01

欲しいのは、お前との未来


 寝言がまた、始まった。
 目の前でにこやかに笑うの言葉はそれくらい聞き覚えがありながらも、ちっとも現実感のないものだった。
「北先輩ってカッコええなぁ」
 2年生になって、俺らの部活の試合を初めて見に来たの第一の感想がそれやった。隣に立つ治に目線を向けると、治もまた唖然とした顔で俺を見ていた。目を細めた治と視線を合わせること数秒、特に言葉を交わさずとも、治の心境は手に取るように理解できた。
 ――また、なんか言いよるぞこいつ。
 呆れとも諦めとも似ている。言いようのない心境を抱えたまま視線を合わせた俺らの戸惑いに気づきもしないは、今日見た北さんがいかに魅力的であったかの感想を紡ぎ続ける。
 こうなってしまったの気を引くのは容易ではない。気の済むまで適当にしゃべらせとこ。
 うん、と互いにひとつずつ頷きあった俺らは、改めて俺らはに向き直る。楽しそうに喋るを見ることは嫌いではない。だが、その内容によってはちっとも楽しくないというのは経験から知っていた。
 黙ったままの言葉を聞き流しはするものの、耳に入らないわけではない。絶えず引っかかる彼女の言葉に、内心がどんどん”面白くない”という気持ちでいっぱいになる。
 ――誘ったんは俺らやぞ。ちゃんと俺ら……いや、俺を見ろよ。
 体の真横に垂らした手が、自然と握り拳に変わる。負けず嫌いな性質は、どうやらバレーのみに限った事ではないらしい。
 がよく知らん男のことを誉めそやすのは、これが初めての事じゃない。
 幼稚園の時のだいきくん。小3の時のクラスメイトの山田くん。中1の時の田中先輩。エトセトラ。エトセトラ。
 大勢というほどではないのかもしれない。走ることが早いやつ。野球がやたらと上手いやつ。その時々の流行り廃りのようなもので、他の女子が誰それがかっこいいと言えば、簡単にはその流れに同調した。周りと同じようにカッコイイ男子がいるのだと騒ぐ様子は、いまだ恋することに憧れるだけの小娘としか思えない。
 慣れているとは言え、おもんねーわ、という感想が減ることはない。それが表情に出ているのは、ほんの少し前から気付いていた。俺の隣に立つ治が、俺が思い浮かべるままの表情を刻んでいるせいだった。
「なんかシュッとしててえぇなあって思ったんよー」
 きらきらと目を輝かせたは、うっとりと頬を紅潮させて雄弁に北さんのことを語る。北さんの何がに刺さったのか。それは彼女の口から語られていたが、ほとんどパッと見の印象を言葉を変えて言っているだけに過ぎないので、あまり今後の参考にはなりそうにない。
 部活の先輩が人気がある、というのはチームメイトとしても鼻が高い。何とも思ってないクラスメイトの女子が言ったのなら「せやろ!」とふんぞり返って肯定したことだろう。だが、他ならぬの言葉では、簡単に同意することは出来なかった。
「それやったら俺らだって女子に人気あるで。カッコええってよく言われるもんな。なぁ?」
「いや、私は侑も治も見慣れとるから……」
「理不尽!」
 スン、と真顔で否定するに大声でツッコんでしまう。別にに騒がれんでも普通にカッコイイって思われてたらええわと思っていたのにそれも望めないなんて。
 ポッと出の男に負ける程度の幼馴染なんて、しょーもない絆だ。かと言って、それを断ち切ることなんてできないけれど。
 ひとつ、息を吐いて周囲を見渡す。試合後のミーティングも終え、監督やコーチらからの解散の言葉も頂いた。もう帰るだけでえぇのに、がそれを許さない。
 ――さっさと帰ってめしでも食いたいわ。
 目を細めてじっとを見つめ続ける治から、そんな声が聞こえてきそうだ。そのくらい、の話は俺らにとって”おもろくない”ものだった。
「卒業式とかで話できんやろか。先輩の第二ボタンほしいわぁ」
「もらってどうするんや」
「その思い出だけで生きていくー」
 うっとりとした顔つきで絡めた両手を右頬に押し付け目を閉じるは、自分の乙女っぷりをコミカルに表現したつもりなんだろう。だが、普段の性格などを熟知している俺からしたら気持ち悪いだけだった。
「ふはっ」
「ぶっ」
 俺と治の笑い声が重なる。同じタイミングで弾けた声に、は閉じたばかりの瞳を開いて俺らを見上げた。
「お前そうやって欲しがるのもええけどアレ以上にモノ増やしてどうするんや」
「欲しがるんはお前のゴミ屋敷どうにかしてからにせぇよ」
「ゴミ屋敷て!」
 俺と治の容赦ない言葉に、は傷ついたように顔を歪めた。柳眉を逆立てて俺らを睨むを、俺も治も半笑いで見下ろす。馬鹿にしているわけではない。ただ、しょーもない話を続けたをやり込めてやりたかった、
「ちょっと捨てられないものが人より多いだけやん!」
「ちょっとやないわ」
「アレはホント嫁の貰い手無いで」
 つい最近、遊びに行ったの部屋を思い起こす。服が脱ぎ散らかしたままだとか、食ったゴミがそのまま放置されているとかそういうことではないが、モノに溢れているという印象が強く残っている。それは歳を重ねる毎に、年々ひどくなっているような気がした。
 ベッドの端にはぬいぐるみが敷き詰められ、机の上にはの好きな漫画やら雑誌やらが教科書と混ざってしまいこまれている。
 ふたつ並んだ勉強机と、その向かいに2段ベッド、という俺らの部屋が簡素すぎるだけなのかもしれない。片付けているのだって母親がやっていることだからいばれることではないのだが、それと比べたらの部屋にあるモノの多さはゴミ屋敷と称しても問題がないように思えた。
「北さん、きっちりした人やから部屋が汚い女は問題外やと思うで」
 治の言葉は、何よりもの胸に刺さったらしい。この日、一番のショックな表情を刻んだは、その場に膝をついてうなだれる。土に触れるのも厭わずに手を付いたの表情は見えない。肩から落ちる長い髪が、の表情をより一層隠してしまっていた。
「止めときて。どうせまた成就せんと終わるわ」
「せや。ちょびっと話出来て舞い上がってたところをまた誰かに掻っ攫われるだけちゃうん」
 過去の玉砕をあげつらうと、の肩が震えた。今頃きっと、数々の玉砕を胸に思い起こしているのだろう。
 がええな、と言った男は、みんなことごとく誰かのモノになった。バスケ部の鈴木先輩も、隣のクラスの山下くんも。全員だ。俺と治が、ぽやっとしとるに手を出されんように牽制しているうちに、全員、を諦めた。
 今度も、きっとそうなる。そうしてみせる。目を細めてを見つめる。俺らの視線に気づいたのか、は眉根を寄せた表情で俺らを見上げた。
「別に相談やないし! 感想やし!」
 涙目で強がるは、口元を引き締めて俺たちを睨んだ。過去の失態をすべて知っている幼馴染が憎いのだろう。フッと鼻で笑ってやると、は益々悔しそうに歯を食いしばった。
 膝についた砂を払いながら立ち上がるに、俺も治も手を伸ばす。互いに片方ずつ腕を取って立ち上がらせれば、ねこのような目と視線がひとつずつ重なった。
 ほんの少しだけ目元を和らげただったが、はたと気づいたように目を丸くすれば、敵対する相手と対峙したとばかりに身構える。俺らと距離を取ったは、またしても目元に力をいれこちらを睨んだ。
「取りもってほしいなんてお願いしとらんよ! 私は私で頑張るし! 侑も治も邪魔せんといてな!」
 ぷりぷりと怒ってしまったは、捨て台詞を残して立ち去ってしまう。大方、一緒に試合を見に来たというクラスメイトのところにでも戻ったのだろう。試合を終えたばかりだというのに労いの一つもせずに帰っていったの浮かれっぷりや変わり身の速さに、大仰な溜息が漏れる。取り立てて入ってなかったはずの力が益々肩から抜けていくようだった。
「なぁ、治」
「なんや、侑」
「……あれ、本気か?」
 後頭部の髪を撫でつけながら治に問いかける。肘を伸ばしジャージについた糸くずを取り除く手付きを止めないまま、治はチラリと一瞥を走り去るの背中へと流した。
「あんなん、ただの麻疹みたいなもんやろ」
 治の言葉に、唇を尖らせる。いつだったかドラマだかバラエティだかで見たことがある。恋は麻疹のようなもので、幼い時ほど軽く済むのだと。
 ならば過去に誰に焦がれようが、そんなものは取り立てて悩むようなことではない。そう、治は言った。
 それでも俺たちは、の恋路を邪魔し続ける。互いにそうと気付きながらも、矛盾しとるで、とは言わなかった。
 手にしたいものを目の前で掻っ攫われるのは、性にあわない。理性よりも、本能が勝った。ただそれだけの話だ。
「俺かて別にええんよ。に彼氏が出来たら出来たで」
「ほー……侑……お前、処女厨ちゃうんか」
「アホか。そんなんは全部まるっと俺のもんや」
 冷やかすような治の言葉に即座に反論する。ハッと鼻で笑い、目を細めた治は深い溜息を吐いて俺を睨み据えた。
 嫌な表情だ。双子だから同じような顔の造りをしているとは言え、だからと言って無条件で許せるわけがない。寧ろ、同じ顔だからこそどういう心境の時、そんな顔になるのかが手に取るようにわかり、益々腹立たしいようだった。
 はーっと深い溜息を、俺もまた吐きこぼす。頭を横に振り、雑念を追い払った。
「まぁ……が俺以外のやつとうまくいくビジョンが見えんからな」
「泣かされて帰って来たらええねん」
 ピシャリと言い放つ治に同調する。自然と笑みが浮かび上がるようだった。
「せやな。最終的に俺と結ばれてハッピーエンドの大喝采や」
「いや、俺やて」
「いやいや。何寝ぼけとんじゃお前アホか」
 ムキになって言い返し始めた治に、俺もまた応戦する。口汚い言葉が飛び出すごとに苛烈になり、やがて手のひらが拳へと遷り変る。
 治がに対して本気なのかどうかは知らん。ただ、に対してほかのだれかに負ける気は毛頭ない。
 それが双子の相手であっても、通りすがりのよく知らん男でも、尊敬する先輩であっても、誰でもだ。
 欲しいものは、何がなんでも手に入れる。それは、今じゃなくていい。



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