02

お前がいる〝今〟だけでいい


 昔から、だいたい欲しいものは侑とかぶることが多かった。同じ日に、同じ親から生まれ、同じモノを食って生きてきた。血の繋がりと生活環境。趣味嗜好が似通うのも無理のない話だ。
 同じものを求めた時、 主張の強い侑にだいたいのものは譲ってきた。それが能動的であれ受動的であれ、結果として手放したものは少なくない。
 だけど、昔から譲らんと決めたものだけは、今もなお、決して手放してはいない。


* * *


 小学校に入るよりも前の記憶だ。家族旅行でどっかキャンプ場に連れていかれ、その近くの川で石を拾った。その石はやたらすべすべしていて手触りがよく、歪ではあるものの縦長のハートの形をしていた。
 手に取った瞬間、の顔が浮かんだ。かわいいもの好きなにあげたら、きっと喜んでくれるはずや。
 俺がニンマリと笑ったのを目ざとく見つけた侑が駆け寄ってきて、興味深そうに俺の手の中を覗き込む。
「なぁ、治。おまえ、さっきなにひろったん」
にあげよとおもってん」
 幼い手のひらに余る程の大きさの石を、自分の手を開いて侑に見せる。すると、途端に侑の手が俺の手の中に伸びた。
「ええな! それ、おれにチョーダイよ。おれがにあげるわ!」
「やらん」
 咄嗟に手のひらを固く結んで、自分の胸に引き寄せる。侑に顔を向けたまま体を反転させ、鋭く睨みつける。俺の頑なな態度に、侑もまた意固地になったようにむくれた。
「なんで!」
「こういうんはジブンでみつけてこそやろ」
 侑の追求を跳ね除け、奪われないようにと、ポケットにねじ込んだ。さすがにズボンを脱がしてまで奪うほど浅ましくはない侑は、俺が見つけたものよりもいいものを見つけてやると息巻いて立ち去っていった。
 結局、侑はかわいい石なんて見つけることができず、俺は見つけたその石に赤い折り紙を貼り付けてにプレゼントした。
 ハートのつもりだったそれを、なんでかは赤いきつねだと誤解したようだが、それでもが嬉しそうに笑ったから、それでえぇわと思ったのを今でも覚えている。
 その石が、今も、の宝物入れの中に入っているという優越感を、俺は十年抱えている。


* * *


 何年かぶりに、その宝物入れに目を向けた。の部屋のベッドに腰掛け、ヘッドボードの一番壁際に置かれた箱に手を伸ばす。その中には、昔からが大事にしまっているものが入っている。持ち上げれば意外な重量とカチャカチャという音が手の中で響いた。
 有名なテーマパークのクッキーが入っていた缶に無造作に収められているのは、石以外にも、お祭りの出店買ったちゃちな指輪だとか、指の長さ程度の小さなぬいぐるみだとか、しょうもないもので満ちていた。それらは俺か侑が渡したモノがほとんどで、「よくこんなん渡したわ」思うと同時に「よく長いこと持っとるわ」と感心した。
「治、お待たせー」
「おぉ」
 トレイに2人分のジュースとお菓子を乗せて戻ってきたに視線を向けることなく返事をする。横目にチラチラと映り込むの格好を目にし、頬杖をつくふりをして頭を抱える。部屋着というよりも寝巻きに近いんじゃないかという格好に頭が痛くなるようだったからだ。
 もこもこしたキャミにショーパンて。無防備なその姿に、誘っとるんかと詰問したくなる。
 ――せんけど。我慢したるけど。
 ノーガードよりもやらしいわ。憮然とした表情が浮かぶのを誤魔化すために、左手で右頬を摘む。
「なあ、治」
「ん」
 随分な目つきで見つめていたことに気付かれたのだろうか。ハネた心臓を悟られぬように短く返事をする。
「そのTシャツ、侑も着とったけどお揃いで買うたん?」
「ちゃうわ。貸した……っちゅーか勝手に着たんやろ」
「あ、わかるわ。それ」
 ケラケラと笑い始めたは手のひらで口元を隠してもなおハミ出るほど大きく口を開いて笑っていた。ひとつ、大きく息を吐き出し、改めてへと向き直る。テーブルの上に持ってきたものを並べるを眺めながら、侑もおったらよかったのに、と内心で項垂れた。
 今、この部屋の中にはと俺しかいない。はちゃんと俺と侑と、平等に、夏休みの宿題を一緒にしようと誘った。だがその誘いを承諾したのは俺だけだった。侑はなにやら理由づけて他所に遊びに行ってしまったが、夏休み終盤になれば宿題をすべて写させろとごねるのが目に見えている。
 ――は見せてやるんやろうか、侑に。俺やったら絶対にノート貸さんけど。
「どうしたん?」
「や、別に」
 またしても、じっと見つめていたことに気付かれたようだ。は気の回るタイプというわけではないが、自身に向けられる意識には、妙に聡いところがあった。の問いに曖昧に応えると、は「ふぅん」とそっけない返事を残してまた机の上にお菓子などを並べる動作を再開させた。
 物持ちのいいは、モノは集めて使うことに意味を見出すタイプだった。ジュースの入ったコップの下に敷かれたコースターは、小さい頃にが好んで集めていたキャラものだ。キーティちゃんだかいうねこのモチーフのそれはお世辞にもかわいいとは言えないが、この部屋の中にもいくつも散見された。
 ふいっと視線を外し、の部屋の中の観察へと意識を移行した。パッと目に入るだけでも机の上のペン立てに刺さっていたり、手鏡の裏やよくわからんボトルの柄、また壁側のベッドの端に並べられたぬいぐるみの一角など、そこかしこにキーティちゃんは異様な存在感を放って鎮座している。
「相変わらずごちゃっとしとるな」
 膝の上に置いたままだった宝物入れの缶を横に下ろし、腕を伸ばしてぬいぐるみのうちのひとつを手に取る。水族館のお土産で買ったのであろういるかのぬいぐるみもまた、長くが愛用しているものだった。
「ベッドの上にぬいぐるみ置いてるやつは彼氏できんて言うで」
「え?! それほんと?!」
 俺の言葉に目に見えて動揺したは、トレイを床に置き、俺の隣へと移動してくる。ベッドの上に膝をつき、整列させたぬいぐるみを掻き抱く。キョロキョロと視線を巡らせたは、とりあえずとばかりに本棚の上にそれらを並べ始めた。
 の背丈では幾分か困難なようで、ほんの少しだけ爪先立ちになりながらひとつひとつのぬいぐるみを乗せていく。手伝ってやろうかとも思ったが、の好きにやらせた方がいいだろうと思い直し放っておいた。
「なんでそんなジンクスあるんやろな」
「ヤるとき邪魔やからやろ」
 端的に告げると、は面白いくらいに顔を歪めた。片付け始めたばかりのぬいぐるみをまた腕の中へと回収し、ベッドの上へと並べ始めるを横目に眺める。
「なんで戻すん」
「当分そんな予定ないから」
「あるかもしらんやろ」
「無いて。ありそうなったら考えるわ」
 考えるとは言っているが、実際に片付ける気がなくなったのが手に取るように分かった。追求したところで、そんなみみっちいことを考えない男と付き合うだなんて返答が返ってくることはわかりきっている。
 ふたりきりで部屋に居たところで、際どい会話を振ってみても意識されない。十数年変わらない距離感は居心地がいいと同時に、その強固さが時に恨めしくもなる。
 部屋の中にあるいちばん大きなぬいぐるみを抱えたがするりと俺の横に腰掛ける。投げ出された白い脚から極力視線を外すため、真正面を見据えると、むくれてしまったが俺を強く睨むのが横目に入る。手を翻し、ポンと後ろ頭を軽く叩けばその表情は簡単に解けた。目に見えて機嫌良さそうに笑うに、こちらの気持ちまでほぐされていくようだった。
 ――こうやって隣でが笑ってるだけでもええもんやな。
 今更なことを胸中で噛み締める。今、楽しければそれでええと刹那的に考えているわけではない。だが、もう過ぎてしまった過去よりも、確証のない未来よりも、今、が笑って俺の隣におることの方が重要やった。
 こいつが今後、誰かと付き合ったとしても将来的には俺のもんや、と侑は言った。そう言って、今、そばにいないことを選んだ。
 俺は、その”今”が欲しい。今、目の前にがいるなら、それでえぇ。
 隣に腰掛けたの腰に手を回し、そのまま触れようと思ったが、幼馴染としての距離感にしては逸脱しているかと思い直し、触れぬまま元の位置に戻した。その間、じっとへと落としていた視線は、彼女のそれを絡めとったまま動かない。
「どしたん、治」
「なんでもないわ」
 手の位置を上げ、背中の中心に触れ、軽く2回叩いた。気にすんなと言外に込め、から視線を外した。
「なんや、今日はしおらしいな治」
「俺は侑よりかは大人しいと思っとるで」
「まぁ、それは知っとるけど」
 はぐらかすような俺の態度に違和感を覚えているらしいに、今度は「なんもないて」とはっきりと伝えた。訝しむ様子を残しつつも、俺の横に置いていた宝物入れに手を伸ばしたは、先程の俺と同様に中身を検める。
 「懐かしいなー」だなんて言いながらひとつひとつ確かめるように目の高さにかざしたが、ハート型の石を手にし、他の物と同様に見つめる。目を細め、郷愁に浸るは、今、何を考えているんだろうか。まだ、その石はハート型ではないと誤認したままなんだろうか。
「なぁ、それ何に見えたんやったっけ」
「赤いきつねでしょ」
 すっとぼけて尋ねた俺に対し、疑いもなくキッパリと言ったに何も言えなくなる。肩を竦めて、おおきく息を吐き出した。想いを告げるのは、今ではないのだと再認識させられる。確証のないうちに攻め込むのは性に合わない。だが待ち続けていて”いつか”は来るのか。
 ――ほんまめんどいわ。
 ままならない状況も、掴めない気持ちも、面倒くさいものだと感じているのに捨て置くことはもっとできない。ほんまに難儀やで。
 こうなってくると、いつかを掴むためにも、気長に待つしかないよなぁ。気は長い方やけど、ガキの頃から考えたらもう十年近くのことを好きでいるというのに。長期戦の構えを取ると考えてはいるが、どっかで一度ガッツリ押さないかんのやろか。
 小さく溜息を吐くと、肘あたりの衣服を引っ張られる感覚が伝わってきた。チラリと視線をに戻せば、なんの邪気もない瞳が俺を見つめていた。
「いつか侑が緑のたぬき持ってきてくれるのを信じとるんやけどなー」
 石を持つ手を自分の頬にあてがい、笑うは十年待ってもこなかった未来を信じているらしい。  
「石なんかもう探さんやろ」
「わからんやん。孫とかできたら川にも行くやろ。そん時でもええんよ」
「……どんだけ気が長いねん」
「まぁ侑やなくても、治が見つけて持ってきてくれてもええんやからな」
 ニッと笑ったは甘えるように俺の腕に頭を傾ける。ただそれだけの動作で胸の奥に火が付いた。
 ――かなわんなあ。
 それはがなにかを俺らにおねだりする時に決まってする仕草だった。あざといわ、ほんま。そう気付きながらも、いちいちかわいいと思ってしまう。
 一緒にかくれんぼしようだとか、逆上がりの練習に付き合ってくれだとか。小さな願いを、毎度、ひとつずつ叶えてきた。今日だってそうだ。宿題を一緒にしようという健全な誘いに、俺はほいほい乗っかった。
 見返りがなければ、駄賃もない。あるのはの笑顔だけ。だけど、俺はそれだけでいい。
「ほんなら宿題終わったら一緒、石探しに行こか」
「ええね、ノった!」
 俺の言葉一つで、弾けるように笑うに、俺もまた口元を緩める。孫ができてからでも、とは言った。俺が考えているよりも、の気は長いらしい。せやったらもう、一生かけて、とことん付き合うてもええよ。
 一つの約束に、もう一つ、約束を重ねていく。そうやって”今”が続くなら〝未来〟もいつか〝今〟になる。



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