林04:変わらないこの世界

変わらないこの世界


 10月も中旬に差し掛かり、涼しさよりも寒さを覚えはじめた秋晴れの水曜日。仕事が休みの今日は久しぶりにと会う約束をしていた。
 ――アイツの夏休み以来だから、もう二ヶ月ぶりになるのか。
 の通う女子校へ迎えに行きながら、最後にいつ会ったかを考える。たしかパーちんやもりユミと一緒に飯食いに行ったあとは会ってねぇはずだ。いや、待てよ。夏休みの宿題が終わらなかったって愚痴を聞いたはずだが、アレはが事務所まで来たんだっけか。それとも電話越しだったか。
 朧気な記憶を辿りながら、今では滅多に会わなくなった幼馴染の顔を思い返す。かつてとは、隣の家に住んでたこともあり毎日顔を合わせていた。オレが林田不動産に勤めるようになり、家を出た今となっては顔を見て話す機会自体が珍しいものとなっていた。
 懐かしい日々に、自然と溜息はこぼれた。同じ幼馴染のパーちんとは職場で毎日会ってるというのにえらい違いだ。変わらない顔が近くにあるからこそ寂しいなんて思う日はないが、会う度に「ひさしぶりだな」「元気にしてたか」なんて交わすのはどこか味気なさが残った。
 ――まぁ、もう2年も経ったしさすがに慣れたけどよ。
 おとなになるってこういうモンだ。達観した物言いかもしれないが、今日からオレも18歳。いつまでもこどものままではいられないのだと気を引き締める。とは言え、自ら出向いて誕生日を祝ってもらおうとするのは、だいぶガキっぽい気はするのだが。
 口の減らないあたりが知ったら「それはさすがに」と呆れた顔を隠しもせずに零すことだろう。脳裏にありありと浮かんだ表情を掻き消すべく頭の裏を手のひらで乱雑に掻き乱す。鈍い怒り混じりの溜息をひとつ吐き、待ち合わせ場所まで続く道を睨んだ。
 そもそもオレの誕生日にわざわざ待ち合わせるようになった発端はにあった。今年のゴールデンウィーク前か後かは忘れたが、そのあたりの時期だったと思う。6月に誕生日を迎える三ツ谷へ何をプレゼントするべきか悩んだが、苦肉の策でオレらに相談してきたことがあった。その際、話の流れで「オレの時はスーツ用のシャツをくれ」と適当にねだったのを、律儀にもが覚えていただけの話だ。
 首回りだとか裄丈の長さだとか。サイズ選びが難しいものをねだった自覚はあった。指定するにしてもわざわざ一緒に買いに行くようなものではなく、他のモンをねだった方がお互い楽だっただろう。
 だけどせっかく誕生日を迎えるのなら、当日にちょっとくらい予定があったほうが嬉しい。その約束が、兄弟みたいに育ったとのものなら最高だと思った。ただそれだけだ。
 そんなことを考えながら歩いているうちに目的地まで辿り着く。顔を上げ、正門に書かれた学校名を眺めると、思わずごくりと喉を鳴らしてしまう。気後れにも似た気持ちを抱えると、中学の時、部活中の三ツ谷やにちょっかいかけるために家庭科室に足を運んだ際の記憶がうっすら蘇る。あの時、よくオレに怒鳴り散らしたアイツがここにいるはずもないのに尻込みした感が否めないのは、の通う女子校が巷でも有名なお嬢様学校ってやつだったからだ。
 場違いだと自らを蔑むつもりはないが、どうも肌に合わない。どうしたものかと思えば自然と溜息はこぼれた。さっさとが出てこないかと開け放たれた門扉の奥を覗き込めば、警備員らしき男がこちらを睨んだ。どうやら門前で足を止めたオレが不審者に見えたらしい。
 ――クッソ。やっぱり居心地悪ぃな、オイ。
 このまま突入するほどバカではない。だが、と待ち合わせている以上、門を潜らないにしても近くで待機しておかなければならない。むず痒さを抱えたまま、今後、どうすべきかと身の振り方を考える。
 このまま待ってるのが一番楽だが、この場から離れたがる足はすでに踵を返そうと来た道へと向いていた。だがここから余り離れてしまうと「見逃した」だの「待ち合わせ場所が変わったと思った」だのと口にしたがうっかりオレの家に向かいかねない。
 ――とりあえず、にメールでも打っておくか。
 近くにいることを伝えておけば、さすがのもちゃんとオレを探すだろう。つってもこんな場所で携帯電話を取りだして、盗撮だのなんだのと身に覚えのない容疑をふっかけられるのも癪だ。ひとまず場所を変えようと、さっき通りすがりに見かけたコンビニへと足を向けた。

 ***

 コンビニで買った缶コーヒーに口をつけながらへのメールを打ち込む。自らの居場所に加えて学校を出てどちらに曲がるのかをきっちりつけ足した上で送信した。出来る範囲の対策を講じた安堵に息を吐く。あとはもうが来るのを待つだけだ。
 ガードレールに腰掛け、女子校へと続く道を眺める。場所を移したとは言えこの道が女子校に続く道である以上、行き交う人の割合は圧倒的に女子が多い。
 同じ年頃の野郎がいるのが珍しいのか。それともただ単にガラの悪さが人目を引くのか。と同じ制服に身を包む女子が、近くを通る度にチラチラとこっちを見て行きやがる。
 女子に怯む理由もなければ、悪態をつくほど突っ張る気持ちもない。だが実際、見世物にされたような状況に釈然としない心地は沸き起こる。かと言って「見てんじゃネェ」と凄もうものならさっきの警備員がここまで飛んでくるのは火を見るより明らかだ。どうやらオレに出来るのは、バツの悪い想いを抱えたままおとなしくここで待つことだけらしい。
 ――別にオレはオマエらに興味があってここにいるワケじゃねぇんだぞ。
 心の中で捨て台詞を吐きながら、人通りの多くなってきた通学路を横目に手にした缶コーヒーを傾けた。一口、二口と喉を通していると手の中に握りこんだ携帯電話が鳴動する。反射的に親指で弾いて携帯電話を開きボタンを操作すれば、から届いたメールが目に入った。「教室出た。すぐ行く」と端的なメッセージにまたひとつ息を吐く。

「ったく。早く来いよなー」

 携帯画面から顔を上げ、さっき立ち寄ったばかりの高校へと視線を伸ばす。溜息交じりに悪態をつけば、随分と懐かしい台詞が口をついて出たことに気付かされた。
 思えばオレは、昔からを待ってばかりいる。中学ン時もそうだった。放課後になって帰りのHRが終わるのを廊下で待つ日もあれば、部活が終わるまでパーちんと連れだって近くのコンビニやら家庭科室やらウロウロする日もあった。
 その度に口にした「ったく。早く来いよなー」の言葉はパーちんやの耳に届くばかりで、は知るよしもない。もっとも、そんな文句を面と向かって口にしたところでは事もなげに「朝学校に行くときは私が待ってた」とでも言い返してきそうでではあるのだが。
 ――まぁ、もう滅多にないからいいけどよ。
 社会人と学生。そして住んでる家も隣同士ではなくなった。交流が少なくなった今となっては、そんなこともあったなと懐かしい気持ちが胸に沸き起こる。気持ちがほんの少し切り替わると、を待つこの退屈な時間も、考えようによってはあの頃みたいだと好ましく思えた。
 懐かしさに胸の内が少しだけほどける。それでも早く来ねぇかな、と望むあたり、ひとりで待つよりふたりで遊ぶ時間をより好ましく思っている証拠なんだろう。
 そんな気持ちと共に学校へと続く通学路を眺めていると、遠くにの姿が見えた。オレがいることに気がついたらしいは学生鞄を振りながらこちらへ駆け寄ってくる。

「良平、お待たせ」
「おお。終わったか」

 息を弾ませながら声をかけてきたを迎えるべくガードレールから立ち上がった。オレの目の前に駆け込んだは、走ったことでほんの少し乱れた前髪を指の甲で流して整える。

「ん。終わった」

 先程の問いかけに頭を揺らして応じたはコンビニの駐車場をキョロキョロと見渡した。何かを探すような視線に軽く首を捻る。なにを探してんだ、コイツは。パーちんと来たとでも思ったんだろうか。

「パーちんなら来てねぇぞ」

 思いついたばかりの疑問を口に出せば、こちらに視線を戻したは頭を横に振った。

「ううん。バイクじゃないんだなって思って」
「あぁ。今日は教習所から直接来たからよ」
「教習所?」
「そーそー。教習所行くのにバイク乗ってくバカはいねぇだろ」
「たしかに」

 今から免許を取ろうとしてるオレがバイクで乗り込むのはさすがにナシだ。そう口にすればは納得したのかまたひとつ深く頷いた。

「それより良平、免許取るんだ」
「さすがに営業車乗り回すつもりなら免許取っておかねぇとな」

 オレは別に運転さえ出来れば免許のあるなしにはこだわらないが、万が一の事を起こしてしまった際、会社に誘ってくれたパーちんの顔に泥を塗るわけにはいかない。
 誕生日の二ヶ月前から解禁される教習所通いにも結構慣れてきたところだ。夏から時間を見つけて通っているが、もうそろそろ仮免試験に臨めるところまでこぎ着けている。
 この分なら冬を迎える前には免許を取れそうなペースではある。だが「取れる」と断言できるほどの自信は無かった。
 実技に関しては言うまでも無い。教習所内を乗り回す際、どの実技もそつなくこなすオレに何かしら感じ取るものがあったのだろう。助手席に乗せた教官から「運転センスあるねー」などと軽口が飛んでくる程度には問題なくやり過ごせている。
 だが、筆記に関してはそうもいかない。勉強なんてロクにしてこなかったオレの最大の難所は学科試験にあった。テキストを開いても頭に入ってこないし、問題集に挑んだところ間違いだらけの答案を生み出すだけだった。
 先に免許を取った三ツ谷にコツを聞いてはみたものの「まぁ、要は危機感を持ちなさいって意味のテストだからそれっぽいのを選択すればいいよ」と毒にも薬にもなんねぇ言葉が返ってきた。
 同じようににも尋ねてみたが「オレは一回見たら大体のことは覚えちゃうので」と眉尻を下げるばかりでちっとも参考にならなかった。揃いも揃ってふざけやがって。オレやパーちんにも理解できるような説明をしろっつの。
 内心で悪態をついたオレは、ふと、オレ以上にヤバい立場のやつがいることに気がついた。
 ――っつーかパーちんに免許取れんのかよ。
 自他共に認めるほどバカなパーちんはオレ以上に苦しむんじゃないだろうか。アイツいまだにミジンコをエジソンの仲間だと思ってる節があるし、信号の色を認識してるかどうかすら危うい。
 かつての暴走行為を頭に思い描く。赤信号だろうがなんだろうが躊躇なく突っ込んでいったパーちんが、バイクから車に乗り換えたとき、正しい行動を取れるのかどうか。
 ――自信ねえな。
 さすがのパーちんでも〝赤信号は止まれ〟くらいは知っているだろう。そう信じたいところだが、胸を張って断言することすら出来ない。プラスだろうがマイナスだろうがパーちんへの信頼が厚すぎるあまり、パーちんが免許を取るのに苦戦している合間にひとつ年下のの方が先に免許を取ってしまう未来さえ見えるようだった。
 2月末生まれのパーちんと、4月初旬生まれのとではその間は1ヶ月ほどしか間がない。学科試験に手こずったパーちんが簡単にに抜き去られる姿はもう目の前まできているのではとすら思えた。
 進学校に通っているとは言え、部活に入ってないならオレらよりも時間の融通は利くだろう。オレもうかうかしていると抜かされちまいかねない。
 まだ見ぬ未来に顔を顰めていると、じっとこちらを見上げていたが軽く眉根を寄せたのが目に入る。

「どうしたの?」
「いや。学科面倒くせぇなって思ってよ」
「あぁ……。勉強嫌いだもんね、良平は」

 現時点でのオレの不安要素を口にすれば、は眉尻を下げた。

「受かりそう?」
「受かりそうになくても受かんねぇとな」
 
 溜息交じりで言葉を返す。だが、依然としては困ったような表情を浮かべたままだ。の頬に手の甲を軽く押しつけ、その顔はヤメロと言外に伝える。
 
「まぁ、心配すんなって。どうにかすっからよ。とりあえず今日は勉強の話はナシだ。さっさと行こうぜ」
「うん。シャツ買いに行くんだったよね。良平はいつもどこで買ってるの?」
「オゥ。じゃあ駅に向かうからついてこいよ」

 片手に持っていた缶コーヒーを傾けて飲み干すと、コンビニの前に設置されているゴミ箱の中に放り込む。オレの後ろをついて来たに視線を戻せば、は軽く首を傾げた。

「電車乗る?」
「いや、駅前」
「わかった」

 ん、と頭を揺らしたを横目に駅へ向かって足を踏み出せば、その隣にが並ぶ。普段の歩調とは違うペースなのにすんなりと順応する足下に、染みついていた歩幅がすぐに戻ってきたのだと窺い知れた。
 ――中学卒業するまでこうやって毎日歩いてたもんな。
 そんなことを思い返しながら、を目的地に連れて行くべくまっすぐに駅へ向かった。

 ***

 駅前まで歩く道を、あんまりこっち方面には来ないらしいは随分と物珍しそうに歩いていた。迷い無く目的地へと向かうオレと通り過ぎていく風景とを交互に見やるが軽く首を傾げたのが横目に入る。

「たまに来るの?」
「ん? まぁ、そうだな……買い物にも寄るけど仕事関係で、たまにな」

 内見前の掃除や周辺の環境チェックで駆り出されることが多いのだと伝えればは感心したように目を輝かせた。

「良平が大人だ……」
「オゥ、ちゃんと敬えよ?」
「……ふふ」

 イエスともノーともつかない反応を返すに軽いチョップを食らわせながら歩みを進める。時折、華やかな店先に置かれた目玉商品にフラフラと引き寄せられそうになるの首根っこを捕まえながらも、ようやく目的地へ辿りついた。
 テレビCMでもよく見かける紳士服のチェーン店。その店内へとふたりそろって足を踏み入れる。自分で買うならセレクトショップやセミオーダーなんて小洒落た店も候補に入れるが、さすがに一介の高校生であるに望む気にはならなかった。
 ちょうど夏と冬の間の平日てのも功を奏したのか。店内にいる客はそう多くはなく、ゆっくりと商品を見て回ることができた。
 冬用のベストもいいの出てんなとか、来年はネクタイピンくれよとか。適当にと言葉を交わしながらお目当てのシャツのコーナーへと足を向ける。

「あ、これでいいじゃん。なぁ、。こっち来いよ」

 目の届く範囲ではあるが勝手にオレから離れていたへ声をかける。何もわかりもしねぇだろうにパッケージされたシャツを手に取っていたは、元あった場所に戻すとこちらへと小走りで駆け寄ってきた。
 大幅割引と書かれたポップが吊り下げられた一角。その下で手招きするオレの隣に並んだは、目の前にあるワゴンの中を覗き込んだ。

「いいのあった?」
「オゥ。この中から選ぶからよ。いいのがねぇか見繕ってくれよ」
「ん。わかった。色は? 白とか水色とかあるけど」
「そうだな。まぁ白を選んだ方がいいだろうな」

 不動産業界に足を踏み入れてそれなりに経ってくるといろいろなものの見方が出来るようになった。その中のひとつが、若い連中より年寄りを相手にする機会が圧倒的に多いってことだ。林田不動産の社風が〝地域に根差した不動産屋〟って立ち位置なのも理由のひとつだろう。そんな環境で色つきのシャツを着てチャラそうだと敬遠されるよりも、ここはおとなしく白シャツを着て少しでも真面目っぽさを演出した方がいいはずだ。
 そんな考えのもと、に〝白限定〟を申し出てみたが、質問してきたはずのはこっちを見上げたまま不思議そうな顔をしていた。

「ふぅん」
「なんだよ」
「ううん。たいしたことじゃないんだけど……良平が白い服着るの慣れないなって思って」
「ンだよ。夏の間はちゃんと着てたろ」
「でも学ラン着たら違ったから」
 
 イキがってた中学時代。制服ですら柄シャツを着ていたオレを思い出したのだろう。は手の甲で口元を隠すと「ふふっ」と笑った。

「ったく。っるせぇなぁ、は。今は違うつってんだろ。オラ、早ぇとこ探せや」
「ん」

 一度頭を揺らして頷いたは早速とばかりにワゴンの中に手をつっこんだ。白地の中にも無地だったり薄いストライプが入っていたり意外と種類は豊富にある。ボタンの色が違うのも含めれば選択肢はさらに増えた。
 ワゴンの上に身を乗り出したは、縦に並べられたシャツを軽く引きずり出してはオレの顔を見上げた。時にオレの胸の前に当て、似合うかどうか検分するの表情は真剣そのものだ。
 そうこうしているうちにの中での合格圏内に入ったシャツが見つかったらしい。うん、と頭を揺らしたが一着のシャツをこちらに差し出してきた。

「これどう?」
「お、いいじゃん」

 白地に薄いストライプは入っているが近付かないと気付かない程度のものだ。同じく白いボタンを留める糸は濃紺でパキッとした印象が伝わってくる。ネクタイを締めりゃ正面からは見えないだろうが、一面真っ白なものよりちょっとくらい遊び心があるシャツの方がテンションは上がるというモノだ。

「サイズは? 大丈夫?」
「あー? あぁ、これだとちょっと首回りが余るな……。同じ種類のやつあるか?」
「この辺がそう」

 が示したあたりを探っていると、オレが普段よく買うサイズのものが見つかった。念のため、ともう一度オレの身体にシャツを当てたは満足そうに頷いた。

「よっしゃ。決まったならレジ行こうぜ」

 買うものが決まったのなら無駄に長居する必要は無い。宙吊りになっている案内板を見上げてレジの場所を確認したオレは、そちらに向かって足を一歩踏み出した。だが二歩目を踏み出すよりも先にくいっと肘の内側を掴まれる。首だけ捻って振り返れば、案の定がこちらを見つめていた。

「どーしたよ。便所か?」
「違う。プレゼントの予算余ったからネクタイも買う」
「アァ? 別にそこまでしなくていいっつの」

 まだ学生の身分に甘んじているの負担にならないようにとこっちが気を利かせてセール品でいいと遠慮してやったってのに、追加で買わせたら意味がねぇじゃねぇか。オレの好意を無視するに顔を顰めてイラネェと主張したがはきゅっと眉根を寄せたままだ。

「最近、ご飯奢られてばっかりだからたまには返したい」

 そう言ったは、自分の決意は変わらないとばかりに唇を真一文字に引き締める。
 ――あぁ、ったく。こうなっちまったら折れねぇな。
 昔からの付き合いだからこそ、がこの顔を見せるときはテコでも動かねぇのなんてわかりきっている。そんなの気質を面倒くさいと思う反面、そういうやつだからずっと一緒にいれるんだよなと改めて実感する面もある。
 たしかにの言うとおり、ここんとこ一緒にメシ食いに行くときは割とオレが多めに出す機会が増えた。だがそれだって別にたいした数じゃない。
 ボーナス入った時に焼肉を奢ったり、遊びの帰りにアイスを買ってやったりした記憶はある。だがその半分くらいはパーちんからの出資だし、にも同じように振る舞ってんだから気にしなくていいのによ。
 一足先に社会人になったんだからそんくらいのご馳走はしてやりてぇじゃん。親孝行みたいなもんだ。こういう場合、幼馴染孝行というのかは知らねぇけどよ。
 だがそんなオレの気持ちを伝えたところで、の性格は身に染みてわかっている。ひたむきにオレを見上げる視線に、やはりこちらが折れてやるしか道はないのだと悟るほか無かった。
 
「わかったよ。じゃあ頼むワ」
「うん」
「似合うヤツ選んでくれよ」
「任せて」

 ん、と頭を揺らしたはくるりと踵を返して歩き出す。フラフラと迷いながらもネクタイ売り場へ先導するの背を緩やかな歩調で追った。シャツ売り場と比べてスペースこそ狭いものの、そこには色や柄が異なるネクタイがわんさかひしめき合っていた。
 
「良平、こっち立って」
「ん」
「これ持って。こう……」
「オゥ」

 指示されるがまま行動に移しているとのやりたいことがなんとなく見えてくる。だったら、と次の指示が飛んでくる前に購入予定のシャツを胸元に合わせて下から抱え込む。ちゃんと首元とネクタイを重ねるであろう位置を合わせてやれば、は満足そうに頭を揺らした。

「いいね」
「そーかよ。じゃあオマエの見立てでテキトーに決めてくれ」
「うん」

 オレの言葉に踵を返したはさっきと同じように商品の前で吟味し始める。ネクタイ一個分が格納された棚の前に立ったは、上から下まで眺めては左右に視線を振ってどれがいいかと探す姿はどこか浮き足立っていた。
 ひとまずが戻ってくるまでは、と購入予定のシャツを胸元から下ろす。楽しそうにネクタイを見繕うを横目に眺めていると、自然と溜息がこぼれた。
 普段ネクタイなんてそう見る機会無いだろうし物珍しいんだろうな。
 誕生日プレゼントを買ってもらうはずのオレ以上には楽しんでやがる。そんな姿を見ていると、そういや前にもこんなことあったなと目の前の光景に重なるように記憶がチラついた。
 アレはいつだったかと記憶を巡らせれば、林田不動産に入社が決まった時も、同じようにショップでとスーツ買いに来たんだっけと思い当たった。結局あの時はの見立てを無視ししてオレの独断で決めたから、今回が初めてのセンスに一任したことになる。
 さっきの白シャツと違って選択の幅が広がる分、恐らくの趣味丸出しの選択になるはずだ。
 ――まぁ、アイツも手芸部で鳴らした女だし、妙なものは持ってこないだろう。
 多少趣味は合わないかもしれないが、今回は仕事用のネクタイを選んでもらうんだ。派手柄を好むオレより落ち着いた服装を好むの方が、案外向いているかもしれない。

「良平、ちゃんと合わせて」
「ハイハイ」

 いくつか見繕ってきたらしいが数本のネクタイを片手にこちらへ戻ってくる。さっきと同じようにシャツを襟元に合わせてやれば、は持ってきたネクタイを合わせて見比べ始めた。
 赤や黄色、青系統のネクタイを宛がってはは「フー」と長い息を吐く。が何か気に入らないことがあったときに見せる癖が出たことで、「これじゃない」と口に出されるよりも強く印象づけられた。
 持ってきたものをすべて片付けたは次は紫と緑を選択したようだった。持ってきた紫のネクタイを濃い順で当てる度、は「フー」と息を吐く。あえなく全滅した紫のネクタイを左腕にかけたは、今度は緑系統をオレの胸元に寄せた。
 黄緑の後に強い緑色を当てたが軽く目を開く。その次に青みが強い緑を当てたは軽く眉根を寄せてこちらを見上げた。

「良平、こっちの色好き?」
「……いや。さっきのが好きだな」
「わかった。じゃあこの色集めてくる」
「オイ、あんま持ってくんじゃねぇぞ」
「大丈夫」
「大丈夫じゃネェだろ。あとで戻す場所わかんなくなっても知らねぇぞ」

 真っ当なオレの忠告が走って行くに聞こえたのかどうか。疑わしいと言うよりも聞こえちゃいねぇんだろうなと見切りをつける。

「ったくよー」

 悪態をついたものの今更いいちいち腹を立てる気はしねぇ。それにさっきも赤やら青やら持ってきたときも迷いながらもちゃんと片付けていたようだし、多分またどうにかするだろう。

「良平。もう一回シャツ当てて」
「オゥ」

 宣言通り発色の良い緑色のネクタイを持って戻ってきたは左腕に下げたネクタイを一本ずつオレの首元に合わせた。やりたいようにやってるだが、一応オレの意見を聞くつもりはあるらしい。ストライプの太さや差し色の入り方なんかも見比べるのに多少は協議したものの、オレとの双方が納得する一本を無事に選ぶことが出来た。

「ありがとな。気合い入れねぇといけねぇ時にでも着るワ」
「うん」

 精算を終え、の強い希望によるプレゼント用のラッピングをしてもらうのを待つ間、改めて礼を言う。あっさりとした返事だったが、誇らしげな表情にが大満足しているのだと察しがついた。

「っつーか予算っての大丈夫だったのかよ」
「良平は気にしなくていいよ」

 結局、シャツとネクタイと合わせると結構な金額になったが大丈夫だったんだろうか。そう思い、尋ねてみればはまたあっさりと言葉を返してくる。だが決して「大丈夫」とは答えなかったに、大丈夫じゃなかったんだろうなと窺い知れた。
 ――ったく、結局見栄張ってんじゃねぇか。このバカは。

。……この後メシでも食い行くか」
「……ちょっと今日はもう心許ない」

 軽くこの後の予定を打診してみれば、は正直に財布が寂しくなったと告げた。きゅっと眉根を寄せたに、多分、行き先がファーストフードでも厳しいんだろうなと判断する。

「バァカ。礼だよ。奢るわ」
「それはやだ」
「あ? なんでだよ」
「良平の誕生日に奢ってもらうのは心苦しい……」
「ハァ? 断んのかよ。オマエ、オレが誕生日にひとりで侘しくメシ食ってても平気なのかよ」
「うぅ……」

 呻いたはきつく眉根を寄せてオレを見上げる。勘弁してくれてとでも言いたげな表情だが譲る気は無かった。
 の意見とオレの意見。遠慮と尊重の板挟みにあったの顔をまじまじと睨めつけたままでいれば、今度はオレが引かない番だと気付いたのだろう。しょげたように眉尻を下げたは、オレを軽く見上げながら首を傾げた。
 
「……じゃあ、お言葉に甘えてもいい?」
「いーよ。っつーか変な遠慮すんなって。今更だろ」
「そうだけど――」
「ラッピングお待ちの様ー」
「オラ、出来たみたいだし、受け取ったら次行こうぜ」

 まだ反論が残っていると言いたげなだったが、店員に呼び出されれば応じるほかない。追い打ちでかけた言葉に「ん」と頷いたはカウンターへ向かって歩き出す。その背中を見送ったオレは、どこか近くにメシ食うところあったかな、と来た道の記憶を巡らせていた。

 ***

「ありがとうございましたー」

 わざわざカウンターから出てきた店員の言葉を背に店から出る。が抱えたプレゼントを受け取ろうと手を伸ばしたが、はきゅっと眉根を寄せた。

「まだダメ。あとでちゃんと渡すから」
「茶番じゃね?」
「いいの」

 然るべき時が来たら渡すと言わんばかりの表情に眉根を寄せて反論したが、は意見を覆すつもりはないようだった。中身どころか選択から金額までの一部始終を見たってのに何を今更。そんな反発めいた気持ちもあったが、がしたいようにさせてやるのが筋ってもんだと思い直す。いくらオレへのプレゼントとは言え、無理矢理巻き上げるのも変だしな。
 そう考えを改めながらひとつ溜息を吐きこぼす。満足そうに胸にプレゼントを抱えたを横目に、話題の転換を試みる。

「っつーかオマエ腹減ってんの?」
「……多分?」

 自分の腹具合を身体に問いかけたんだろう。一瞬、言葉を詰まらせたは曖昧な返事を寄越してくる。

「ラーメンくらいなら食えるか?」
「入るけど……良平は足りる?」
「微妙だな……。オマエがチャーハン半分くらい食えそうなら頼むけど」
「半分は無理かも」

 そんな会話を紡ぎながら駅前の通りをふたりで練り歩く。行く先々でこの店はどうだ、あの店にするかとふたりで意見を交わし合ったが、なかなか折り合いがつかなかった。
 結局、とオレの腹具合が違うのが決定打となり、選択肢の多いファミレスに向かうことになった。まだ夕飯時よりも少し早いせいか、店内は閑散としており、待たずに案内されたうえにゆったりと4人掛けのボックス席に座ることが出来た。
 向かい合い、それぞれのメニューを選び終えるのを待って呼び出しベルを鳴らす。ここまで辿り着く道すがら「焼肉が食いたい」と主張したが「食えない」とに却下された経緯もあり、オレはステーキセットを注文した。「ライス大盛りで」と伝えた後、の方に視線を向けると、はハンバーグセットを頼みやがった。
 呆気にとられたオレをよそにのんきに「パンで」と付け加えたを睨めつけたがは一向にこちらに気付かない。注文を復唱した店員が去るのを待ってに噛みついた。
 
「ハァ? オマエ、肉食えるなら焼肉でよかったろ」
「良平が焼肉って言うからお肉食べたくなっちゃって……」

 ファミレスならパスタにするだのなんだの言ってたを思い出すと腹は立ったが、いちいちそんなことで喧嘩を吹っかけても意味が無い。軽く握った拳をほどくと同時に、テーブルの上に頬杖をついた。

「じゃあ次は絶対ェ焼肉行くからよ。ちゃんと腹減らしとけよ」
「ん、わかった」

 もう少し遅い時間なら食べれたと思うと主張するの弁を受け流していると早々に注文した食事が届く。あぁだこうだと押収していた言葉を引っ込め、ふたりとも食事に手をつけた。
 ナイフとフォークでステーキを切り刻んでは口に運ぶ。噛み切ろうと歯を立てる合間にへと視線を流せばオレ同様にせっせとハンバーグを食っていた。その食いっぷりを見ていると「オマエ、絶対ラーメンとチャーハンセットもイケただろ」と思わなくもないが、美味そうな顔に免じて追求しないでおいてやった。

「そーいやよ、
「ん」
「オマエ、高校卒業したらどうすんだよ?」
「進路相談……?」

 嫌そうな顔をしたは口に運ぼうとしていたフォークを下げてそっぽを向いた。オレらほどではないとは言え、決して優等生ではなかったにとってあまり歓迎できない話題らしい。

「違ぇって。オマエ、前に卒業したら家出るみたいな話してたろ」
「したかも」
「家探すってんならそろそろ考えておいた方がいいんじゃねェのって忠告だワ」

 同じ未来の話でも、初めての一人暮らしってんならそれなりに楽しみにしてんじゃネェの。そう思って話題に出してみたが、どうもの反応は芳しくない。寄せた眉根はそのままに軽く頭を傾げた。
 
「進路も決まってないのに……?」
「……まぁ、そりゃそうだけどよ。何も決まってねぇわけじゃねぇだろ」
「まぁ、一応」
「だったらどういう間取りで住みてぇとか、どの駅らへんがいいとかねぇのかよ」
「そういう話なら」

 安堵したように息を吐いたは、ふと考え込むような仕草を見せた。フォークに刺したままだったハンバーグを無意識に口に運んだはややあって理想の間取りを口にする。 
 部屋は狭くてもいいけどバストイレ別がいいとか、アパートの1階はさすがに怖いとか。つらつらと希望を口にしたは意外と色々考えているようだ。
 その条件ならあの辺とか空きがあったような。算段をつけてはみたものの、高校卒業してからってなら、引っ越しの時期は2月後半から3月にかけてだろう。その間に埋まってしまっては元も子もないことを考えると、今から考えても仕方ねぇかと思い直す。
 結局、の言うとおり、今の時期の話題としてはどうも早すぎたらしいと確認するだけだった。

「っつーか就職? 進学?」
「進学……ってほどじゃないけど専門学校に行こうと思ってる」
「専門か。何系の?」

 専門学校、と言われ最初に頭を過ったのは三ツ谷の通っている服飾系の学校だった。それと同時に夏頃にアトリエ借りてぇなんて言ってたけどアレっきりだな、と思い出す。
 まぁ、あの後は関卍との抗争もあったし、三ツ谷もなんかの表彰を蹴ったって話だったし、状況を立て直すには時間も掛かるってもんだよな。
 手でちぎったパンをが噛み砕く合間、オレも付け合わせのポテトを口に運びながら三ツ谷の出した家の条件を思い返す。アトリエの候補として見ていた中には、事務所兼自宅みたいなのもあったよな、などと考えていると、先に飲み込み終えたらしいが口元を手のひらで隠しながら言葉を紡いだ。

「三ツ谷くんとこの学校に、その、行きたいコースがあって」
「へぇ。何のコースだ?」
「それは……ちょっと、まだ……」

 まさに考えていたばかりの相手の名前が登場したことに多少面食らいつつも、更に深掘りを試みる。だがオレの追求に対し、はまたしても視線を逸らすだけだった。
 いつになく言葉を濁すに首を傾げたが、言いたくない話題を無理に広げるのはよくないだろうと判断する。これから受験するってんなら試験に落ちることも視野に入れているのかもしれねぇし、ここは無理に聞き出さない方が良いだろうと話題に見切りをつけた。

「っつーか三ツ谷と同じとこってんなら一緒に住めばいいじゃねぇか」
「?!」

 せっかく三ツ谷の名前が出たんだし、と話題に出してみたが、の反応は予想外のものだった。口を大きく開いて言葉を失ったは、その端整な顔立ちを面白いほど衝撃に全振りしていた。

「……なんだよ、その顔。別にそろそろそういうの考えてもいいだろ」

 中3の時から付き合ってんだから、かれこれもう3年だろ? 割とうまいことやってるみてぇだし、高校卒業と同時に一緒に住みはじめたって別に問題無えだろ。
 現に林田不動産に来る客の中にも、似たようなきっかけで同棲に踏み込む客は少なくないんだ。引っ越しの理由としてよく耳にするものを、から聞かされてもおかしくないと思っていた。だが、の反応を見るにそんな選択肢はないらしい。

「考えなくは……ないけど……でもちょっと……」

 先程よりもしどろもどろになったは明らかに目が泳いでいる。目に見えて動揺した素振りを見せるに、思わず顔を顰めてしまう。

「んだよ。言いたいことあるならハッキリしゃべれ」
「言いたいことっていうか、一緒に住んで幻滅されたらヤだなって……」
「あぁ。オマエ、結構家じゃボーっとしてるもんな」

 恥じ入るように頷いたが一人暮らしをした時に、家事が出来なくて困るなんて状況に陥らないことは承知済みだ。そんなことは隣の家に住んでいたオレが一番よく知っている。
 だが、小学校3年生になるころには遅く帰ってくる親に変わって簡単な料理や洗濯くらいなら普通にこなしてたが持つ欠点もまた十分把握していた。ある程度の行動を起こしたら満足する傾向のあるは、他のことをやってるうちにその前に中断していた家事を忘れてしまうことが稀にあった。布団を干したまま夜を迎えてしまい結局湿気っちまったなんてのは序の口で、下味をつけたまま忘れられた唐揚げ用の肉が後日冷蔵庫から発見されたなんてこともあったっけ。
 の失態を思い出すと同時に、学校に行く途中で自らの罪を告白するの蒼白な顔を思い出す。アレを聞かされたオレには被害がなかったから「へー」と流せたけれど、もし一緒に住むとなるとそうもいかない。そんなの欠点を三ツ谷が受け入れるかどうかはアイツの器次第ってヤツだが、その機会も与えられないんじゃ忠告したところで意味が無いだろう。
 んちのおばちゃんからも「彼氏と同棲するなんてが言い出したら一回報告してね」と釘を刺されたが、どうやらその報告もナシでよさそうだ。の幼馴染としては軽く安堵する一方、男同士としては若干「三ツ谷、ご愁傷様」と思わずにはいられなかった。

「まぁいいわ。もし家探すようになったらちゃんと相談しろよ。オレとパーちんでちゃんと見つけてやっから」
「うん、頼りにしてる」

 嬉しそうに口元を緩めたはオレに笑いかけると食事を再開させる。引っ越しの話題から離れ、この前買ったバイクのパーツの話や学校で今流行ってるらしい店の話などポンポン会話を紡いでいると程なくしてすべての食事を平らげてしまった。
 先に食い終えて手持ち無沙汰になったオレは立てかけたメニューを取り、パラパラと中を確認する。この腹具合ならハンバーグくらいならまだ食えそうだが今から出てくるの待つのもな。注文して焼いて食って、と考えるとその間に今度はが待つハメになるだろう。
 じゃあ他にサイドメニューでも頼むかとメニューを更にめくってみたが、どれも決め手にかけるというか、いまいちピンとこなかった。となると、あとはもうデザートか。
 誕生日を口実にケーキを食うことに異論は無い。だがここで食うか、どこかで買って家に帰ってから食うかが目下の問題だった。
 ファミレスのケーキの味なんてたかが知れてるが、在庫が全滅してる事態なんてそうそうないだろう。一方、ケーキ屋なら味は十分満足出来るものを食えるはずだが、今の時間を考慮すると在庫どころか店自体が開いているかも疑わしい。繁華街の方なら開いてるかもしれないがを連れていくとなると若干気が引ける。まぁ喧嘩売られたとしても負ける気はしねぇけどよ。
 どうしたものかと迷っていると、唐突に携帯電話が震え始める。マナーモードにしたそれをポケットから取り出せば背面ディスプレイにパーちんの名前が浮かび上がっていた。

「電話?」
「オゥ。パーちんからだワ」

 片方の頬を膨らませたの問いかけに軽く答えたオレは受話ボタンを押すと携帯を耳に宛がった。

「オゥ、なんだよ。パーちん」
「よぉ、ぺーやん。今話しても平気か?」
「あー……。今、とメシ食ってっからよ。席外したほうがいいか?」

 もし仕事の話ってんなら聞かせない方がいいかもしれない。そう配慮したつもりだったが、それを受けたパーちんの反応は予想外なものだった。

「マジ? まだといるならちょうどいいや!」
「あ? に用があったのかよ」

 たしかに昨日の帰りがけ、事務所の鍵を閉めるパーちんから「明日の休みはどうすんだよ」って聞かれて「と出掛ける」と答えた。けどだってケータイ持ってんだし、コイツに用があるならそっちにかければいいものを。
 そう思い、チラリとへと視線を向ける。正面に座るは食事に集中しているようで、ナイフとフォークを両手に握りしめたまませっせとハンバーグを口に運んでいた。
 オレが目を向けるとは不思議そうに首を捻った。だがケータイを耳に当てたまま黙り込んでいると、特に用はないらしいと勝手に決めつけたようで再びメシと向かい合う。一連のの行動は、コイツが食うのを優先してパーちんの電話を無視しそうだなと考えを改めるには十分すぎるものだった。
 閉口してを眺めるオレの耳に、パーちんが「違ぇって」と言うのが聞こえてきたのを機に改めて意識をパーちんへと戻す。

「いや、にも用はあるけどよ。一番はぺーやんにだよ」
「ん。なんだよ」
「ぺーやん、今日誕生日だろ? ケーキ買ってきたからよ、ウチに食いにこねぇ?」
「お、マジか」

 ちょうど電話が来る前に悩んでいた問題が簡単に吹っ飛んだことに笑みがこぼれる。ガキのころからイイものを食ってきたパーちんが選ぶケーキなら間違いない。

「ホールのさぁ、デッカいやつ買ったから! それにチョコプレートにもぺーやんへって名前書いてもらったからよ。ちゃんと食ってくれよな」
「いや、ぺーやんは名前じゃネェんだわ」

 照れくささに軽い笑いと共にはねつければ、パーちんは「いいじゃねぇか。せっかく誕生日なんだからよ」と笑った。幼馴染としても同僚としても、パーちん以上に気の良いやつをオレは知らない。ホントいいダチを持ったなと実感するのは何もこういうときに限ったわけじゃないが、やっぱり誕生日なんてイベントが重なると格別に強く感じた。
 
「だからもりユミとかとかも誘って一緒に食おうぜ!」

 パーちんの心遣いに対する感謝で胸を熱くさせていると、いの一番にもりユミの名前を出したパーちんに苦笑する。

「……オマエ、人の誕生日を彼女誘うダシに使うなよなぁ」
「ハァ? 味噌汁なんて用意してねぇぞ? 食いてぇなら作ってもいいけどよ」
「パーちんの脳みそマジ風船ガム」
「いや味噌汁の具にガムはあわねぇだろ……」

 心底呆れたように言うパーちんに脱力する。いい加減、味噌汁から離れろや。まぁ、茶々入れたオレも悪いけどよ。
 どちらにせよ、デカいホールケーキを用意したってんならオレとパーちん、それにだけでは食い切れないはずだ。そこにオレたち共通の幼馴染でもあるもりユミ、そして今でも交流のある後輩のが加わったってなんらおかしくはない。

「っつーか、それオレが用事あっから行かねぇつったらどうするつもりだったんだよ」
「ん? 明日事務所に持ってって昼休憩にでも食わせるつもりだったぜ」

 ――食うのは決定なのかよ。ってゆーか昼飯にホールケーキは重すぎねぇか?
 こっちの都合なんてお構いなしで祝ってくるのは考えナシのパーちんらしいと言えばらしい。コイツらの誕生日にはオレも似たようなことするだろう。
 そういう風にずっと一緒に過ごしてきたんだもんな。
 保育園のころからの仲のパーちんと、それよりもほんのちょっと前から隣同士の家で生きてきた。人生の大半どころか、ほとんど全部を共に過ごすふたりがこの年になっても変わらずそばにいる事実に自然と口元がほころぶ。
 ――運が良いとか、そういうモンじゃねぇんだよな。
 言葉には言い表しがたいが、確実に目の前に存在する僥倖の片割れにまっすぐに視線を向ける。ようやく終わりの見えてきた食事に集中するがこちらに気付いた様子はないものの、ありあまる情愛と共にじっと眺めながらパーちんに返事をする。

「わかった。行くよ」
「じゃあ、後でオレんち集合な」
「オゥ。メシ食い終わってからになるからちょっと遅くなるかもしれねぇけどいいか?」
「わかった。その間にたちにも声かけとくな」
「オゥ。じゃあ、また後でな」

 頭を揺らして応じるとそのまま通話を切った。ポケットに携帯電話をねじこみながら、最後の一切れを口の中に押し込んだへと声をかける。

、喜べ」
「む」
「パーちんがケーキ買ったから食いに来いってさ」

 口にモノが入ってるせいか唇は引き締めたままだが、嬉しそうに目を輝かせたの反応にニッと口元は綻ぶ。嬉しいことがあったとき、ガキみてぇな顔をするのも変わってねぇなと思うとなんだかこっちまで嬉しくなるようだった。

「だからそれ食っちまったら行こうぜ」

 ん、と頭を揺らしたは口元を手で覆い隠しながらも、噛むペースを上げたのが傍目から見てもわかった。しばらくは噛む度に揺れる頭を眺めていたが、その忙しなさに気付くと苦笑してしまう。

「別に急がなくていーって。もりユミとにも声かけるつってたから、ゆっくりでいいよ」

 オレの言葉に納得したのか、の頭が揺れるペースがほんの少しだけ落とされる。それでも片手に水の入ったコップを握りしめているあたりまだ急ごうとする気持ちが残っているのだと察しがついたが、そんなの生真面目なところを茶化す気にはなれなかった。
 主役のオレが着くまで先にケーキを食い始めるはずもないし、食事を終えるまで待たせるくらいしてもいいだろう。ソファの背もたれに腕を載せ、窓越しに夕闇を超えて夜を迎える空を眺める。楽しい一日がまだまだ続きそうな予感に、オレは笑った。



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