三ツ谷02:惹かれる

059.惹かれる


 ショッピングモールの一角に女子の好きそうな店が並ぶエリアがある。その中のひとつに妹たちが特に気に入っている店があった。
 手芸部の活動がない日の放課後、次に作るぬいぐるみの参考にでもしようとその店へ足を運んでみると、渋谷第二中の制服を身に纏う女子が店の前に立っていた。中学生が好むにしてはいささかこどもっぽいけれど、そういうのが好きな子がいても特に否定するつもりはない。だけど、その人物が予想外の相手だったこともあり、オレは思わず面食らってしまった。
 無表情にほど近い。むしろ機嫌悪そうに眉根を寄せた少女――の横顔に、オレは何度も目を瞬かせる。思いがけない場所での邂逅に対する焦りがあるのか、言いようのない緊張感が身に降りかかってきた。
 ――いや、だってこんなとこにいると思わないだろ。
 同級生の中でもずば抜けておとなっぽい見た目のさんがファンシー系の小物に興味があるなんて想像もしていなかった。にわかには信じられない光景を目の当たりにすると必要以上に尻込みしてしまう。一度足を止めてしまうとなおさらで、次の一歩がなかなか踏み出せない。
 きゅっと唇を引き締め、さんの横顔を眺めながら彼女の為人を思い返す。
 怪我して入院していたこともあり入学式から一ヶ月遅れで学校に来るようになったさんとはぺーやんを通して知り合った。元々同じクラスではあったがぺーやんがいなければ、さんとまともに話ができるようになったかも危うい。ましてホストまがいの勧誘で引っ張った新入部員がごっそりいなくなったことでまたしても廃部寸前に陥った手芸部に入ってくれることもなかっただろう。
 今ではクラスメイト兼部活仲間としてそれなりに仲良くしている自負はある。だがそれでも踏み込みがたい壁がたしかに存在した。多分、さんのテリトリーの中に入る権利を持っているのは、幼馴染だというぺーやんと、ペーと仲のいいパーちんくらいのものだ。学校の中でも外でもだいたいさんはふたりとつるんでいることが多かった。
 ――まさかあのふたりもいないよな。
 いたらいたで面白いし、何より話しかけやすい。そう思い周囲を見渡してみたもののふたりの姿どころか同じ年頃の男子すら見当たらなかった。
 落胆にほど近い息を吐く。だが馬鹿なことを考えることで先程まであった緊張はほとんど鳴りを潜めていた。
 オレが遠目から眺めている間中、台の上に並べられた商品に視線を落としたままだったさんはこちらに気付いてないようだ。声をかけるか否か。ほんの少しだけ逡巡したものの、同じ店に用事があるのに声をかけないのも感じ悪いか。そう思い直し、少し残っていた距離を詰めるべく足裏に力を込めた。

さんも買い物?」
「……っ!?」
 
 左隣に並びそのまま声をかけた。ただそれだけの対応だったはずだ。だがさんはオレの顔を見るや否や絶望の滲む表情を浮かべる。
 知らない相手から声をかけられたというのなら納得がいく。だが、仮にもオレとさんは友だち――とはまだ言えないかもしれないが知り合いには変わりない。なのに、まさか言葉を失うほど驚かれるとは。
 大きく目を見開いたさんは、よく見ると右手に持つ何かを髪にあてがって鏡を覗き込んでいたようだった。

「あ、それ……」

 買うつもりなのかどうか尋ねようとしたが、さんは驚愕の表情でオレと目を合わせたままゆっくりと手にしていた商品を陳列棚に戻した。押し黙るさんは棚から必死になって顔を逸らしているが、さすがに到底無視できるようなものではない。
 いや、もう見ちゃったし。なんならその辺り一帯同じような商品しかないからね。
 横目でちらりと並ぶ商品に目を落とす。おおきな花がモチーフの髪止めはルナやマナがつける分には似合うんだろうな、と漠然と思う。だが、さんにはどうだろう。同じ系統でももう少しさりげないものの方が似合うんじゃないだろうか。
 ぼんやりと頭に浮かんださんに似合うデザインを心に書き留めながらそっとさんへと視線を戻す。面白いほどに目を泳がせるさんは恐らく何らかの言い訳を探しているのだろう。動揺を露わにするさんが何に対して恥じ入っているのか。その正体に漠然と気付きつつもすぐには指摘せず、軽く視線を外して耳の裏を指先で引っ掻く。
 ――見ないふりをしてあげるよりちゃんと話した方がいいよなぁ。
 このまま恥ずかしい思いをさせたまま帰してしまうと次に話す時にも同じ態度を取られかねない。状況を正しく聞いて、入れられるフォローはしておかないと。
 よし、とひとつ頭を揺らしてみせるとさんは相変わらず呆然とした表情のまま数度目を瞬かせた。
 
さん。こういうかわいいの好きなんだ?」

 とりあえず、と直球を投げ込んでみると、さんは羞恥のあまり耳まで赤く染め上げた。よく見れば長い睫毛がうっすらと滲む涙を塞き止めているさまが見て取れる。
 相当恥ずかしそうな様子に、かけるべき言葉を間違えてしまったことに気付いたが、吐いた言葉は戻しようがない。ちらりとこちらに視線を戻したさんが「あのね」と、か細い声を漏らす。うん、とひとつ頭を揺らして先を促せば、さんは恥じ入るように俯きながら言葉を紡いでいく。

「……似合わないのはわかってるの」
「いや。似合わないことはないと思うけど……。まぁ、こういうのは使い方次第だよね」

 例えば似たような飾りでも携帯のストラップや鞄につけるくらいなら気にならないだろう。そう提案してみるとさんは落胆に近い声で「……うん」と頷いた。

「だよね。それもわかってるんだけど、この前、安田さんがつけてたのがとてもかわいくて……」
「安田さんが?」
「うん。安田さんが新しい髪ゴムをつけてたの、知ってる?」
「あぁ。そういえばこの前、部活でそんな話してたね」

 先日、手芸部の女子のひとりが安田さんに今日つけている髪ゴムは新しく買ったものなのではと話を持ちかけたシーンが脳裏に浮かぶ。うさぎの形のマスコットがついた髪ゴムを誉めそやす部員たちが楽しそうにしてる中、輪の外にいたさんが「いいね。そういうの似合って」と口にして他の女子を唖然とさせていた記憶もまた蘇った。
 家庭科室に走ったあの緊張感をどう言い表したものか。安田さんが肩を震わせて俯く傍らで、さんはその一言だけを残すとそのまま作業に戻ってしまった。ふたりのバトルが勃発するようなことがなかったのを〝不幸中の幸い〟なんて言葉で簡単に片付けることはできない。さんの場合、元々部活仲間との交流がほとんどなかったのもあって、その溝がますます大きくなってしまった感がある。
 状況が悪くなるようなら助け船を出せる。だが手芸部の女子は元々性格のいい子たちが多いのもあって今のところおおきな喧嘩が起こったわけではないから干渉しづらい。
 というか、たった今、さんの弁を聞くまでは、さんの方に悪意があったのではと疑っていた。
 だが、今の言葉を信じるのなら、あの日のさんはどうやら安田さんのことを子どもっぽいと馬鹿にしたわけではなく、本当に羨んだだけらしい。
 デリカシーのなさはぺーやんに似てしまったのかと多少なりとも失望した自分の考えが180度変わる。人付き合いが不器用とは聞いていたけれど、まさか意図が真逆に聞こえるほどの失態を犯すほどだとは思ってもみなかった。
 目の前で気まずそうに唇を結んださんは両手のひらの指先を突き合わせながらたどたどしく言葉を紡いでいく。

「だから私にも似合うのないかなって探しに来たんだけど……やっぱりどれも似合わないみたいで……。三ツ谷くんに見られたの、すごく恥ずかしい……」

 眉根をぎゅっと寄せたさんは傍目から見たらとてつもなく機嫌悪そうに見える。だが、そんな表情もさんの言葉と合わせると怒っているというよりもショックだったり悔しかったりしたんだろうな、と思えてくる。
 誤解していた自分の勘違いっぷりとさんから垣間見えた為人のギャップの大きさに思わず吹き出してしまう。

「え、なんで笑うの?」
「いや、さんがそんなことで悩んでるんだって思ったら――」
 
 かわいいなって。
 そう口にしかけた言葉をすんでのところで飲み込んだ。どうしてさらりと言ってしまえなかったのか。違和感を覚えながらも眉尻を下げたさんに視線を向ける。
 ぺーやんが睨んでくる時、よくこんな顔をしてるよな、と思う。だけどさんにはきっとそんな意図はないんだろう。
 ――本当に、誤解しちゃってたなぁ。
 元々、悪い子では無いと思っていたけれど、その実態をちゃんと把握していなかったと認識を改める。さんとは割としゃべってきた方だと思っていたが、まだ知らないことは多いらしい。
 これからちゃんと知っていきたい。そう思うと同時に、自然と口元は緩んだ。

「思ったら、なに?」
「あぁ、うん。……面白いなって。ごめんね、さんにとっては面白いことじゃないのにね」

 軽い言い訳と共に謝罪の意を示すとさんはこくんと頭を揺らした。笑いごとではないと責めるでもなく受け入れたさんの素直さにまたほんの少し口元は緩む。

「大丈夫だよ。誰にも言わないから」
「ほんと? 良平たちにも言わないでくれる?」
「もちろん。ってゆーかぺーやんも知らないんだ?」

 またひとつ頭を揺らしたさんは「良平はこんな店の前で立ち止まらない」と口にした。たしかにぺーやんがこんな女子向けの店の前に立つ姿は想像できない。むしろ連れてこようとしたところでこのエリアの入口にさしかかった途端、脱兎のごとく逃げ出す姿しか思い浮かばない。

「あ、でもさ、ぺーやんはともかく安田さんたちには言ってもいいんじゃない? もしかしたらさんに似合うのを探してくれるかもよ」

 そういう一面があるのだと安田さんたちにも見せてあげたらいいのに。安田さんたちだってさんの為人をちゃんと知れば、きっとオレと同じように彼女を見る目が変わるんじゃないだろうか。ついさっきまで壁があるだなんて勝手に感じていたオレが手のひらを返すのもおかしな話かもしれないが、話してみないとわからないこともあると言えるのも同じような誤解をしていたオレだけだ。
 だが、オレの提案は不発だったようで、さんの眉根はますます寄ってしまう。こういうのはオレから伝えるより、直接さんがどういう子なのか見せた方が信憑性が増すと思うが、難しいのであれば部長であるオレから伝えてるのもやり方としては間違ってないはずだ。
 部内が険悪な空気になるのももちろん心配だ。だけど、それ以上にさんが家庭科室でひとりぼっちでなくなるのなら、そのくらいの手伝いはしてあげたい。
 そんな提案を口にしようとした。だが、オレが口を開くよりも先にさんは首を横に振った。
 
「ううん。今はまだ大丈夫。……もう少し、仲良くなれてから、言おうかな」
「そっか。無理強いはしないけど……。まぁ、言いにくいならオレが間に入るから。助けが必要な時はいつでも言ってね」
「うん、ありがとう。三ツ谷くん」

 眉尻を下げたままではあるが、さんは軽く頭を下げるとほんの少しだけ口元を緩めた。

「……それじゃ、私そろそろ帰るね」
「さっきの、買わなくていいの?」
「うん。やっぱり似合わないなってわかったし諦める」
「そう?」

 名残惜しそうに視線を商品へと差し向けたさんの眼差しに、どうしてかこっちにまで寂しい気持ちが流れ混んでくる。
 ――何か他に勧められるものがあればいいのに。
 そう思うと同時に、先程心に書き留めたばかりのデザインがふと脳裏に浮かび上がってきた。
 
「そうだ。ねぇ、さん」
「ん?」
「ここに売ってるのは難しくてもさ。さんならきっと、かわいいものも似合うと思うんだ。だから今度オレが作ってあげよっか?」

 安田さんの髪ゴムを羨んださんが手にしていたのは、彼女のつけていた動物モチーフではなく、花飾りがメインのものだった。漠然と〝かわいいもの〟が欲しいというのなら、さんの希望に添いつつ彼女に似合うものをオレが作ってしまえばいいんじゃないだろうか。
 幸い、頭の中にはすでにイメージが浮かんでいる。あとはそれを形にするだけだが、いきなりアクセサリーを渡されてもさんが困るかもしれないと思い、先んじて提案する。

「……え? いいの?」

 オレの言葉にさんの表情が一変する。豊かに花開く瞬間というのはこういう顔つきなんだろうか。パッと顔を上げたさんの期待に満ちた目は、初めて作ったぬいぐるみを妹たちにプレゼントした時の目によく似ていた。
 
「もちろん――いいよ」
 
 自分から提案しておきながらさんの表情の変遷を目の当たりにした途端、言い淀んでしまう。「ありがとう」とやわらかく笑んださんを目にすると尚更だった。
 言葉が詰まると同時に、なぜか呼吸までもままならないような心地に陥った。身に覚えのない戸惑いに一瞬で翻弄される。喉奥がつかえたような感覚を、咳を払うことで調子を戻そうと試みる。

「――うん。じゃあどんな花とか動物が好きとかそういうのあったら教えてよ」
「う、うん。でも……すぐに決めれないかも」

 迷いを見せるさんはいつものように眉根を寄せて顔を顰めた。だけど、その怒ったような表情も悩んでいるのだと知った今ではどうしようもなくかわいく見えてしまう。

「いつでも言ってくれていいし、もし決められないならオレがさんに似合いそうなの考えるのでもいいよ」
「迷惑じゃない?」
「全然。むしろデザイナー魂燃える」

 ぐっと拳を握っておどけてみせると、きょとんと目を丸くしたさんは軽い声を上げて笑った。指の甲で口元を隠して目尻を下げて笑うさんの笑った顔を見るのは初めてではない。だけど、彼女を笑顔にさせるのは幼馴染であるぺーやんか、その次に仲のいいパーちんの特権で、オレの手の中に転がり込んでくるものではなかった。
 それが微笑ましかったのか、それとも羨んだのかの覚えはない。だけどそれが、今、目の前に差し出された途端、さんが心を開いてくれたのではと自惚れに近い錯覚を抱いてしまう。
 初めて真正面から見る表情を、いいな、と思った。
 慣れない戸惑いの中、微かに芽生えはじめた独占欲がいち早く顔を出す。安田さんたちにもさんのかわいいところを知ってもらった方がいいなんてどうして思えたんだろう。
 ――前言撤回。誰が、教えてやるもんか。





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