三ツ谷07:limpid

limpid


  部活のない日の放課後。帰りのSHRも終わり、鞄を手にしながら立ち上がると、いつものように後ろの席に座るに「じゃあ、また明日」と声をかけようとした。
 だが、振り返ったのも束の間。いつもならすぐにパーちんらのクラスへ向かうはずのが席に着いたままオレを振り仰ぐのを目の当たりにすると思わず目を丸くしてしまう。
 なんなら帰り支度さえもまだな様子に軽く首を傾げながら「まだ帰んないの?」と尋ねてみると、は「うん」とひとつ頭を揺らした。

「そっか。――あれ、ってなにか委員会入ってたっけ?」
「ううん。今日は良平とパーくん待ち」
「えぇ?」

 が居残りなんて珍しい。でも残るからには理由があるのだろう。そんな気持ちと共に質問を重ねると意外な答えが返ってきた。
 アイツらがおとなしく委員会に参加する姿が想像できなくて、うっかり素っ頓狂な声をあげてしまう。キツく眉根を寄せ二の句を告げないままでいると、そんなオレを見上げたはほんの少しだけ口元を緩めた。

「委員会じゃなくて補習だけど」
「あぁ、なるほど。……そういやふたりとも、昨日は浮かない顔してたな」

 聞けば先日の学年末テストで赤点を叩き出したパーぺーコンビは、昨日からみっちりと補習の憂き目に遭っているらしい。たしかに昨日は家庭科室に来るのも遅かったもんな。理由を聞こうにも、先に安田さんがぺーやんに噛み付いたからすっかり聞き損ねたままだった。
 から視線を外し、黒板の上に設置された時計を振り返る。15時を回ったばかりの時計を眺めながら、よくある喧騒を出入口付近で置き去りにしたまま家庭科室に入ってきたパーちんに「遅かったな」なんて声をかけた記憶を引っ張り出す。その時、チラリと視線を伸ばした先にあった時計は、16時過ぎを示していたはずだ。
 ――今日も同じ時間に終わるなら、都合つくな。
 昨日のうちに買っておいた食材を頭の中に思い浮かべ、今日は買い物に行かずとも保育園に迎えに行けると確認すると、そのままに視線を戻した。

「……そっか。じゃあ、オレも残ろっかな」
「え、どうして?」
「あー……。春休みに入ったら、部品の買い出しに行こうと思っててさ。今、残ってる部費と消耗品の残数と見比べて何を買い足すか優先順位考えねぇとなって思ってたんだよね。家に帰っちゃうとどうしても家事優先しちゃうから学校でやった方が捗るんだよ」

 キョトンと目を丸くしたの素直な質問に、いつになく饒舌になってしまう。だが、さらりと部活の話を持ち出せば、オレの隠した下心に気付かないはすんなりと信じたようだった。
 ――そういう素直なとこ、マジでパーちんたちにそっくりだよな。
 人の言葉の裏を読まないというか、なんというか。自分たちが嘘を口にしない性分だからこそ、も相手を疑ったりしないのだろう。
 将来、悪い大人に騙されないといいけど、なんて。まだ見ぬ未来に思いを馳せる。もっとも、今まさに軽い嘘を吐くことで一緒にいようとするオレに心配されたくはないだろうけど。

「あ、だったら安田さんも呼ぶ? 副部長だし」
「んー。いや、ある程度内容が纏まってから見直してもらった方が効率いいし、今日はいいよ。それよりは? なにか足りない備品とか無かった?」
「え、私?」
「そ。部員目線で見て、どーですか?」

 の提案をさらりと躱し、席に着きがてら尋ねてみれば、は机の上に投げ出しっぱなしだった手を口元に持っていき、思案の表情を浮かべる。軽く握った拳を下唇に押し付けたの表情は険しい。それでも真剣に考えてくれているのだと思えば、自然と目尻が下がった。

 * * *

 と話しはじめて30分くらい経ったころ。初めは何人か残っていた生徒たちもぽつりぽつりと帰っていき、気付けば教室にふたりきりになっていた。
 滅多にないシチュエーションに気付きつつも、変に意識しているのがバレて逃げられては元も子もない。平然を装うべく口元を一層引き締めたオレはと意見を交換しながらプリントの裏に買い出しリストを書き連ねていく。
 書き出すうちに足りないものはいくらでも出てきた。予算オーバーになる度に、優先順位を考え直す。そんな作業の傍ら「新入部員どうやって勧誘する?」「はなにかやりたいこととか着たいものある?」なんて、取り留めのない会話を交わしていると次第にの反応が鈍くなってきたのに気がついた。

?」

 集中力が切れてきたんだろうか。だったら一旦休憩でも挟んでやんねーと。そう思い、買い出しリストに落としていた視線をに差し向ければ、集中力どころか起きている気力もほとんど無いですと言わんばかりの表情が目に入った。

、もしかして眠い?」
「割と……」
「そっか。もしかして、昨夜は夜更かしでもした?」
「うん、少しだけ。昨夜、遅くに良平がウチに来たから」

 からかい混じりの質問を投げかけてみれば、オレのイタズラ心をフルスイングで打ち返すような答えが返ってきた。
 ぺーやんとは家が隣だって話だし、生まれた時からの幼馴染だってのも知っている。それでも夜遅くまで部屋に居座るような仲とまでは聞いてない。
 思わぬ事実に驚いて目を見開いたまま固まっていると、オレの異変に気付かないはあくび混じりで言葉を続ける。

「良平たち……三ツ谷くんもだけど、またどこかのチームのひとたちと喧嘩したんでしょ?」
「え? ……あぁ、まぁ、ちょっとだけ」

 事情はすべて筒抜けだと気付いていても、好きな子に喧嘩三昧だと思われるのは外聞が悪い。そんな保身が働いて曖昧な言葉で濁したが、さんはウトウトとした顔のまま言葉を続ける。

「それで、相手の人に引っ張られて特攻服のボタン取れたって良平が持ってきて、ついでだから全部付け直してって言われた」
「えぇ? ぺーやんのやつ、そんなことまで頼んでんの?」

 オレの質問に「ん」と顎を引いたは、眠いのか緩慢な動きを続ける。オレが話しかけなければ三秒後には眠ってそうな危うさだ。しょぼしょぼとした目元を擦っては起きていようと努めるを見ていると自然と下唇が尖る。
 ――ったく。ぺーのやつ、すぐに甘えやがって。
 普段は〝パーちんが兄貴分ならは妹分だ〟みたいな顔してるくせに、結構な頻度でを頼っている。が〝良平の方が弟〟と譲らないのも当然だ。
 今度からオレに頼めって言おうかな。ひとり分くらいなら縫ってやってもたいして時間変わんねぇし。
 いや、でも他の奴らに知られてなし崩しに全部任されるようになるとマズイな。同中限定だって振り払ったところでパーやがここぞとばかりに甘えてきそうだし、そもそも他の連中も理屈なんて通用しねぇ奴らばっかりだ。
 そんな事態に陥ってしまえば、忙しそうなオレを見かねたぺーやんが「三ツ谷が忙しそうだからよ」なんて言って、結局に頼む可能性が高い。
 残るのは背負わなくていい作業だけ。そんな目も当てられない展開が頭に浮かぶと思わず顔を顰めそうになる。
 でもが困ってるならほっとけない。
 困ってはないだろと頭の中の冷静な部分がツッコミを入れてくるが、それを振るい落として今後の方針を頭の中で捏ねくり回していると、沈黙が眠りをさらに誘ったのだろう。ゆらゆらと頭を揺らしていたが意識を失ったのか一気に左側――窓に向かって上半身を傾ける。

「っぶね!」
「!!」

 勢いよく突っ込んでいく頭と窓枠の間に手のひらを差し込み、既のところでを支える。一瞬驚いたように目を見開いたは、「ありがと」と口にするとゆったりとした様子で頭を起こした。

「もう限界?」
「んー……。そうかも」

 目元を擦るだけでは効果がないと思ったのか、は指先で頬をつねって起きていようと努めはじめる。
 ――そこまでして起きてなくてもいいのに。
 浮かび上がる苦笑と共に小さい溜息を吐きこぼし、やんわりとの手を取る。急に触れたせいで驚かせたのだろう。眠そうだった目を一変させたは、ハッキリとした視線をこちらに向けた。

「――頭、ぶつけちゃうとまずいから机使って寝なよ。パーたちが来たら起こしてあげるからさ」
「いいの?」
「問題なし。妹の保育園の迎えまでまだ時間あるから、ゆっくり寝てていいよ」

 言葉を重ねながら、触れた時と同じ速度でゆっくりと手を離す。名残惜しむ指先を隠すように頬杖をつけば、は戸惑うように視線を外した。目を泳がせること数秒。思案した分だけあったはずの戸惑いを飲み込んだらしいは、チラリとオレへ視線を戻すといつものように「ん」と顎を引いた。

「じゃあ、遠慮なく……」
「うん。いーよ。おやすみ」

 寝る場所を提供するべく机に置いていたプリントを拾い上げると、空いたスペースにが両腕を載せた。チラリとこちらを見たに軽く口元を緩めて応じれば、は組んだ腕の中に顔を埋め、寝る体勢に入る。ポジション取りに納得がいかないのかモゾモゾしていたが、少し経てば規則正しい息遣いが聞こえ始めた。
 あまりの寝つきの良さに〝相当眠かったんだな〟と苦笑する。夜更かしさせたぺーやんに苛立ちを感じながらも、滅多にない場面を目の当たりにすると、ささくれだった感情に感謝に似た気持ちが混ざりこんでくるんだからどうしようもない。
 ついさっきまでたしかに苛ついてたはずなのに、今では微笑ましい気持ちが強い自分に気がつきながら、机に突っ伏したを見つめる。
 ――まさかホントに寝ちゃうとはな。
 促したのは自分だが、が本気にするとは思っていなかった。もう少し警戒した方がいいんじゃないかと心配になるが、すやすや眠るを見ているとそんなのどうでもよくなる。
 ――まぁ、でも……懐いてくれたならそれはそれで嬉しいもんな。
 好きな子に対し〝懐いた〟なんて言葉を使うのが正しいのかは分からない。だが、目の前にある光景を眺めるとこれ以上に相応しい言葉は無いように思えた。
 一年の頃じゃ考えられないような距離感に、驚きが微塵も含まれてないと言えば嘘になる。
 思い返せば、出会ったばかりのは、パーちんとぺーやんだけが特別で、ふたり以外の友だち――特に男子はいらないと言わんばかりの態度だった。オレは偶々、と知り合う前にパーちんらと仲良くなっていたから警戒こそされなかったが、もしふたりと知り合うタイミングが後だったら、とまともにしゃべれるようになったかすら怪しい。
 それでも、丸二年掛けて根気よく関わってきたことで、はこんな風に無防備な姿を見せてくれるようになった。〝透明なバリアでも張られてんじゃないか〟って疑ってしまう程度に感じていた壁は、いつの間にかきれいさっぱり無くなっていたらしい。手応えと呼ぶにはあまりにも頼りないけれど、目に見えた進展に自惚れに似た感情が湧き起こってくるのをもはや止めることは出来なかった。
 手の中に微かに残る髪のやわらかさや頭の丸み、そしてどさくさに紛れて触れた指先。それぞれの温度や質感を反芻しながらそっとプリントにペンを滑らせる。だが、起こさないように注意を払ったところで意識は簡単にの元へ戻った。
 集中できないのならば、と机の上にペンを置くと、机の上に伏せたままのの柔らかな髪をそっと梳く。指からさらさらと零れ落ちていく髪の感触を楽しんでいれば、開け放たれた窓から入りこんできた風が肌を撫ぜた。
 いつもならまだ少し寒さを感じる時期だというのに、今日は放課後になっても日差しが心地良い。窓の外を見やれば春の訪れを感じさせるような晴れた空が広がっていた。
 の髪を掬う手とは反対の腕で頬杖をつくと、ゆったりと流れる雲の形を目で追う。のどかな空気を存分に噛みしめながら〝パーちんたちの補習が一生続けばいいのに〟なんて思ってしまった。




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