神 宗一郎02b:ハニービー

ハニービー・キラー・スマイル#02


「と、いうことで神君の中学の子と親睦会しませんかってさ」
 狭い部室の中、少し声を大きくするだけでその声は一同に響き渡る。もちろん発言した私に視線は集中するのだけど、それに怯んでたじろぐようなスペースは残されていない。
 2年生だけで10人もいる大所帯。着替えるだけでも一苦労なのだからそれも当然だ。
 隣に立つ子にぶつからないように気をつけながら、Tシャツの袖から腕を抜く。折り畳んだそれを鞄に放り他の子たちの言葉を待ったが、みんな牽制し合っているのかお互いを見回すだけだった。
 肩で息を吐いて、取り出したシャツに袖を通し、どうしたものかと考える。
 体育館の後片付けを終えると、普段通りなら部室で着替えて、コンビニに寄り道しながらも真っ直ぐに家に帰るのが常だ。
 しかし、今日は違う。他校との親睦を、とけしかけられた私は、神君と一緒にご飯を食べに行く約束をしてしまったのであった。別にそれは構わないのだけど、やはり1人で行くことには気兼ねしてしまう。
 人見知りをする性質というわけではないし、神君が悪い人に見えたなんてことは無いのだけど、どうしてもあまり慣れないことはしたくなかった。
 簡単に言ってしまえば、男の子と2人でご飯だなんてシチュエーションを考えただけで緊張する。私が渋っている理由はこれだけだ。
「神君ってどの子?」
 私とは対角の位置で着替えていたの方へと視線を延ばすと、彼女はきょとんとした顔で私を見ていた。
 彼女の格好が視界に入り、呆れにも似た感情が沸いたのは、が上着を脱いだままでスカートを履き始めたからだ。先に上を着てしまえばいいのに、こういうちぐはぐなところが彼女にはよくあった。例えばアイスを食べながら、おにぎりを口に運ぶ、みたいな。
「今日2試合目で男バスと試合してたとこの子。一緒に得点板捲ってた子なんだけど」
 見たかなぁ、そんな期待を込めての問い掛けに答える。女バスがランニングから帰ってきた時、ほぼ試合も終わっていたからもしかしたら見ていないかもしれないけれど、目敏いがチェックしてるだろうという確信もあった。
「あぁ。目のくりっとしたかわいい子か」
 案の定、あっさりと言ってのけたに、また他の子も「あぁ、見た見た」などと同調し始めたのを受けて、意外とみんなチェック早いんだなと感心する。
 神君に声を掛けられるまで何も気にしなかった自分を省みて、改めた方が良いのかなぁと考えてしまう。とは言え、興味ないものに対して執着するのもおかしな話だとすぐに思い直したのだけど。
「……でもそれは、が誘われただけだよね?」
 下の方から順番にボタンを留めていると、早々に着替えの終わったちゃんが鞄の中の整理をしながら声を掛けてくる。練習中の指示のような的確な言葉ではなく、幾分か婉曲的な物言いに内心で首を捻る。
「え、まぁ」
 釈然としない問い掛けに、自然と返答は歯切れの悪いものになる。
「じゃあ私たちが行くの野暮じゃない?」
「ヤボ?」
「せっかくの出会いのチャンスを潰しちゃうんじゃないかって心配してるの」
 ジッと鞄のチャックを閉めて、背筋を伸ばしたちゃんの発言に、頬に火が付いたような熱さが走る。出会うとか出会わないとか、そんな風に恋愛に走った考えを想起させられて、思わず照れてしまったのだ。
「別にそういうんじゃないと思うけど……まぁ、いいじゃん。付き合ってよ」
 言葉に焦りが出ないように気をつけながら、お願いしますよ、と言う代わりに下げた頭の上で両手を擦り合わせた。

* * *

「神君っ」
 正門の前に自転車を止めて、所在なさげに足元を眺めながら立っていた神君に大きく呼びかけて手を振る。その声に触発されるように顔を上げた神君は穏やかに微笑んでこちらへと向き直った。
 ひらりと翳される手はそのままに、神君は私の周囲に視線を向けて会釈をする。他の部員たちも一緒だったけれど、待たせすぎるのも悪いと思い、軽い駆け足で神君の待つ正門へと急いだ。
「お待たせ」
 神君の正面に辿り付き、それから神君以外の人が目に入らないことをいぶかしんで周囲を軽く見渡す。
「あれ?」
「どうしたの?」
「神君だけ?」
「そのつもりだったけど?」
 目を丸くして神君を見上げた私を、困惑に眉を下げた神君は苦笑いを浮かべて見下ろす。
「他のやつも誘った方がよかったかな? 今ならまだ追いつけると思うけど」
 神君の言葉に、漸く自分の頭が現状に追いつき、ちゃんの危惧していた通りであったことを知った。同時に、やはり神君は2人でご飯食べに行きたいと言っていたのだと知り、今更ながらに羞恥に顔が赤く染まる。
?」
 怪訝そうなの声が聞こえ、身を翻して振り返ると、のんびりと歩いていたらしいみんながいつの間にか追いついていて、みんな一様に場の現状が分からないと言う表情を浮かべていた。
 当の私も困惑していたのだが、今の状況を説明しようか否か逡巡する。でもどうやって?

 やっぱり誘われたの私だけだったみたい?
 神君しか来ないんだって?

 そのどの言葉でも投げやりな感は拭えず、どうしても上手い言葉で説明できそうに無かった。そして私の希望としてはそれでもみんなが一緒に来てくれたらいいなと思うもので、それを神君に強いるには余りにも酷に思えた。
 肩に掛けた鞄の紐を握り締めて、口を真一文字に引き締めたままでいると、一つ、小さく溜息を吐いたちゃんと視線がかち合った。
「じゃあ、、みんな帰るから私たちはここで」
 ふわりと笑ったちゃんの顔は、暖かく優しいものではあったけれど、帰る、と言われたことには動揺を隠せない。
 待って、一人くらいは――。
のことよろしくねー、神君」
「ばいばい、。また明日」
 口々に別れの言葉を述べて去っていくみんなに縋り付くことが出来なくて、空中に浮かせたままの手は空しく風に晒されるだけであった。
「……察しがいいお友達をお持ちのようで」
 人差し指で頬を掻きながら言葉を零す神君は、視線を斜め上に向けて何やら考え込んでいるようだった。気を使われたことを悟る神君も察しのいいタイプなのだろう。
 帰っていく女バスのメンバーを居心地が悪そうに見送っているのがなんとなく伝わってくる。申し訳ない感覚に襲われて、真正面から見上げることが出来ず、チラリと横目で神君の表情を盗み見ると、ちょうど視線を下ろした神君と視線が合う。
「じゃあ、行こうか」
 眉を下げて笑った神君は、それでも落ち着いた声音で私に先を促す。自転車のスタンドを蹴って、数歩先に歩き始めた神君は、私が歩き始めるよりも前に立ち止まって振り返った。
「あ、乗る?」
「いやいやいやいや大丈夫」
 自転車の後輪につけた二人乗り用のステップを指し示した神君に、左右に首を数度振って丁重にお断りをする。緊張のあまり過剰な返し方をしてしまったのがおかしかったのか、神君は目を丸くして私を見やる。
「やっぱ面白いな、君」
 ふわりと笑って先を歩き始めた神君の背中を眺めながら、小さく一つだけ溜息を落とした。

* * *

 2人で並んで歩いているときはそうでもなかった。
 今日あった試合の話から始まって、お互いバスケを始めたきっかけ。ポジション争い。それから来年の受験でどこを受けるつもりかなんてことまで話した。
 神君が言った「海南を受けるつもりだよ」と言う言葉には吃驚したけれど、それも無理も無い話だ。神奈川でバスケをする人にとって、海南高校と言う名前は誰しも憧れに似た感情を抱くか、若しくは打ち崩したい敵として掲げるかのどちらかであるはずだ。
 神君のプレイを見たことは無いけれど、目指すバスケのレベルの高さを思えば、きっといいプレイヤーなんだろう。
 だが、そんな和やかな談笑も、近くのファミレスに入った途端に掻き消されてしまう。中学生同士で、しかも2人で今日初めて会った人と、だなんて滅多に無いシチュエーションに私が緊張してしまったのだ。
 悪いことしてるわけじゃないけれど、部活の帰りって買い食い怒られたっけ、なんてことまで考えてしまう。
 おかしいな。小心者と言うわけではないはずなんだけど。どうもこの環境が滅多にないからいらないことまで気になってしまう。
 もしも、とか女バスの子がいてくれたらまた変わったんだろうけれど、それも今となっては望めない祈りでしかなかった。
 テーブルを挟んで向かいに腰掛け、壁際に立てかけられていたメニューを取った神君はパラパラと捲りながら、食べ物のページを眺めている。メニューに落とされた視線。その伏せられた目に睫の影が落ちるのを見て、男の癖に睫長いんだなぁ、などと思った。
 ジッとその様を見つめていると、視線に気付いたのか、神君は伏せていた目を私の方へと向けて、目元を柔らかく細める。にわかに焦ってしまい、もう一冊置かれていたメニューを手に取り、目の高さに持ち上げて、神君から顔が見えないようにした。
 隠れるような真似をしたことがおかしかったのか、神君は今度は声に出して笑った。
 その笑い声が恥ずかしさに拍車をかける。気分を落ち着かせようとお冷のグラスを傾けたが、部活後ということもありうっかり一息に飲み干してしまう。喉の渇きを慮ったのであろう店員さんが即座に注ぎに来たてくれたが余計に居た堪れなくなった。
は? 何食べたい?」
 私の持つメニューの上の方に指を引っ掛け下げさせた神君が、私のことを「」と呼んでいることに初めて気がついた。普段から名前で呼ばれることは多かったけれど、初対面からそのように呼ばれることは珍しい。嫌だとは思わないのだけど、おとなしそうな顔をして結構大胆なんだな、とだけ思った。
「今日部活らしい部活じゃなかったしなぁ」
「まぁ、そうだよね」
 自分が持っていたメニューをいつの間にか閉じた神君は、少しだけ身を乗り出して私が持っているメニューの中を覗き込んできたので、私もまた彼に合わせるように身体を捻った。
「あ、いちごパフェ美味しそう」
 一番最後のページのデザートの欄に書いてあるいちごパフェは「メイプル香る至高のまるごといちごパフェ」などとたいそうな名前を付けられていたが、写真でもかなり美味しそうに撮られていて、魅力的に見えた。
「それにする?」
「うん、決めた!」
 安心してメニューを神君に渡すと、神君もまたデザートの欄を眺めた。
「神君はどうする?」
「宗でいいよ」
「え、そうなの?」
「うん、宗。宗一郎ってちょっと長ったらしいし」
 あ、多分今ちょっと語弊が生じた。
 さっきのは神君の名前を呼んだわけではなかったのに、どうやら順応したのだと取られたみたいだ。
 別に神君がと呼ぶのならそれに合わせてもいいか。それにしても自分の名前を長ったらしいだなんて表現する神君――宗がちょっと面白いなと思った。
「オレも甘いものにしようっと」
 言いながらメニューを閉じた宗が、傍らにおいてあった係員を呼ぶためのブザーを押すと、程なくして店員さんがやってきた。
「私、いちごパフェ、宗は?」
「このチーズケーキで」
 それぞれ注文し、復唱されたメニューが間違いないかを確認した店員さんは足早にこの場を去っていく。
「宗が頼んだのってどんなの?」
「ん?これ」
 メニューを私が見やすいように回転させた宗が指し示したのは、「夏の風味と爽やかさ 究極のチーズケーキ ~みかん添え~」という、これまたたいそうな名前を付けられたものだった。
「なんかここのファミレスメニューの名前凄いね」
「そうだね、ハンバーグとかもそれっぽいよ」
 一枚捲ってグリル系のページを示した宗に促されて視線を落とすと、確かに気合の入った名前が連なっており、ファミレスの個性化を図っているのだと思うとおかしくて仕方が無かった。
 運ばれてきたパフェもチーズケーキも写真とは違い、普通の様相をしていたものだから、そのおかしさは倍になる。クスクスと笑っていると、「、笑い過ぎ」と同じように笑う宗に窘められてしまった。
「とりあえず食べよっか」
「そうだね」
 いただきまーす、と口々に言い、お互いの目の前に運ばれたデザートにスプーンを落とす。
 生クリームの頂に刺さったウエハースにたっぷりとソースを絡めて、長いスプーンの先でいちごを掬い、一緒に口に運ぶ。至高かどうかは解らないけれど、結構美味しいんじゃないかと思う。
 生クリームとメープルの甘さはくどさは無いし、そこにいちごの酸っぱさが合わさってちょうどいい。疲れた身体に甘さが染み渡るこの感覚はひとしおに心地よかった。
 一通り味わって半分ほどに差し掛かった頃、宗が私の食べさまを見つめていることに気がついた。
「美味しそうに食べるね」
 苦笑して言った宗に、あまりにもがっつき過ぎたかもしれないと省みたが、でも美味しいものを味わえないのもおかしな話だから気にしないことにした。緩む頬を引き締めることもせずに、スプーンの先についた生クリームを舐め取って微笑む。
「うん、だって美味しいもん」
「オレのも食べる?」
「いいの?」
「いいよ」
「やった」
 スプーンを掲げて貰おうとお皿に手を伸ばすと、悪い顔した宗に制される。
 何だろう。そう思い、首を捻ると、一口分フォークで突付いて取った宗は、そのまま自分の方へと運ばずに私の正面に差し出してきた。
「はい、。あーん」
 軽やかに笑った宗の意図することは解ったけれど、にわかに硬直してしまう。女バスの子と戯れにそのようなことをすることはあったけれど、男子とはしたことが無いのだから当然だ。
 いや、でも差し出されたものを食べないなんて女が廃る。というより、ここで引くと負けた気がするなどと、無駄な負けず嫌いな性格が作用してしまう。
 テーブルに叩きつけるように手を置き、意を決して宗の差し出すフォークに顔を寄せた。ただ、口を開くまでは難なく出来たが、口に入れることが躊躇される。
 舌の先がフォークに触れると金属の冷たい感触が走り、それを機にチーズケーキに噛み付いた。チーズケーキ独特の味がじわりと広がったが、正直、味わうどころではなかった。
、真っ赤」
 手の甲を口元に寄せた宗は、心底面白そうに笑っていて、私をからかっていることが明白だった。この人かわいい顔してるくせに、本当に意地が悪いんだなと居心地の悪い思いを抱える。
 周知に塗れた顔を晒すのがイヤで、半身を捻って身体ごと宗からそっぽを向いたのだと示すと、宗の笑い方は益々大きなものとなった。
「だってこんなことしたことないもん」
 言い訳にしかならないとは解っていても、言わずにはいられなかった。
「へぇ、いいんじゃない? 可愛くて」
 笑い過ぎて涙が出たのだろうか。目元を擦りながら言う宗に、益々羞恥心が掻き乱される。生まれて初めて可愛いという言葉を嬉しくないと思った。
「なんか棘がある言い方」
「うーん、あんまりするとあざといかも」
「なにそれ」
「だから他所ではしない方がいいんじゃない?」
 宗の言わんとすることは解らなかったけれど、あざとい、と言う言葉に「そんなんじゃないもん」と否定し損ねたことを後悔する。
 握り締めていたスプーンをパフェの入ったグラスに突き刺して、やけ食いだといわんばかりに口に運び続ける。それさえも宗の笑いのツボにはまるらしくて、宗の笑い声はますます店内に響いた。
 遠くからこちらを伺う店員さんさえも笑っているように思えて、水ならまだ残ってるから見ないで下さいと乱暴な考えが頭を過ぎる。被害妄想だとは解っていても、悔しくてスプーンに噛み付くと金属の味が口の中に広がった。
「ねぇ、
 笑い過ぎて呼吸のおぼつかない宗が、自分のチーズケーキを手元に引き寄せ、細切れに切り刻み、また私の口元に寄越したので、今度は素早い動作でフォークに噛み付いてやる。
 主張される酸っぱさに眉根を顰めた私を、目を細めて眺めた宗は、お皿に残った分を食べながら言葉を紡いでいく。
「来週、オレ多分復帰できると思うんだよね」
「へー、そーなんだ」
 からかわれ続けたことにぶすくれていた私の返答は随分投げやりなものとなってしまったが、それ受けた宗は苦笑するだけで、特に機嫌を悪くするようではなかった。
は別に今の男バスに対して好感持ってるわけじゃないんだよね」
「好感って……別に嫌いって訳じゃないくらいだけど」
「そっか。うん、あのさ」
「なに?」
「うちとんとこがまた試合やったときさ、その時はオレのこと応援してくれる?」
 先程まで笑い転げていたとは思えない程に真っ直ぐな視線が突きつけられる。その視線に緊張してしまい、口の中に含んだままだったいちごをほぼ丸のまま飲み込んでしまう。
 ごきゅっと喉元から音が鳴り、その違和感を拭うために一つ咳払いをすると、反射的に姿勢を正すために差したままだったスプーンから手を離し、膝の上にと移動させる。
 水に入った氷が溶けたのか、カランと乾いた音がやけに耳に響く。私の返答を待つ宗と、宗に何と言おうか逡巡する私の間にある沈黙を如実に示していた。
 スカートの裾を握り締めることで、漸く自分の安定が保たれるような気がして、宗の視線に気圧されることなく見返すことが出来た。
「うーん……まぁ、宗のことだけなら」
 それでも出る言葉は宗の眼差しに負けてしまい、どこかハッキリとは言えずじまいになる。上手く言葉に出来ないけれど、宗を応援すると決めることに対しての抵抗は無かったが、簡単に言ってしまうのは、宗に申し訳ないような気がしたのだ。
 私の返答に、宗自身に纏わりついていた緊張感が解放されて、同時にどこか息苦しく痞えたものが何処かへと消え去った。
「やったぁ」
 屈託なく笑う宗が嬉しそうに漏らした声に、自然と頬が熱くなる。さっきまで意地悪だったのに、急に素直になられると、調子狂うってば。
 ――あぁ、本当に意地が悪い。
 赤くなった顔を見られたくなくて、残ったいちごパフェを止めどなく口に運ぶ私を見つめる宗の目は、笑っていたけれど何処か優しさを含んだものだった。  



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