三ツ谷04:星を待つ

星を待つ君へ


 6月も中旬へと差し掛かり、本格的な梅雨入り真っ只中の木曜日。ようやく晴れ間を見せた今日は部活もなかったことも功を奏し、雨天中は出来なかった家事へと大いに勤しんだ。
 さっきまで八戒と遊んでいた妹たちの話に耳を傾けながら洗濯機を回している合間に夕飯の準備を片付け、いよいよ自らの誕生日ケーキ作りに取りかかろうと冷蔵庫の中を検める。
 学校帰りにスーパーに立ち寄り、買っておいたフルーツを野菜室から、そして冷蔵室からスポンジケーキを取り出し、ホイップクリームを、と探した。だが、買ったはずのものが一向に冷蔵庫から見つからない。間違えて冷凍室に入れてしまったかと思ったがそこにも入っておらず、胸の前で腕を組んだオレは頭の上にクエスチョンマークを撒き散らしながら首を捻った。
 だが記憶を辿れば、自らの失敗が頭をよぎる。生ものにほど近いそれを最初から買い物かごに入れる気にはなれず、後から取ろうと考え、そのまま買い忘れてスーパーを出てしまったのだ。
 買いに行くか、行かないか。シンプルなケーキで十分とは言え、さすがにクリームまでないのは想定外だ。一瞬の葛藤もすぐさま前者の答えしかないと判断を下す。

「悪ぃ。ひとつ買い忘れがあったから今からスーパーに行ってくるわ」
「え! ルナも行きたい!」
「マナも!」

 準備した材料を冷蔵庫に戻し、エプロンを外しながら妹ふたりに伝えれば、すぐさまお決まりの返答が飛んでくる。いつもなら「いいよ」と答えるのだが、今日はイレギュラーなケーキ作りが控えている以上、そうもいかない。

「連れて行ってやりたいけど今日は急いでるから無理だ。また土曜日にでも連れてってやるから留守番しててくれるか?」
「えぇー……わかった。けど約束だからね!」
「ねっ!」
「ん。約束」

 差しのばされた小指にそれぞれ指を絡めて約束の意を示す。嘘をついたら飲まされる針の数を千から一億に増やした妹たちに苦笑しながら家を出ると、急ぎであることも加味してバイクへと跨がった。軽く吹かしてエンジン音を確かめるとそのまま車道へと飛び出す。急いでいるとは言え、安全運転。無免ノーヘルで何言ってんだと言われそうだが、道の状況に気を払いながらスピードを上げた。
 ――しかし、誕生日だってのにこうも走り回るハメになるとはな。
 発端は自分のミスとは言え、どこか釈然としない心地は残る。そもそも自分の誕生日に自分でケーキを作るなんて事態がおかしな話だ。祝われたいなんてこどもじみたことは言わないが、少しは落ち着いた日を過ごしたかったというのが本音だった。
 ――まぁ、でもルナやマナが楽しみにしてるんだ。作らないわけにはいかないよな。
 微かな抵抗を思い浮かべたとて、初めからちゃんとケーキを作るという選択肢以外を用意するつもりもない。年に数回あるかないかの贅沢だ。楽しみにしてるふたりの気持ちに応えるためにもちゃんとつくってやんねぇと。
 ――ったく誰の誕生日かわかんねぇよな。
 夕食の後のケーキの登場に誰よりも喜ぶだろうふたりの笑顔を思い浮かべては眉尻を下げて苦笑する。だが素直な妹たちの笑顔はオレにとっての楽しみでもある。そう思えばこの奔走も決して無駄ではない。
 ふ、とひとつ息を吐き苦笑を払拭させたオレは、アクセルを握る手に力を込め、また一段スピードを上げてスーパーへと向かった。

 ***

 程なくして辿り着いたスーパーに駆け込み、お目当てのホイップクリームだけ買おうと一目散に乳製品売り場へと足を向ける。だが、突如として始まったタイムセールのアナウンスが流れれば飛びつかずにはいられない。結局卵やらなんやらと予定外の売り場へと立ち寄ったため、思った以上に時間がかかった。
 時間のロスは厳しいが、予告なしで行われるタイムセールは定刻で行われるものよりもさらに値引率が高い。牛乳やたまごはいくらあっても困らないし、クリーム買い忘れてむしろラッキーだったとも思えた。
 明日の夕飯にオムライスでも作るかな、なんて考えながらバイクを走らせていると、妹たちが気に入っている公園の入口前にひとりの少女が立っているのが目に入る。最初は「人がいるな」程度の認識だった。だが距離が近付くにつれ朧気だった姿が明瞭になると、その少女が同じクラスで部活仲間でもあるさんであるのだと気がついた。
 スーパーの袋を片手に提げたさんは、公園の入口にある街灯の下にぽつんと立っている。誰かを待っているんだろうか。手指の先を弾いたかと思えば、オレが今来た道を振り返っては溜息を吐いているようだった。
 時間もないし黙って通り過ぎようと思った。だけど所在なげな様子を目にすると、思わずバイクを止めてしまう。

さん?」

 目の前で止まったバイクを警戒したのだろう。顔を背け公園に足を踏み入れようとしたさんの背中に呼びかけると、さんの肩がびくりと撥ねる。
 ――驚かすつもりはなかったんだけどな。
 いくらオレにそのつもりがなかったとしても、結果として驚かせてしまったことには変わりない。無理に追いかけるわけにはいかず、さんがこちらを振り返るかどうかをバイクに跨がったまま待った。
 程なくして、恐る恐るこちらを振り返ったさんと視線が交差する。ハンドルを握ったままだった左手を掲げると、さんは驚きに目を見開いた。
  
「み、三ツ谷くん?」

 目をぱちぱちと瞬かせるさんに頷いてみせると、さんは目に見えて安心したように息を吐いた。

「ごめんね、いきなり声かけて。びっくりさせちゃったよね」
「うん」

 正直に答えたさんは軽くそっぽを向いて頭を揺らした。きつく眉根を寄せるさんは不機嫌そうに見える。だが小さく尖った唇も合わさると驚いたことに気まずそうな、もしくは驚かされたことに拗ねた子どものようにも見えて、驚かせたのは自分だというのに思わず苦笑してしまう。
 それを見咎めたのか、それとも不思議に思ったのか。怪訝そうな顔つきで首を傾げたさんにもう一度「悪ぃ」と軽い謝罪の意を示した。
 他意はなかったと伝えたつもりだった。だが、キュッと眉根を寄せたさんはこちらをじっと見つめたままだ。他に何か気になることでもあったんだろうか。そう思い、「どうかした?」と尋ねれば、さんは控えめにこっちを指さした。

「三ツ谷くんもバイク乗るんだなって思って」
「あぁ。うん。……たまたま買い忘れがあって……急いでたから」
「そうなんだ」

 もっともな指摘を口にしたさんの疑問に応えつつ、微妙に話を逸らす。
 ――あからさまに無免許のクラスメイトがノーヘルでバイク跨ってたらそりゃビビるわ。
 不意打ちで声をかけたこと以上に自分の佇まいに驚かせてしまったのだと気付くと途端に身の置き所に困ってしまう。首にひっかけたヘルメットのベルトあたりを指先で掻きながらさんから視線を外す。
 さてこの場に漂い始めた微妙な空気をどう払拭するべきか。ほんの少し逡巡し、やはり会話を掘り下げるのはよくなさそうだと判断したオレは、彼女の注意をこちらから更に逸らすべく話題の転換を試みる。

「それよりどうしたの、こんなとこで。誰かと待ち合わせ?」
「えっと、待ち合わせってほどじゃないけど」

 煮えきれない態度を見せるさんは、言葉と共にまた道を振り返った。あからさまに誰か待ってる風なのに、はっきりとは口にしないさんを見るに深く追求しない方がいいんだろうと憶測を立てる。だが、もし別に用も無くこの場に留まっているのだとしたらこのまま置いて帰るのも気がかりだ

「待ち合わせじゃないならもう少し明るい場所か、人通りの多いところに移動した方がいいんじゃない? この辺、あんまりいい噂聞かないし」
「……うん。じゃあ、帰ろうかな」

 言って、恐らく帰り道の方角に目を向けたさんに思わず面食らう。誰かと合流するつもりなのではと思い込んでいたが、どうやら違ったらしい。思惑が外れたのだと気づけば、この後に起こすべき行動は変わってくる。

「待った。帰るなら送るよ。さん、バイク乗るの抵抗ない?」

 幸い、シートの中に八戒用のヘルメットは入れてある。遠回りにはなってしまうが、部員の帰りを心配して過ごすよりマシだろう。そんな思惑と共に提案してみたが、さんはキュッと眉根を寄せて頭を横に振った。

「ううん。もうちょっとしたら良平も戻ってくると思うし、歩きながら待つからいいよ」
「ぺーやんが?」

 突然出てきた友人の名前に驚き、思わず目を開く。だが、普段の学校生活で見かける光景を頭に思い浮かべれば、さんの口からその名前があがってもあながちおかしくないと思い至った。
 さんとぺーやん、それにパーちんも含めた3人は保育園のころからの幼馴染だと聞いている。クラスは三人とも違うのに、休み時間になればお互い行き来して楽しそうに話しているし、部活帰りもさんを迎えに来ては一緒に帰っているようだった。 学校から帰って着替えてからも一緒に遊ぶほどとは知らなかったが、言われてみればそれもおかしくはないなと思えた。
 だが、さっきまでいたというぺーやんがこの場にいないのはどういうことだろう。街灯の下にぽつんと立っていたさんの頼りなさを思い出すと自然と眉根が寄る。
  
「え、アイツ、さん置いてどっか行っちゃったの?」
「ううん。置いてかれたわけじゃないよ。ただ、さっきまでガリガリ君食べてたんだけど、当たったからってお店に戻っちゃっただけで」

 剣呑な空気が漂い始めたことを察知したのだろう。ぺーやんが戻ってこないかどうか、背後を確認していたさんはびっくりしたようにこちらを振り返った。慌てた様子のさんもだが、語られたぺーやんの行動にも毒気を抜かれると、自然と表情は緩んだ。
 
「はは。ぺーやんってそんなに食いしん坊なとこあるんだ?」
「食いしん坊っていうか……家に帰ったら捨てるし次持ってくの面倒だからって」
「あぁ、なるほど」

 同意を示したオレに対し、ひとつ頭を揺らしたさんを目にすると自然と眉尻が下がる。オレだったら元来た道を引き返す方が面倒くさい気もするが、ぺーやんやさんにとってはアイスを得るために戻る道も待つ時間も苦ではないらしい。
 そういう考えもあるよね、とオレもまた頭を揺らして応じる。

「でもさんをひとりで待たすのはあんまりいいとは思えないなぁ」

 まだ薄暗い時間帯とは言え、女の子ひとりを公演前に置いていく判断をしたのはさすがに同意できない。一緒に戻れば良かったのに、と他人事ながら考えてしまう。
 そう独り言のように言葉を紡げば、さんはまた顔を顰めてしまう。
 
「えっと、さっきまではひとりじゃなくて、安田さんもいたよ」
「は? 安田さん?」

 またしても予想外な名前が飛んできたことに面食らってしまう。同じ手芸部とは言え、さんと安田さんとの間にはそこまでの交流はないはずだ。ましてやそこにぺーやんまで加わるとなるとますます意味のわからない組み合わせのように思えてならない。
 驚きに目を瞬かせるオレを一瞥したさんは「ちょっと話長くなるけど言っていい?」と尋ねてくる。いいよ、と頭を揺らせばさんは「えっとね」と言い、目線を斜め上にやりながら記憶を辿り始めた。
 
「安田さんとはたまたま会ったんだけど……途中までは良平とふたりでスーパーに戻ってて、でも安田さんに自転車ふたり乗りは危ないから良くないよって言われて……危ないのはダメだから注意されるのも仕方なくて……」

 さっきまであったことを訥々と話すさんはふたりを悪者にしないようにと気を払っているようだった。さんの弁をまとめると、どうやら元々さんとぺーやんは自転車のふたり乗りでスーパーに戻っていたらしい。その途中、たまたま居合わせた安田さんにふたり乗りを見咎められ、良くないと指摘された。絡まれた以上無碍には出来ず、だがさんを下ろして歩いていくのも時間がかかる。どうするか迷ったぺーやんは、さんにこの場で待つようにと言い残し、ひとりでスーパーに戻った、というのが真相らしい。
 一連の流れを聞けば、よくある話のように聞こえた。自転車のふたり乗りは危ないかもしれないが楽ではあるし、見かけたら注意するのも頷ける。
 入学早々安田さんに威嚇したぺーやんだったが、今では妙な苦手意識を持っているのか、安田さんの姿を見かける度に気まずそうに固まっている。今日もまたいつもの調子で注意され、萎縮するままにこの場を後にしたのだろうと簡単に想像がついた。
 その結果、苦肉の策としてぺーやんがさんを置いていったのも納得できる。
 たしかに誰も悪くない。そう思い「なるほどね」と頷けば、さんは安心したように息を吐いた。

「そっか。じゃあぺーやんはさんが安田さんと一緒に待ってるつもりかもしれないね」
「うん。良平にもそう言われたんだけど……」

 話の端々から感じ取った憶測を口にすると、さんは歯切れの悪い言葉を漏らす。言いにくそうなさんの姿に軽く首を捻る。一緒に待ってろと言われたのに、この場に安田さんの姿がないのは先に彼女が帰ってしまったと思っていいだろう。
 まさか喧嘩したなんてことはないよな。そう思いつつも先を促すべく、苦い表情を浮かべたさんの顔を覗き込めば、軽く唇を尖らせたさんが控えめに口を開いたのが目に入る。

「……間が持たないから帰ってもらった」
「んんッ」

 思った以上に酷い理由、そして酷い言い草に思わず吹き出してしまう。
 いや、たしかに部活中にもふたりが話しているところはそんなに見ないし、お互いに気まずいだろうけれど、それにしてももう少し取り繕った言い方というものがあるんじゃないだろうか。
 いきなり笑い出したオレを見つめるさんは、きつく眉根を寄せて顔を顰めている。不機嫌そうにも、泣きそうなのを我慢しているようにも見える表情を見つめながら手の甲で口元を隠す。
 さんも安田さんも決して悪い子じゃない。偶然ふたりを見かけた安田さんの方から話しかけたってことは、さんと仲良くなりたい気持ちが多少なりともあったのではと推測できる。
  いまだ喉奥に残る笑いを飲み込み、「笑ってごめん」の意を込めて手のひらを立てるとまだ緩みたがる口元を封じ込めるべく咳払いした。

「明日、部活の時にでも安田さんにあったらさ。ちゃんと帰れたか聞いてみるといいよ」
「そうする」

 ん、と頭を揺らしたさんの素直さにまた少し口元が緩んだが、今度は変な笑いは出てこなかった。
 ――さて、これからどうするかな。
 会話が一段落ついたのを肌で感じたオレは微かに頭を悩ませる。もうすぐぺーやんが戻ってくるのなら、オレがこのまま帰ってもそんなに心配はいらないはずだ。だが帰宅を急ぐべき理由はあっても、女の子を一人にしていい理由にはならない。
 間が持たないと追い返されるならそれまでだけど、今のところさんから帰ってほしそうな空気は感じられない。
 だったらもう少し、話をしてみてもいいのかもしれない。そう結論づけたオレはさんに向かって次の話題を持ちかける。

「じゃあさんはアイス外れちゃったんだ?」
「ううん。私、ガリガリ君じゃなくてピノ買った」
「ピノ?」

 唐突に出された商品名にピンと来なくて思わず聞き返してしまう。軽く首を傾げたオレを見たさんは手にしたビニール袋を探り、中からひとつの商品を取り出した。赤基調のパッケージを目にすると同時に商品名と食べた味の記憶が結びつき、「あぁ、これか」と納得の声が漏れる。
 
「これ、結構美味しいよね。オレも妹たちとたまに食べるよ」

 アイスを買う場合、ファミリーパックの物を買うことが多かった。だが好奇心旺盛なルナやマナに「たまには違うものが食べたい」とせがまれることがある。その際、雪見だいふくやパピコよりも、3人でも2人でも割り切れる利点を持ったピノを選ぶことが多かった。

「うん。私もよく食べる。でもまだ星型のピノ見たことがなくて」

 幸せの星が入ってるかも、と書かれたパッケージに目を落としたさんは心なしかわくわくしているように見える。狙って出せる物ではないからこそ見てみたいという気持ちは理解できる。
 だが、中一にしては大人びた雰囲気を持つさんが、わざわざ当たるか当たらないかわからない星型を目当てにピノを選ぶというのは心底意外だった。結構こどもっぽいところあるんだなと思わず目を丸くする。
 じっと箱を見つめるさんは相変わらず眉根を強く寄せている。だが今の弁を耳にすれば「当たりますように」と念を送っているのではとさえ思えた。

「星型、入ってるといいね」
「うん。今日は当たる気がする」

 根拠の無い自信を口にしたさんにますます口元は緩む。やけにキリッとした顔つきを見つめていると、さんがこちらを振り仰ぎ再び口を開いた。

「あと6個だと3人で食べるときちょうどいい」
「3人?」

 先程、オレが考えた理由とまったく同じものを口にしたさんに思わず首を捻った。オレには妹たちがいるけれどさんはひとりっこだと聞いたことがある。もしかして両親とさんとで食べるとでも言うのだろうか。

「良平とパーくんと一緒食べることが多いから。今日は良平しかいないから3つずつ食べると思う」
「あぁ、なるほど」

 たった今、思い浮かべたばかりの微笑ましい家族の想像を軽く覆したさんの弁にひとつ頭を揺らす。外れたことに対するショックなのか軽く気落ちしてしまった感は否めないが、仲のいい幼馴染3人でピノを分け合う姿も十分微笑ましいと気持ちを立て直す。

「まぁ3人で分けるってなると何を買うか限られてきちゃうよね」そ
「うん。パピコだったら喧嘩する」
「え、喧嘩?」
「ふたりだったらいいんだけど、3人だと上のとこ誰にするかで揉める」
「そこで揉めちゃうんだ」

 分け合うにしてももう少しなんとかなるんじゃないだろうか。というか分け合うのが前提なら、3人でいる時にパピコを買わなければいいのに。打開策を頭に思い浮かべたものの、パーちんとぺーやんの顔が脳裏を過れば、アイツらの場合、食いたい物を何も考えずに買いそうだなとも思った。
 3人でいるときに雪見だいふくを買ってしまったらどうなるんだろうか。パピコの上のとこすらない状況に陥った3人の姿を脳裏に描く。呆然とした顔で雪見だいふくを見つめるんだろうか。それともじゃんけんかなにかで勝負を決めるんだろうか。
 そんな一石を投じてみたい気もしたが、仲のいい3人にとっての新たな喧嘩の火種になるのが目に見えている。口にしない方がいいだろうと結論づけたオレはきゅっと唇を結んだ。
 さんもぺーやんとふたりでいる時にもピノを選ぶほどに気に入っているのなら、そう雪見だいふくが登場するチャンスもあるまい。そう思う同時に、ふと、今までの会話中には気付かなかった疑問が頭を過った。

「ん? でもさっきぺーやんはガリガリ君食べたって言ったよね? さんも他のアイス食べたの?」
「ううん。食べてない」
「え、それでいいの?」
「いいって?」

 当然の疑問だと思って投げかけた言葉がさんにはちっとも響いてないのを目の当たりにすると思わずこっちまで首を捻ってしまう。だが今のは確かに言葉足らずだったのかもしれない。そう思い直したオレは、ちゃんとさんに伝わるように、と言葉を続ける。

「だってぺーやんはガリガリ君まるっと食べたわけじゃん? でもさんは今からピノ3つずつって半分わけてあげるんでしょ? 自分の分が減るのにいいのかなって」
「うーん……。全部取られたら嫌だけど半分くらいなら、まぁいいかな」

 軽く頭を傾げたさんだったが結局許すという結論を導き出したらしい。今日はぺーやんとふたりだからともかく、パーちんも含めて3人で分けたら半分どころか3分の2を持って行かれることに気がついていないのか。
 気付いていたとしても、この分だとさんは「別に気にしない」と答えそうではある。学校じゃそんなにしゃべったことなかったけど、随分とおおらかな性格をしているのだと知るにはその話で十分だった。

「あとみんなで違う味にしたら一度に3種類食べられるからむしろお得だと思う」

 たった今、おおらかだと感じたばかりの性格がその発言で大きく覆された。意外とちゃっかりしてるらしいと知ると、普段とのギャップに驚き目を丸くしてしまう。だが、ある意味お人形さんみたいな風貌のさんから紡がれた人間みのある言葉に、彼女の為人に俄然、興味が湧いてくる。

「ぺーやん、アイスくれんの?」
「うん。この後も多分ガリガリ君もらえるし、さっきもちょっともらった」

 きゅっと口元を引き締めたさんの表情がどことなく誇らしげに見えてくる。違う味を分け合うのはいい案だと信じ切った顔つきに自然と口元は緩んだ。
 最初に話を聞いたときはパーちんとぺーやんにおやつをたかられているのではと危惧したが、どうやら3人の間ではうまいこといってるらしい。最初から、外野のオレが口を挟むべき問題ではなかったのだ。
 だが、さっきのさんの弁を思い出せば、ふたりは自転車に乗りながらアイスを食べていたことになる。行儀が悪いどころかもはや曲芸の域に達しているんじゃないだろうか。そう思ったがぺーやんならやりかねないし、さんもあのふたりの幼馴染ならそのくらいのことは案外平気でやるのかもしれない。
 ――なんだか知らないとこばっかり見えてくるな。
 今日、こうやって話が出来たのはよかったかもしれない。同じクラスで、同じ部活で、それでもどこか「ぺーやんとパーちんの幼馴染」とさんに対し一線を引いていた。いや、こちらから一線を引くというよりも、ふたりが壁になってるみたいでさんに近付けなかった、というのが正しいかもしれない。だが今日、こうやってぺーやんもパーちんもいない状態で話すことで〝〟という女の子と、初めてまともに向かい合えている気がする。
 
「じゃあ当たった分もらえてラッキーだったね」
「うん。嬉しい」

 やわらかい笑みと共に頷いたさんを見ているとこっちまで表情が緩んでいく。
 ――やっぱり、話が出来て良かった。
 そんな感想を抱きながら胸の内を温めていると、不意に遠くから自転車のベルが聞こえてきた。その音に先に反応したのはさんだった。パッと顔を上げたさんの視線を追うようにくるりと首を捻ればガリガリ君を片手に持ったまま自転車を漕ぐぺーやんの姿が目に入る。

「良平、おかえり」
「オゥ、待たせたな。って、あれ、三ツ谷? っつーかあの女は?」
「安田さんなら帰ってもらった」
「ハァ?! マジかよ! あー……じゃあ、これどうすっかな」

 ブレーキを握りしめ、サンダルの底を地面にこすりつけることでスピードを緩めたぺーやんは大仰に溜息を吐き出すと同時に眉尻を下げた。その手元をよく見ればガリガリ君が2本握られている。1本は当たり棒と交換した分として、もう1本はわざわざ買ってきたんだろうか。

「安田さんに買ってきてあげたんだ? やさしーじゃん」
「買ってきてやったっつーか、見張っててもらった礼だよ。チッ。先に帰るなら買ってこなきゃ良かったワ」

 不満を零すぺーやんは、自転車に跨がった足を放り投げたり顔を顰めたりと悪態の限りを尽くす。だがそんな態度を見せられても、発端が「お礼を受け取ってもらえなかったから」なんてかわいい理由だと思えば自然と笑みが浮かび上がる。
 ――親切というか義理堅いところがあるんだよな、ぺーやんは。
 普段の態度はかなり雑だが、案外いいところもある男だ。こうやって目の当たりにする度に、いいやつだなと信頼が増していく。それと同時に他の人とあまり積極的には交流を持たないさんがぺーやんとパーちんにだけは遠慮無い態度で接しているのも当然だな、と腑に落ちた。
 ここにはいないパーちんの顔を思い浮かべていると、それに釣られて安田さんの顔も頭に浮かんだ。同時に〝間が持たないから安田さんを帰らせたさん〟なんてエピソードが頭を過れば思い出し笑いをしてしまう。不意に笑い出したオレを不思議そうに見つめるぺーやんもさんも似たような顔をしてこちらを見るもんだからますます笑いは深くなった。

「まぁいいワ。おい、三ツ谷ァ。食うか、これ」

 言って、ガリガリ君の袋をひとつ差し出してきたぺーやんに思わず目を丸くする。さんと一個ずつでなくてもいいのか。そう尋ねようと口を開きかけたが、「ん」とさらに差し出されては閉口せざるを得ない。

「おー。じゃあ誕生日プレゼントってことでありがたく受け取るわ」
「えっ。三ツ谷くん今日誕生日なの?」
「え? あぁ、うん。実はそう」

 もらったばかりのアイスをバイクに引っかけたビニール袋に押し込みながら、軽い気持ちで口にした言葉を思わぬ調子で拾われる。戸惑いながらも頭を揺らせば、目を丸くしたさんは「知ってた?」とぺーやんを振り仰ぐ。だが問いかけられたぺーやんは「聞いた気もするけど日付まで覚えてねぇワ」とすげない返事を口にした。
 ――まぁ、オレもぺーやんの誕生日覚えてねぇしな。
 中学生ともなれば誕生日がいつだなんて話題はほとんど上らない。まして入学して二ヶ月そこらでは、そこに気を回すやつも滅多にいなかった。
 ぺーやんが秋生まれってのをなんとく知っているのだって、パーちんの名前が〝春樹〟なのを皮切りに「春生まれなのか」とか「いや二月生まれだわ」とかそんな話の流れでたまたま知ったに過ぎない。
 だから今、自分の誕生日が今日であると告げたのだって、アイスを受け取るための方便だ。だが、さんの受け止め方は違ったらしい。手にしていたピノの箱をこちらへと差し出したさんの意図が垣間見えると少なからず焦ってしまう。

「じゃあ私もこれあげる」
「いや、いいよ。これもらっちゃうとさんの分が無くなっちゃうし」

 案の定、誕生日プレゼントとしてアイスを差し出してきたさんに、手のひらを立てて断りを入れた。だが、こちらへと近寄ってきたさんはオレの制止を気にもとめず立てた手のひらにピノの箱を押しつけた。冷やっこい感触に思わず目を瞠れば、さんはかすかに満足そうに口元を引き締めた。
 
「良平からガリガリ君もらうからいい」
「ハァ?! 勝手に決めんな!」
「くれないの? くれないなら買い行くから自転車貸して」
「やらねぇとは言ってねぇし、今から買いに行こうとすんな」

 結局あげるのかよ。内心でツッコミを入れながらも、押し当てられたままの箱に指をかける。その小さな動作で、オレにアイスを受け取る意思があるのが伝わったのだろう。ぺーやんに差し向けていた視線をこちらに戻したさんは、かすかに口元を緩めてオレを振り仰いだ。
 
「お誕生日おめでとう、三ツ谷くん」
「……ん」

 はにかむように笑ったさんの表情を目の当たりにすると、どうしてかひどく言葉が詰まった。それ以上の言葉を紡ぐことが出来なくて、軽く頭を揺らすだけになってしまう。
 
「たいしたものじゃなくてごめんね」
「……いや、妹たちと食うよ。ありがとな」

 咳を払い、辛うじてお礼の言葉を口にする。それでもまだ喉の奥に魚の骨が引っかかったような感覚が拭えなくてもう一度、今度は先程よりも大きめに咳き込んだ。

「――じゃあ、ぺーやんも戻ってきたしオレも帰るわ」
「うん。一緒に待ってくれてありがとう、三ツ谷くん」

 言って、「バイバイ」と手のひらを小さく振ったさんはぺーやんの跨がる自転車の後ろに回り込むとステップに足を乗せてぺーやんの肩に掴まった。立ったまま乗る姿を目にすると、転んだとき危なそうだなと人ごとながらに心配になってしまう。

「じゃあな、三ツ谷。補導されんなよ」

 片手をひらりと振ったぺーやんは、さんを自転車の後ろに乗せて走っていく。スピードが乗るまでは蛇行していたが、程なくしてまっすぐに進んでいくふたりの背中をじっと見送った。
 
「良平、アイス食べたい」
「ハァ? もう帰ってからでいいだろ」
「さっきそんなに食べてないし喉渇いた」
「アァ? ったく、っせぇなぁ。……ホラよ」

 少しずつ離れていくふたりのやりとりは距離が離れるにつれて小さくなっていく。街灯一個分離れるともうほとんど何も聞こえない。それでも止めていたバイクのエンジンをかける間も、なんとなく、その背中から視線を離せなかった。


 ***


「悪ぃな。遅くなっちまった」
「遅いよォ! お兄ちゃん!」
「おなかすいたっ!」

 買った荷物を片手にまとめて家に入れば妹たちが玄関まで駆け寄ってくる。足にしがみついたふたりのそれぞれに手のひらを落としながら、手を洗ったり買った物を冷蔵庫に押し込んだりしていると、ふたりからもらったアイスが目に入った。

「もうちょい準備に時間掛かるから、先にアイス食うか?」
「食べる!」

 予想以上に待たせちまったせいか、さっきまで元気のなかったふたりだったが「アイス」の一言を提示すれば途端に顔を輝かせる。冷蔵庫前まで駆けてきたふたりを見下ろしながら、どちらのアイスを食わせるべきか逡巡する。
 ガリガリ君とピノと。それぞれのパッケージを見比べて、夕飯前に食べさせるならピノの方が食べやすいだろうと判断をくだす。
 
「夕飯入らなくなるといけないから一粒だけだぞ」
「はーい!」

 小気味よい返事がふたつ重なると自然と口元は綻ぶ。足下に纏わり付いてくるふたりをなだめながらガリガリ君を冷凍庫に突っ込み、ピノのパッケージを剥がす。その場にしゃがみ込み、ペリペリと音を立てながら箱を開けば、中に入っている6粒のうち1粒の形が異なることに気がついた。

「ハハ。星型入ってら」
「え! すごい!」
「初めて見た!!」

 星型のピノ。さんが入っていたらいいなと望んだものが、ここにある。
 目に見えてテンションを上げたルナもマナもそうだが、オレも内心で微かに高揚していた。今日は入っている気がすると確信していたさんの表情が脳裏に浮かぶと同時に「入ってたよ」と知らせたい気持ちが湧いてくる。

「これ、あとで写真撮ってもいいか?」
「いいよ! でもお兄ちゃんケータイで撮れるかなぁ」
「あー……。ルナが撮ってくれるか?」
「いいよ! じゃあ普通のから先に食べよ、マナ」
「うん!」
「そうしてくれると助かるワ」

 ルナもマナも1粒ずつ口にしたあと、もうひとつをピックに突き刺したルナがオレの方へと差し出してくる。あーん、と口を開けて受け入れれば、冷たい感覚と共にチョコレートの味が口内に広がった。
 ――久々に食べたけれど、やっぱり美味いな。
 よく食べると言っていたさんのお気に入りになるのも頷ける。薄いチョコレートの膜を舐めきったあとに広がるクリームを味わいながら、残りは冷凍庫に入れておこうと立ち上がる。開けっ放しの箱に蓋をすると同時にパッケージに書かれた売り文句が目に入った。
 星型のピノが入っていたらいいことがある、らしい。普段なら取るに足らない宣伝だと目に入れても気にもとめないはずだ。だけど、今日だけはなんとなくその言葉が妙に引っかかる。
 
「……いいことなら、あったな」

 まだほんの少しアイスの残る口元からぽつりと言葉がこぼれる。「お誕生日おめでとう」と言って笑ったさんの顔が頭に思い浮かぶと、口元は自然と緩んだ。
 ――明日、さんに写真を見せたげたらどんな顔すんのかな。
 悔しがって羨むのか。それとも譲ったことを失敗したと嘆くのか。あまりしっくりこない想像を重ねては、少しでも正解に近付くようにと予想を並べる。
 ――入ってたことに驚いて、そのあとまた笑ってくれたらいいのに。
 今日見たさんの様子を思い返せば、その予想が一番正解に近いのではないかと半ば確信する。明日、写真を見せれば正解はわかるはずだ。そう思うと、明日、学校に行くのが楽しみになってくる。
 ――そういや、さんの誕生日っていつなんだろう。
 もう終わってしまったのか、それともこれから迎えるのか。聞いておけば良かった、と後悔に似た思いが胸の内に生まれると同時に、また明日聞けばいいかと結論づけた。
 話したいことがたくさんあるとまでは言わない。だが、次は何を話そうかと考える時間をやけに楽しく感じている。わくわくめいた気持ちが浮かび上がってくるのに合わせて湧き出した覚えのない感情に緩みたがる口元がむず痒い。
 ――とにかく今はルナとマナに夕飯とケーキを作ってやらねぇと。
 放っておけばどこまでも浮かれてしまいそうになる心を制し、自分のやるべきことを念頭に置く。まだ甘ったるいアイスを舌先で押しつぶして飲み下すと、冷蔵庫にさんからもらったアイスを仕舞い込みキュッと唇を結んだ。





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