかった。
 マイキーに差し向けていた視線を地上へ戻せば、タイミングがいいのか悪いのか。ちょうど目の前に数人の敵が躍り出てきた。固く握ったままだった拳を振り上げ、力強く振り回せば簡単に数人まとめて吹っ飛んでいく。
 またひとつ肩で大きく息を吐き出した。開戦と同時にかなりの人数を潰して回ったとは言えまだ残る敵は多い。それに立ち上がれないほどのダメージを与えたつもりだが、殺したわけじゃないんだ。いずれ回復したやつがまた襲いかかってくる可能性は高い。
 多分、こうやって雑魚狩りを続けていく方が東卍にとってはいいんだろう。マイキーの元へ向かわない方がいい理由はいくらでも思いつく。それでもオレはマイキーと話をしたい。その考えだけが、ずっと頭の中をぐるぐると回っていた。
 ――クソッ。やっぱり腹を括ってもらうしかねぇか。
 下唇を突き上げ、楽な方へと傾きかけた心を立て直す。目の前で数人が瞬殺されたことで及び腰になった敵をぶっとばしながら、近くで暴れ回っているぺーやんのもとへ駆け寄った。

「ぺーやん!」
「ん、どうした!」
「ひとつ、頼みがある!」
「オゥ! なんだよ。聞くよッ!」

 正面に立つ男の顔面に拳を叩き込みながら頷いた頼もしい相棒にひとつ視線を送り、オレもまた左から向かってきた相手の鳩尾に蹴りを入れた。

「ごめん! オレ、やっぱりマイキーに会って話がしたい!」
「オゥ、行ってこい!」

 喧嘩の最中になにを言い出すんだと呆れられるかもしれない。そんな恐れと共に吐き出した願望は、間髪入れずに受け入れられた。迷いのないぺーやんの言葉に、頼んだこっちが驚かされてしまう。

「い、いいのか?」
「ッたりめーだろ! オレらはそのために来たんだからよ!」

 固まったまま目を瞬かせるだけのオレとは裏腹に、しゃべりながらも周りの敵を蹴散らしていくぺーやんは一瞥をこちらに流した後、少し離れた位置で戦うに向かって声を張り上げる。

「オイ、ッ! オマエもまだまだイケんだろ?」
「聞くだけ野暮ってヤツですよっと!」

 相手の正面で飛んだは空中で体を捻りその首筋を目掛けて回し蹴りを放った。相変わらず的確に急所を狙うエグい戦法をとるだったが、周りにはまだまだたくさんの敵がいる。かつての記憶との齟齬に微かに首を捻った。
 オレの記憶にあるは、あのくらいの数なら瞬く間に蹴散らしていたはずだ。そのうえでもう少し手加減していたはずなのに、今は当時の余裕がまったく感じられない。
 オレもそうだが、だって東卍解散後はロクに喧嘩なんてやっていなかったんだろう。三年のブランクは、にとってはオレ以上の重みを持っているのかもしれない。

「本当か? 喧嘩なんて久々だろ。無理してねぇか?」

 オレが出所した際、身も心も更生しましたと言わんばかりの風貌で迎えに来たはどこにでもいる真面目なお坊ちゃんっぽくなっていた。きっと東卍に入らなければ、あの姿が本来のだったんだろうと今なら思える。
 それだけに、ガキのころから喧嘩三昧だったオレやぺーやんとは違って、中学に入るまで喧嘩なんてしたことの無かったの腕前はすでに衰えているんじゃないだろうか、なんて考えがチラついた。今もまさに切羽詰まっているのではと心配してしまう。やっぱりオレはマイキーの元へと行かず、この場に留まるべきかもしれない。
 ハラハラとした心地を抱えたままストレートに問いかければ、は遠目から見てもハッキリわかるほどに顔を顰めた。

「いやいや、デスクワークされてるお二方と違ってオレは体育でイヤってほど走らされてるんで。おふたりよりかはまだまだ現役ですよ」
「バァカ! 体育と喧嘩は全然違うだろ」
「持久力的な意味では近いと思うんですけどねぇ」

 ぺーやんの反論に対し、は不満げに唇の先を尖らせた。そのまま背後から殴りかかろうとした相手の肩を振り向きざまに掴み、頭を下げさせて顔面に膝蹴りを食らわせる。沈む相手をぽいっと投げ捨てたは、こちらを振り返って声を張り上げた。

「あ、あとですよ。さっきパーちんくんがぺーやんくんに言ってたことは少ししか聞こえなかったんですけど! パーちんくんがやりたいようにやるのがベストだとオレも思ってるんで!
「……
「だからオレを足手まといみたいに思うのホンット失礼なんでやめてくださいね! あと100人は余裕で倒してみせますから!」

 言いたいだけ言ったは正面にやってきた敵の顎に掌底を食らわせると再び敵集団の中に突き進んでいった。はもとより口の回る男だ。今、言った言葉すべてが本当なのかどうかオレにはわからない。
 だけど、せっかくが男を見せると宣言したんだ。余裕な態度を見せるのが虚勢であったとしても、アイツの尊敬する隊長として、兄貴分として、その頑張りに応えなくてはならない。

「ぺーやん!」
「オウ。どーよ? ちゃんと腹は括ったか?」
「あぁ。あとは任せた。……行ってくる!」
「オゥ! 気張れよ、パーちん!」
「オウよ!」

 近くにいた敵の頭を掴んで地面に叩きつけたぺーやんの激励に応えると、マイキーのいるコンテナへ向かって駆け出した。走りながら周囲に集まり始めた敵を数人まとめて薙ぎ払う。駆ける勢いも重なれば、コンテナの周囲は瞬く間に制圧できた。
 ――ここを上れば、ようやくマイキーへと辿り着く。
 そう思うと同時にのどの奥が嫌に詰まった。ぐっと下唇を突き上げ、こみ上げてくる感情を飲み下すと、やりきれなさに傾きそうな感情を立て直す。
 肩で息を吐いて周囲を見渡し、登り切れそうな場所を探した。回り込めば正面からは見えなかったがコンテナのてっぺんに繋がる階段が見つかった。足をかけながら一目だけと視線を転じれば、雄叫びと共に敵へ向かって突き進むぺーやんの姿が目に入る。その奥には同じくが何やら声を上げて奮戦していた。
 オレのもとに余計な敵は行かせないという気概がこちらへも伝わってくる。ふたりの頼もしさに思わず口元が緩んだ。
 ――頼んだぜ、ふたりとも。
 オレはオレの仕事を果たす。ひとつだけ誓った思いを胸に、階段を一段、また一段と踏みしめる。足音が耳に届く度、胸の中に様々な思いが去来する。
 三年前、オレは長内を刺した。少年院で罪を償う日々を過ごし、刑期を終えて出てきたときにはオレが愛した世界はさっぱりと姿を変えていた。起こった事件のほとんどはぺーやんやたちから届く手紙を通して知っていた。だけどそのあまりの変貌ぶりに、本当は今もついていけてないのが正直なところだ。
 何気ない日常について書かれた手紙は届く度にわくわくした。だけど、東卍の話題そうもいかなかった。どこかの族との対決に勝ったとか、またチームが大きくなったとか。景気のいい話もあるにはあった。だけど東卍が大きな抗争を重ねる度、伝えられる話はどんどん惨たらしいものへと傾いた。
 ひどく印象に残っているのは特に仲のいい面子の話だった。創設メンバーのひとりである場地が芭流覇羅へ移籍したのも驚かされたが、その抗争の最中に自決したなんて知らされた。
 ほぼ入れ違いで出所した一虎もそうだ。ようやく罪を償い終えて、またみんなと一緒に過ごせるようになったというのに、アイツは場地を刺した罪で再び逮捕されてしまったらしい。ふたりの激変に対し、当事者にすらなれなかった歯痒さだけが残された。下唇に血が滲むほど噛みしめた苦い記憶は今も直鮮烈に染みついている。
 天竺との抗争がきっかけで逮捕されたムーチョは半年ほどで出所したらしいが今もなお行方不明だと言う。
 正直、そのすべてが嘘なんじゃないかって今でも思うことがある。だけど現実はそんな疑いを嘲笑うように厳しい世界を突きつけた。場地のお墓はちゃんとあるし、一虎は服役したままだし、ムーチョともまったく会えていない。
 東卍が解散した話さえも知ったのはぺーやんからの手紙を通してだった。オレだって仲間のはずなのにまるで部外者みたいに置き去りにされた気分だった。その上、総長だったマイキーとはもう会わないとみんなが口を揃えるものだから、オレは目を白黒させることしか出来なかった。
「どうしてだよ。何かあったのかよ」と問い詰めたところで、ドラケンも三ツ谷も「色々あった」と苦い顔で口を閉ざした。あの口から先に生まれたようなでさえも「パーちんくんだけは、あなたが知ってるマイキーくんの思い出を大事にしてください」と知ったような口を利くだけだった。
 隠しごとの出来ないぺーやんの「オレは一発でのされたから何も知らねぇ」という供述だけが、何が起こったのかを窺い知る唯一の手がかりだった。左頬を手のひらで覆ったぺーやんの横顔が脳裏に蘇る。唇を尖らせ眉根を顰めたぺーやんは、おそらくマイキーにそれなりの目に遭わされたのだろう。いまだ納得していないといった表情は、オレ自身にも同じ感想を抱かせた。
 一発でのされたと言うからには殴られるか蹴られるかしたのだろう。それもあのぺーやんを気絶させるほどの力で、だ。生半可な一撃ではなかったと簡単に想像できる。
 だけど喧嘩ではなく一方的にこちらを傷つけてくるマイキーの姿を想像しても、いまいちしっくりこない。中一の時に10回も勝負を挑んだ際も、しつこいなぁと呆れながらもちゃんと相手をしてくれたマイキーの姿が頭の中に浮かび上がる。全敗という屈辱を味わわされたのは自分よりも弱いオレ相手にマイキーが手を抜かなかったからだ。だけど、必要以上に痛めつけてくることもなかった。
 思い出せば思い出すほど、オレの知ってるマイキーと他の奴らが抱いてるらしいマイキーの印象が違う。深まる違和感を拭えないまま、とうとう抗争の敵大将として相まみえることになってしまった。
 ――本当に、全然違う世界に来たみたいだ。
 オレにとってはそう思っても仕方ないほどの変貌振りだった。唯一変わらなかったのは、弟分で、相棒で、親友で、相変わらずバカみたいにまっすぐにオレについていくと言うぺーやんくらいじゃないだろうか。今もなお、地上で敵の首根っこを掴んで振り回すぺーやんの姿を目に入れると、その頼もしさに思わず口元が緩んだ。そのまま視線を伸ばせば、険しい顔をしたと視線が交差する。
 ――そうだな、オマエもいたな。
 オレの考えてることなんてわかんねぇだろうに、のやつ、いいタイミングでこっちを見てきやがる。小さく苦笑し、また一段階段を踏みしめ、上を向く。
 オレの仲間はぺーやんだけじゃない。だって三ツ谷だって、もっと他にもたくさんの仲間がいる。東卍以外もそうだ。もりユミや、それから、それから――。
 頭の中に浮かんでは折り重なっていく知人の姿に唇を引き締める。オレには大事なやつがたくさんいる。マイキーだってそのうちのひとりだ。
 ――だからマイキーに、ちゃんとオレらがいるってことを伝えないと。
 階段を上りきり、長い息を吐き出す。目の前には三年ぶりに目にするマイキーの姿があった。いまだこちらに気付いてない様子のマイキーの横顔が、近くにあるはずなのにどうしてだか果てしなく遠くにあるように感じた。
 見えない壁に気持ちが怯みそうになる。それでも、拒絶も疎外感をも踏み越えると決めたからにはまっすぐ進むしかねぇよな。

「高みの見物は楽しいかよ? マイキー」
「……オマエか」

 数歩分の距離を残して立ち止まり、マイキーに向かって声を投げかける。こちらを振り返ったマイキーの見たこともない冷えた視線に、ぐっと喉の奥が詰まった。
 ――そんな顔をするために東卍を解散したってのかよ。
 奥歯を噛みしめても堪えられそうにない感情が喉の奥でうごめいた。オレらから離れてもマイキーが笑っているのならそれでいいと思ってた。だけどちっとも楽しそうじゃないマイキーに、やっぱり話し合いなんかじゃなにも伝わらないと直感する。

「オマエに引導渡すのはオレだ」

 怒りを露わにしているわけでもないのに、こちらを見つめるマイキーの表情は険しいままだ。ゆっくりとした動作で立ち上がったマイキーから目を逸らさず呼吸を整える。
 殴ってでも連れ戻そうなんて思ってない。オマエが離れたいならそれでもいい。だけどオレたちに、笑って見送るくらいのことはさせてくれよ。
 心から、そう思ってるよ。オレだけじゃない。きっとオマエのことを大好きなみんなが、そう思ってる。
 ――少しでも伝えねぇとな。
 そのためにはちょっと、いやかなり痛い目を見ることになるだろう。最終的にぶっ倒されること必至だ。それでもオレは武者震いに肩を震わせながらニッと口の端を引き上げてマイキーに笑ってみせた。




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