いつ甘04

04.局地的ナイト


 3組の前を通る直前、いつも視線が教室の中に向いてしまう。顔は動かしていないからそうそうバレることはないだろうけれど、その動作は入学してほんの一ヶ月かそこらで、どうしようもないほど僕に染み付いてしまった。
 授業の休み時間にトイレにでも行こうかと、無理やり理由付けてクラスを離れることが多くなったことも要因のひとつだろう。中学の頃は、座って待っていればが僕の元へ来たことに比べると段違いの変化だと溜息が漏れる。
 別にが来ないのなら放っておけばいいし、会いたいのなら僕が足を運べばいいだけなのだが、そのどちらも選ぶことが出来ず、こうやって中途半端に繋がるきっかけが生まれないかと動向を伺うことしか出来なかった。
 今もまた、僕はついて来ようとする山口を往なして廊下に出て、用もないのに、3組の前を通過しようと試みる。
 普段よりも幾分もゆったりとした足取りで歩を進めながら、チラリと視線を横に流す。廊下側から見て一番奥、ベランダ側の席の一番前の席に座るの姿は、立って行き来する人の間に紛れているため、ほんの少ししか見ることは出来ない。
 ベランダ側の廊下から出た方がはもちろん、自分の席からも近いことは解っていた。だけど、その一線は越えてはいけない気がして、良案だと思いながらも実行に移すことは出来ないままでいる。
 目が悪いなりに、じっと教室の奥へと視線を伸ばすと、机に頬杖をついたまま身体を少し窓枠に凭れかけながら眠りについたの様子が目に入る。スヤスヤと呑気に眠るの前髪が、はためくカーテンと同様に、時折、風に煽られて柔らかく揺れていた。
 無防備にその寝顔を晒しているさまが微笑ましい。普段見れない表情を目にしたことで不意に胸に流れこんできた暖かな感情に、口元が緩みかける。
 だけど、その反応が完成するよりも早く、疎ましい存在が目に入った。ニヤついた表情を隠しもしない数人の男子が、に近付いていく。
 不意に足を止めてその動向を追ってしまう。叩き起こしでもするのだろうかと、訝しみながら見ていると、一人の男子がポケットから携帯を出し、それをの顔の前に構えた。
 ――瞬間的に、そのおぞましさに総毛立つ。
 ただ単にからかうことが目的なのだとしても、それを指を咥えて見守ることなんて出来るはずがない。
 3組を通過しようと途中まで運んでいた足を返し、すぐにその教室へ差し向ける。上靴を叩きつけるような足音を立てて、よそのクラスの男が入ってきたことに驚いたのか、教卓の周りで話しをしていた一団が、それぞれ一歩ずつ退く。そのスペースに割って入り、奥へと足を進めた。
 カシャリ、と音が鳴る。その音がの眠りについた表情を捉えた音だというのは明白だった。自然と歯を食いしばったのは怒りによるものなのか、それとも気持ち悪さを堪えるためのものなのか、自分でも判断できなかった。
「変な顔」
 男の言葉に、キシシ、と猿のような笑い声を上げながら何やら密談を交わす。その輪から解けたひとり──先程の男とはまた別の男がの顔へと携帯を近づけた。
 漸くそこに追いついた。男たちの脇を通りぬけ、とその携帯の間に手のひらを差し入れる。
「わっ」
 突然、出現した僕の手のひらに怯んだのか、その男は手の中で携帯を踊らせた後、そのまま取り落とす。僕の爪先の側に落ちてきたそれを、男が慌てた様子で拾い上げたが、そのまま僕を見上げて、益々その表情を曇らせた。
「同級生相手に盗撮なんてイイ趣味してるね」
 蔑んだ視線を遠慮なく落とすと、僕とはまったく違う意味でその男は歯を食いしばった。
 言い返すほどの気概さえ感じられない様子を目にし、そのまま視線を転じる。
「ねぇ、それ」
 さっきのやつは間に合ったからどうでもいい。問題はもう一人の方だ。
 の写真を撮った男に声を掛けると、そいつは他のヤツらに携帯を向けたままこちらを振り返る。罪悪感があるのか、見せびらかしたままではあるものの、その表情はさっきの男と同じくフリーズしている。
「消して」
 端的に言葉を告げる。唐突な言葉に驚いたのか、目を丸くしたそいつは動く様子を見せない。
 腕を伸ばし、男の携帯の画面に指を突きつける。そこには当然、撮られたばかりのの姿があって、それが悔しくて表情が簡単に歪んだ。
「消せって言ってんのがわかんないの?」
 追い打ちの言葉を投げつけると、その男は憮然とした表情で携帯を翻し、カチカチと耳障りな音を立てながら操作する。
 これでいいんだろ、とばかりに携帯を突きつけられ、画像フォルダのサムネイルを見せつけられる。の姿がないことを確認し、一つ頷いて返すとそいつらは蹲ったままだった男の腕を引いてその場を離れた。
 小さく溜息を吐いて、へと視線を転じる。今しがたすぐ側で起こった剣呑な空気にも気付かずに、寝穢く眠りこけるを目にし、毒気が抜かれる。
 胆力というか睡眠力というか。僕が割って入ったことに気付かないならそれでもいい。
 だけど、またそんな風に無防備に寝ていたら、今日に限らず、他のやつが同じように盗撮しないとも限らない。
 机に左手を置き、の顔へと右手を伸ばす。手の甲で頬に触れる髪を掻き上げ、そのまま頬を支える左手を取る。遠慮無くそれを引いてやると想像通り、の頭は簡単に傾き、結果、は派手な音と共にこめかみを窓に強く打ち付けた。
「痛っ!」
「ちょっと」
 短い悲鳴と共に左手を頭へ伸ばしかけたが、緩慢な動きになった左手へ視線を伸ばし、その手が僕に取られていることを目で捉える。そのまま腕を辿るように目線を持ち上げたは、眠たさに胡乱な視線を僕に向け、眉根を寄せたまま目を瞬かせた。
「うぇ? 月島……」
「いいから、ちょっとこっち来てよね」
 掴んだままだった手を握る形に変えて、を席から立たせる。
 たたらを踏んだ彼女の体を支えるように左手を伸ばし、そのまま前のドアを通ってベランダへと連れ出した。
「なんなのよ、もぅ……」
 状況が飲み込めないといった様子ながらも眠たそうに目元を擦り付けるは、休み時間の短い時間であっても本気で寝ていたのだろうことが推察される。
「……そのよだれまみれの顔どうにかした方がいいんじゃない」
「まじで!」
「嘘だけど」
 口元を右手の甲で隠したにしれっとそう告げると、顔を赤くして腕のあたりを叩かれる。じゃれるようなものだから腕が痛むということはなかったけれど、胸には甘い痺れが簡単に走った。
 唇を尖らせて不満を全面に押し出したは、ブツブツとその口先で僕に対する不平を零す。助けるんじゃなかったと悪態をつきたくなったが、そもそもに乞われたわけではないし、からすれば寝ているところを叩き起こされただけなのだから、僕が拗ねるのもお門違いなのかもしれない。
「で、どうしたの、月島」
「……別に用はないけど」
「用もないのに叩き起こされた私の気持ちを30文字以内で答えてもらえますか」
「いちいちそういう設問形式で僕を煽ろうなんてイイ度胸してるよね」
 寝起きが悪いのか減らず口ばかり叩くに小さく舌を打ち鳴らす。
 別に感謝されたいわけじゃないんだけどさ。
 報われないというのはこういうことなのかもしれない、だなんて諦めの気持ちが胸に沸き起こる。
 くぁ、と小さく欠伸をし、僕に握られたままだった手を放したは、指先を絡めて伸びをする。そのままチラリと僕を見上げ、口角を上げる。その緩やかな笑みがムカついて、放されたばかりの手を自分の首の裏に持っていく。
「なんでそんなに眠そうなわけ?」
「いや、なんか昨日寝付けなくて……」
 照れ隠しなのか目の淵を指先で掻くの目元に視線をやる。彼女の言うとおり眠れなかったのだろう。うっすらとクマが目の際に現れていた。
 勉強でもしていたのなら、僕が教えてあげることも出来るのだけど、どうもそういうことでもなさそうだったので提案できずに口籠ってしまう。何か悩み事でもあるのだろうか。それを聞きたい気もしたけれど、相談にのるよだなんて柄にも無いことを口にすることが憚られた。山口ならアッサリ踏み込めるんだろうなと思うと、少しだけそれが歯痒かった。
「残念な頭でぐだぐだ考えてるから眠れなくなるんだよ」
「アハハ、ホントそうだよね」
 嫌味を嫌味として受け止めてくれないは、軽く笑って受け流してしまう。こうやっていつも躱される。糸のない凧のように、心どころか、この手さえもいずれ届かなくなってしまいそうだ。
 不安に駆られて、指先をのブレザーの肩口に触れさせる。突つくような仕草を取ると、なんだい、とでも言いたげな表情では僕を見上げた。
 その視線を受け止めた後、不安よりも照れくささの方が勝ってしまい、視線をすぐに外す。
「ねぇ、月島」
 今度は反対に、僕の手の甲を指でつついたに促されて視線を落とす。視線がかち合うと、いつのまにやら眠気を吹き飛ばしていたらしいが、ニッと口元を上げて笑う。その余裕綽々な笑みに、また少しだけ心がざわついた。
「サンキュね」
「何が?」
「さっきの」
「ハァ?」
 言われていることの意味がわからなくて聞き返したが、はそのニヤついた笑みを保ったまま僕を見つめる。
 の表情に含まれた喜色と、微かに染まった頬の色を疑問に思ったのも束の間で、すぐに何に対する御礼だったのか合点が行く。それと同時に顔から火が出るほどの思いが沸き起こる。
「……気付いてんじゃん!」
 そう、気付いていたのだ。僕が、の為に、どういう行動を起こしたのか。
 を守るために動いたことも、のクラスメイトに文句を言ったことも聞かれただろう。そして、その後、ドサクサに紛れてその頬に触れたことも、きっと解っているはずだ。
 お礼を言わなければという義理のつもりかもしれないけれど、どうせならいっそ黙っていてくれればいいのに。あまつさえ僕の反応を確かめるかのように、ちょっとしかヒントを出してこないなんて、本当にズルい。
「いや、写真撮られた意識はあったんだけど、起きていちいち怒るのも面倒で……それに月島が来たのも予想外だったし」
 右手で後頭部を掻きながら、左掌を僕の方へと向ける。本当に照れた時にするの仕草に、益々居たたまれないような心地に陥る。
「だからって寝たふりとかホンット、サイッテーなんだけど!」
「ハイハイ、悪かったってば」
 あまり反省していないような言葉で謝罪とするに、羞恥と混じって苛立ちも生まれる。
 ――クソッ、ホント嫌な女。
 内心で悪態を付いたけれど、頬が緩もうとひくついていた。先程の行動は、が気付いていないこと前提のものだったからこそ、振る舞えたものだ。だけどそのすべてを気付かれていたのだと知らされ、羞恥しか沸き起こらないかと思っていた。
 僕の内にある心情も全て見透かされているような気がして、敗けた気にすらなっている。だけど、それでもなお、笑みが浮かび上がりそうになる、その理由なんてひとつしかない。勝手にナイト気取りで守ったことを、嬉しそうに笑ってくれたに、気持ちが楽になる。
 無駄じゃなかった。に届いていた。それがひどく嬉しかった。
「月島」
「なに」
 僕の名前を呼びながらベランダの外壁に寄りかかったの隣に並ぶ。無遠慮に僕を見上げてくるその双眸は揺らがない。目が離せないほど美人なわけじゃない。だけどどうしてだか、惹かれてしまう。
「ありがとう」
「何回同じこと言うわけ。ホント、ウルサイ。今度同じことあっても絶対に助けないからね」
「ハハ、気をつけるよ」
 ホントかよ、とまた内心で吐き捨てたけれど、今日の成り行きは多分、噂か何かで広まるはずだ。知らない奴の口に僕の名前が上がることはかなり不本意だけど、それでが守れるならそれでもいい。
 体当たりの要領で、の肩に僕の腕がぶつかるように彼女の方へと身体を傾ける。張り合うためなのかもしれないけれど、もまた、避けずに僕の方へと体重を掛けた。
 触れる肩のぬくもりが、どうしようもないほど嬉しいだなんて、ホント、どうかしてる。  



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