01

あふれ出たらその先に、


「私、その、松川くんのことが好きですっ」
「え、」
 高校入って3度目の終業式。つまり、今日で1年生は終わり、という日に唐突に告げられた言葉はかつてないほどに俺を戸惑わせた。
 階段の踊り場に呼び出された時点で「まさかね」だなんて考えていた空想が目の前で現実と化したことに衝撃が走る。思わず右手に持ったカバンを取り落とすだなんてベタな反応をしてしまったほどだ。階下に落ちていく前に、と慌てて拾い上げたが、その場の空気を取り繕うことだけは出来なかった。ぽかんと口を開けたまま目を瞬かせる反応しか取れない。
 初恋もまだだ、なんてウブなことを言うつもりはないが、こういう場面に出くわしたのは初めてのことだ。許して欲しい。
 ――出くわした、というか、突然だだっ広い穴に突き落とされた気分なんだけど。
 見知らぬ世界に突き飛ばしてくれた彼女はというと、俺の正面に立ったまま一向に動かない。お願いするような気持ちでもあるのか、頭を下げたまま顔を上げない彼女は、体の前で緊張したように指の先を絡めながら俺の反応を待っているようだった。
 目の前に差し出された艷やかな髪の毛の中心を見つめながら、今しがた俺に愛の告白を告げてきた少女のことを考える。
 同じクラスの、 。確か、1学期の後半と、冬休み明けてすぐの席替えで近くに座った記憶がある。朝の挨拶くらいは交わした覚えはあるが、正直あまり喋ったことはないはずだ。
 いい印象も、悪い印象もないほど、希薄な関係だった、と思う。知らないうちにの中で俺に対する好感度が上がりまくっていただなんて、こうやって言われるまで微塵も感じなかったのがその証拠だ。
 ただ、クラスメイトとしてのの姿を思い返せば、板書するときの文字が綺麗だとか、国語や英語の本読みの声の耳障りの良さだとか、女子たちと笑って話しているときのあどけない表情だとか、意外と「いいな」と思っていたらしい俺の中の貯金のようなものが簡単に顔を出す。
 告白をされた、ということでプラスのイメージ補正が掛かるのか。付き合ってもいいかな、と思えるような情報を弾き出そうとしているらしい。我ながら現金だ、と思う。だけど、思春期真っ只中の高校1年生という時期に告白されて、好きな相手じゃないから、と無碍に断ることが出来るだろうか。真剣に考えた方がいい、だなんて言い切れるやつはうちの部活だったら岩泉くらいのものだ。及川や花巻なんて二つ返事で付き合うという答えを出すに決まっている。
 胸の奥が熱湯を浴びせられたかのように熱くなる。動揺してしまい「マジか」と自分の中で連呼しているだけでうまい言葉を見繕うことが出来ない。次に俺が発する言葉によってこれからの青春が決まるのだと思うと、おいそれと口を開けなかった。
 沈黙が怖くなったのか、恐る恐る顔を上げたと視線がかち合う。笑いかけてみればいいんだろうか。チラリと考えたが、及川がするような笑みを自分が浮かべるのを想像しただけで背中に寒気が走るようだった。
 何から伝えようか。やはり定番の「ありがとう」から言えばいいのか。母親がよく見ているドラマのワンシーンを思い描きながら、悶々と考える。晴れた日の暖かな陽の光が、この場を更にロマンチックなものに仕立て上げているのもいけない。舞っている埃さえも、きらきらした演出のように思えてしまう始末だ。そういう効果もあってか、多分、普段感じている以上にのことをかわいいだなんて思ってしまう。いや、実際、目の前の女の子が自分のことを好きだなんて知ったらもう本当にとてつもなく可愛い子に思えるはずだ。多分、それは俺だけじゃなくほかのやつだってそうなるはずだ。
 ただ、やはり「どうして俺を?」という疑問が頭をもたげると、自然と顔が顰められた。それは単純な反射によるもので、悪意なんてサラサラなかった。だが、俺の表情で何かを感じ取ってしまったのか、目の前に立つの表情から色が無くなってしまう。
 まずい。誤解された。なにかこの場を納めるような言葉を言わなければ。焦れば焦るほど思考が空転する。考えがまとまらないなんて甘えた事を言っている場合じゃない。それはわかっているのに、未だかつてないほどの動揺に晒された俺は、オロオロと戸惑うことしかできなかった。
「あ、あのな。、俺さ――」
「ご、ごめんなさいっ! 困らせちゃったよね?!」
 俺の言葉を待たずに、が早口で捲し立てる。違う、そうじゃない。否定の言葉を続けるよりも先に、またしても頭を下げてしまったが両手で耳を覆い赤く色づいたそれを隠してしまう。
「クラス変わっちゃうから、その、何も言わないで後悔するよりも当たって砕けろっていうか…でも、松川くんに負担負わせるだけじゃんね。本当にごめんね。今聞いてくれたこと、もう忘れていいからっ」
 前髪を手櫛で梳きながら矢継ぎ早に言葉を並べ立てたは、逃げるように階段を駆け抜けていった。降りていくの髪が揺れるさまを眺めて、見送って、ただただ呆然とする。残された俺はというと頭の中を「?」で埋め尽くし佇むことしかできなかった。
 さっさと「オーケィ、いいぜ。俺はのことあまり知らないけどそれでもいいなら付き合おう」だなんて適当ぶっこいていたらよかったんだろうか。あまりにも自身のキャラに合わない言葉を思い浮かべてしまったことに苦笑する。
 別にいいんだけどね。のこと好きになれそうかも、とは思ったけど本当に好きになれたかはわかんないし。ただ単にちょっと女の子と付き合ってみたいっていう興味本位の方が強かったし。
 自分自身に言い聞かせるように並べ立てた言い訳は、あまりにもしっくりこない誤魔化しだった。すっぱいぶどうって言うんだっけ、こういうの。子供の頃に読んだ絵本の内容が頭を掠める。「強がる」ということがどういうことなのか、その本で知った。10年近く前の経験が、今の俺を的確に示していることがひどく面白かった。
 多分、俺がを追いかけなかったっていうのが答えになるんだろう。追いかけるほどの情熱はない。そのことはわかっている。ただ、それでも残念に思う気持ちに歯止めがきかない。
 目の前にあった、掴みそこねた青春。惜しいことをしたのかと既に後悔しているというのもまた、ひとつの答えなんだと受け入れるしかない。
 ――忘れられねぇわ、これは。
 ひとつ、深い溜息を吐きこぼす。忘れてくれって言われて、はい、そうですか、だなんて忘れることはできない。面食らってはいるものの上がりきってしまった体温や、バレーの試合で感じるものとはまた違う鼓動が収まる様子がないのがその証拠だ。
 黙って指先を見つめる。俺から踵を返す直前、の丸っこい目は必要以上に潤んでいた。もしかしたら、これから泣くのかもしれない。脳裏にちらついた傲慢すぎる考えに辟易する。なに一回告られたぐらいでいい男ぶってんだ、俺は。
 頭を横に振るい、沸き起こったばかりの考えをかき消す。それでもまた視線は自身の指先に戻る。
 走り去る瞬間に、零れおちそうだった涙を、俺が拭ってやりたかった。
 ゲスな考えを思い浮かべてでも意識しないように努めていた考えが簡単に顔を出す。ぎゅっとこぶしを握ってもなお、収まらない感覚が嫌で、何度か手の中で指先を動かした。

* * *

 1年の終業式の日から、なんとなく廊下で見かける度にのことを目で追うことが習慣づいてしまった。元気にしてるんだろうか。前みたいに、小さく笑っておはようだなんて言ってくれないんだろうか。
 動向を気にしてしまうのは、好かれている自惚れが突き動かしたのかどうかなんて知らない。それでも、俺が自然とのことを頭に思い浮かべる頻度は、告白される前よりもされた後の方が圧倒的に多かった。
 それは3年の始業式の日にも続いていた。今、思い返せば、ほぼ1年前の出来事だ。その間ずっと意識していた、だなんて俺が執念深いタイプだったらしいことを知るには十分だった。
 3年1組。新しく決まったばかりの教室のドアをくぐり、まっさきにその姿を探す。教室前方、中央、そして、後方。順番に視線を移し、後方のドアの近くで、新しく一緒のクラスになった女子との輪に参加する姿を見つけた。
――いた。
 クラスが一緒だということは、先程張り出されたクラスの名簿で確認していたから知っていた。それでも姿を見れば簡単に顔は綻ぶ。
「よぉ、
「ひぇ……、まっ、松川くん?!」
 またしてもクラスが同じになることを想定していなかったのだろう。あの日見た、顔の色とまったく同じものを浮かべたに、思わず笑ってしまった。



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