林01:愛しき世界


 残りの授業の半分以上を居眠りですごして迎えた放課後。いつものようにと学校を出るまでは同じだが、今日はひと味違う。まっすぐに帰らないと決めていたオレたちは駅前へと足を向け、カラオケ店に乗り込んだ。
 入店するや否や、早速好きな歌をそれぞれ入れて歌い合う。いつものようにはしゃいでいたのだが、誘ってきたはずのは数曲を歌ったあとは選曲するペースを落としてしまう。普段からあんまり立て続けに歌うタイプでは無いが、今日は一段と早い。
 歌う気が無いのなら、そもそもなぜ急にカラオケに誘ってきたのか。そんな疑問が浮かび上がる。
 何か嫌なことでもあったんじゃねぇだろうな。直接に尋ねようにもオレが歌ってる間に忘れてしまうし、思い出した時にはが歌う番になる。
 間の悪さが重なるうちにぐずぐずと考え込んでしまいそうになったが、オレの心配をよそに当のはタンバリン叩いて喜んでいる。そんな姿を見ながら歌ってるうちに次第に気にならなくなっていった。
 結局、に乗せられるがまま歌い続け、気が付いたら2時間のつもりがつい30分延長してしまった。夕方というよりも夜にほど近い時間に差し掛かったせいだろう。外に出るとすっかり気温が下がっていた。
 10月も半ばになれば肌寒さを感じることが多くなる。店の中で腕まくりしていたシャツと学ランの袖を下ろしながら帰路に着いていると、隣を歩くがさっきまでオレが歌っていたBOØWYの曲の鼻歌を歌っていることに気がついた。

「歌い足りねぇならもっと歌えばよかったじゃねぇか」
「ううん。十分歌ったよ。それに今日は良平が楽しいのが一番だから」
「ハァ? まぁ、お前がいいならいいけどよ」
「うん」

 嬉しそうに頭を揺らしたの言葉に首を捻りつつも、まぁいいかと流した。コイツが訳わかんねーことを言い出すのには慣れている。
 優柔不断と言うよりもオレやパーちんを優先しがちなの態度は昔から変わらない。思いやりや献身という言葉の意味さえ知らない頃から、そういうのはから貰ってきた。
 カラオケでオレが歌うのに合わせて横で口ずさんでいたを真似して、オレもまたの鼻歌に合わせてメロディを口ずさむ。そうやって帰路に着いていると、ふと、が一軒のコンビニの前で足を止めた。

「……あ。ねえ、良平。コンビニ寄りたいんだけど……行ってもいい?」
「オウ、いいよ。トイレか?」
「違う。ケーキ買わないとと思って」

 買わないと、の言い回しは気になったがの中でそうと決めた日もあるのだろう。断る理由もないので先を歩き始めたの背を追ってコンビニに入った。
 が買い物してる間にバイク雑誌でも読むかと雑誌コーナーへ足を向ける。どれにしようかと見繕い、その中の一冊に手を伸ばす。さて読むかと雑誌を開いたところで、デザートコーナーに引っ込んだがこっそりこちらを覗き込んでいるのに気が付いた。

「なんだよ。終わったなら声かけろよ」
「まだ買ってない。ちょっと迷ってて」
「じゃあ早く見てこいよ。待ってっから」
「……良平。こっち来て」

 じっとオレを見つめていたがちょいちょいと手を振って招いている。肩で小さく息を吐き、手にしたばかりの雑誌をラックに戻すと、の元へと歩み寄った。一歩前を行くはデザートコーナーの前で足を止めると、ほんの少しだけ眉尻を下げてオレを見上げた。

「この辺で迷ってるんだけど。どれが美味しそうに見える?」
「ん? そうだな……」

 問われるがままにが指さしたあたりを覗き込む。
 生クリームたっぷり。一面チョコレートでコーティング。フルーツ盛りだくさん。それぞれ魅力はあるが今の気分ではチョコレートが一番美味そうに見えた。

「じゃあ、コレ」
「ん。わかった。ありがとう」
「ってゆーかオレが決めていいのかよ」
「うん。もちろん」

 キュッと口の端を上げて笑ったは、オレが示したケーキを迷いなく手に取りレジへ向かっていく。ウキウキとした背中を横目に出口へと向かいながらそっと息を吐き出した。
 自分で食いたいもんくらい自分で決めろよなぁ。
 店を出て、自動ドアの横に腰を落としがてら「ったくよー」と小さくボヤいた。だが、今のもらしからぬ行動だったのでは、と思い至るとほんのりと唇の先が尖る。いつもなら散々悩み抜いてでも自分の腹具合と相談するくせに、今日に限ってはそれがなされない。小さな違和感だが掻き集めるとどこかむず痒い。
 いつもより遅い時間なの気にしてんのか。待たされても文句言ったりしねぇのに。まぁ、あまり長く考えてるようなら「オレはこっちが食いたい」なんて横からチャチャ入れたりするけどよ。
 膝の上に肘を置き、伸ばした腕の先で指の関節を鳴らしていると買い物を終えたが声をかけてくる。

「買ってきた。おまたせ」
「オウ。じゃあ帰っか」
「うん」

 頭を揺らしたに落としていた腰を上げ、並んでコンビニを後にする。そのまましゃべりながら帰り道を歩き、同じ階段を上る。それぞれの家の前に辿り着いても他愛もない話を続けるのもいつものこと。早く家に入れと親が出てくる前に解散した方がいいとはわかっているのだが、毎日話しても意外と話題は尽きない。
 まだ話をしようとすればいくらでも出来る。だが、夕飯の匂いが鼻をくすぐるとぼちぼち家に入った方がいいような気になってきた。
 会話にひと段落着いたところで、そろそろ切り上げて家に入るかと手すり壁に預けていた背を軽く起こす。

「……じゃー。そろそろ入るか」
「あ。帰る前に渡したいものがあるんだけど……。良平、ちょっと待っててくれる?」
「ん? オウ。わかった」

 家に入りかけたオレをが引き止める。二つ返事で頷き、起こしたばかりの背中をまた手すり壁に預けた。こちらを見上げたも軽く頭を揺らし、玄関のドアを開けて「ただいま」と言いながら家の中に引っ込んで行く。
 手持ち無沙汰になり、ふと視線を転じればだいぶ空が暗くなっていることに気付く。しゃべってる間は気にならなかったけどカラオケを出た時よりも一層冷えてきたな、なんて考えていると一分も経たぬうちにが戻ってきた。
 「お待たせ」と口にしたは、学校の鞄と引換に持ってきたものをこちらに差し出す。

「良平。ハイ」
「え、なんだよ。コレ」

 コンビニで買ったケーキが入ったビニール袋とシンプルながらも持ち手にリボンを結んだ紙袋。差し出されたばかりのふたつを反射的に受け取りながらも戸惑いは残る。
 一体、は何を渡してきたのか。紙袋に手を突っ込んでみれば中にはバイクの手入れで使うスプレー缶が入っていた。
 なんでこんなもんが持ってんだ?
 ますますわけがわからなくて首を捻っていると、は自分の髪の先を指先ですきながら口を開く。

「誕生日プレゼントだけど」
「は?」
「明日、良平誕生日じゃない?」
「あ? オゥ、そーだな」
「明日は多分おばちゃんがケーキ用意しちゃうから渡すなら今日しかないなって」
「ハァ?」
「ってゆーか朝ちゃんと言ったでしよ? プレゼント渡すって。忘れてた?」
「いや、言われはしたけどよ」

 今朝、学校に行く途中でたしかにから「明日誕生日だね」とは言われたし「ちゃんとプレゼント用意した」とは言われていた。とは言え本番は明日だ。どうせ明日もどっかのタイミングで顔を合わせるだろうし、と軽く流していた。明日祝われる気満々でさえあったと言っても過言ではない。
 それをなんだ、こいつは。前日にいきなり、それもオレにも伝えずに祝い始めるやつがいるか? いねぇだろ、普通。ってゆーか予め買ってたスプレーはまだしも、さっきケーキ買う時になんで言わねぇんだ? 
 サプライズとかそういうつもりだろうか。訝しむようにを睨みつけたが、コイツにそんな考えがあるとは思えない。むしろ顔をしかめるオレを見上げたは「なんで怒ってんだ?」みたいな顔してやがる。

「今日ずっとそのつもりだったんだけど」
「ずっとって……もしかしてカラオケもか?」
「うん。良平好きでしょ、カラオケ」

 ふふ、と微笑んだはとても嬉しそうに見える。だが、あまりにもあっけらかんとした態度で言われたものだから混乱により蓋をされていた感情が決壊した。

「最初に言え?!」

 大声で怒鳴りつけるとは目を丸くして肩をピャッと震わせた。まさか怒られるとは思っていなかったのだろう。だが怒る。今日の行動のすべてがオレのためだとしても絆されて見逃してはならない。祝われているだなんてちっとも知らなかったオレにだけ、を怒る権利がある。

「最初って……朝言った……」
「朝は朝だろ! 続いてねぇよ、話! 昼に誘ってきたとき時になんで言わねんだよ!」
「き、聞かれなかった……」
「普通に誘ってきたと思ったからだよ! ってゆーかてっきりヤなことでもあったかと思ったじゃねーか!」

 心配らしい心配とまでは言えない。だが気を揉んだことには変わりない。
 ――早く言えよな、本当に。
 腹を立てるままに一気に捲し立てた。だがそれでもまだ溜飲は下がらない。腹の底に根付いた怒りの勢いに押され、の怯えた表情に指先を伸ばす。少しは反省しろと気持ちを込めて、眉間に指先を押し当てた。

「らしくねーことやってんなって思ったんだよ!」

 いつもまっすぐ帰るのにカラオケに誘ってみたり。甘いもん好きなくせに家で食べると親がうるせーから普段は買わないのにコンビニ寄ったり。思い返せばいつものからは離れた行動ばかりを重ねていた。
 違和感を覚えるだけの材料は揃っていたが、が楽しそうだから放っておいた。
 ……そりゃ楽しいはずだ。だってはオレの知らないオレの誕生日パーティにひとりで参加していたのだから。
 先に言ってくれたらよかったのに。今日のが機嫌よく笑う顔がオレの誕生日を祝うためだとはじめから知っていたかった。その方が、きっと、もっと楽しかった。
 楽しい記憶には変わりないのに、楽しみ損ねた部分を酷く惜しんでしまう。募る苛立ちを抑えていられるほどできた人間じゃない。の額に指先を押し当てるだけでは足りず、尖らせた指先を突いては離し、離しては突くを繰り返す。数回立て続けに突っついてやると、は「うぅ……」と呻き声をあげた。
 眉根を寄せて痛そうな素振りを見せるにようやく苛立ちが納まってくる。最後にもう一撃、と強く指先を押し付けて解放するとは軽くのけ反ってたたらを踏んだ。

「……ったくよー。来年からはちゃんと言えよ?」
「うん……でも来年はパーくんもいるし多分、大丈夫」
「あぁ、たしかに」

 額を抑えながら答えたに「なるほど」と頭を揺らす。パーちんさえいれば、例えが何も言わずにパーティを始めたとしてもパーちんが「今日はぺーやんの誕生日だからな!」なんて宣言してくれるはずだ。
 明るいパーちんの笑顔を思い出すと同時に、どうしようもない寂しさが胸に沸き起こる。互いの誕生日には三人で祝い合ってきた。ガキのころから続いていた習慣が今年は断ち切られたのだと思うとひどく残念でならない。
 ――次のパーちんの誕生日は……無理だよな。じゃあ、来年はどうなっているんだろう。
 そんなことを頭に思い描いていると自然と口元は引き締まる。

「良平? どうしたの?」
「ん? ……あぁ毎年、パーちんも祝ってくれたんだけどなって思ってよ」

 パーちんの名前を出すと、はほんの少しだけ顔を顰めた。寂しさを一緒に抱えてくれたのだと知ると、かすかに心に温かさが生まれる。

「うん……だから、私、今年はパーくんの分もお祝いしないとって思ったんだ」
「パーちんの?」
「うん。昨年もカラオケ一緒に行ったでしょ?」

 の言葉に昨年の記憶を辿る。たしかに昨年はパーちんとに祝われた。楽しそうにタンバリンを叩くの姿を思い描くと、今日見た光景に今と髪型の違うの姿が重なった。
 パーちんのいない分、は頑張って盛り上げようとしてくれた。いじらしいと言えばいじらしい。だが、根本的な考えが間違ってる感は否めない。

「確かに昨年も祝ってもらったけどよ、じゃあこの後、パーちんみたいにお前もバイク転がしてくれんのかよ」
「それは無理……」

 パーちんなら付き合ってくれるだろうことを例にあげればは顔を青白くさせて頭をぶんぶんと横に振った。オレがを乗せて行くならともかく、さすがに運転させるつもりはなかったが、あまりの反応に思わず笑ってしまう。

「だろ? だかららしくねぇこと無理にしなくていいっつの。お前が祝ってくれるってだけで十分うれしいから」

 オレの言葉に安心したように笑うに手を伸ばす。ポンと頭に触れれば笑みはさらに深くなった。つられて口元を緩めたが、必要以上にストレートに伝えてしまったことに気付くと、今更ながら妙な照れくささが湧いてくる。真っ直ぐに見つめてくる瞳を受け止めかねて、手のひらを押し付けたまま乱雑に振った。

「っつーかお前のは?」
「えっ。プレゼント足りない?」

 乱れた前髪を整えながら目を丸くしたに内心で頭を抱える。どうやらこのバカは「パーちんの分は受け取ったがお前の分のプレゼントは?」と尋ねたと思ったらしい。
 どこまで欲深いと思われてるのか。問いただしたいような気にもなるが、また額を攻撃したところでは頭にクエスチョンマークを散らすだけだろう。

「ちげぇよ。お前の分のケーキは?」
「買ってない」
「なんで」
「なんでって……これは良平へのプレゼントだから?」

 私は誕生日じゃないとでも言いたげな顔で首を傾げたに呆れ果ててしまう。パーちんもバカだがやっぱりコイツも相当だ。

「いや家でひとりで誕生日ケーキ食う方が虚しいわ」
「たしかに……」

 オレの反論に、は目からウロコが落ちたと言わんばかりの表情で納得した素振りを見せる。ケーキくれんのはありがてぇけど、そこまでちゃんと考えておけよな。手のひらで自らの額を抑えながらの対応に大仰に息を吐く。昨年だって一緒にケーキ食ったのに、そこだけスコンと抜けてるのはどうなんだよ。

「んじゃ、コンビニ戻んぞ。お前も何か買えよ」
「え。私、良平が食べるの見てるだけでいいよ?」
「どんな状況だよ。さすがに食いづれぇわ」

 これが遊んでて適当にファミレスに入ってそれぞれ好きなもんを食うだけなら気にならない。コンビニで好きなお菓子買ってきて家で食うにしてもそうだ。だが、誕生日にひとりでケーキを食うさまを眺められるのを同じように扱っていいわけないだろ。なんでそんなことわかんねぇんだ。バカだからか?

「……太りたくもないし」
「一個くらいでたいして変わんねぇっつの」

 オレやほどじゃねえがだって十分痩せてる。ってゆーか太ったところでなんだからクソほどどうでもいい。
 眉を八の字にして悩むだが「いいじゃねぇかよ。食おうぜ」と更に言葉を重ねれば渋々ながらも観念したのか首を縦に振った。

「オウ。じゃあ行くぞ」
「あ、待って。お金取ってくる」
「そんくらいオレが買ってやるワ。マジでいい加減もう空気読め。オラ、行くぞ!」

 この期に及んで家に引っこもうとするに痺れを切らしたオレは、ドアノブを掴もうとするの手を慌てて掴む。そのまま渋るの手を引いて来た道を戻った。
 タンタンと階段を降りる足音が重なる度、次第に苛立ちは薄れ、心は浮き足立っていく。誕生日だからってガキみたいに手放しで喜ぶほどじゃない。それでもが祝ってくれるのは心の底から嬉しかった。
 ――よく考えたら、今日、はオレの誕生日を祝うためにらしくないことをしていたのか。
 らしくねぇことはしなくていい。その考えに嘘はない。それでも幼馴染から受ける特別扱いは、口の端がムズムズと緩むような高揚感を与えた。

「あっ、そうだ。
「ん?」

 一段上を降りるを振り返り、ニッと口の端を上げて笑う。

「言い忘れてたけどよ……祝ってくれてありがとナ」
「うん。良平も、誕生日おめでとう」

 礼を口にしながら笑みを深くさせると、もまた歯を見せて笑った。ガキのころから変わらない笑い方を目にすると安堵に似た満足した気持ちが胸に広がっていく。
 ふ、と口元を緩めたオレは、そのまま前を向き再び階段を降り始めた。
 ――やっぱりケーキ食った後、にバイク乗るの付き合ってもらおう。
 夕飯を食った後でもいい。が宿題するってんなら少しくらいなら待ってやる。あれだけ一緒にいてもまだ足りない。祝われ損ねたなんて言うつもりは無いが、やっぱりがちゃんと祝ってくれているのだと知った上で共に過ごす時間が欲しい。
 はオレの知らない誕生日パーティを勝手に楽しんだんだ。そのくらい、付き合ってもらってもバチは当たらねぇだろ。
 階段を降りきった後、今度は体全体でを振り返る。一歩遅れて着いてきたがオレの正面で足を止めた。宵闇の中にあってもきらきら光る双眸が、真っ直ぐにオレを見上げている。そ の瞳を見返しながら、今日が終わる瞬間にもまだ一緒にいれたらいいのにと願った。


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