立体機動装置訓練②
ライナーとともにゴール地点に辿り着いた時、そこにはほとんどの訓練兵の姿があった。緩やかな移動となってしまったがため、最初に猛スピードで作った貯金を使い果たしてしまったらしい。
汗を拭いながら周囲を見渡せば、心配そうなサシャと呆れ返ったような表情を浮かべたコニーと視線がかち合った。ひらりと手を翳して、なんともないのだと示せば、両者はそれぞれが別の意味で肩から息を吐き出しながらも、胸をなで下ろしているように見えた。
ワイヤーを巻き取る音が間近で耳に入る。その音に被せるようにして隣に降り立ったライナーが、大きく息を吐き出すのが聞こえた。
「どうにかなったようだな……」
私と同じように額に浮かぶ汗を袖口で拭うライナーを振り仰ぐ。細い眉を寄せながらも優しい瞳、そして大きな手のひらなのに柔らかな接触が頭上に落ちてくる、それらのギャップに戸惑いながらも、甘んじて両方を受け止めた。
「うん、ここまで辿り着けたのは本当にライナーのおかげだよ! ありがとう!」
正直な感謝をぶつければ、ライナーは目を一度丸くし、それから満足そうに笑った。無事で良かった。直接言われるよりも強く、ライナーがそう思ってくれているのだと伝わって来るようだった。
その笑みに誘われるままに、一歩、ライナーへと踏み出した。頭のてっぺんにあったライナーの手のひらが、するりと髪を撫でるようにして肩、そして腕へと落ちてくる。そのまま、左腕を掴まれたことを感じると同時に、引き寄せられた。
え、と戸惑ったのも束の間で、背後を何者かが飛び込んでくるのを肌で感じとれば、すぐさまそれは驚愕に変わった。振り返ればダズが転がるようにして地面の上でのたうち回っているのが目に入った。ワイヤーが上手く巻取れていないことを見るに、なんらかの機器トラブルがあったようだと推察する。
「おい! 大丈夫か?! ダズ!」
頭上でライナーが叫ぶ。大きな声に、思わず首を竦めるのと、ライナーの右手が私の頭を抱え込むのはほぼ同時だった。頭が下がれば必然的に、ライナーの鎖骨と喉が上下するさまが目に飛び込んでくる。眼前に迫る光景に、思わず目を瞠ってしまう。どうしたらいいかわからなくて、体を硬直させたまま、何度も目を瞬かせた。
「大丈夫じゃねぇよ! ……いってぇ」
「ダズ! 怪我してない?!」
痛そうに呻くダズに、クリスタの声が被さる。優しいクリスタのことだ。おそらく、ダズの介抱のために駆け寄ったのだろう。その光景を目の当たりにしたらしいライナーが、小さく溜息を吐きこぼしたのを額で感じ取る。
「あれだけ叫べるのなら問題はないだろう。……っと、すまん」
謝罪とともに、ライナーの手のひらが離れる。ようやく解放されたことに、安堵の息を吐きこぼした。押さえつけられていた前髪が解放されたことでぴょんと跳ねるのを感じ取り、意味もなく自分で自分の頭を撫でつける。
「ううん、平気だよ。それより守ってくれてありがとう」
口元に笑みを携え、ライナーを見上げると、私に視線を合わせたライナーは、うん、とひとつ頭を揺らした。近付きすぎた距離を適切なものへと戻すように一歩後退した。そうすることで、ライナーと視線を合わせやすくなる。口元を緩めたままライナーを見上げると、ライナーは不思議そうに首を傾げた。
「なんだ、――」
「ライナー! !」
ライナーの言葉を遮るように声がかかった。振り返れば人垣の中から、走り寄ってくる姿がひとつ、あった。眉根をグッと寄せ、心配だと顔中に書かれているかのような表情を浮かべたベルトルトは、私たちの前に辿り着くや否や、それぞれの顔を覗き込んだ。
「よかった……ふたりとも遅かったから心配していたんだ。……さっきダズが飛んできたのが見えたけど……ぶつかったりしなかった? 怪我はない?」
「あぁ、俺もも無事だ。な?」
「うん。大丈夫だよ。心配してくれてありがと、ベルトルト」
ベルトルトへと手を伸ばし、走ってきた彼を労わるようにその腕に触れる。不安そうな色を浮かべた瞳も、視線を合わせれば次第に緩んでいった。
「いや……うん。無事なら……いいんだ」
「お前は昔から心配性だからな。慌てるようなことでもないだろう?」
「あぁ……そうだよね。わかってるんだけど……でも、ライナーが無事でも、は、その、女の子なんだから……怪我なんてしちゃったら大変だって思うと……」
横目でベルトルトの不安そうな視線が落ちてくる。迷惑がられていないだろうか、と書かれたその表情に、私は眉を下げて応じる。
「私はベルトルトに心配されると嬉しいよー。大事にされてる、って思うもん」
触れただけだった手をベルトルトの方へと伸ばし、くるりと彼の腕を絡め取る。甘えるように頭を傾けてみせれば、ベルトルトは驚きながらもそっと手のひらを私の手に重ねた。はにかむように笑うベルトルトを見上げ、口元を緩めた。その時だった。
「っ!」
私の名を呼ぶシャーディス教官の怒鳴り声が、森の中に響きわたった。その大声に触発され、木々に止まっていた鳥たちが一目散に退散する。横目で捉えた映像に慄くままに背中を震わせた。
思わず縋り付くようにベルトルトの腕を掴む手に力が入る。眉根を寄せて私の様子を伺うベルトルトを盾にして、その背中に隠れてしまいたいような心境に陥った。だが、無関係な彼を巻き込むわけにはいかない。矢面に立つべく、ふたりを背にするように回り込む。歯を食いしばりプレッシャーに耐え、ずんずんとこちらへと歩み寄ってくる教官を、右手の拳を左胸に当てて待ち構えた。
「は、はいっ!」
「訓練兵! 貴様、今日の訓練内容を理解していなかったようだな! お前の頭の中には何が詰まっているんだ! なぜ、あのような真似をした!?」
矢継ぎ早に責められて、思わず背を逸らしてしまう。大声以上に、迫力のある怖い顔が迫る。ただそれだけで言いようのないプレッシャーを与えるなんて、教官はもしかしたら巨人かなにかなんじゃないだろうか。
仰け反るままに後ろに倒れ込んでしまいそうだったが、ライナーたちにぶつかってしまう可能性が頭を過ぎり、爪先に力を入れて持ちこたえる。
目の前に辿り着いた教官を半分涙目で見上げながら、脳をフル回転させて申し開きの言葉を考える。だが、いくら考えたところで、言い繕う言葉なんて用意出来ないし、嘘を思いついたところで教官の目力から逃れられるようなものではないだろうことを悟った。こうなればもう、正直に言う、という道しか残されていない。
「ガスが……」
「腹から声を出せ!」
迫力に負け、呻くような声を差し出せば、すぐさま怒鳴り声を飛ばされる。うう、と肺を潰されたような声が唇から漏れたが、このまま教官に良いように怒鳴られ続けるのを黙って受け続けるわけには行かない。ごくり、と喉を鳴らして身内に残る嫌な空気を飲み込み、意を決して口を開いた。
「ガスが尽きる前に、森を抜けられないか試したくなりました!」
正直な言葉をぶつけると、教官は目を見開いて私を見下ろした。唖然とした表情ながらも、その迫力は衰えることはない。初日の”通過儀礼”と同じように凄まれ、意識せずとも、胸の内が緊張で押しつぶされそうになる。
口元を引き締め、目を瞠ったまま真っ直ぐに教官の目を見返した。緩むことのない眼差しを受け止めながら、教官から落とされる怒号に慣れることはないんだろうと漠然と思った。
肩で一つ溜息を吐きこぼした教官は、一度目を伏せ、また私の目を射抜いた。また怒鳴られる。そう思って体を固くさせたが、降ってきたのは以外にも穏やかな声だった。
「……貴様はそれでいいと思ったのか」
「じ、実践で試す訳にはいかないので! ……でもガスが尽きても良いことは無いと理解したのでもうしません!」
勢いのままに率直な自分の気持ちを口にした。外されない視線が、文字のごとく突き刺さるかのように降ってくる。それを見返す私の視線は、落ち着きのないものになっただろうことは薄々と感じていた。だけど、気持ちだけは真っ直ぐに教官に目を向ける。
教官の憮然とした表情から、感情が抜けていく。それと同時に、肌にひしひしと感じていた驚異が収まってきていることに気がついた。
「貴様の判断で仲間を、窮地に追いやることになる。これが実践で、ブラウン訓練兵がいなければ、お前はここにたどり着くことなく野垂れ死んでいたことだろう」
「はい!」
「以後気をつけろっ!」
「はい! 気をつけます!」
そう返すと、教官は踵を返し、私の前から立ち去った。ゴール地点へと戻った教官は、ダズ以降に到着する者を待つかのように、また森の中へと目を向ける。その背中を眺めながら、言いようのない感情を持て余す。
――許された、のかな?
罰を言い渡されることなく幕を閉じた叱責に、思わず目を瞬かせる。もちろん、怒られたいわけではないが、拍子抜けしてしまった感は否めない。だが、いくら眼差しを送ったところで、教官はこちらを振り返ったりしない。視線だけが虚しくその背中目掛けて漂うだけだった。
「よかったな、」
背後にいたライナーが私の肩に手を乗せ、労うように軽く2回叩いた。それをきっかけに胸に当てたままだった手を解放すると、体中が緩むような感覚を味わう。どうやら全身が強ばっていたのだと、そこで初めて気が付いた。
「俺も罰を受ける覚悟はあったんだが……無いに越したことはないからな」
安心したように続けたライナーを、背中越しに振り返る。歯を見せてニッと笑ったライナーは、朗らかな笑みを携え私を見下ろした。作り物めいたところのないその笑顔は、心からのものなのだろう。誰だって、好き好んで教官に怒られたいはずがないのだから――。
「うん。ライナーをこれ以上、巻き込まなくてホッとしたよー」
「お前の次に怒鳴られるんだろうなと身構えていたが……いや、本当に助かった」
トン、とひとつ、右の拳で自分の左胸を叩いたライナーは、どうやら私の背後で同じ心境で教官と対峙してくれたらしい。人の好いライナーの面倒見の良さは、こんなところでも発揮されるのかと胸のうちで申し訳なさを募らせる。
「シャーディス教官も心配していただけだったみたいだね……」
ポツリと言葉をこぼしたベルトルトへと視線を転じる。困惑の視線を教官へと向けたベルトルトは、見慣れない光景に思う所がある様子だった。
「やっぱり? ベルトルトもそう思った?」
「うん……いつもの教官なら罵倒されて当たり前なのに。どうして今回だけ……」
「真意は分からないが、そこまで気にすることか? 今回は怪我もなかったからこそ、怒ることではないと判断しただけかもしれないだろう」
心配症なベルトルトを窘めるようにライナーは続ける。ごめん、とこぼしたベルトルトは眉を下げて口を閉ざしてしまう。だが、その視線を改めて教官へと差し向けるあたり、気がかりであると口にしなくなっただけで内心で色々と考えるつもりなのだろうと察しがついた。
周りを見渡せば、同じように教官へと視線を差し向ける者の数が少なくないことに気が付いた。突然の変事に動揺しているのは、どうやら私たちだけではないらしい。
今までの訓練の中で、怒鳴られることはあっても、あんな風に態度に出して心配されることはあっただろうか。心中はわからないが、少なくとも言葉に出して伝えられたことは記憶にない。
納得がいかない、とまでは言わないが、どことなく釈然としない思いは胸に残る。今一度、教官の背中へと視線を向ける。凛としたその背中から、何かを読み取ることなんてできるはずもなく、思わず唇を尖らせた。