林01:愛しき世界

愛しきこの世界


 給食を食い終えたあとの昼休み。三ツ谷かのとこにでも行こうと教室を出たところで、トン、と軽く誰かとぶつかった。
 反射的にぶつかってきた相手を睨み付けた。だが、相手がだと気付いた途端、簡単に表情は解ける。今朝、登校時間に会って以来の幼馴染は、微かにオレを見上げると安心したように笑った。


じゃねぇか」
「良平。よかった。探しにいくとこだった」
「おうよ。どーした?」

 とは家が隣なこともあり小学校のころから、毎日一緒に帰っている。他愛もない話なら帰りでも家に着いてからでもいいはずだが、は今、オレに用があるらしい。
 急ぎの用事なら今のうちに聞いてやんねぇと。とはいえ、教科書を忘れたというのならオレを宛にするのは止めてくれとしか言えないのだが。

「良平。今日よかったら帰りに一緒にカラオケ行かない?」
「カラオケ? おお、いーよ」

 いつも素早く家に帰る主義のが寄り道をしたがるのは珍しいが、カラオケを断る理由なんてない。二つ返事で承諾すると、はほんの少しだけ口元を緩めた。嬉しそうに笑うに、よっぽどカラオケ行きたかったんだな、としみじみ思う。
 オレもパーちんが捕まってからはそんなに行ってねぇんだよな。
 何となく気分が乗らないまま敬遠していたが、が楽しみにしてるならオレも乗らないわけにはいかない。帰りが遅くなってもオレがいれば妙なやつがに近付いて来ることもないだろう。

「じゃあ。終礼終わったらそっち行くワ」
「うん。待ってる」

 頭を揺らしたに話がひと段落したのを察したオレは、の肩に腕を回して歩みを再開させる。だが、いつもならすんなりと歩き始めるが躊躇するようにたたらを踏んだ。困惑の色を浮かべた瞳がオレを見上げているのに気付くと同時に、のクラスに入りかけた歩みを止める。

「どうした? 
「えっ。むしろ良平がどこに行くのかなってびっくりしてるんだけど」
「ん。三ツ谷んとこ行くからよ」

 オレを探しに行くと言ったは、たった今、話をつけたことで用事は終わったはずだ。も当然オレと一緒に行くだろう。そう思い、三ツ谷のとこまで連れて行こうとまた一歩踏み出した。だが、はオレの腕を持ち上げると、するりと身を翻して再び廊下へと出てしまう。

「そうなんだ。でも私、今から安田さんのクラスに行こうと思ってるから」
「ゲェッ!」
「ゲって……」

 不意打ちで出てきた名前に反射的に拒絶反応を示してしまう。先程以上に眉尻を下げたの顔つきは困ったというより悲しそうに見えた。

「い、いや……オレは別にお前が誰と仲良くしても口出すつもりねぇけど……」
「けど?」
「ウッ……いや、あんま仲良くしてにアイツみたいになってほしくねぇな……って」

 あまり仲のいいヤツがいないに友人と呼べる相手が増えるのはオレだって嬉しい。だが、その相手がオレの天敵とも言える女子となると話はだいぶ変わってくる。
 正直に言って、歓迎は出来ない。もし一緒に過ごすうちにが影響を受けてアイツに似てしまったら。そんなことを考えるだけで心の底から震え上がってしまう。
 まだ見ぬ未来に身震いしていると、指先を下唇に添えたがクスクスと笑う。

「またそんなこと言って。良平と安田さん。結構仲良くしてるじゃない」
「ハァ?! お前は目ん玉の代わりにビー玉でも入れてんのか? どうりでキラキラしてると思った!」

 飾りなら要らねぇだろ。取ってやろうかとの両頬に手を添えて親指の腹で瞼を抑えてやると、は「うぅ……」と小さく呻いた。八の字に下がった眉にしょうもないからかいを口にされたことへの溜飲が下がる。

「オラ。もうクソみてぇなこと言ってねーでサッサと行ってこい」

 最後のお返し、とばかりに軽く頬を摘んでを解放する。キュッと目を瞑っていたはチラリとこちらを見上げると、次の攻撃に備えてか自らの頬を庇うように手のひらを添えた。

「うん。それじゃ放課後よろしくね」

 たった今、オレにされた仕打ちは即座に水に流されたらしい。ふわふわした顔で笑ったは、くるりと踵を返すと他のクラスに向かって歩き出す。
 真っ直ぐに伸びた背筋は傍目から見たらシャキシャキしてるように見えるのかもしれない。だけど俺には友だちと会うことが楽しみでならないと書かれているように見えた。……いや、マジで影響受けんなよ?
 こちらの心配なんてどこ吹く風で立ち去るの浮かれた背中に念を飛ばしてみたが果たしてちゃんと届くかどうか。軽い溜息と共にを見送ったオレは「届きゃしねぇんだろうな」と後ろ頭を掻きながら三ツ谷のクラスへと足を踏み入れた。

「おーい! 三ツ谷ァ! いるかー?」
「……いるよ?」

 窓際の一番前の席に座る三ツ谷は、どうやらオレが声をかける前にオレの登場に気付いていたらしい。窓に寄り掛かるように頬杖をついた三ツ谷は、じっとこちらを見上げたまま口元を緩めていた。
 普段から溌剌としたタイプではないが、たまに三ツ谷はこういう顔をする。口元は笑ってんのに全然楽しそうじゃない。以前「腹でも痛ぇのか」と尋ねたが、「別に」とはぐらかされて以来、追求しないことにした。

「で、どうしたんだよ。ぺーやん」
「おっ。そうそう。ちょっとお前に話があってよ」

 三ツ谷の席まで辿り着いたオレはそのまま隣の席の椅子を引く。三ツ谷の隣の席はの席だ。くじ引きだってのに二回連続で隣になったんだとは嬉しそうにしていたっけ。
 つい先日のやり取りを思い出しながら遠慮なく椅子に腰掛けると、机の上に置いたままになっていたペンケースに肘が当たり落としてしまう。拾い上げ、ついてしまったホコリを叩き落としていると、「さっきさ」と三ツ谷が声を上げた。

「ん?」
「……と何の話してたの?」
と? 何話したって……三ツ谷んとこ行くかっつったら行かねぇって言われただけだけど」

 問われるままについ先程、と交わした会話をなぞる。汚れが残っていないかペンケースを傾けていると、三ツ谷が身動ぎするさまが横目に入った。相変わらず頬杖はついたままだが、前のめりになった三ツ谷はこちらへ手を伸ばし、のペンケースを取り上げる。

「そっか。なんか突っかかってたように見えたからさ」
「え? いや、アレはが変なこと言い出すから……」

 まさか「お前んとこの元副部長との仲をからかわれた」だなんて口に出来るはずもなく、口ごもっていると三ツ谷から「ふぅん」と気のない返事が戻ってくる。
 オレが見つけられなかったホコリを叩き落とした三ツ谷は、のペンケースをそっと机の端に載せた。また落として汚すのもよくない。そう思い、オレもまた頬杖をつきがてらペンケースを懐へと滑らせ、三ツ谷へと向き直る。

「そういや三ツ谷。今日の帰りヒマか?」
「ん? いや、今日は食材の買い出しとか色々予定があるな」

 母ちゃんみたいなことを言い出した三ツ谷は晩飯の用意の他にも妹ふたりの面倒を見ていると聞いたことがある。オレは今、東卍の集会も謹慎になっているしヒマでしょうがないが、手伝うと申し出たところで「出来るのか?」と顔を顰められるだけだろう。

「そうかよ。カラオケ行くかって誘おうと思ったんだけどそれじゃ無理だな」
「ハハ。好きだな、ホント。今度また誘ってくれ。早いうちに言ってくれたら都合つけとくから」

 溜息混じりボヤいてみせれば三ツ谷は軽く笑った。気分が乗ってきたらしい三ツ谷にこちらの調子も戻ってくる。
 三ツ谷が来れねぇのは残念だが、また今度誘えばいいだろう。仕方ねぇから今日もとふたりで楽しむとするか。

「話ってカラオケの誘い?」
「いや。それとはまた別でよ。この前パーちんから手紙の返事来てよー」
「へぇ。パーちん、元気してんの?」
「それがよー」

 ポチは元気にしてるかだとか。筋トレを始めたから出所するときはパワーアップしてるだとか。書かれていた内容を三ツ谷に伝えては笑い合う。そんな風にしていつもと変わらぬ会話を昼休みいっぱい楽しんだ。



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