進撃027

立体機動装置訓練③


「さぁ、俺たちも移動するぞ」
 いつまでも教官の背中を眺めているわけにはいかない。言外にそう含ませ、ライナーは私とベルトルト、それぞれの背中に軽く触れた。促されたことで待機中の輪へと目を向ければ、いくつものグループが混在していることに気が付く。各々が教官にバレないようにと気をつけながら、言葉を交わす姿が見て取れた。
 歩き始めたライナーの背を追うように、私もベルトルトも足を踏み出す。あの集団のもとへたどり着いたら、いつものようにミーナとアニのところへ向かおう。そんな風に考えた時だった。
「おい、ライナー」
 短い呼び掛けに、ライナーもベルトルトも足を止める。呼ばれてない私もまた、前を歩く彼らが立ち止まれば足を止めざるを得なかった。振り返れば、嫌味ったらしい表情を浮かべたジャンが歩み寄ってくることに気が付いた。悪いことを考えてそうな顔つきに自然と眉根が寄る。
 私が睨んでいることに気がついたのか、一瞥をこちらに投げてよこしたジャンだったが、私の警戒心など見えていないかの如く、そのまま何事もなかったかのように視線を外す。呼びかけから、ジャンはライナーに用がある様子だったから、それも致し方ないのかもしれない。
 だが、あえて私を無視するような態度に自然と唇が尖る。ジャンがライナーに迷惑をかけなければよいのだけど、と一抹の不安を覚えた。
 ライナーの正面で立ち止まったジャンは、顎をしゃくり、ライナーを見上げる。まるで、お前に用があるんだよ、とでも言いたげな態度に、さすがのライナーも見咎めるものがあったらしい。眉を顰め、両腕を胸の前で組んでジャンを見下ろす。
「なんだ、ジャン」
 呼びかけに応じたライナーは、ジャンの態度の悪さに呆れているのか、不快そうに息を吐き出す。挑発するつもりなのか、からかうような表情を浮かべたジャンは、鼻で笑いながら言葉を口にした。
「そんな顔するなよ。別にお前に文句があってきたわけじゃねぇんだ」
「ちょっと、ジャン」
 態度の悪さを注意しようと、ライナーの背後から飛び出し、ジャンの方へと歩み寄る。だが、伸ばした手がジャンに届くよりも先に、眼前に出現した手のひらに目を丸くする。え、と戸惑う中で、私の方へと同じく足を踏み出したジャンは、強い力で私の腕を引いた。
 予想もしていなかったジャンの行動に、慌てふためいてしまう。反射的に足を一歩踏み出したが、それだけでは到底足りない。数歩たたらを踏んで、転ばないようにバランスを取ろうとしたが、傾いた上半身を立て直すには至らなかった。結果、バランスを崩すままに、ジャンの肩へ強かに頬をぶつけてしまう。
 激突した私を一瞥をもって見下したジャンは、鼻を鳴らして私から視線を外す。手首は今も、痛いほどに強く掴まれている。試しに腕を振るってみたが、どうやらジャンはこの手を緩めるつもりはないらしい。
 小さく息を吐き出して、ジャンを見上げる。私から既に視線を外してしまっていたジャンは、鋭い視線をライナーに差し向けていた。
「悪かったな。が迷惑かけたみたいでよ?」
 、と口にしたジャンの手が翻る。だが、掴まれていた手が解放されたかと思ったのも束の間で、今度は髪を乱す勢いと共に手のひら全体で頭を抑えつけられる。
「でも今後はコイツのことは放っておいていいからな。甘やかすと付け上がるだけだ、なぁ?」
「なによぅ」
 頭を抑える手のひらを退ければ、反撃だとばかりにジャンの腕が更に伸びる。私の背中に覆いかぶさり長い腕を回したジャンは、肩を組むというよりも首を絞める意味合いの強い接触でもって、私を羽交い締めにした。
 好き勝手にやられっぱなしなのは性に合わない。ジャンの腕を引き剥がそうと抵抗を始めると、ますます強い力がかかった。
 首を捻って振り返れば、鋭い視線が落ちてくる。ジャンと視線が交差した瞬間、頭の中で戦いの鐘が鳴った。
 静かに始まった攻防は、首周りだけではなく、足元でも繰り広げられる。踵でジャンの爪先を踏みつければ、次の瞬間には膝の裏を蹴り上げられる。容赦のない責め苦に顔を歪めた。最悪、腕に噛み付いてでも振り払ってやる。固い決意を胸に秘め、その前に、と、一通りの抵抗を試みる。
 醜い争いを始めた私たちを静かに眺めていたライナーだったが、やがて呆れたように溜息を吐きこぼし、こちらへと一歩足を踏み出した。
「やめろ、ふたりとも」
 ジャンの顎と、私の後頭部の間に、ライナーは手を差し入れる。さすがにライナーの手を挟んだままで、ジャンへの頭突きを続けることは出来ない。おとなしく動きを止めたが、またいつ再開するか分からないと案じたのだろう。ライナーが私の頭の上にかける圧を解くことはなかった。
「たしかにお前の言うとおりかもしれん。実際、は手助けをすれば、それに味を占めてもっと無茶をするようなヤツらしいしな」
 まさかのライナーの言葉に目を瞠る。短い付き合いの中で判断したのだろう。ライナーの私に対する散々な評価に、ジャンは「だろ?!」と嬉しそうに同意する。
 目の前に立つライナーから視線を外し、地面へと落とす。向かい合った爪先を睨み据え、燻るような気持ちを抱えた。
 敵がふたりに増えた。ライナーは仲裁に入ったからこそどちらかの肩を持つようなことはしないと信じていたのに。思い違いであったことを知り、勝手にショックを受けてしまう。この状況を近くで見守っているであろうベルトルトに助けを求めたいような気がしたが、必ずしもベルトルトが私の味方になってくれるとは限らない。最悪、1対3になってしまう可能性を孕んでいる以上、ここは声を上げないのが得策だろう。
 まるで気の昂ぶった犬か猫を抑え付けるかのように、指の腹で私の頭を撫でつけるライナーの表情を探る。柔らかな指先とは裏腹に、私を抑えつつもジャンの動向を牽制するかのように鋭い視線が垣間見え、思わず口元を引き締めた。
 ジャンとの喧嘩を続ければこの視線が私へと飛び火する。起こり得る未来を避けるためにもここはおとなしくしておくべきだ。そう思い、口を閉ざした。
「だが、放っておいたままでヤキモキするのも性に合わん」
 ライナーの視線が落ちてくる。その視線はたった今、ジャンに差し向けたものと寸分違わぬものだった。だが、ちっとも柔らかくない視線なのに、どうしてか怯えは生まれない。怒っているのではなく、心配しているのだとその瞳が叫んでいた。
「好きでやってることなら構わんだろう?」
 迷いのない言葉だった。だが、言葉のとおりに面倒を見ることが好きというわけではないはずだ。他人が困難にあることを捨て置けないライナーは、きっと私が気にしないようにと配慮した結果、そんな言葉を発したのだろう。
 難儀な性格だ。だが、とてもライナーらしい言葉だった。そんなライナーの性格を好きだと思うと同時に、私みたいな問題ばかり起こすタイプと知り合ってしまって不幸だったねと同情してしまう。
 ライナーの発言が気に入らなかったのだろう。頭上でジャンが舌を打ち鳴らす音が聞こえた。その音を無視したままじっとライナーへと視線を向けていると、不意に喉元に回った腕に力が入る。
「痛いってば!」
 かかる圧力と喉を塞ぐほどの苦しさに耐え切れなくなる。ジャンの腕を両手で下から突き上げた。別方向からの攻撃に、咄嗟には抗えなかったのだろう。思ったよりすんなりとジャンの腕が私の首元から剥がれた。その場にしゃがみこみ、体を捻って、ジャンの腕の中から抜け出す。
 一気に通りの良くなった呼吸を味わうように、おおきくひとつ息を吸い込み、吐き出した。だが、また捕まっては堪らない。追いすがるジャンの手から逃れるために、体勢を低くしたまま距離を取る。そのまま正面に立つライナーの背中に隠れた。背中の衣服をかき集めるようにしがみつき、ライナーの腕越しにジャンと視線を合わせる。
 私の行動を目の当たりにしたジャンは、歯を見せて顔を歪めた。ぎゅっと握った拳を胸の前で掲げたまま、喉の奥で唸り声を上げて凄む。
「オイ、ッ! 逃げんなっ!」
「いやよ! また乱暴する気なんでしょ?!」
「だからっ!! お前は言葉を選べつってんだッ!!」
 ジャンの暴言に舌を出して応戦する。まだ言いたいことがあると書かれた顔を見たくなくて、フイっと顔を背けた。
「ジャン。もういいだろ」
 諭すような声が頭上から降り注がれた。その声に触発されたのか、私を標的としていたはずのジャンの怒りの矛先はすぐさまライナーへと転じられる。
「……オレはちゃんと注意したからな……なにかコイツが迷惑かけてもオレのせいにするなよ」
「何かあったら、それは俺との責任だ。お前に押し付けるようなことはしない」
 不穏な空気に口を挟めなくなる。ライナーの背中の衣服を掴んだ手にますます力が入る。押し潰されそうな空気の中、恐る恐るジャンの様子を伺った。向かい合うジャンの強い視線が私の瞳に遠慮なくぶつけられる。
 かかってこい、と言いたげな瞳に、ぐっと喉の奥が詰まるような感覚が走った。負けじと何かしらの言葉を返してやろうかという反発心が働きかけたが、喧嘩続行となれば今度はジャンではなく私がライナーに怒られる番となるのが目に見えている。おとなしく口を閉ざして、じっとジャンの目を見つめ返した。
 私の敵意のない視線は、ジャンにとってますます面白くないものだったようだ。悔しそうに歯を食いしばったのがやけに印象に残る。
「……勝手にしろっ! おい、行くぞ、マルコ」
「あ、ああ」
 いつの間にかジャンの背後に辿り着いていたらしいマルコは、合流もそこそこにジャンの一声でまた移動を強いられる。困ったような顔をしたマルコは、肩を竦めて息を吐き、ジャンの背中へと向けていた視線を私へと転じた。
、あとでジャンとちゃんと話してあげて。あれで結構心配してたから」
「はーい」
 ジャンの本音は薄々察知していた。だが、それ以上に降りかかる怒りに、私の勘違いなのではという疑念がなかったとは言い切れない。マルコの言葉でようやく勘違いではなかったのだと確信を抱いた今でさえ、「ほんとに?」と疑いの声を上げてしまいそうだ。
 ひとつ、溜息を吐きこぼす。心配した挙句に怒るのだから傍迷惑な幼馴染だ。自然と尖る唇を隠しもしないでいると、マルコは眉を下げて笑った。
「それじゃ、。また後で」
「あ、ね、マルコ」
 立ち去ろうとするマルコに呼びかけた。引き止めるために肘のあたりの衣服を掴もうと手を伸ばす。だが、その手が届くよりも先にマルコは立ち止まり振り返った。思わぬ行動に、途中まで持ち上げた手がぴくりと跳ねる。私の動揺を知らないマルコは、こちらの目を覗き込むように視線を合わせた。
「どうした? 
 首を傾げて応じたマルコの視線が真っすぐに落ちてくる。かち合った視線のやわらかさに促され、戸惑いながらも口を開いた。
「あのね。ちょっとお願いがあるんだけど……」
「うん、聞くよ」
 相談内容を告げるよりも先に、マルコは頷いて承諾してくれた。いつも優しいマルコの懐の深さが垣間見え、思わず笑みが浮かびあがる。快諾に勇気をもらい、両手のひらを合わせて額の前に持っていく。
「ジャンと夕飯一緒に食べれるように間を取り持ってくれる?」
 眼前で合わせた手のひらを少し横にずらし、マルコの様子を伺う。今度はマルコが表情を崩す番だった。綺麗に並んだ白い歯を見せるように口元を和らげたマルコは、喜色に満ちた声で応じてくれる。
「お安い御用だよ」
「ありがと、マルコ」
「おい、マルコっ! さっさと次の課題に移るぞ!」
「ああ! 今行く! ……それじゃね、。ライナーやベルトルトも、またな」
 しびれを切らしたらしいジャンの呼び掛けに応え、それぞれに目配せをして立ち去ったマルコの背中を見送る。駆け足で向かったマルコは、ジャンの元に辿りついてもなお文句をぶつけられているようだった。だが、それも二言三言と交わせば別の話題にすり変わったのか、怒ったような表情を浮かべていたジャンも楽しさをその頬に浮かべていた。
「……行ったようだな」
 溜息交じりでこぼしたライナーは、眉間のシワも隠しもせずにジャンの背中を睨んでいた。私とジャンが喧嘩をする程度のことならば日常的な出来事なので特段気にする必要はない。だが、その矛先が他者に向かうというのであれば話は別だ。
 ジャンの幼馴染みとして、またこの場に反乱を持ち込んだ者として、居心地の悪さに思わず首をすくめる。なんだか居た堪れないような感覚に、もじもじと意味もなく足元の土を踏みしめた。
「んー。ごめんね、ライナー。ジャンが噛み付いて」
「いや、俺の方こそ柄にもなくムキになってしまった」
「あのね、マルコも言ってたようにさ……アレで心配してるつもりなのよ。ホント、困ったことにね」
 器用なはずなのに、ジャンは時折不器用な態度を見せる。マルコにもバレてるんだから、素直に「心配した」と一言言ってくれたら私だって反発したりしないのに。
 反抗期なのかな、だなんて考えに何度溜息を零したことか。とうに両手でも足りない数字を、またひとつ、重ねる。
「すまん。余計なことだったか」
 眉を下げて謝罪の意を示すライナーに目を丸くする。どうして、と問いかける瞳を差し向ければ、ライナーは苦笑しながら口を開いた。
「じゃれてただけだったのなら、俺の行動は邪魔だったかもしれないと思ってな」
「ううん! ライナーに助けてもらって嬉しかったよ! あのまま喧嘩してたら今度こそ教官に怒られたはずだしねー」
 正直な感想をライナーにぶつけ、ちらりと視線を後方へと転じた。こちらの喧騒に気づいていないのか、気づきながらもあえて無視しているのか。シャーディス教官は相変わらず両腕を胸の前で組んだまま、いつ来るともしれない訓練兵の到着を待っているようだった。
 口角を上げ、ライナーを振り返る。眉を下げて笑うライナーは、小さく咳払いを挟んでまた口を開く。
「まぁ……お前がそう言うのならいいんだが……」
 「いい」と口にしつつもちっとも納得したようには見えない表情を浮かべたライナーは、眉根を寄せたまま私を見下ろした。歯切れの悪い様子に、軽く首を傾げて応じると、ライナーはまっすぐに落としていた視線を横に投げやってしまう。押し黙るライナーの横顔をじっと見つめたが、なにひとつ反応は返ってこない。唇を尖らせ、どうしたらいいのか相談するべくベルトルトを見上げたが、彼もまた困惑にまみれた表情で首を傾げるだけだった。
 ふたり分の視線を差し向けても特に反応を返さないライナーの横顔をじっと見つめる。数秒の沈黙を、ライナーの溜息が断ち切った。
 眉根を寄せてこちらを振り返ったライナーは、ベルトルトと、そして私へと一瞥ずつ差し向ける。ライナーの態度が気になる。言葉よりも雄弁に眼差しで訴えかけた想いが通じたのか、ライナーは観念したようにうっすらと口を開いた。
とジャンが仲がいいというのは理解していたが……どうもジャンの怒り方はいささか理不尽すぎるようだったからな」
「いつものことだから、そんなに気にしなくていいよー」
 たしかに今日はジャンの方が私に突っかかってきた。だけど、もしかしたら明日は私がジャンに対して理不尽に怒ることもあるかもしれない。遠慮のない関係は今に始まったことではないからこそ、私もジャンもお互いに思った言葉をそのままぶつけている。
 私の言葉に顔を顰めたライナーは何を思っているんだろうか。例えば子供じみた喧嘩は見るに堪えないとか、騒がしいのは好きではないとか。そういうマイナス方面のことを思われているのだとしたら、ちょっとは控えたほうがいいのかもしれない。
 自らの対応を振り返り、考えを改めるか否か思案していると、不意に正面に立つライナーが身じろぐ。手のひらを自分の頭の裏に持っていったライナーは、首の裏を掻きながら口を開いた。
「仲がいいからと言って、お前を自分の所有物のように扱うべきじゃないだろう」
「所有物! それはないよ!!」
 ライナーの思わぬ言葉に声を張り上げてしまう。たしかにジャンは私を頭ごなしに叱ったり、時にはさっきみたいに暴力に近い接触で私を押さえつけようとする。だが、だからと言って、さすがに自分のものだなんて思ってはいないだろう。
 目上に立つ者として私を管理しているというのであれば、それこそお門違いだ。私が姉でジャンが弟だという関係性は絶対に譲れない。私の誕生日の方がジャンよりも後だということは都合よく無視して、そんなことを考えた。
はあんな言い方をされて腹は立たないのか?」
「んー……ほかの人に言われたら腹も立つかもしれないけど、相手がジャンだからねぇ。慣れちゃってるってのもあるけど別になんとも思わないよ」
「そういうものなんだね……」
 黙り込んでいたベルトルトがポツリと言葉をこぼした。その反応に「うん!」と返事をすると、ベルトルトは眉を下げて笑った。
 腹も立たなければ反省もしない。打っても響かない態度がジャンにとって苛立たしいのかもしれない。だけど、ジャンのやることに毎度毎度、本気で腹を立てていたらキリがないのだ。もちろん、首を絞められれば抵抗はするけれど、それはあくまで乱暴されるのが嫌で起こす行動だった。
が気にしていないならいいんだが……」
「うん! だからライナーもそんなに気にしなくていいよ!」
「ああ……だが目に余るようならまた俺は口を出すかもしれん。それは先に言っておく」
 厳しい表情で告げたライナーは、きっとジャンだけを警戒しているわけではないんだろう。刺さるような視線が、私のことも見張っていると主張する。余計な喧嘩は御法度だと口にされないからこそ、より一層強くそう感じた。
「はーい」
 間延びした返事を返す。ライナーももしかしたらジャンと同じように、私のことを打っても響かないやつだと感じたのかもしれない。大きな手のひらが私の頭を覆い、ぐしゃぐしゃと髪の毛を乱した。



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