林01:愛しき世界02

愛しきこの世界


 と連れだってコンビニに戻ると、まっすぐにデザートコーナーに足を運ぶ。「生クリーム系よりフルーツのってるのがいい」と主張するに「いんじゃね?」と返したのも束の間、小一時間ほど前まで何種類か残っていたはずのケーキはちょっとこの場を離れた隙にすべて売り切れていた。

「なくなっちゃった」
「チッ……。誰だよ。買い占めやがったの」
「もしかしたら良平の誕生日と一日違いの人が近所にいるのかもね」

 物わかりのいい言葉を吐いただが、完全に眉尻は下がりきっていて「食べたかった」と素直に言われるよりも強く印象づけられる。その姿を横目に、首の裏に手をやるとひとつ息を吐き出した。
 相変わらず未練がましい視線を空っぽの棚に差し向けているを引っ張って、別のコンビニやスーパー行くかどうか。
 面倒くさいだとか行ってもケーキが無かったら悲惨だとか。デメリットを並べながらも〝の分がないのはな〟と思うと選択肢は当然〝行く〟一択に絞られる。それでも踏ん切りがつかなくて行くか行かないかを天秤に掛けていると、ふと、隣の棚が目に入った。
 そこにはシュークリームやエクレアが所狭しと積まれていた。さらには下の段にはプリンやゼリーなんかも並んでいて、「いいじゃん」なんて軽く心が傾く。だが、普段なら「こっちにしろよ」とすんなり提案するところだが、自分がケーキを買って貰っておいて妥協しろって言うのもどこか心苦しい。
 どうしたものかと考えあぐねていると、オレの視線の先に気がついたらしいが隣から棚を覗きこんでくる。

「そっか。プリンって手もあったね」
「ハァ? ケーキじゃなくていいのかよ」
「良平の分はちゃんとあるし……今日はいいかな」

 の言葉にほんの少しだけ唇を尖らせる。その表情を「何言ってんだコイツ」とでも思われていると受け止めたらしいは「忘れた?」と言いながらオレの持つビニール袋の持ち手に指を引っ掛けた。

「いや、忘れてねぇけど」

 むしろソレが頭にあるから躊躇ってんだよ。そう伝える間もなく「じゃあいいよね」と一方的に会話を断ち切ったはそのまま隣の棚へ視線を移した。
 その横顔を見下ろせば、がすでに浮かない表情を払拭しているのが目に入る。きらきらとした目でどれにするか物色しはじめたらしいの切り替えの早さに呆れつつも、「まぁ、がいいならいいけどよ」とひとつ溜息を吐きだした。

「じゃあ、明日どっか食いに行こーぜ」
「え、でも明日はおばちゃんが用意してくれるんじゃないの?」

 棚を覗くのに必死なあまり、オレの肩にぶつかってきたは目をまん丸に見開いてこちらを見上げてくる。心底意外だと言わんばかりの表情に軽く首を傾げながら、の肩を押し返す。

「オゥ。母ちゃんにケーキいるかって聞かれたけど、とメシ行くついでに食うからイラネっつったわ」
「そうなんだ……」

 先週、家で飯食ってるときに交わした会話をなぞってやると、ぽつりと言葉をこぼしたはほんの少しだけ眉尻を下げて俯いた。軽く寄せられた眉根と落ち込んで見える態度に、の思惑を察したオレはニヤリと口元を緩める。

……オマエ、さてはデッケェの食えるって期待してたな?」
「……ちょっとだけ」

 ちらりとこちらを見上げたは、ほんのりと口元を緩めると軽く濁した本音を口にした。言い当てられたのが照れくさいのか、微かに紅潮した頬を手の甲で隠したがオレから目を逸らすさまを眺めながら小さい頃からの習慣に思いを馳せる。
 同じ団地の隣同士に住んでいるオレたちは、ガキのころからだいたいのイベント事は一緒に過ごしてきた。
 入学式や卒業式は当然のこと。クリスマスだとか誕生日だとか、普通ならその家庭内だけでやるようなイベントもホールケーキを用意した翌日は、それぞれの家の残りを持ち寄って食べ合うのがお決まりになっていた。いつからかは忘れたが母親同士で話し合って違う店や味を選んで用意されるようになったが、来年からは家を出るんだしそういう習慣もそろそろ終わらせねぇとな。

「……じゃあ、明日作る? スポンジのとこは買わないとだけど」
「いや、わざわざそこまでしなくていーって。ファミレスでも行って好きなモン食おうぜ」
「わかった」

 ん、と頭を揺らしたにオレも頷いて返すと、改めてデザートの並ぶ棚へ視線を戻す。
 
「で、どうする? 何買うか決めたのかよ?」
「ゼリーにする」
「ハァ? こっちのプリンじゃなくていいのか? 好きだろ、オマエ」
「そっちも好きだけど今日はフルーツ入ってる方が美味しそうに見える」

 しょっちゅう食ってるプリンを顎で示してやったが、はやんわりと首を横に振り、何やら色々入っているゼリーを手に取った。底を両手で包むように持ち上げ「みかん食べたいし」と続けたに、冬になる度にみかんを食い過ぎたせいで「指先が黄色くなった……」と落ち込むパーちんとの姿が脳裏をよぎる。そういや果物も結構食ってるよなと思うと、ゼリーを選ぶのもすんなりと納得出来た。

「んじゃ、早く買って帰ろうぜ」

 一言声をかけ、からゼリーを取り上げるとレジへと向かう。列に並ぶと後ろから着いてきたに脇腹あたりの服を掴まれたので首だけで背後を振り返れば、きゅっと眉根を寄せたと目が合った。

「あとでお金返す」
「ア? いいって。ケーキもらったしよ。それよりいつ食う? メシ食ったあとにでもウチ来るか?」
「うー……。うん。そうする。ありがと」
「腹いっぱいになったからって寝ちまったら両方食っちまうからな」
「……パーくんじゃないから大丈夫」

 そんな会話を交わしながら会計を済ませ、コンビニを出ると荷物を持つと言う代わりにが手を差し出してきた。意図を分かりつつも軽く手のひらを叩いて下げさせるとそのまま隣に並んで帰路につく。

「そういや、オマエんちの夕飯カレーっぽかったよな」

 団地の廊下でしゃべっている間、食欲を誘うカレーのにおいが漂っていたのを思い出して口にすると、は「だね」と頷いた。

「良平、食べくる?」
「あー……。ケーキ食っても腹減ってたらな」
「いいよ。多分お母さんも良平が来たら喜ぶ」

 ふふ、と笑ったを横目に「そうかもな」と続けた。生まれたときから世話になっているのもあり、ンちのおばちゃんはオレを息子みたいに扱ってくれる。いつまでもガキ扱いされるのはくすぐったいが、オレの母ちゃんがパーちんやに対して同じようにしているのを見ていると〝そういうモンだ〟と受け入れるのが普通なんだろうと思えた。

「一応、お母さんにもあとで良平が来るかもって伝えとく」
「頼むワ」

 そんな会話を交わしながら団地の階段を上ると、オレももそれぞれ自分ンちの玄関前に立つ。

「じゃあ……ご飯食べ終わったら、そっち行くね」
「オゥ。また後でな」

 ん、と頷いたを横目に確認すると、そのまま玄関のドアを開けて家に入った。


 +++


 晩飯を食い終え部屋でダラダラしていると、玄関の呼び鈴が鳴ったのが耳に入る。部屋を出ると、オレよりも先に母ちゃんがドアを開けに行こうとするのが目に入ったため「だから」と伝えて動きを制す。
 ったくよー。家に帰ってきたときに「あとでが来るから」と伝えておいたのに、なんで出ようとすんだよ。
 内心で悪態をつきながら玄関へ続く廊下を、ワザと足音を鳴らして歩く。不機嫌だと伝わったのか、背後から「ちゃんを威嚇しないの!」と母ちゃんの声が飛んできたが、じゃなくて母ちゃんへの反抗だってのがわかってないらいしい。
 苛立ち紛れに乱雑に後頭部に爪を立てながらドアを押し開けば、の姿を確認するよりも早くマッカンが目に飛び込んできた。

「……ンだよ、これ」

 ちょうどオレの目線の高さに持ち上げられたマッカンの底を掴んで位置をずらせば、きゅっと口角を上げたと視線がかち合った。

「お母さんが良平にって」
「マジか。あとで帰ったら礼言っといてくれよ」

 好きなモンを用意してくれたのかと思うと、素直にありがたいと感じる。次に会ったら直接礼を言うつもりだが、から先に伝えておいてもらった方が早いし確実だ。そう思い、伝言を頼めばはいつものように「ん」と軽く頭を揺らした。
 からマッカンを受け取りながら「とりあえず入れよ」と更にドアを押し開いて家に招くと、突っかけただけの靴を脱ぎ捨てる。

「上がったらオレの部屋な。先に入っとけ」
「ん」
 
 脱いだサンダルを揃えるに、暗に「母ちゃんと無駄話すんじゃねぇぞ」と伝えると、先に台所へと足を進める。廊下の先に待ち構えていた母ちゃんを無視して冷蔵庫を開け、冷やしておいたケーキとゼリーを取り出していると、早速母ちゃんがにちょっかいかけはじめた。

「こんばんはー、ちゃん」
「お邪魔します」

 ペコッと頭を下げたにウキウキした顔で近付いた母ちゃんは「飲み物持ってく?」とか「明日は良平がいらないって言うからケーキ用意してないのよ。ごめんねェ、毎年春樹君とふたりで楽しみにしてくれてたのに」などと矢継ぎ早に話しかけている。
 律儀にそれらに応じるの首に腕を回し、母ちゃんに「マジでヤメロ」と釘を刺すとそのままを引きずって部屋に押し込んだ。
 ――マジで油断も隙もねぇな。
 ドアの向こうの母ちゃんがワーワー言っているのが聞こえるが、そんなモンをいちいち気にしてられるほどヒマじゃない。ひとつ息を吐き、を解放するとそのまま床にどっかりと座る。
 台所からついでに拝借してきたトレイに、ケーキとゼリーを並べていると、もまたオレの隣に腰を下ろした。

「……あー、飲みモン取ってくるの忘れたな」

 部屋を出るとまた母ちゃんから絡まれそうで面倒くさい。だが、もらったばかりのマッカンの甘さはチョコケーキには不向きだ。台所まで飲み物を取りに行くか否か。後ろ頭を掻き、今日は諦めるかと考えたのも束の間、が「チョコ味だし牛乳が合うんじゃない?」と追い打ちをかけてくる。

「オマエ、マジでさぁ……」
「なに?」
「なにって……飲みたくなるようなこと言うなよ」
「飲めば? ないならウチから持ってくるけど」
「違ェって。部屋から出るのが面倒くさいだけだワ」
「? 取りに行くのがイヤなら私がおばちゃんにもらってくるよ」

 不思議そうな顔をしたはそう言うや否や、立ち上がろうとする。その腕を掴んで慌てて引き留めればはますます顔を顰めた。

「マジで行くな。オマエが行ったところで母ちゃんに絡まれるだけだワ」
「じゃあいらないの?」
「……オゥ、今日は諦める」

 苦渋の決断を下すとは軽く首を傾げながらも「そっか」と呟き、膝を揃えて座り直した。

「ンじゃ、食おうぜ」
「うん」

 気を取り直してデザートに向き合うと、オレはケーキ、はゼリーへとそれぞれ手を伸ばす。ついでにコンビニで貰ったプラスチックのスプーンをに渡せば「ありがと」と返ってきた。
 それに頭を揺らして応じ、ケーキのパッケージを取り外しに掛かる。蓋を外し、フィルムを剥がしてかぶりつけば、普段食ってるチョコよりも濃い味が口に広がった。の言うとおり牛乳が合いそうだな、なんて感想がぼんやりと頭に浮かぶままゆっくりと食い進める。
 
「甘ェな」
「おいし?」
「ん、ウメェ」

 中に入ってるフルーツをスプーンで半分に切るを横目に答えると、は満足そうに口元を緩めた。

「これ期間限定かよ。次いつ食えるかわかんねぇし、コッチ半分食うか?」
「んー……。ひとくちでいい」

 剥がしたパッケージに目を落としながら問いかけてみれば、ほんの少し考える仕草を見せたはこちらを振り向くと「あっ」と口を開ける。鳥のヒナみたいな顔したはどうやら直接食わせろと言っているつもりらしい。
 スプーン持ってんだろうがと呆れつつも、オレも普段似たようなことをしていると思えばめくじらを立てたところで反論されるのが目に見えている。
 ひとつ溜息を零すと、食いやすいように底のフィルムをちぎっての口元に押しつけてやる。こちらに頭を近づけ上の方をちょこっと噛んだは、ケーキから顔を離すと美味そうに頬を緩めた。

「ホントだ。美味しい」
「だろ? 気に入ったならもう少し食うか?」
「んーん。たくさん食べたらゼリーの味がわかんなくなっちゃうから良平が食べて」

 の言い分に軽く首を捻れば半分に切ったマスカットとゼリーが口元に差し出される。お返しってことか。そう思い、遠慮無くそれに噛みついたが、口の中にチョコの味が残ったままでは、ゼリーのさっぱりした口当たり以外ほとんど味が分からなかった。
 納得したと言う代わりに頭を揺らしてやると、は「でしょ?」と笑った。どうやら今日ばかりは自分のデザートに集中した方がいいらしい。
 そう結論づけたオレたちは、そのまま互いにケーキとゼリーを口に運んだ。

「なぁ、
「ん?」

 半分ほど食い終えたところで声をかけるとが〝食うか?〟とばかりにゼリーをこちらに差し出してきた。それを「違ェよ」と手で退けると、ふと頭に浮かんだ提案を口にする。

「コレ食ったらよー。バイクでも歩きでもいいからどっか行かね?」
「いいけど。どこ行くの?」
「決めてネェ……。なんか、その辺」

 このまま部屋にいてもいいけど、なんとなく今日は外に出たい気持ちが強い。冬になったらテコでも動かなくなる寒がりなを誘うなら今しかないと思ったのも理由のひとつだ。
 軽く眉根を寄せ「ん-」と俯いただったが、数秒も経たずに顔を上げると「ウン」とハッキリとした顔つきで頭を揺らした。

「わかった。でも一回着替えてきてもいい? ちょっとこれだと外寒いかも」

 困ったような顔でシャツを引っ張ったの服装を見下ろす。夏によく見る部屋着姿のは、半袖短パンだなんて随分とラフな格好をしている。たしかにそんな薄っぺらい服装じゃ家の中で過ごすのは良くても、外を歩いたりバイクに乗ったりすればひとたまりも無いだろう。「寒い、帰りたい」とぐずり出すの姿が簡単に想像ついたオレは、頭を揺らすとに目線を合わせる。

「じゃあ下で待ってっから着替えてこいよ」
「ん」
「あとオマエ、サンダルで来たろ。それも履き替えとけよ」
「覚えとく」

 靴下を履いたままサンダルで出歩くのはウチに来る時くらいだろうとは思いつつもぼーっとしているなら外歩きもやりかねない。バイクに乗るかもしれねぇからちゃんとした靴を履けよと忠告すればは深く頷いた。
 残りのデザートをそれぞれ平らげ、ゴミをまとめようとするを「やっとくからはよ着替えろ」と制し、部屋から追い出した。
 外で母ちゃんがに話しかけているのが聞こえたが、オレが追っ払う前にが「今から外に遊び行く」と断りを入れているのが聞こえたのでそのまま放っておいた。
 食ったゴミをまとめ、ジャージを羽織るとバイクのキーを取って部屋を出る。にそうしたように母ちゃんがワーワーと話しかけてきたが、全部無視してふたりぶんのヘルメットを手にして外に出た。
 まだ10月とは言え、夜にになるとそれなりに冷え込む。バイクを走らせたらもっと寒くなるが、はちゃんと厚着して来るだろうか。靴を履き替えるのに頭がいっぱいで着替え忘れたなんて言われても次は待たねェぞ。
 そんなことを考えながら駐輪場から引っ張ってきたバイクをいじっていると、背後から階段を駆け下りる音が聞こえてくる。首だけ捻って振り返ると、数分前の約束通り、しっかり寒さ対策をしてきたがこちらに駆け寄ってきた。

「良平、お待たせ」
「オゥ。これオマエのな」

 そう言ってヘルメットを放り投げると、胸の前でキャッチしたは「どこ行くの?」と声をかけてくる。

「まだ決めてねェ。はどっか行きてぇとこあるか?」
「んー……。特には」
「オゥ。じゃあ、テキトーに走ろうぜ」
「ん、わかった」

 ヘルメットをかぶり顎紐を締めにかかったを横目に、バイクに跨がったオレはエンジンを吹かし発進準備に入る。
 
「乗れるか?」
「大丈夫」

 軽く上体を捻ってシートをポンと叩くと、はオレの後ろに体を滑り込ませ、軽く腰に手を回してきた。「ちゃんと掴まれ」と伝える代わりに手の位置を直してやると、クラッチレバーを握りながらアクセルをゆっくり捻り、バイクを蹴り出した。いつもなら排気音をワザと鳴らして走らせるところだが、今日はを乗せているのでなるべくふかさないように気を払う。

「寒くねぇ?!」
「平気!」

 いつもより声を張って問いかければ、もまた同じくらい大きな声で返してくる。まだ冬本番じゃないから冷えると言っても我慢できないほどじゃない。それでも寒がりなが震え上がっていたら、本格的に走らせる前にどこかであたたかい飲みモンでも買いに行こうかと思ったが、どうやらその心配は無さそうだ。

「じゃあ、マジでテキトーに走るからな。トイレ行きてぇとかあったら漏らす前に早めに言えよ」
「……漏らさないけど、わかった」

 そう言ってさっきよりも強くしがみついてきたの手をポンポンと叩き、ギアを上げると、どこを目指すでもなくバイクを走らせた。信号に引っかかる度になんとはなしに話をしては、また青になれば走り出す。それを何度も繰り返しているうちに、宛もなく走らせてきたつもりだったが、自分がどこに向かっているのか次第に見えてきた。途中でも気がついたらしく、「今どの辺?」だとか場所に関する質問は投げかけてこなくなった。
 目的地まであと数分といったところで最寄りのコンビニにバイクを停める。ヘルメットを脱ぐと、もオレの腰に回していた腕を放し、顎紐を解きに掛かった。

「なにか飲むか? テキトーでいいなら一緒に買ってくるけど」
「ううん、身体冷えたし一緒に行く」
「それもそーだな」

 するりとバイクから降りたからヘルメットを預かるとシートの中に仕舞い込み、煌々と照らされたコンビニに入る。店内を物色するでもなくまっすぐにドリンクコーナーに向かったオレたちは、ホットのココアと紅茶、それに肉まんを買って外に出ると、そのまま歩いてその場を離れた。

「飲みながら歩く?」
「いや、着いてからにしよーぜ」
「わかった。でもちょっと寒い」

 寒そうな顔をしたが手のひらを差し出してきたのでその上に紅茶のペットボトルを乗せてやるとは「ありがと」と頭を揺らした。手のひらに熱を移すようにぎゅっと握りしめながら歩き始めたを横目に、ふたりならんで目的地を目指す。
 途中、オレもを真似してココアの缶をジャージのポケットに突っ込み暖を取れば、じわりと滲む熱に身体の芯が冷えていたことを知った。

「結構冷えンな」
「だね。もうバイクに乗るとき手袋使わないと辛いんじゃない?」
「ンなモンつけて乗ってられっかよ。気合いでどうにかするワ」

 そんな他愛もない話をかわしながら歩いていると、真っ白な高い壁に囲まれた施設に辿り着く。その敷地内に入るでもなく壁沿いをぐるりと回り、人の目がつかなさそうな一角に陣取ると、どちらからともなくその場に座り込んだ。
 脚を開いて腰を下ろしたオレの横にちょこんとしゃがみこんだは、ペットボトルを頬に当てながらこちらに視線を差し向ける。

「……パーくん、もう寝てるかな」
「だろうな。三ツ谷も言ってたけど、この中じゃ規則正しい生活ってやつをやらされんだろ?」

 立てた親指を背後に向け、パーちんが収容される場所――鑑別所を指し示す。
 オレの指の動きに釣られたのか、は背後を振り返ると高い壁を下からなぞるように視線を持ち上げた。一番上まで眺めては、どちらからともなく溜息を吐きこぼす。
 多分、の胸にも今、オレが抱えているのと同じくらいの寂しさが詰め込まれていることだろう。ここに来たのはその寂しさを紛らわせるためだったのに、結局思い出しては胸を詰まらせてしまう。意味ねぇな、と自嘲の笑みが浮かんだが、多分、オレたちはまた意味もなくここに来ては溜息を吐きこぼすことになるだろう予感があった。
 パーちんが捕まってから、もうすぐ三ヶ月が経とうとしていた。保育園の頃からの記憶を辿ってもこんなに長く会えなくなるのは初めてで、オレもも兄弟分の不在をうまく消化しきれていないのが現状だ。
 今までだって会えない時期はあった。だが、それはパーちんが旅行だの別荘だのに行って会えなかっただけで、帰ってくる日を同じ月のカレンダー内で確認できる程度のものだった。
 精々1週間か、それより長くても10日以上離れたことは無かったと思う。「今頃、パーちんは美味いメシ食って、色々楽しんでんだろうな」なんて言いながら、とふたりでパーちんの帰りを待つのも盆や正月の恒例行事みたいなもんだった。
 だが、たったその程度の期間でも「次はいつ遊べんのかな」なんて言いながら指折り数えて待ったくらいなのに、一年以上は出てこられないと思うとまだたった三ヶ月しか経ってないのだと思い知らされる。
 ダチの逮捕なんてドラマや漫画でしか見たことがなかったのに、まさか現実になるとは。それも、よりによってパーちんが捕まってしまうなんて、空想ですら思い描いたことは無かった。
 正直オレもも、どうしたらパーちんの力になれるのか今もまったくわかっていないままだ。
 見たテレビの内容や東卍であった出来事を話したくなっても、パーちんはそばにいない。時折送る手紙だけが、オレらはオマエを待っていると伝える唯一の手段だった。
 だが、手紙を送ったところでパーちんからの返事はなかなか返ってこなくて、その度に離れているのだと思い知らされる。こうやって寂しくなって会いに来たところで、その資格を持たないオレたちは門前払いを受け、顔を見るどころか声を聞くことすら叶わない。
 そうとわかっていても、自然と足が向いたのは日頃の習慣ってやつが働いたせいだろう。まぁ、こんなに遅い時間に来たのは初めてだけどな。
 ひとつ溜息を挟んで元の体勢に戻ると、じっと高い塀のてっぺんを見上げていたもまた正面に向き直り、立てた両膝を抱え込んだのが横目に入る。が口元でペットボトルを傾けるのに合わせて、オレもまたポケットに突っ込んだままだった缶のプルタブを引いた。
 ここまで歩いてくるうちに冷えきってしまったかと思ったが、口をつけてみれば程よい温度の甘みが口に拡がった。埋まらない寂しさを甘いココアで誤魔化しては溜息を重ねる。ちらりとに視線を流せば、もまた眉尻を下げてこちらを振り返った。

「……入れないのはわかってんだけどな」
「今日はもう閉まっちゃったし、明日は土曜日だもんね」
「バァカ。それ以前の問題だろ」

 自分自身を納得させるために吐いたであろう言葉を突っぱねれば、は困ったように眉尻を下げた。
 ――そんな〝未成年はカラオケやゲーセンに夜は入れない〟みたいな規約より、もとどうしようもない理由があるだろ。
 それをだって知ってるくせに口に出してこないあたり、オレと同じく納得してないんだろうと窺い知れた。クソみたいなルールを頭に浮かべては、きゅっと唇を引き締める。
 この中にいるパーちんとは、親兄弟や学校の教師など極一部の相手しか会えないと決められている。オレたちみたいに兄弟の契りを交わした間柄であっても、たった10分の面会すらさせてくれない薄情な場所だ。
 それが規則だと言われたところで、理解はしても納得は出来ない現状を思い返しては下唇を噛みしめた。

「センコーなんかよりオレらのがよっぽどパーちんのこと考えてんのによ」
「……うん」
「あーぁ……。こんなとこまで来て真っ白な塀を眺めてたって仕方ねぇのにな」
「でもここにパーくんがいるって思うと、ちょっとだけ寂しいの紛れるから」

 普段あまり弱音を吐かないオレの口から漏れた愚痴に、がそれ以上の本音で応じる。軽く口元を尖らせて横目で睨み付ければ、「本当にちょっとだけだけど」と繰り返したは手にしたペットボトルを握りしめ、一口分を口元で軽く傾けた。その姿に釣られ、オレもまたココアを呷る。
 お互い飲み物を口にしながら黙り込んでいると、一息ついたがぽつりと言葉を零し始めた。

「ねぇ、良平。アレ覚えてる?」
「ん?」
「夏休みにも何回かここに来たじゃない? その時も全然入れてもらえなかったよね」
「アレはが苗字ンとこに修正テープ使ったからだろ」
「違うよ。良平が〝田〟をキレイに書けなかったからだよ」

 思い出話を始めたに合わせてあの日の失敗を蒸し返してやればがすぐさま言い返してくる。この野郎、人のせいにしやがって。そんな気持ちと共に軽く肘を入れてやると即座に同じくらいの力が返ってきた。
 そのまま肘で小競り合いを続けながら、当時の記憶を振り返る。
 パーちんが捕まったことにドラケンに逆恨みを抱いたオレの過ちがきっかけで始まった抗争のあと、東卍のヤツらに詫びを入れ、パーちんにも手紙で謝罪を伝えたがそれだけでは気持ちが収まらなくて、ここまで会いに来たことがあった。
 その際、生徒手帳を出す必要があると言われたがそんなモン持ってきてなくて門前払いされたのが1回目。
 家族じゃないと入れないのでは、というの弁で2回目はそれぞれの生徒手帳に書いてある苗字を「林田」に書き換えて挑んだが、軽くあしらわれて終いだった。はオレが〝林〟と〝良〟の間にある空白に〝田〟を無理やりねじ込んだせいだと言い、オレはコイツが生徒手帳に直接書き込むのを日和ってカバーの上から修正テープを使ったせいだと罵ったが、に言わせると「公文書偽造でその場でしょっぴかれなかっただけでも御の字だと思いますよ」ってことらしい。自分のモノにちょっと書き換えただけなのに、何が悪いのかわかんなくてとふたりで首を捻ったらと三ツ谷はデケェ溜息を吐いていた。
 3回目はどうするかと悩んだ際、が「婚約者だって言い張ればもしかしたら……」などと言いだし「抜け駆けすんな」と喧嘩になった。だが、それを傍目で見ていたもりユミが「パーちんの両親について行った時にその手を使ってダメだったんだよね」って話を持ち出したので試す前に諦めたなんて話もあったっけ。家に帰ったあとが「由美ちゃんを差し置いてとんでもない嘘をつこうとした……」と勝手に落ち込んでいたので部屋の隅に転がしたまま放っておいた記憶も同時に蘇る。
 それ以外にもあの手この手で入ろうとしたが結局どれも通用しなくて、今では顔を見られただけで追い払われるようになってしまった。次の作戦を思いつくまで、諦める気のないオレたちは、こうやって近くに来て座り込んではジュースなりお菓子なり食ってぼーっとしていることだろう。

「こっちも食っちまおーぜ」
「……ん」

 ココアを半分ほど飲み、一息つくとビニール袋に入れたままだった肉まんを取り出した。
 躊躇いがちに頷いたに半分に割って分けてやると、それぞれ手にした肉まんにかじりつく。だいぶ冷めてしまったが、それなりに温かいものを食べるとうっすらと気持ちが落ち着いていく。
 だが、元はと言えばこの肉まんはパーちんの好物だと思い出すと、途端に胸の内がささくれ立つ。学校帰りに腹が減ったと嘆いては、晩飯前だろうがお構いなしにパーちんは肉まんを買っていた。この世にこんなに美味いものは他にないと言わんばかりに顔をほころばせたパーちんを思い出すと「これも差し入れできたらいいのにな」なんて考えが頭に浮かんだ。
 緩む心と寂しがる気持ちが綯い交ぜになった心境を飲み下せないまま肉まんを食っていると、不意にピピッと電子音が鳴り響く。なんだ、と首を捻ったのも束の間、おもむろにおもむろにケータイを取り出したが待受画面をこちらに見せてくる。

「良平、日付変わった」
「アァ?」

 の言葉に目を凝らせば、ディスプレイに10月15日の0時0分と表示されているのが目に入った。

「おぉ、マジだ」
「お誕生日おめでと」
「オウ、サンキュな」

 ぺこっと頭を下げたに片手を上げて応じると、胸につかえた気持ちを飲み込む代わりに肉まんを口に押し込んだ。ごくりと喉を鳴らして胃に流し込むと、気持ちを切り替えるべくニッと歯を見せて笑ってやる。オレの表情を目にしたも、肉まんを口にしながら表情を緩める。

「15歳だね」
「そーそー。もう四捨五入したら20歳だぜ」

 どうだとばかりにニヤリと笑ってやるとはまるで初めて気がついたと言わんばかりに目を丸くした。

「おとなだ……」
「ハッ。そう思うなら敬えや」
「うーん」
「いやどっちだよ」

 考えているのか拒否ってんのかわかんねぇ態度を見せたを裏拳で軽く小突いてやれば、「尊敬はしてないから」と突っぱねられる。本日の主役になんつー言い草だよ。反発めいた気持ちに促され軽く舌を打ち鳴らしたが、いつも通りのを見ていると落ち込んでるヒマもねェなと頭が切り替わる。
 ふと口元を緩めると同時にこっちのケータイも鳴り始めたのでオレもまたポケットから取り出して確認する。

「お、メール一番乗りじゃん」
「誰?」
。アイツもマメだよなー」

 軽く中身を確認すれば、普段使わないようなガチャガチャした絵文字が散りばめられていて、アイツなりに祝おうとしてくれているのだと嫌でも伝わってくる。それでもクソ生意気な後輩なりの心意気を思えば自然と口元は緩んでくるもので、それを目にしたもまた微笑ましそうに口元を緩めていた。

、ちょっとこっち向け」
「ん」

 の肩を抱き、ケータイをひっくり返してこちらにカメラレンズを向けると、腕を伸ばして写真を撮る。撮った写真を表示すれば、ちゃっかりピースしてやがったとオレがきちんと納まっているのが確認できたのでそれを添付して「今パーちんとこにいる」とに送ってやると、即座に「好きっスね」と茶化したような返事が来た。一瞬、腹を立てかけたが「今度はオレも誘ってください」とも書かれていたので、握ったばかりの拳を解いてやった。
 その後も、いろんなヤツから来たメールにひととおり返し終え一息つくと、ちょうども肉まんを食い終えたところらしく、ペットボトルを傾けているのが横目に入る。

「そろそろ帰るか」
「うん」

 が頷いたのを確認し立ち上がれば、もまた若干ふらつきながらも腰を上げる。どうやらずっとしゃがんでいたから足が痺れているらしいが、軽く足を伸ばして対策しているようなので放っておいた。

「ちょっと眠くなってきた」

 言葉通り、眠そうにあくびをこぼすは普段よりも幾分かゆるい歩調で歩き出す。その隣に並んでやると、バイクを停めたコンビニを目指した。

「歩きながら寝るなよ」
「寝たらおんぶしてもらうから大丈夫」
「大丈夫じゃねぇだろ、それ。っつーかヤだよ。オマエよだれ垂らすじゃん」
「垂らさないけど……」
「絶ッ対ェ垂らすワ」

 断言してやるとは不満げに唇を尖らせる。だがそんなやり取りのおかげか、さっきよりもハッキリした足取りで歩き始めたのが見て取れたので結果オーライってやつだろう。

「明日、何時から遊ぶ?」
「あー……。そうだな、起きたら声かけるワ」

 いつも通り、テキトーな言葉を返せばもわかりきっているらしく頭を揺らして応じる。どうせ家は隣なんだし待ち合わせらしい待ち合わせなんて必要ない。あぁ、でもが今度ココに来る時は誘えって言ってたし、明日誘ってやってもいいな。
 そんな計画を頭に思い浮かべながら、今、来た道を振り返る。視線を伸ばせばすぐに目に入る真っ白な壁は相変わらずどこまでも続いていて、敷地の突入の難しさを物語っていた。強行突破をするつもりはサラサラないけれど、壁の向こうにパーちんがいるかと思うと、唇の先が自然と尖った。
 ――パーちんの誕生日は無理でも、来年のオレの誕生日はパーちんにも祝ってもらいてェな。
 ふと漏れた本音に苦笑する。ガキみてぇな心情は情けなさ過ぎて誰にも言えない。だけど、明日もここに来るなんて話をすれば、聡いより先にの方が見抜いてくるんだろうなだなんて思った。

「パーくんの誕生日もお祝いしに来ようね」

 不意に耳に入ってきた言葉に思わず足を止めれば、もまた立ち止まってこちらを振り仰いだ。まるで頭ン中を覗いたのかと疑いたくなるほどドンピシャな言葉に言葉を詰まらせると、は困ったように眉尻を下げた。

「2月はまだ寒いし無理かな?」
「……バァカ、寒くても来るぞ」
「うん!」

 ニッと笑って返してやると、もまた晴れやかな表情を浮かべた。その前にクリスマスだろとか、の誕生日もあるよなだとか。そんな言葉を重ねては、次の季節に思いを馳せる。
 弾み出した会話に、浮かんだばかりの寂しさが少しずつ鳴りを潜めていく。
 パーちんが出てくるまでしばらくはこの寂しさとも上手く付き合っていかなきゃならない。だけど、オレと同じ気持ちでパーちんを待っているやつがいると思えば、まだこの飼い慣らせない気持ちに立ち向かっていけると思った。





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