三ツ谷05:偶然に必然を重ねて

偶然に必然を重ねて


 夏休みを終えて、二学期初回のLHR。席替えのくじを引き終えた生徒が各々の机と椅子を抱えて教室内を行き交う姿が散見される。オレもまたその流れに乗って、交換したばかりのくじを手の中に握り込めたまま荷物を抱えた。
 9月を迎えたとは言え、まだまだ残暑厳しい日は続く。そんな状況で窓際一番前の席を望むバカはきっとオレくらいのものだろう。
 灼熱に晒されるうえ、一番前じゃおちおち居眠りなんてしてらんない。誰がどう見てもデメリットに塗れてるのは明白だ。そんな劣悪な環境であっても、たったひとつの理由が加われば、そこはオレにとっての特等席となる。教室の中心から移動してきたばかりの椅子を机から下ろす少女の後ろ姿。一年の時も同じような並びになったことがあったっけ。目にした光景に昨年の記憶が蘇ると自然と口元が緩みそうになる。
 だが、にやけ面のまま話しかけて変なヤツだと思われては溜まらない。滲み出る歓喜を抑え込むべくきゅっと唇を結ぶと、彼女の隣に運んできたばかりの机を下ろした。
 
が隣か。また次の席替えまでよろしくな」
「三ツ谷くん……」

 机の位置を整えながら机の上を手の甲で払うに声をかける。ほとんどの生徒が嫌がるこの席がオレにとっての特等席に転じる理由は彼女にあった。遅れて返ってきた「よろしく」に頭を揺らして応じると、握り込めたままだった手を開き、くじ引きの紙に視線を落とす。
 席替えは出席番号順で並べられる一学期の初め以外はくじ引きで決められる。一年の頃から数えて片手では足りない数を重ねたが、いずれの場合もの隣か前後、少なくとも斜めには陣取った。
 半分は偶然。だけどもう半分はオレの画策の結果だ。教師の目を盗み、目が悪いやつや背の低いやつに声をかけての席の近くになるよう仕向けた。今回は日焼けしたくないとボヤく女子との交換で得た成果だ。
 裏工作と呼ぶには地味すぎる暗躍。だが、一定期間、と近くの席で授業を受けるために出来る手立てを放棄する気にはなれなかった。
 隣に机を並べ席に着くと、口元をきゅっと結んだの視線がこちらから離れていないのに気が付いた。

「どーした? 複雑な顔して」
「えっと。三ツ谷くんと席近いの多いなって」

 スクールバッグを横に掛けながら尋ねてみれば、は端的に自らの疑問を口にした。取り繕ったり、必要以上に媚びたりしないらしいストレートな言葉遣いに思わず目を見開く。
 当然、抱かれるであろう疑問を前に、どう答えようかと狼狽する。机の上に置いただけだった手のひらを握り込める。握りつぶしたくじの角が手のひらを微かに刺す感触を味わいながら、引き締めたばかりの唇を薄く開いた。

「まぁ、偶然にしちゃ多いよね」
「うん。この前も近かったし、ちょっと驚いた」

 偶然だよ。そう端的に伝えれば素直にオレの弁を信じるに安堵したのは一瞬だった。オレが望んで勝ち取った席に対し、がなんとも思ってないのを目の当たりにすると少し――否、結構歯痒い。
 努力と呼べるほどの苦労を伴ったわけではない。だけど何ひとつに伝わってない状況は面白いはずもない。引き締めたばかりの口元が、山を描いたことで強くオレの心境を主張する。

「じゃあさ――」

 から視線を外したまま椅子を引き、浅く腰掛ける。そのまま改めてを振り仰げば、一連の動作を見守っていただろうとすんなり視線がかち合った。

「……オレがの隣がいいから他の子に代わってもらってるって言ったら、どうする?」
「どうって……」

 一年経ってもまるでこちらの気持ちに気付いた様子のないへの腹いせに、少しは意地悪な質問を投げてやるか。そんな気持ちと共に仕掛けた言葉だった。だが、ギリギリを攻め込むつもりが想定以上にアクセルを踏み抜いてしまった。思わず飛び出た本音に対し、がどう応えてくれるのか。
 仕掛けたのは自分だというのに、緊張が薄く全身に漂い始める。きゅっと唇を引き締めたままの言葉を待つ間は、微かな息苦しさを与えた。それに加えて、集中しているせいだろうか。席替えを終えたばかりの教室に、当然周囲にあるはずの喧騒が次第に遠くなっていく。
 怪訝そうに眉根を寄せたの表情ひとつにさえ翻弄されそうになる。唇を引きしめたままを見上げていると、は一度外した視線を再びオレに合わせて軽く首を捻った。

「三ツ谷くんが隣なら嬉しいから何もしないけど……」

 どうしてそんなこと聞くの、とでも言いたげな表情を浮かべたは事も無げに自らの椅子を引くとそのままストンと腰掛けた。
 のことだ。駆け引きなんて挟まない、額面通りの言葉なんだろう。その言葉はきっとオレでなくとも、部活が同じ安田さんたちや、の幼馴染みであるパーちんやぺーやんらにも差し出されるはずだ。だから他意はない。そうと分かっていても〝嬉しい〟の一言に、胸の内に歓喜がじわりと滲んでいく。

「そっか。じゃあ安心した」

 なんでもない風を装っていつものように口角を上げる。ん、と頭を揺らしたは教卓へと向き直ると、他の生徒同様に次の授業に向けて準備を始めた。その横顔を見つめてみても、動揺した素振りひとつない様子に、やっぱりなんてことない言葉だったのだと思い知る。
 ――結構思い切って仕掛けたんだけどな。
 の想いがこちらに向いてないことは重々承知だ。だから友だちの友だちとして、部活仲間として、警戒心の強いの懐に入り込むべく小さなチャンスを拾い集めてきた。そうやって交流を重ねていくうちに、オレのことを「ちょっといいな」って思ってもらえるように、と過ごした日々は一年の後半くらいから続いている。
 だが気長に待つつもりであっても、おとなしくしていられるほど大人ではない。時にはこうやって、危うい言葉を口にしては現時点での中でどのくらいの評価なのかを確認する。
 今回に関しても空振りと言えただろう。それでも、今日の言葉はひと味違った。こっちの言葉なんてちっとも響いてないくせに、嬉しいなんて言われてしまった。ただその言葉ひとつで的確に返り討ちにしてくるんだから、本当にタチが悪い。
 ――まぁ、でも〝嬉しい〟ならいっか。
 迷惑だと言われるよりずっといい。むしろ今後も遠慮する必要なんてどこにもないのだと後押しされた気分だ。
 の言葉を反芻しては胸の内を温める。また隣の席になれたんだ。少しずつでも、仲良くなれるようにまた見えない努力を重ねるだけだ。
 今後の決意を胸に秘め、そっと机に肘をつく。そのまま頬杖をつくふりをして、浮かび上がる期待と熱をから隠した。
 だが、そっぽを向いたオレとは裏腹に、突然、びっくりした顔をしたがこちらを振り向いたのが横目に入る。そのまま声をかけられるかと思いきや、オレを見つめたままのはまるで餌を求める池の鯉のようにはくはくと口を動かすだけの反応を示した。

「どうかした?」

 は普段からおしゃべりなタイプではない。だけど、ここまで何か言いたいのに声にならないような姿を見るのは珍しい。
 そんな彼女を前に、助け船を出すような気持ちで尋ねれば、軽く眉根を寄せたが躊躇いに躊躇いを重ねて口を開いた。
 
「……えっと、その、本当に三ツ谷くんがくじを、交換したのかなって思って」

 途切れがちに自らの疑問を口にしたはさらにきつく眉根を寄せる。疑問に思えど口には出来なかった様子を見せるは、もしかしたら自分の考えが自惚れかもしれないとと危惧したのだろうか。それとも目を引く容姿故に必要以上に他人から声をかけられたりやっかまれたりと散々な目に遭ってきたにとってオレを警戒すべきが悩んだのだろうか。どちらにせよ、曖昧な言葉を差しだしたがためにを悩ませた感は否めない。
 おそらく「をからかうための冗談だよ」と笑い飛ばしてあげるのが一番を安心させる答えになるんだろう。だが、ただの友人のようにやさしい言葉ばかりを差しだしていても、きっといつまでもはオレの想いに気付かないままだ。

「んー? どっちだと思う」

 質問に質問で返すのはあまりいいことではないと知っている。それでも今回だけは仕掛けると決めたんだ。にとってやさしくない答えであっても、そこは貫かせて欲しい。
 案の定、欲しかった答えが得られなかったことにショックを受けた様子のはウッと呻いて眉根を寄せた。そのまま薄目でこちらを見つめるの瞳をじっと見返す。顰めっ面のは到底、恋に相応しい表情とは言えない顔つきだ。そうとわかっていても、が顔を顰めている間は、オレのことだけを考えているのだと思えば、この上なく愛らしいものに見えてくる。
 こちらの真意を探るべく、オレから視線を逸らさないを見ていると自然と眉尻が下がっていく。緩む口元を、今度は隠しもせずへ差し出した。機嫌良く笑うオレの顔を目にしたの視線が揺れるのを見ているとますます笑みは深くなる。狼狽を重ねるの顔を見つめたまま「ちょっとはオレのことで悩んでくれよ」なんて。そんな口にも出せない意地悪な祈りを抱いてしまった。





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