三井 寿03:規則正しい生活03

規則正しい生活です#03


 昼ごはんは屋上で一緒に、なんて別に約束しているわけじゃなかった。いつだったか、たまたま徳男たちと屋上で昼飯食うことになって、その時たまたまも屋上に彩子や宮城、安田と来ていて、そういうのが何回か続いて、一緒に飯を食うのが自然と習慣化されただけだった。
 だから別に今日、が昼飯の時に一緒でなかったからといって責めるようなものではないし、今までだって来ない日はあったのだから流そうと思えば流せたのに、何故かその日は酷く気になった。いつだったかが来なかった時に、次の時間で当てられる英語の和訳が追いつかなかったのが理由で来なかったこともあったけれど今日はそういうのではない気がしたのだ。
 母親の作った弁当を胃の中に流し込んでから、菓子パンを頬張る徳男たちに別れを告げると、足早に屋上を後にして、3年の校舎に戻らず2年の校舎へと足を延ばしたのは、偏にを探すためだった。
 2年の校舎に3年が出入りするのが珍しいのか、周囲の視線が突き刺さる。あからさまに「バスケ部の三井先輩だ」なんて聞こえよがしの声が耳に入ることには幾分か慣れていたが、どこか居心地が悪いのは変わらなかった。宮城とかいねーのかな、と小脇に抱えたままだった弁当箱をもてあそびながら視線を彷徨わせると、手洗い場の前で見知った顔を見つけた。
「あ。おい、安田」
 健康に悪そうな緑色の液体を手の平の中に掬った安田は、丁寧に泡立てて手を洗っていたのだが、オレの呼びかけに気付くや否や即座に水に流してしまう。
「あ、三井サン。ちわっす」
 ポケットから出したハンカチで素早く手を拭い、オレの方へと向き直った安田は相変わらず生真面目な性格をしているなと感じた。別に赤木じゃねーんだから、少しくらい横柄な態度取ったからって殴りつけたりしねーんだけどな。かつて殴り倒したことのあるオレに言われたところで安田も信じられないだろうから言わないけどよ。
 何処となく感じた気まずさを無視するため、安田から微かに視線を外し、指先で頬を掻く。呼びつけたくせに何も語らないオレに、煮え切らないものを感じたのか、安田は困ったような表情でオレを見上げてきた。部活中ならともかく、休み時間に安田を訪ねる理由なんて無いのだから困惑も当たり前か。
「お前さぁ、と同じクラスだったよな?」
 ポツリと質問を投げかけると、オレの到来に合点が行ったのか、目に見えて安田は安堵の表情を取った。
「あ、はい。そうですけど」
 肩の力を抜いて朗らかな表情を取る安田は、確かと仲良かったっけ。小さく頭を擡げそうになる嫉妬心に蓋をして、安田への質問を更に投げつけた。
「アイツ今どこに行るか知らねぇ?」
「え?」
 先程緩和したばかりの表情はまた不思議そうなものへと変化する。
「今って……なら今日は休みですよ」
「はぁっ?!」
 安田の言葉に驚いたオレは必要以上に大きな声で反応してしまう。元々集まっていた視線が更に向けられたのは元より、目の前に立つ安田は肩を引きつらせて首を引っ込めるほどであった。オレと安田がもしも部活が同じなどという接点が無ければ、虐めているように見えるのかもしれない。
「や、休みって……理由は知ってんのか?」
 極力声と同様に気持ちも抑えながら言葉を続けると、失言でもしてしまったのかと身を固くした安田は緊張した面持ちのまま、手を拭いたときのまま持っていたのだろうハンカチを縋り付くように握り締めている。
「どうも風邪を引いたみたいで……みんなも注意しろって先生は言ってましたけど」
「風邪って……」
 訥々と言葉を繋げた安田の言葉に頭を抱える。先週の金曜日、風邪を引いたオレを、留守にしていた親に代わって、土日と合わせて三日間付きっ切りで看病してくれたのは他でもないだった。状況を思えばどう考えてもオレが移したとしか思えない。
「――チッ」
 鋭く舌を打ち鳴らすと、また安田は顔を引き攣らせる。それを申し訳ないなどと、もう構っていられるような状態ではない。
 に見舞われるのに浮かれて、風邪を引かせたという後悔が押し寄せる。情けない自分に嫌気が差して不貞腐れていると、後方から暢気な声が掛けられた。
「あれー? 三井サンじゃん。何やってんすか」
 その声に振り返ると、宮城と彩子が連れ立ってやって来たのが目に入る。彩子の隣にいる時の宮城の顔は締りの無いツラをしていて、その浮かれ具合がいつも以上に癪に障った。
 もっとも、宮城に言わせるとオレがの傍に立っている時の方がムカつくんだそうだが。
「あ、そーだ。三井先輩、知ってます?今日、が風邪引いて休んでること」
「おぉ、らしいな」
 彩子の問いかけに、今知ったなどと言えず言葉を濁して答えると、宮城と彩子は揃ってニヤリと人の悪い笑みを浮かべた。息の合った2人の様子に辟易とした視線を向けるとその笑みは益々深いものとなる。
 何が言いたいのか想像の付く笑みは、見ていてイラ付きしか覚えないのだから、辞めて欲しいのだがそんなこと言ったところで聞くような可愛げのある後輩ではないだろう。
「さっき、下の公衆電話でにかけたら三井先輩に移されたってわぁわぁ言ってましたよ」
「移されただって。やらしー、ナニしたの?」
「っるせぇ! 何もしてねぇよっ」
 悪乗りした宮城のからかうような言葉に耳が熱くなる。なんでもかんでもこじ付けで、やらしいという宮城の方がよっぽどいやらしい。
「なぁ、リョータ。、平気そうだった?」
 頭に上った血を引こうと手の甲で頬を擦っていると、今度こそ本当に安心した様子の安田が宮城に声をかける。
「あぁ、朝方高熱が出たけど、午前中に病院行って注射打ったからもう平気って言ってた」
「そっか。よかった」
 安堵するような安田の言葉にオレもまた肩から力を抜いた。注射は嫌いだと泣き喚いていた幼いころのが頭を過ぎったが高校生にもなれば、その痛みの一つや二つ我慢出来るようにもなったのだろう。
 でもだからと言って、オレが原因であることは変わらない。風邪なんてしんどいだけだし、休んでいるとなると状態もあまり芳しくないのであろうことは想像に容易い。
 悪いことをしたな、と小さな溜息を吐くと、宮城の横に立ったままだった彩子が、オレへと視線を延ばし、目を細めて笑う。
「相変わらずでしたよ、。休み満喫してる様子もあったし」
 複雑な顔をしているオレを慮ってか、彩子が「大丈夫」という代わりに言葉を紡ぐ。その言葉に少しだけ心が軽くなった気がして、フッと口元に笑みが浮かびあがる。
「……そうかよ」
「でさ、ちゃんさ、家にいるのつまんなーいって言っててさ。テスト前だから勉強したらつったら、いいとも終わるまでは無理だって」
「無理ってところがらしいな」
 の口真似を合間に挟みながら機嫌よく笑う宮城に同調して安田も笑う。1年の頃から部活で一緒だったというのもあるのだろうけれど、本当にこいつらは仲がいいんだなと微笑ましく感じるのと同時に、蚊帳の外に追い出されたような感覚に陥る。
 こいつらといる時のの様子なんて知らない。オレに見せない顔もあるのだろうと思うと堪らなかった。
 そもそも、具合が悪いかもしれないことを、なんでオレには言わなかったんだ、アイツ。昨日会った時は体調悪そうな素振りなんてまったく見せなかったのに、アッサリと休むなんて。
 宮城の弾む声に、イライラと鬱憤が溜まっていくのが解る。同じクラスの安田や、親友だという彩子がの風邪を気遣うのは解る。だが、したり顔でのことを語る宮城にイラついて堪らなかった。
「そういやちゃんプリン食べたい、って言ってたよ。持ってってやったら? 三井サン」
 唇を引き締めたまま宮城を見下ろしていると、不意に宮城がオレに話を振ってきた。意地悪く口角を上げて笑う宮城に、コイツは全部解ってて話をしているんじゃないかと勘繰ってしまう。
 のことを話すことでオレの感情を逆撫でして、そしてイラついているところに見舞えば、と言うことでだらしなく笑うオレを見て嘲笑いたいのであろう。そうは行くか、と唇を更に引き締めて、機嫌悪く顎を窓の方へと向けた。
「プリンだぁ? 仕方ねぇな、買ってってやりゃあいいんだろ」
 その反応さえも計算通りだったのか、宮城はますます面白そうに笑う。隣に立つ彩子まで安田の肩を叩いて笑うが、安田はと言えば彩子が触れたばかりの肩を宮城に突き飛ばされるだけであった。
「じゃあ三井先輩も、授業終わったら近くのコンビニで集合ね」
「は? なんでよ」
のお見舞いツアーですけど?」
「はぁ? お前らが行く必要あんのかよ」
「だってが呼んでるんだから、仕方ないじゃないですか」
 彩子のあっけらかんとした発言に閉口してしまう。家にいても暇だの、寂しいだの、彩子に会いたいだのと調子のいいことを言い連ねるの姿が簡単に脳裏に思い浮かぶ。
「ヤッちゃんも行くでしょ?」
「来るよな? ヤス」
「え、いや……でも、オレは」
 彩子と宮城の誘いの言葉に、この日一番困った顔を浮かべた安田は助けを求めるようにオレへと視線を向ける。「行かない」と突っぱねないってことは、恐らく安田もまたの元に行きたいのだろう。
 安田とが仲がいいというのは解っている。更に言えば来るなって言ったところで宮城たちの反対にあうことは目に見えている。
 唾を飲もうとしたが、上手くいかずグッと喉の奥が鳴るだけであった。安田だけではない。宮城にも彩子にも「来るな」と言いたい。
 オレがに風邪を移してしまったのなら、オレが見舞いに行けばいいだけの話じゃないか。オレが面倒見てもらった分、オレが1人でを看たいと思うことがやましいことだと思われてもそれでいいと受け入れられる。
 だけど、それでも彩子や宮城、安田が見舞いに来ることでが嬉しそうに笑うことも想像が付いた。
 ――結局オレはを甘やかすことしか出来ない。
 唇を引き締めたまま安田を見る。ただ視線を向けただけだったが、睨むようになってしまったのか、目に見えて安田の身体が硬直した。
「……来れば?」
 観念してオレが言うと、よっぽど切羽詰った表情を浮かべていたのだろう、宮城も彩子も品の無い音を噴き出して笑った。  



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