進撃:デート02

1日限りのデート 02


 夕食を終え、各々の当番も片付け、寮に戻ればあとは眠るだけ。それぞれが好き勝手に寝支度を調えている中で、私もまたヘアピンを外し髪に櫛を入れた。
 ある程度の身だしなみを整え、洗面所をあとにする。噛み殺しきれなかったあくびをもらし、眠い目を擦りながら室内の奥へと足を進める。
 ベッドの上段にかけられたはしごを上っていると、隣で眠るミーナがまだ戻ってきていないことに今更ながらに気付いた。寮内を見渡してみたが、その姿は一向に見つからず、首を捻る。はしごを降り、改めて周囲を確認したがやはりミーナ、そしてハンナまでもが寮に戻っていないことに気がついた。
 ハンナに関していえば寝るギリギリまでフランツとどこかで喋っていることも考えられるが、ミーナに関しては基本的には就寝前に出かけることは無い。普段の彼女のルーティンを思い浮かべながら、首の裏を掻いく。今にも落ちてしまいそうな眠気は自然とどこかへ行ってしまっていた。
 右下段の一番奥。ベッドの隅で、パンを貪り喰らうサシャに近づく。ミーナたちの動向を知らないか聞きたかっただけなのに、人の接近を恐れたサシャは警戒心剥きだしでパンを自分の懐へと隠した。そのいつもどおりの様子に苦笑しつつ、声をかける。
「ねぇ、サシャ。ミーナとハンナが戻ってこないんだけど……今日って何か当番だったか知ってる?」
「えっと……そのふたりなら就寝前の警らの当番ですね」
 口の中のパンを咀嚼するサシャは、記憶を探るかのように視線を斜め上へと差し向けながらもハッキリと断言した。さすが、夜の当番に関してはきちんと把握しているなと舌を巻く。だが、把握しているからといって褒められる理由ではないこともまた私は知っていた。どこからか盗んできたのであろうパンが、その証拠だ。
 小さく息を吐きながら、サシャの隣に腰掛ける。今頃ミーナたちはどのあたりを見回っているんだろうかと思いを馳せた。警らの当番なら戻りが遅いこともうなずける。ただ巡回するだけといっても、寮以外にも食堂や訓練場など回るべき箇所は少なくない。必然的にどの当番の者よりも遅くに帰ってくることになる。
 だが、頃合から言って、もうそろそろ戻ってくる頃だろうか。そう考えていると、遠くからこの部屋へと向かってくる足音が聞こえ、その音が止まったかと思えば部屋の扉が開く。
――多分、ミーナだ。
 足音で判別できた訳では無いが、半ば確信しながら扉へと視線を差し向ける。中に入ってくる者を確認するよう首を伸ばせば、思った通りミーナとハンナが楽しそうにおしゃべりしながら入ってくる姿が見て取れた。
「おかえりー」
「ただいまっ。ねぇねぇ、みんなっ! ひとつ提案があるんだけど!」
 帰宅とともに、さらに楽しそうに笑いながら私たちに声をかけてきたミーナに、室内にいた者はみな、一様に首を傾げた。



* * *



 すでに眠りにつく準備を終えた同室の子らとともに、ミーナとハンナと対峙するようにして中央に集められた。眠い目を擦る私たちを前に、いたずらっぽく笑ったミーナが、十数本の小枝を詰め込んだジョッキをこちらへと差し向ける。
「それじゃ、早速なんだけど。この中にひとつだけリボンを巻いたものが入ってるから、それが出たらアタリね」
 有無を言わせぬ物言いは、どちらかと言うと私の得意とするところだった。悪意なき誘いに、喉の奥が詰まる。
普段ならば友人であるミーナの申し出はある程度の言葉ならば受け入れる。だが、今回のミーナの言葉には簡単に同意できない理由がありすぎた。
「……ミーナ。状況が飲み込めないのだけど」
 普段は口数の少ないミカサが戸惑うように呻いた。額を右手のひらで抑え、待ったをかけるように左手をミーナとハンナに差し向ける。おそらく、ミカサと同じ気持ちを抱えている子は多いはずだ。
 戻ってくるや否や、同室の子らを集めたミーナは、今日の警らの当番の男子――フランツとトーマス、そしてコニーとともに、とある計画を立てて帰ってきた。
 訓練兵同士、交流が少ないからこそ一緒に遊ぼう、という提案は望むところだ。だが、それが男女ペア1組となると話は変わる。それに、その話にはいくつか聞き覚えがあった。
――訓練兵同士でデートをしよう。ただし相手はくじで決める。
 これは先日、アルミンやエレンと戯れに喋った内容と合致するものだ。聞けばあの時の会話は意外とみんなに筒抜けだったらしい。ハンナとフランツが羨ましい、という話が出たついでに、エレンたちとの会話がミーナからトーマスにこんなことがあった、というニュアンスで報告され、それ耳にしたノリのいいコニーが、実現へと向けて発展させた。おおまかの流れとしてはおかしくはない。
 だが、あの日、戯れに喋ったことが回り回って現実になって帰ってきたことを素直に喜べないでいる。面白そうだね、とすぐに賛同できる内容ではないからこそ、引きつった笑みを浮かべることしかできない。
「最近、ハンナたち付き合い始めたでしょ? 羨ましいって子が結構いるみたいだし……たまにはこういう遊びもいいかなって」
 説明しながらも、ジョッキの中の小枝を改めて数えなおす様子を見せるミーナは、この部屋の中に漂う妙な空気をあえて見ないふりをしているように見えた。満更でもない様子の子も中にはいたが、ほとんどがミーナの提案を素直に飲む気の無い様子を見せている。
「とりあえずハンナとフランツと、それぞれの同室の子でやってみようよって話になったんだ」
 訓練兵の全体の数――数百を超える人数からはだいぶ絞られる。それでも相手の候補は20人近くになるんじゃないだろうか。
 意中の相手がいない以上、誰が来ても同じだ。だからと言って、積極的に行きたいか行きたくないかで考えると、相手にもよるとしか言いようがない。
 もしもジャンだったら絶対に楽しくないし、エレンだったらを考えると肉を削がれる恐怖を背にデートしなければいけなくなる。楽しいかもしれないという可能性に賭けるにはリスクの面があまりにも大きい。簡単にその賭けには乗れない。
 そう感じたのは私だけではなかったようで、サシャを挟んだ向かい隣に座るユミルが床を叩く勢いで立ち上がる。
「ダメだダメだ! なんで汗臭ぇクソヤローどもと私のクリスタをデートさせなければいけないんだ!」
「まだクリスタがデートするって決まってないでしょ」
 ユミルの怒声をあっさりと跳ね除けるミーナだったが、それでもユミルの勢いは損なわれない。
「んだよっ! どうせ奴らの狙いはクリスタなんだろっ?! いっつもいっつもこいつの当番の時には鈴なりになってやってきやがるじゃないかっ!」
「ちょっと、ユミル……」
 日頃の鬱憤をぶちまけるユミルは、歯を食いしばり恨み言を言い募る。横に座るクリスタがなだめているが、聞き入れる様子は見られない。
「……そういうのには興味が無いね」
「用事があるのなら直接相手を誘えば問題がない。参加する意味が見い出せない」
 さらりと言ったのはアニで、理由とともに拒絶したのはミカサだった。ふたりは元々、マイペースというか、様々な物事に対して年頃の女の子よりも興味をもたない傾向が強い。まぁ、ミカサに関してはエレンでなければ意味がない、と言い換えたほうが正しいのだけど。
「フランツの同室の男子の中にエレンがいるんだけど……ミカサ、それでいいの?」
「……」
 ミーナの言葉にミカサが押し黙る。じっとミーナの瞳を見返していたミカサだったが、ミーナが何も言葉を続けないことに肩で息を吐く。瞬きひとつ、間にはさみハンナへと視線を転じた。
 ミカサの鋭い視線に、ハンナは驚いたように目を白黒させた。それでも、同期に対して暴力を振るうことのないミカサへの信頼からか、ハンナは怯んだ気持ちを立て直した。うん、とひとつハンナは頷きながら言葉を紡ぐ。
「フランツに聞いた限りでは……男子も彼女が欲しいって公言してる人が多いらしいんだ。だからこういうのも乗り気だろうし…エレンが相手とは限らないけど参加する可能性は高いと思うよ?」
「……わかった。ならばくじを引こう」
 ハンナの言葉に、ミカサはジョッキに向けて手を伸ばす。円筒状の木製ジョッキの先は当然、外側からは見えない。迷いのない指先がその中のひとつをつまみ、するりと引き抜いた。印としてリボンが巻かれている、というのはミーナの弁だ。だが、ミカサが取り出した小枝にはその特徴は見られなかった。
 落胆とも安堵とも取れる息を吐いたミカサは、相変わらず涼しい表情で取り出したばかりの小枝をミーナへと手渡した。
「えっと……残念だったね? ミカサ」
「いや、今のはエレンが来るかもしれないという餌にかかってしまった自分の失態だ……」
 ミーナの前から踵を返したミカサと入れ替わるようにして立ち上がったのは、アニだった。
「ミーナ、私も引くよ」
「アニ! なになにー? 心変わりするってことは、もしかして……?」
 冷やかすようなミーナの言葉を聞き流しながら、平然とした様子のアニは躊躇いなく小枝を引き抜いた。アニの白い指先に挟まれた小枝には、ミカサが引いたものと同じようになんの印もついていない。金色の長いまつげを伏せ、アニは小さく息を吐いた。
「今のタイミングなら、アタリを引く可能性は低い……そこに賭けただけ」
 立会人であるミーナ、そしてハンナに自分のくじがハズレであることを掲げて見せたアニは、黙って自分の寝床へと足を向け、そのまま布団に潜り込んでしまう。いつも眠そうにしているアニが、眠りに就こうとしていることで、それぞれがほんの少しだけ声をひそめる。
 アニのあとにも数人が引いたけれど、それでもまだアタリはでない。くじを引く子らの背中を眺めながら、その波に乗る機会を逸してしまったことで、なんとなくサシャの隣に座ったままぼうっとする。サシャはというと、どこに隠していたのか、早くも3つめのパンを口にしていた。
 動かないのは私以外にも数名いた。中でも断固としてくじを引かないという姿勢を崩さないのは、ユミルだった。クリスタを背中から抱きしめたまま座るユミルの威圧感は、くじを引かせる立場のミーナとハンナが殊更に感じていることだろう。
 同室の半数程度が引き終えた頃合だろうか。部屋内を見渡し、いまだくじを引かないでやり過ごせないかを考えている私たちを目にしたミーナが大仰に溜息を吐いた。
「ちなみに拒否するんだったら教官の部屋にカエルを投げ込む罰ゲームか、これから1ヶ月の当番を全部してもらうからね」
「なっ……」
 ミーナの追撃に、絶句するような声が各所から漏れた。一番顕著だったのは、人一倍文句を言っていたユミルだった。普段、何事に対しても動じないユミルの珍しい様子に、ミーナがニヤリと笑う。逃げ場のない計画は誰が立てたのか。さっきは名前が出なかったけれど、アルミンあたりの入れ知恵なんじゃないだろうかと訝しんでしまうほどだった。
 突然、降って沸いた罰に、ユミルは怯んだ様子を見せる。チッと舌を打ち鳴らし、何かを考えるように押し黙ったユミルを、心配そうにクリスタが見上げた。思案を続けたユミルの傍らで、ふと、動く者があった。おもむろに懐から出したパンを食べ始めたサシャに視線をやったユミルは、小さく笑った。
「おい、サシャ。お前、私とクリスタの代わりにくじを引け」
 4個目のパンを頬張るサシャの肩がびくりと震えた。口の中でパンを噛み砕くサシャはおおきく目を開いてユミルを見つめる。ごくん、とパンを飲み下す音が、室内にいやに響いた。 
「そんなっ! もしアタリくじを引いてしまったらどうしたらいいんですかっ!?」
「お前が行けばいいだろう」
「ダメだよ、ユミルっ!」
 一方的にサシャを言い負かすユミルの前にクリスタが割って入る。面食らったように目を丸くしたユミルに、クリスタは真摯に訴えかけた。
「ユミルとデートしたい男の子もいるかもしれないじゃない……だから、ね?」
「そんな、クリスタ……お前…私の愛を疑うのか……?」
「そういうことじゃなくて……」
 狼狽するユミルに対し、クリスタはほんの少しだけ困ったような表情を浮かべた。だが、クリスタは基本的にユミルからの寵愛を真っ直ぐに受け止めることに抵抗がない。縋るように抱きしめるユミルの腕に手を添え、じっとユミルを見上げた。
「もー……ユミル」
「なんだよミーナ。私とクリスタは参加しないと決めたんだ。それともなにか? この遊びは任務かなにかか? 違うよな?」
 クリスタを抱く腕に力を入れたユミルは厳しい口調でミーナに反論する。
「わかった……もうそのあたりは3人で話し合ってくれたらいいから……とりあえず、はい」
 意固地になってしまったユミルを説得することは難しいと判断したのだろう。諦めの溜息をこぼしたミーナは、ユミルの前に差し出していたジョッキを揺らして引くように促した。
「おい、サシャ」
「……は、はひっ」
 目を細め頭を振ったミーナは、改めてサシャの方へとジョッキを傾けた。ドライな反応を見せたミーナが差し出したジョッキにサシャは手を伸ばす。パンを握り締めたままのサシャは、恐る恐る小枝を抜く。1本目、2本目と何も巻かれていないことに対し、サシャは目を見張る。そして最後の3本目も同様にハズレであることを確認したサシャは大きく肩で息を吐き出した。
「ふぃーっ! 生き残ったぁ!」
 3本とも何の変哲もない状態の小枝を握り締めたサシャは、やり遂げたことに対しておおげさな反応を見せる。小枝を上に放り投げてその場に仰臥した。嬉しそうに笑ったサシャは、先程までの緊張感からの解放されたせいか、すごくいい顔をして私を見上げた。
「さぁ、次はの番ですよ!」
「えっ?! 私?!」
 終わった途端、仰臥したまま万歳をするサシャは、逃げ切れた喜びを爆発させている。その晴れやかな表情に、例えデートすることになったとしても、男子に好きなだけご飯奢らせればいいじゃん、だなんて野暮な提案を仕向けちゃおうかなと悪戯心が沸き起こった。
 だが、ユミルを見逃したミーナの視線が私に刺さっているのをひしひしと感じる。その目は何が何でも私に引かせるという意思に塗れていた。
「えー……どうしようかな。あ、ちなみにさ。これ相手がジャンだったらチェンジとかそういうのはあるの?」
 差し出されたくじを引く前に確認しなければ。防衛本能というよりも、問題を後回しにしたいという気持ちが強かった。
 私の問いかけに対し、呆れたような表情を浮かべたミーナは、スっと目を細める。
「もしそんなことやったらがジャンに振られたって言い触れてやるから」
「なんでそんな嘘をつく必要があるのよぅ……」
に一番効くのはそういう罰だからね」
 きっぱりと言ってのけるミーナに内心で舌を巻く。付き合いの浅くない相手なだけはある。眉を下げる私を見つめたミーナは、その表情を緩ませた。
「それに、だって恋がしたいんでしょ? もしかしたらこれがきっかけでできるかもしれないし……それに訓練ばっかじゃきついのはみんなも同じじゃない? たまの息抜きにこういう遊びも必要だよ」
 遊びだ、と断言したミーナは、改めてこちらへとジョッキを傾けた。たしかに、この施設へと入って1年は経っている。流石に日々の訓練に慣れたとは言え、それで過酷さが和らいだわけではない。
 息抜きも遊びも必要だ。それに対してちょっとした色恋のスパイスを投げ込んだのも、いつもと違う要素を入れることで刺激を増やしたのだと思えば悪くない判断だとも言える。
 それに、もし私もまた提案する側に回ったとしたらミーナと同様にはしゃいでいたに違いない。悪乗りは意外と嫌いじゃないんだよなぁ。
「わかったわよぅ。おとなしく引くよ」
 観念しジョッキへと手を伸ばす。10本と残っていないこの中に、アタリというかハズレというか、とにかくフランツと同室の男子とデートする権利とやらが入っている。相手が決まっているならまだしも、その相手は未定だ。くじが当たって嬉しいのか外れてホッとするのかすらもわからない。エレンとアルミンとかわした無責任な会話が、まさかこんなことになるなんて。
 ジョッキの上でどの小枝を引こうか吟味し、直感でその中のひとつを選ぶ。つまみ上げようとその小枝に触れた途端、ピリッと指先に痛みが走る。トゲが刺さったのだろうか。いや、でも今の痛みは、冬の寒い日に立体機動装置に触れた時の痛みによく似ていた。
 思わず引っ込めた手を、改めて小枝へと伸ばす。その途端、一つの考えが脳裏に閃いた。
――もしかして今のは、嫌な予感、というやつなんじゃないだろうか。
 その考えがちらつくと同時に、自分の判断が不安に塗れていく。触れる前の直感を信じるべきか、触れた後の戦慄を信じるべきか。
 チラリと正面のミーナの表情を伺う。涼しいものとも、ほくそ笑んでいるとも取れる表情は、私の心象一つで変わるのだろう。ジョッキを前にして固まった私に、室内に居る女子の視線が集まる。緊張感から、額に汗が浮かぶようだった。
――もう私にはどちらが正しいのかわからない。間違っているかは、引いたあとに考える!
 やってみなければ、結果はわからない。直感を今回は信じるべきだと判断した私は、勢いよくジョッキから小枝を引き抜いた。



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