進撃001

入団式


 847年某日。この日は、第104期訓練兵団の入団式だった。
 青い空の下。じんわりとした暖かさを含み、差す陽光を甘んじて受け止める。
 兵舎に併設された広場は、訓練場にあたるものだろう。そこに一定以上の間隔をあけて整列させられる。ざっと見て数百人はいるはずだ。同年代と思しき男女がこんなにも集まっているのを見るのは初めてで、なかなか壮観だなと、漠然と感じた。
 今日から3年掛けて、私たちは兵士となる方法を学ぶ。だが、今ここにいる者たちがそのまま兵士となることはない。
 やる気はあっても技能が足りず開拓地に戻される者。自らの限界を悟り逃げ出す者。更には、厳しい訓練の果てに耐え切れず命を落とす者が出ることも少なくないらしい。いずれの理由によってかはわからない。だけどここにいる全員がそのまま兵団に入れない可能性がある以上、私が脱落することも十分有り得るのだ。その考えに至った途端、背中で組んだ腕に、自然と力が入る。
 3年後、巨人の前に立った時、ただの餌のままか、王を守る名誉ある壁となるか、もしくは巨人を駆逐する栄光ある人類の兵士か。
 きゅっと口元を引き締め、小さく祈る。自分や、同じ地区から入った者。またこれから共に生きることになる者たちの健勝を。その人数が少しでも、減らないことを――。



「おい、貴様」
 低い声が耳に響く。肩の震えに気付きながらも、私はそれを隠し、声を落とした男を見上げた。
 正面に立つ男の眼光は鋭い。キース・シャーディス。その男は自らを教官だと名乗った。
 目元に刻まれたおびただしいほどの皺は迫力を増す要素として申し分なく、白目がちの瞳から放たれる視線一つで、嫌でも緊張を強いられる。現場から退いたとは言え、老兵という侮りを寄せ付けない力強さがあった。
 また上官であることを除いても、つるっとした頭皮を「綺麗にハゲましたね」だなんて軽口を叩けるような相手ではないことは間違いなかった。
「ハッ!!」
 右手で左胸を叩くように応える。ただひとつの動作を取るにしても、なにか間違いはないのだろうかと神経を尖らせた。
「貴様は何者だっ!!」
「トロスト区出身っ! ですっ!」
「貴様は何のためにここに来たっ!」
「人類の敵から、大切な人を守るためですっ!!」
「その心臓は人類に捧げるものだ…勝手に捧げる相手を決めるなっ!」
「ハッ!!」
「お前のような利己的な人間に守れる者などいないっ!」
「その通りですっ!」
「改めろっ!」
 叫んだ喉を整える暇もないままに、嵐のような罵倒の末、頭を掴まれる。後ろを向け、ということなのだろうか。先程、アルミンという少年がされていた仕草を思い返す。首に生じるはずであろう痛みを耐えるために首を竦める。だが、首が捻られるようなこともなく、こめかみにわずかな痛みだけを残してその手は離れていった。その行動の意味を深く考えるよりも先に、教官は私の前から去ってしまう。
 何も言わず次へと足を進めた教官は、私の隣に立つ少年の前で立ち止まったのが横目に入る。つい今しがたの私と同様に教官と視線を合わせたのは、同じトロスト区からやってきた、幼馴染のジャンだった。
「貴様は何者だっ!」
「トロスト区出身! ジャン・キルシュタインです!」
「何しにここへ来た?!」
「うっ」
 教官の問いに、一瞬、ジャンは怯んだような声を出す。視線を右に流し、ジャンの横顔を確認する。戸惑うような表情が微かに媚びるかのように綻んだのが目に入った。
「憲兵団に入って、内地で暮らすためです」
 ジャンのゆるっとした回答とは裏腹に、場の空気に緊張が走る。息を詰めて教官の反応を待つのは、当然私だけではない。恐らく、この場にいる者たち全員が、同様の反応を見せたことだろう。簡単に想像がついたのは、私たちよりも前に教官による恫喝を受けた者の中で、自分本位とも思える回答を挙げたものはいなかったからだ。
 空気が読めないわけではない。ただ、ジャンは自分の考えが間違っているという発想の乏しい性格だった。
「そうか…貴様は内地に行きたいのか」
「はいっ」
 希望に満ちた瞳で、ジャンは応える。だが笑顔になったのも束の間で、ゴッと鈍い音が響けば、一瞬でその表情は歪み、私より背の高いジャンの頭が膝よりも下の高さに墜落する。あまりの状況にあんぐりと口を開いてしまう。動揺している様を教官に見られてはこちらにまで怒りの流れ弾がやってきそうだが。表情を簡単に戻すことはできなかった。
「誰が座っていいと言った!! こんなところでへこたれる者が憲兵団になどなれるものかっ!」
 頭突き以上に鋭い罵声を残し、教官は次の訓練兵の前へと足を進めた。例に倣い、マルコと名乗る少年が叫ぶのを耳に入れながら、ジャンの様子を伺う。痛みに呻くジャンは立ち上がろうとする素振りを見せる。だが、衝撃が脳を揺らし続けているのか、満足に上体を起こすことすら出来ないようだった。本来であれば手を差し伸べるべきなのだろうが、この場でその行動を起こしてしまうと第二・第三の叱責を浴びせられることは想像に容易い。それは私にとってもだが、ジャンにとっても本意ではないはずだ。
「う…ぁ、クソ…」
 痛そうに唸るジャンの首筋に視線を落としたまま、内心で頭を抱えた。
――何も正直に言わなくても。
 呆れながらも、ジャンの言葉の意味は十分理解していた。憲兵団に入れば、ウォール・ローゼでの勤務となる。ジャンの言うとおり、内地での安全な暮らしが約束されている。とはいえ「ひとまずの」という大前提がつくのだけど。
 壁の中の100年の平和。それはかつて、確かに歴史上あったものだった。だが、つい2年前のことだ。超大型巨人や鎧の巨人の襲撃によりその均衡は破られた。シガンシナ区が陥落し、ウォール・マリアが突破された今、私たちの出身であるトロスト区が最前線となってしまった。このまま、あの街に戻ったところで今までのように安穏と暮らせるだなんて過信は出来ない。
 だからこそ、ジャンは憲兵団に入ることを目標と定めた。まぁ、ジャンの場合、反抗期の果てに自由を望んだというのも考えられるのだけど。
――憲兵団、か。
 たしか、新兵の内から憲兵団に入れるのは、この訓練兵の中で成績の上位10名のみのはずだ。ジャンはそれに入れるのだろうか。じっとしゃがみこんだまま小刻みに震えるジャンの姿を目に入れながら、考える。
 頭は悪くない。多分、運動神経もいい方だ。馬だって乗れるし、効率のいい物の考え方をしているからきっと立体機動装置の仕組みも理解してしまえば容易く操ることだろう。少なくとも私やトーマスよりも向いているはずだ。だけど――。
 ジャンから視線を外し、教官の選定から外れた者たちの表情を盗み見る。やたらと目つきの鋭い黒髪の少年や、赤いマフラーを巻いた綺麗な女の子。人一倍背が高い黒髪の少年や、ガッチリとした体格の金髪の少年、その横の飄々とした顔つきの男の子もそうだったはずだ。また、色白で小柄なのに妙な強さを滲ませる女の子。そう言えば、そこの背の高いそばかすの女の子もこの荒々しい洗礼から免れていたっけ。
 数人に視線を向け確認してみたが、彼らに共通点は見出せない。教官から見ればなにか違って見えたのだろうか。例えば面構えだとか覚悟だとか、私たちとは一線を画すものが。
 彼らと私やジャンと、何が違うのかわからない。だが、わからないからといって、こうもあからさまな差を目の当たりにしてしまった以上、それを無視することはできない。恐らく、これから教官が私たちの評価を下す上でのスタートが違ってくるはずだ。そうなると内地を目指すジャンにとって、彼らは目の上のたんこぶにほかならない。
 残念だったね、だなんて他人事のように考える。それは憲兵団を狙わない私なりの正直な感想だった。
――あ、そっか。同じとこに行かないとなるとこの3年でジャンとはお別れになるのか。
 初めて思い至った考えに、ポカンと口を開く。物心着いた頃からずっと傍にいたジャンと離れる想像をしたことがなかった。この世界が残酷で、確かな明日の約束だなんて交わせないこともわかりきっていたはずなのに、どうしてかその考えにだけは至らなかったのだ。
 ずっと傍にいたというと聞こえはいいが、単なる腐れ縁だ。関係性を誰かに伝えるのならば幼馴染と取り繕うのだが、それよりもきょうだいと言った方が近いかもしれない。ガキ大将と喧嘩したジャンの敵を討つのは私の使命で、無茶をする私を止めるのはジャンの役目だった。だがそれもここを卒業すればもう終わりなのか。
 ジャンにはジャンの人生があるのだから主義主張を変えて一緒に来て欲しいだなんて、言えない。自然と寄った眉根に釣られたのか、きゅっと口元が引き締まる。
 私が望むのは、大切な人を守ること。その為に訓練兵に志願した。
 反して、ジャンが望むのは我身の安寧だ。ジャンはただ、ひたすらに現実的なだけだ。これからの訓練で、巨人を討伐する術を学ぶ。その結果、晴れて巨人を倒せるようになるかもしれない。だが、それを実践で試し、もしその域に至っていなければ死んでしまう可能性が非常に高い。
 人類のこれからを考えるのならば誰かが戦わなければいけない。その「誰か」にはならないとジャンは決めただけなのだ。責任感が薄いわけじゃない。ただ人生を賭けた博打を、打たないだけなのだ。
――だからって臆面もなく教官相手に内地行きを志願するのはどうかと思うよ。
 残念な幼馴染に視線を戻す。ようやく回復したのか、たたらを踏みながらも、立ち上がったジャンは、決まりの悪さを前面に押し出した表情を浮かべる。私の反応を探るように視線を差し向けたジャンが、私の呆れた表情を目に入れる。
 視線がかちあった瞬間、ジャンは何かを言いたげに唇を開いたが、この場で言葉を発することの愚かさに思い至ったのだろう。口惜しげに口元を引き締めて私を睨みつけるだけに留めたようだった。暴言を投げつけられなかったとは言え、目に余るジャンの態度に反射的にムッと唇を尖らせてしまう。
 悪意には悪意を。それが私たちの間で流れるいつもの空気だった。
(……バーカ)
 声には出さなかった。だが唇の動きだけで言葉が伝わったのか、ジャンは益々苛立ちを顕にした。



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