進撃028

立体機動装置訓練④


 乱されたばかりの髪の毛を整えながら、ライナーの背中を追った。集団の中へと足を踏み入れたライナーが、不意に先頭あたりで足を止める。私もまた、彼にならい足を止め、こちらを振り返ったライナーを見上げた。
「俺たちはこのあたりで待機していようと思うが、お前はどうする?」
 ライナーからの問いかけに、私は頭を横に振って応じた。
「私はミーナとアニを探しに行くよ。」
「……そうか。この辺りには――いないようだな」
「……アニなら、たしか、随分早くについていたはずだから……もう少し奥の方にいるんじゃないかな」
 ライナーとベルトルトがそれぞれ周囲を見渡してふたりを探してくれたが、どうやら見つからなかったようだ。背の高いふたりから見えないということは、彼らの言うように随分と奥へと向かってしまったことだろうと推測できる。
 アニの方が早く着いたなら、静かな場所を求めて奥まったところへと向かうはずだ。そして、そんなアニを私とミーナが探す。いつもの行動を思い描き、うん、とひとつ頷いてみせる。
「うん、ありがと! ちょっと探しに行ってみるね!」
「あぁ。またな、
「うん! また後で!」
 胸の前で両腕を組み深く頷いたライナーと、控えめに手を挙げたベルトルトへおおきく手を振り返しながら別れを告げる。
 勢いのまま走りながらミーナとアニを探す途中、青い顔をして木の傍らに座り込んだダズの姿が横目に入った。駆け足が自然と遅くなり、やがて立ち止まる。まだ少し離れた場所に蹲るダズをの様子を、首を伸ばして伺う。
 額を手で抑え、大仰に息を吐くダズの横顔には疲労が色濃く滲んでいる。ライナーに守られた私にはほとんど見えなかったが、先程、ダズは随分な勢いのまま地面に墜落していた。墜落直後の痛そうにのたうち回っていた姿が脳裏に蘇る。
 無事ではないようだと傍目から見ただけで分かる。私が声をかけたところで傷が回復するようなことはないのだが、無視して立ち去るほど薄情ではいられない。
「ダズ!」
 名前を呼びながら駆け寄ると、ダズの正面に座り込んだクリスタと、その背後に立つユミル、もまたこちらを振り返った。
「……か。なにか用か?」
 呻き声混じりで応じたダズは、元々青白い顔からより一層血の気を抜いた表情で私を見上げた。下がりきった眉に、彼に降りかかった災難が垣間見える。苦痛が滲む表情につられて、自然と私の表情も強張るようだった。
「さっき、随分高いところから転げ落ちてきたみたいだったけど……大丈夫?」
「ああ……なんとかな」
 青い顔が晴れることはなかったが、ほんの少し口元を緩めたダズに、私も安堵の息を吐いた。クリスタの隣にしゃがみ込み、ダズの様子を正面から伺う。額に滲んだ血は、先程の墜落でついた傷だろうか。反射的に、傷の具合を指先で確かめようと手が伸びる。だが、安易に触れてダズの傷が更に深まるといけないと思い直し、すんでのところで堪えた。
 私の様子を黙ってみつめていたダズは、肩で大きく息を吐き、自身の袖口でその血を拭う。
「ダメだよ、ダズ! バイキンが入ると化膿するよ!」
 その行動を見とがめたクリスタはダズの腕に触れ、その行動を引き止める。突然のクリスたの行動に、ダズが戸惑うような表情を浮かべるのとほぼ同時に、背後から舌打ちが聞こえてきた。
 背に立つ人物はふたり。そのどちらの反応だったんだろうか、と首を捻る。だが、ユミルももサラッとした顔つきでこちらを見下ろしていたので、判別をつけることはできなかった。
「それより悪かったな、。お前まで巻き込んじまうとこだった」
 ダズの声に、持ち上げていた顎を下ろす。正面に座るダズは苦い笑みを浮かべて私と視線を合わせた。
「足やら腕は当たらなかったか? 正直、あのありさまだったから、地面にぶつかったのかお前にぶつけてしまったのかあやふやなんだ」
「ううん、どこもぶつかってないよ」
 平気、と伝えるために、膝の上に乗せていた両手を上げ、ひらひらと振ってみせる。私の動作を目にしたダズは 目を細めて頷いた。よかった、と言いたげな表情に、私は首を左に傾ける。
「もしかして、私たちを避けるためにあんなことに?」
「いや、そういうわけじゃねぇけどよ……まぁ、お前たちがいなくても結局は墜落してたさ」
 苦笑交じりで告げるダズの向かいにしゃがみこんだクリスタは、時折、いたわるようにダズの腕に触れる。それに対し、逐一「ありがとうな」と伝えるダズの様子に、ふふっと小さく笑った。
「でも良かったね。クリスタに心配してもらえて」
 口の端を引っ張り上げるようにいたずらっぽく笑ってみせる。クリスタが当番で医務室に詰めている時は、通常の2倍以上の人がやってくるんだとアルミンが言っていた。それほどまでに、クリスタの人気は高い。
 男の子に限らず、誰だって優しく丁寧に処置された方が嬉しい。それもかわいいクリスタが処置をしてくれるというのならなおさらだ。
 入団してすぐの頃に両手に包帯を巻いてもらったことがあるが、クリスタの献身的な仕事は今も強く心に残っている。叶うならば、またあんな風に治療してもらいたいものだとさえ思う、
 その辺も踏まえての発言だった。ダズも同意してくれるだろうと思っていたが、意外にもダズは眉根を寄せて首を横に振る。
「別に俺はお前でも文句言ったりしねぇよ……クリスタだからって喜ぶわけじゃねぇ。助けてもらえれば、誰にだって感謝するさ」
 呆れた表情を浮かべたダズの反論の言葉に思わず目を見張る。だが、それは実に正しい意見だった。偏見に塗れた考えを浮かべた自分を恥じ入るように俯く。
「そうだよね。うん、ごめんね。変なこと言って」
「いや……。まぁ、あれだ。クリスタが看病してくれたら喜ぶ奴が多いのも事実だ。俺もそうだって思われても仕方ねぇよ」
 私たちに向けていた視線を、更に奥へと差し向けたダズの視線を追いかけるように首を捻る。周囲の視線を背にしていたためまったく気付かなかったが、こちらの様子を伺う視線は決して少ないとは言い難いものだった。
 中には純粋にダズを心配するものもあった。だが、そのほとんどが嫉妬と羨望、そして憤怒の入り混じった瞳をいくつもこちら――否、ダズへと突き刺さしていることに気づく。
 それらの視線の鋭さに、思わずごくりと唾を飲み込んだ。ストレートな悪意。ひとりだけからならともかく、無数に差し向けられることには慣れていない。当事者であるダズでなくとも顔色を青いものへと変えてしまいそうだ。
「チッ。アイツらまた……」
「懲りないねー」
 頭上からこぼれてきた声は、ユミルとのものだった。悪意ある視線に対抗するため自然と引き締めた唇を意識的に緩めながらふたりを見上げる。
 ちょっと前の私と同様に、妬む彼らを振り返ってしまったふたりの表情は見えない。襟足の髪を髪留めで止めたユミルと、短い癖っ毛を指先で掻き乱す。彼女らの後頭部を見上げ、それからまた周囲へと視線を戻す。
 すると、先程とはまったく異なる景色が広がっていた。驚いたことに、こちらへと差し向けられていた悪意ある視線のほとんどが外されていたのだ。どうして、と観察の目を向ければ、俯いて蒼白な表情を浮かべているものが多数だということに気づかされる。時折、彼らの視線がチラチラとユミルらへと差し向けられることに気づくのに、そう時間はかからなかった。
 彼らの怯えた様子から推察し、ユミルとが睨むなり凄むなりしただろうことが窺える。もし、ふたりに睨まれでもしたらきっと、私も同じ反応を取ることだろう。
 再度、視線を転じ、ユミルとの様子を恐る恐る伺うが、相変わらず彼女らの視線は周囲に向けられたままで、その感情を正確に把握することはできない。だが、先程は感じなかった怒りのようなものがその背中から滲んでいるように見えるのは、状況に流された判断だとも思い難い。
 ほぐしたばかりの口元を真一文字に結び、ふたりから視線を外す。別に疚しいことはないのだが、今の状況で真正面からふたりの視線が落ちてきて、まっすぐな気持ちで受け止められる気がしなかった。
 私とは違い、きょとんとした顔でユミルとを見上げるクリスタに話しかけるきっかけとするべく、小さくひじをぶつける。丸い目でこちらを振り返ったクリスタに、私は眉を下げて反省の色を浮かべる。
「クリスタにも、失礼なこと言っちゃった」
「さっきのこと? そんなこと、気にしなくていいからね、
「んー……でもちょっと当て付けみたいだったかなって」
 聞きようによっては妬んでいるように聞こえたとしてもおかしくはない。例えそれが事実であっても、そしてそれがダズを冷やかすことが目的だったとしても、わざわざ口にしてクリスタを傷つけるのであれば、言わない方がずっといい。
 思った通りのことを口にするのはよくないな、と改めてジャンに何度も説教されてきたことを思い返す。なかなか治らないのは、「私に治す気がないせいだ」とも言われてきた。
――言葉の裏に意味を込めるのはあまり好きじゃないんだよなぁ。
 唇を尖らせ、ジャンへの反論の言葉を頭に思い浮かべれば「口を噤むことを覚えろ」とライナーの声が脳裏に蘇るようだった。
 ひとりで苦々しい顔を浮かべる私を、不思議そうにクリスタが見つめる。なんでもない、という代わりに曖昧に笑んでみせると、納得はしていないだろうに、クリスタもまた小さく口元を緩めた。
 その笑顔に、今度は私がつられて口元を緩める番だった。
「前に私もさ、クリスタに手当してもらって嬉しかったからさ。みんな同じ気持ちになるんじゃないかって思ったの」
「もう、ったら……」
 かわいいクリスタに手当してもらえることが嬉しいというのももちろんある。だが、それ以上に、心から心配しているのだと表情に浮かべるクリスタの気持ちが嬉しかった。多分、私以外の男の子たちも、そう感じるからこそ、みんなクリスタに惹かれるんだろう。
もたいがい口が上手いよな」
 黙り込んでいたダズが、不意に口を挟んだ。振り返れば相変わらず青白い顔をしていたが、それでも軽口を叩ける程度には回復してきたらしい。
「でも本当に思ったことしか言ってないよ?」
「……まぁ、見てたらわかるけどよ」
 呆れたのか、眉根を寄せて困惑の表情を浮かべたダズだったが、次の瞬間にはほんの少しだけ口元を緩めて笑った。
「でも、ま、ありがとな。心配してくれて」
 肩で息を吐き出しながら紡がれたダズの言葉に、うん、とひとつ頭を揺らした。



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