林03:ギミチョコ

ギミチョコ!


 2月14日。一般的にバレンタインデーと呼ばれる今日この日。渋谷第二中も例に漏れず朝から独特な緊張感に包まれていた。一部では製菓会社の策略だなんだと斜に構えた男子もいたが、ほとんどのヤツが女子の動向を気にしてはチラチラと落ちつきのない動きを見せている。
 その緊張感は男子だけのものではなく、女子にまで伝播していた。声を潜めているつもりだろうが、女子特有の甲高い声は耳通りがよく、半分くらいは意図せずとも聞こえてしまう。
 中には「三ツ谷先輩にチョコ渡したかったのに受け取ってもらえなかった」なんて声まで聞こえてきた。こういう浮ついた話に知人の名前が挙がると、どこかむず痒いような気持ちが湧き起こる。断った意図が透けて見えるとなおさらだった。
 好ましい相手からチョコをもらえるのかもらえないか。意中の相手に渡せるのか渡せないのか。それぞれの思惑が交差する今日は、まさに天下分け目の関ヶ原と言っても過言ではないほど張り詰めた空気に包まれていた。

 給食を食べ終えれば、満を持して昼休みに突入する。だが、いつもなら運動場へまっしぐらに駆けていく男子も今日ばかりは何かと理由をつけて席に着いているようだった。
 何人かで固まって「アイツからもらえるんじゃね?」なんて牽制し合う男子もいれば、ひとりで窓枠にもたれかかってたそがれている男子まで目に入る。
 教室内だけでもそんな有様だったが、廊下に出れば異変はますます顕著になった。何の気なしに歩いていても2月に入ってからずっと感じていた浮ついた空気がピークに達しているのに気付かされる。男子も女子も分け隔てなくふわふわモジモジ。中には綺麗にラッピングされた箱を抱えているにも関わらず先輩のいるフロアには近寄れないと尻込みしてる女子たちさえもいた。
 そんな彼女らを横目に、オレはいつものように何も気にせずひょいひょいと階段を上る。

「あっ! ホラ、くん行ったよ!? ウチらも行く?」
「いや、無理無理まだそんな気持ちになれない!」

 唐突に耳に飛び込んできた自分の名前に反射で振り返れば先程追い抜いたばかりの女子三人が一様にこちらを見上げていた。ゴクリと固唾を飲んで見守られてと何も手助け出来ないんだけどなぁ。そう思いつつもチョイチョイと手招きしてみれば、それぞれ頷きあった三人が結構な勢いで駆け上がってくる。
 背中にくっついてきた三人は初めは口々にオレへの感謝を述べた。だが階段上まで導き「じゃあオレ、こっちだから」とすぐさまパーティを解散すれば態度は一変する。「こんなとこで放り出さないでよ!」なんて非難の声は飛んでくるわ、パーカーを掴まれるわの大乱闘だ。
 一緒に教室まで行って欲しいなんて懇願は、手の甲を振って跳ね除ける。RPGじゃないんだから4人でゾロゾロ並んで歩くのはさすがに変だよ。というか、オレも用事があって3年とこに行くんだからそのくらいはわかって欲しいよね。
 ――まぁ、別にたいした用事があるわけじゃないんだけど。
 ベッと舌を出しながら目的の教室へ足を運べば、後方扉の窓越しに自席に着いたぺーやんくんが外を眺めている姿が見て取れた。一見、たそがれている男子その2に見えなくもないが、冬休みが明けてからのぺーやんくんは大抵似たようなポーズで昼休みを過ごしていた。
 パーちんくんがいなくなって以来、よくちゃんに引っ付いて回ってたのだが、それも三ツ谷くんに控えるようにと言われればぺーやんくんも気を使わざるを得なかったようだ。とは言え、三ツ谷くんの目の届かないとこでは相変わらず元気に距離感のバグった幼馴染してるみたいだけど、それはもう15年の習慣というやつなのでオレもいちいち告げ口する気にもならなかった。
 ――そんな目に見えて寂しそうなぺーやんくんに、気の利く後輩が毎日のように会いに来てやってるってわけですよ、と。
 前の扉へと歩みを進める傍ら、横目でぺーやんくんを眺めながら現状を総括する。オレが見てる間も、ボーッとした視線を外に投げたままだったぺーやんくんはおもむろに机の中に手を突っ込むと箱を取りだし、口の中に何かを放り投げた。
 一応、学校にはお菓子を持ってきたらいけませんよ、なんてお達しが出ているにも関わらず堂々とお菓子を食べ始めるのはいつものことだ。だが、その机に置いてある箱があまりにも普段のものとかけ離れすぎているのに気付くと「おや?」と首を捻ってしまう。
 チョコとクッキーがくっついたお菓子の入った薄っぺらい箱でも、飴の入ったスティックや袋でもない。遠目から見てもそれなりの高級感があるのだと知らしめる装飾の施された箱を認識すると、思わず声を上げていた。

「あ! なんか美味しそうなもの食べてる!」
「チッ……。めざといやつが来やがった……」

 オレの声を耳にしたであろうぺーやんくんはこちらに一瞥を流すでもなくそっぽを向いてしまう。そんなすげない態度に怯むはずもなく、お構いなしで教室へと足を踏み入れた。

「やだなー、ぺーやんくーん。そんな冷たい態度とんないでくださいよー」
「うっせ! じゃあそのニヤニヤした顔やめろヤ」

 不機嫌さを隠しもしない表情で振り返ったぺーやんくんにさらに笑いかけてみたが、損ねた機嫌が戻ってくるどころか更に顔を顰められてしまう。こうなってしまうとしょげた顔をしたところで〝わざとらしいんだよ〟と一蹴されるだけだろう。
 肩を竦めて息を吐き、そのまま教室内に足を進めているとぺーやんくんの前の席に座っていたひとが席を立つ。気まずそうな表情に「スンマセーン」と声をかけながら遠慮無く椅子を借りた。
 そのまま両腕を組んでぺーやんくんの席にもたれかかると、上目遣いで笑いかける。

「で、どーしたんですか。それ。本命チョコってやつっスか?」

 校内へお菓子の持ち込みはNGとは言え、バレンタインについては教師の温情か。それとも一部の女子によって企てられた賄賂による功績か。特別にお咎めナシで済んでいるのが現状だ。周囲に目を向ければ女子たちが輪になってチョコケーキにフォークを突き立てる様が見て取れる。
 だがぺーやんくんが食べてるチョコは分けるのに支障が出るタイプのものではない。こんな風に食べてたら最悪没収されかねないところだが、ぺーやんくんは教師の動向に気を払う素振りさえ見せなかった。
 本命チョコなら没収されないようにちゃんと隠した方がいいんじゃないですかー、なんて進言したところで素直に聞くようなひとではないし、ここはからかってでも仕舞うように仕向けた方が渡した女子の恋心に報いるんじゃないかな。そう考えての言葉だったが、ぺーやんくんは心底嫌そうに顔を顰めるだけだった。

「チッ……言うと思ったわ。どいつもこいつもチョコ見りゃ本命本命って……それしかねぇのかよ」
「いやいや。チロルチョコ程度ならなんも言わねぇんスけど見るからに義理じゃないでしょう」

 箱の装飾ひとつ取っても明らかにコンビニで売っているものとは一線を画している。ましてやチョコに至っては、ちっとやそっとではお目にかかれないほどの光沢を見せている。子どもながらに、デパートの催事場だかお取り寄せだかで手に入れたのではと訝しんでしまうほど高級感を放つこのチョコを、誰が義理チョコだと思うだろうか。
 そんな見解を伝えるべくベラベラしゃべっているとぺーやんくんは辟易した様子で溜息を吐いた。

「ホンットにオマエは頭も口も回るくせに肝心なとこバァカなんだよなぁ」

 いやに「バカ」を強調したぺーやんくんは指先をこちらに伸ばすと中指をオレの額の前で弾いた。

「パーちんの母ちゃんからだぞ。義理じゃねぇと困るワ」
「お、なるほど」

 デコピンされたばかりの額をなでつけながら身体を起こし、横目にチョコの箱を確認する。煌びやかなチョコの出所を聞いてしまえば納得せざるを得ない回答だった。たしかに中学生のお小遣い程度ではいくら本命とは言えこんな豪勢なものはおいそれと買えないだろう。
 そりゃぺーやんくんがパーちんくんの父親になるつもりがない以上義理でしかないわな。……いや、そんなことになったらそれはそれで面白いけれど、言ったら絶対殴られる。
 思いついた案を口にしないようにときゅっと唇を結ぶ。こちらを一瞥したぺーやんくんは「アァ?」と不審がるような声を上げたが、オレはあえて無視を貫いた。

「そういやパーちんくんちってバリバリのお金持ちだって言ってましたもんね」

 頭に思い浮かんだ面白案を放り投げなげ、話題を元に戻した。今は少年院に入ってしまったため会えなくなってしまったパーちんくんに想いを馳せる。東卍に入るきっかけにもなった尊敬する先輩のひとりは、年下のオレに対して過剰に偉ぶるでもなく、気さくに接してくれていた。
 そんなパーちんくんの屈託無い笑顔と、それに反してバリバリの武闘派な参番隊隊長に恥じぬ腕前についつい忘れがちだが、パーちんくんはれっきとした〝お坊ちゃま〟ってやつだった。着ている服がヤンキー路線とは言え結構なハイブランドなものだったり、飼ってる犬が海外ドラマでしか見たこと無いような犬だったりと、それだけでも相当なお金持ちであると窺い知れたが、送迎にきた服部さんを執事だと紹介された際は度肝を抜かれたものだ。とは言え、そんなパーちんくんはホームランバーが当たるか当たらないかで一喜一憂するようなひとだったので気後れすることもなかったのだが。

「そーそー。んで、今朝、服部さんがウチに来てよ。パーちんの母ちゃんからって渡されたんだよ」
「へぇ。朝からとは律儀ッスね」
「学校行く前が一番捕まえやすいんだろうよ」
「たしかに。ぺーやんくん放課後いっつもフラフラしてますもんね」
「うっせ! オマエもだろ」
「痛ッて!」

 二発目のデコピンに唇を尖らせたところで反省するようなぺーやんくんではない。ホントにこのひとは口と手が同時に出るんだから。パーちんくんみたいに拳が飛んでこないだけマシなのかもしれないがそうは言っても痛いもんは痛い。
 これはお詫びにチョコのひとつでもせしめなければ気が済まない。そう考えたオレはぺーやんくんの机に頬杖をつくとにんまりと口元を緩めて笑いかけた。

「ぺーやんくん」
「ん」
「チョコたくさんありますね」
「? オゥ、そーだな」
「オレ、甘いもの大好きです。それにお腹もちょっとすいてきちゃいました」
……。お前ホンットそーゆーやつだよな」

 呆れたように顔を顰めたぺーやんくんの表情に、オレの意図が正しく伝わったらしいと知る。そのまま笑顔を引っ込めることなくニコニコと見上げたままでいると、観念したかのようにぺーやんくんは大仰に溜息を吐きこぼした。
 箱の中に視線を落とし、その中のひと粒を拾い上げたぺーやんくんは手の中でコロコロとチョコを転がし始める。

「しゃーねぇなぁ。……おい、。口開けろ。オラ、行くぞ」
「え? なになに? ちょっ……待っ……」

 タイムを伝える間もなく、ぺーやんくんはほぼ真上にチョコを放り投げた。口でキャッチしろという意図は伝わったがあまりにも唐突すぎる。
 それでも投げられたチョコを受け止めないわけにはいかない。天井を仰ぎ、口を開けたまま頭を動かし落ちてくるチョコを待ち構える。
 ――もう少し左か?
 目測で軌道を予測し頭を動かせば、唇の端を掠めはしたがなんとかチョコを口の中に収めることが出来た。

「もー! 普通に分けてくださいよ。……っつーかうまっ!」

 文句のひとつでも言ってやろうと息巻いたものの、チョコの美味さに口の中も頭の中も「美味しい」の一言で埋め尽くされてしまう。いや冗談抜きで今まで食べたチョコの中で一番うまい。圧倒的なレベルの差に、普段好んで食べているチョコを二度と美味しいと思えない身体になってしまいそうだ。
 目を輝かせて食べるオレを目にしたぺーやんくんは机に肘をつき窓枠にもたれ掛かるように頬杖をついた。

「バァカ。そんな普通にやってもつまんねぇだろ。オラ、食ったんならもう一個行くぞ」
「待って! まだこの味の余韻に浸りたいから待って!!」

 宣言通りもうひとつ投げようと思ったんだろう。箱に伸びたぺーやんくんの手を押さえ、今度こそ待ったをかける。オレの必死な形相を目にしたぺーやんくんは「必死すぎんだろ」と歯を見せて笑った。




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