和解の儀式
その日の夕食時は、立体機動装置の訓練の話でもちきりだった。なかでも槍玉に挙げられていたのは、一番ひどい失態を見せたエレンだ。全体練習のあとも自主練に励んでいたというエレンは、頭から血を流しミカサとアルミンに抱えられて帰ってきた。成果があったのかどうか。それどころではないとふたりの表情が語っていた。その情報はすでに訓練兵の間で完全に広まってしまっている。
頭に包帯を巻いて、呆然と椅子に腰掛けるエレンは満足に食事を取れている様子が見られない。逆さまになったあの瞬間から、彼の表情は固まってしまっていた。夢も希望もないという風体のエレンに、周囲の視線は遠慮なく突き刺さる。良くも悪くも人目を引くエレンは、これからどうなるんだろうか。あの訓練をパスできなかった以上、ここに残ることは難しいだろう。せめて器械の故障であればまだ期待は残るのだが、エレンの後に続いた訓練兵の、誰もが彼と同じようにはならなかったことを思えばその望みは薄い。
囁くような声で紡がれる言葉は聞くに耐えないものばかりだ。上手くできた人物よりも、下手だった者を曝す、というのはあまり好きではない。劣っている相手への同情というよりも、下を見ることで得る安心感に共感を覚えることができないというのが大きな理由だった。
「なぁ、マルコも見ただろ? 巨人を駆逐するだなんて大ボラ吹いてたやつが無様に真っ逆さまになってたのをよぉ」
真横から飛び込んできた罵倒に、思わず顔を顰めた。口に含んだスープが、途端に不味くなったように感じる。じろりと視線を左へと流す。得意顔で講釈を垂れるジャンが、行儀悪くもお皿の上でスプーンを上下に振るうさまが目に入った。じっと睨みつけたが、ジャンが私の視線に気づく様子はない。むしろ、向かいに座るマルコが私の変調を知り、ほんの少しだけ焦りの色を浮かべた。
「言いすぎだ、ジャン。気持ちが体についてこないことだなんて少なくないだろ?」
「でもなー。エレンのやつ、昨夜、力のないものは去れ、くらいのこと言っていたし同情はできねーぞ」
口いっぱいにパンを頬張ったコニーが、もしゃもしゃと咀嚼しながら隣に座るマルコの言葉を否定する。コニーとは反対側のマルコの隣に座りベルトルトは、同意も否定も出来ないと困った表情を浮かべ、黙ってスープを啜り続けた。
「だろ? なぁ、マルコ。これは俺なりの優しさなんだぜ? 分不相応な夢を語ったやつが一番の出来損ないだったなんて笑ってやるしかねぇだろ」
「ジャン。余計なこと言ってないでさっさとご飯食べるよ」
斜め向かいに座ったマルコに向け、エレンへの罵倒を並べ立てるジャンに釘を刺す。目を見開いて不愉快だと表したジャンの視線が私に刺さった。その視線の鋭さに負けじと私も睨み返す。
「余計? 俺は今日起こった出来事をありのまま話しているだけだぜ? あんなに巨人を倒すだなんて息巻いてた野郎がまさかこんな初歩で脱落するなんて思ってもみなかっただろ?」
「だから、評価するのはジャンじゃないって言ってんの」
「おいおい、だって見ただろうが。あんな状態でどうやって巨人に立ち向かうって言うんだよ。まさか逆さまの状態で剣を振るうのか? そんなんじゃ万が一兵士になれたとしても巨人にたどり着く前に自分が吐いたゲロで窒息死しちまうと思うがなァ」
「食事中にゲロとか言わないでよ」
「まぁまぁ、ふたりとも……食事中に喧嘩はよくないよ」
手のひらを私とジャンに向けたマルコになだめられる。確かに食事中の口論というのはいささか行儀が悪かったかもしれない。ジャンのお母さんによく怒られていたことを思い出す。ちらりと向かいに座るジャンに視線を流す。
同じように気まずそうな表情を浮かべたジャンがこちらの様子を伺っていることに気付き、黙って右手を差し出した。ジャンもまた右手をこちらに差し向ける。パチン、と互いに弾き合わせたことで和解の印とした。
小さい頃から、喧嘩したあとはこうやって仲直りしてきた。最初は握手をするように互いの母から言われていたのだが、それがいつしか簡略化されていた。ごめんと素直に言えないジャンのためにあるような儀式だ。むしろ解決策があるからこそ、いくらでも喧嘩できると安心してしまっているというのもあるかもしれない。ジャンの辛辣な物言いは攻撃性が高いものが多いが、その矛先は、ほぼ身内である私へと向けられることが多かった。もっとも、私自身も、ほかの人以上にジャンにははっきりと自分が考えていることを伝えられるのだが、それはお互い様というやつだった。
肩で息を吐き、身内にほんの少しだけ残った苛立ちを追い出した、改めて残った食事へと向き直る。同じタイミングでスプーンを取ってスープを口に運び始めた私とジャンを見たコニーは「なんだ、ただの痴話喧嘩かよ」と呆れたように笑った。
「っつーか……今日のこれは塩辛くねぇか」
スープの入った皿を、スプーンで打ち鳴らしたジャンは、心底不機嫌そうに唸る。
「……たしかに。この味付けが続いたら病気になりそうだね」
ポツリと同意の言葉をこぼしたベルトルトに視線を差し向ける。スープ自体は半分以上を食べ終えていたようだが、手元にはすでにパンは無くなっている。どうやら塩辛さを緩和させるために、いつもよりも速いペースで食べてしまったようだった。
「なぁ? マルコもそう思わねえか?」
ベルトルトの同意を得たことで、にわかに機嫌よさげに振舞うジャンが、さらにマルコへと言葉を投げかける。声をかけられたマルコは、傍らに置いていたスプーンを手に取り、スープひとすくい分を啜った。眉根を寄せたマルコは、味付けに対して文句を言うことに抵抗があるのかすぐさまは答えず、言葉を吟味するかのように唸った。
「今日の当番が単純に塩の量を間違えてしまったのか…それとも昨日の味付けでは薄いと感じてアレンジしたか、ってところかな。まぁ、こういうこともあるさ」
ジャンの言うとおり、昨日とは変わって、スープは塩辛い味付けにされていた。パンと一緒に食べても濃いと感じるのだから、今日の食事当番の失態であると簡単に推察できる。香辛料は貴重品なのに、この味付けじゃ教官にバレたら怒られちゃうんじゃないだろうか。喧嘩したあとのご飯、という状況も相まってうまく喉を通すことができなかった。
それにしても、と、正面に座ったマルコに視線を向ける。人の良さが全面に押し出されたような風貌は見ていて安心できた。喧嘩の仲裁なんて面倒だろうに即座に対応してくるあたり、ベルトルトとは違った意味で頼りにされることが多そうだなと感じる。
ジャンも多分そういうところを気に入って、今日一緒にご飯を食べることを選んだのだろう。友達ができる度に私に紹介するとこは相変わらずだ。そう言えば小さい時もトーマスを紹介されたっけ。懐かしい記憶を思い起こしながら小さく笑うと、マルコが目を丸くする。
「どうしたの? 」
マルコの疑問の言葉に素直に答えるかどうか、ほんの少しだけ考える。ちらりと横目でジャンを盗み見れば、コニーとなにやら楽しそうに喋っている姿が目に入る。この分なら、私が何を言っても気付かないよね。うん、とひとつ、頭を揺らし、いつもよりも声をひそめて言葉を発した。
「あぁ、うん。……マルコさ、ジャンと仲良くしてると苦労するかもだけどよろしくね」
いつもジャンの友達になる人には似たような言葉を掛けてしまう。抜き身すぎる性格だから、打ち解けた相手以外には到底受け入れることのできない類の言葉をかけることも少なくない。私の目の届く範囲ならフォローも入れられるのだが、男子の寮に入れない以上、ずっと見張るということも難しい。
特に、昨日喧嘩しそうになっていたエレンあたりと、近いうちに取っ組み合いになるんじゃないかという懸念がある。取り越し苦労ならそれに越したことはないけれど、いざという時に仲裁してくれそうな子にはあらかじめお願いをしておきたかった。
「はは。まぁ、もし扱いに困るようなことがあったらに聞きに行くことにするよ」
「おい、言っておくが手がかかるのは俺じゃなくてだからな。そこんとこ間違えんなよ」
いつの間にかコニーとの会話を打ち切っていたらしいジャンが私とマルコとの会話に割って入ってくる。ついでに、とばかりに私の頭上にジャンの手刀が落ちた。
「うーん……そのあたりは追々知っていくとするよ」
ジャンの反論を聞き流したマルコは案外、大物なのかもしれない。優しい物腰の奥にある芯の強さは、頼りがいのある男の子って感じがした。ジャンの手を振り払いながら、じっと見つめていると、私の視線に気付いたマルコは照れたように笑った。
「あんまり見られると恥ずかしいよ、」
「あ、ごめんね。私、結構、観察グセがあるからあんまり気にしないで」
「うーん……気にしないようにはしてみるけど…ただ見られるよりかは話をしてくれた方がありがたいかな」
悪癖の代替案として提示された言葉に、自分でも心が踊るのがわかった。
「いいね、それ。3年あるんだもんね! これからいっぱい話しようね、マルコ」
気持ちが晴れるまま、ニッとマルコに笑いかける。先程のぎこちなさをかき消したマルコもまた、穏やかに笑ってくれた。