林05:たんたんと続いてく04

たんたんと続いてく 04


用意されていた朝食を胃に流し込み、学ランを羽織って黒鞄を引っ掴む。手短に登校の準備を整えても遅刻ギリギリの時間。噛み殺しきれないあくびを零しながら玄関を出ると、廊下で待っていたがこちらを振り仰いだ。

「おはよ、良平」
「オウ。……チッ。寒ぃーな、オイ」

暖かい部屋から出た途端、刺すような痛みを伴う寒さに思わず悪態をついた。いつものようにボーッと手すり壁によりかかって待っていたらしいは、オレが鍵を閉める合間を待たず階段の方へと歩き出す。

「オイ、待てよ。先に行くな!」
「ん」

 ん、じゃねぇだろ。止まれっつってんだよ、こっちはよ。
ガチャガチャと音を立てながら乱雑に鍵を閉め、の隣へと駆ける。ちょうど階段の手前あたりで追いついたオレは、の隣に並んで階段を降り始めた。

「待てっつったろ」
「良平、走ってくるからいいかなって」
「ハァ? オマエが先に行くからだろ。朝っぱらから走らせんなよ」
「もう少し早く出てきてくれたら急がなかった」

 きゅっと眉根を寄せたの反応を尻目に、制服のポケットからケータイを取り出す。ディスプレイに映った時刻は朝礼が始まる20分前。走らなくても間に合うが、のんびりしていたら遅刻確定の絶妙な時間だった。
 がどの程度待っていたか知りようがないが、責めるような視線にオレもまた眉根を寄せる。呼び鈴を鳴らしてくれりゃちょっとは急いでやるってのに、はそれをしない。
 おとなしく待ってたくせに急かすような真似をされてもこっちも困るっつの。まぁ、実際鳴らされたら母ちゃんに「ちゃんを待たせないの!」なんて怒られちまうだろうから鳴らされないのはありがたいのだが。
白い息を吐き零しながら黙って階段を降りるをちらりと見下ろせば、こちらに一瞥を差し向けたと目が合った。だが、まばたきを挟むと同時に逸らされた視線に唇が尖る。

「ンだよ」
「? 何も言ってない」
「怒ってンのかよ」
「怒ってない。急いでるだけ」

こちらに視線を戻すことなく返ってくる言葉に眉を顰める。端的な言い方をするのはの性分だ。そんなこと分かりきっているのに、こっちが待たせた負い目もあり今日だけはいやにツンケンしてるように見える。
何も考えてなさそうなボーッとした視線がこちらに向かないのも手伝って、ますます苛立ちは募る。腹いせの代わりに階段の踊り場で軽く肩をぶつけてやると、思いのほか力が伝わってしまったのか、がたたらを踏んだ。

「っ……!」

 短い悲鳴が耳に入る。大袈裟な反応だと息を吐いたのも束の間。そのまま立ち止まるかと思いきや、雪になりきれなかった雨が石の階段を濡らし、いつも以上に滑りやすくなっていたらしい。ずるりと足を滑らせたは目の前から姿を消した。
一瞬で肝が冷える。それと同時に入学直前、足を折ったの姿が脳裏をよぎった。いくらわざとじゃなくても、今度はオレが骨折させちまったなんて事態を引き起こそうものなら笑い話にすらなりはしない。
沈みかけた身体に腕を回し、強引に引き上げると反対の手で手すりを掴む。小脇に抱えていた黒鞄が階段から転がり落ちていったが、その代わりはきっちりその場にとどめることが出来た。

「っぶね……。オイ、大丈夫か
「……う、うん」

蓋を開けてみれば、はその場に尻もちをつきそうになっただけだった。だがそれは結果論ってやつで、を危機に陥らせそうになったことには変わりない。
の腹を抱えたままひとつ安堵の息を吐き出すと、同じ調子の音が下から聞こえてきた。

「っつーかオマエもう少し鍛えろよ。パーちんならオレがぶつかったくらいでよろけたりしねぇぞ」
「一緒にしないで……」

不満気な言葉を吐いたの顔を覗き込めば、きゅっと寄せられた眉根が目に入る。今度こそ怒らせちまったかと危ぶんだ。だが、不安そうな瞳がオレに転じられた途端、の感情がなだれ込んでくる。

「……怖かった」
「……悪ぃ。ふざけすぎた」

たった今、感じ取ったばかりの感情を口にしたに素直に謝ると、はいつものように「ん」と頭を揺らした。眉尻を下げたままを見つめていると、ひとつ、まばたきを挟んだは階段の下へ視線を向ける。

「良平、立てるから離して」
「滑んねぇ?」
「平気」

腕から力を抜けば、は軽やかに階段を降りていく。その背中をゆったりと追えば、階下に落ちていた黒鞄を拾い上げたがこちらへ差し出してきた。

「オゥ、悪ぃな」
「ちょっと汚れちゃったみたい」
「別にいーよ」

どうせ大したもんは入れねぇし、なんなら喧嘩で防御するために使うことすらある。靴跡がつくことに比べれば、ちょっと土がついたくらいどうってことない。そう伝えるとは微かに眉根を寄せた。

「オラ、さっさと学校行こうぜ。オマエが急ぐっつったんだろ」

不服そうな表情に軽く裏拳を当ててやれば、やわらかな感触とともに刺すような冷たさが触れた。これは5分は待たせちまったな。そう気付くと同時に今度はこっちが眉根を寄せる番だった。

「顔、冷たくなってんじゃん。ギリギリまで家にいりゃいいのに」
「でも良平は私が外で待ってないと先に学校行っちゃうでしょ」

の言葉に過去のやらかしが脳裏を掠める。
小学生のころ、今日みたいな寒い日に外で待つのを耐え兼ねたが自分ンちの玄関の中でオレを待っていたことがある。そうとは気づかず、に置いて行かれたと誤解したオレは走って学校まで行ってしまったのだ。
置いてけぼりを食らってトボトボ歩いていたを拾ってくれたのは、学校まで車で送ってもらっていたパーちんだった。学校についてもがいないのに驚いていたところに「を置いてくなんてヒデェやつだな!」とパーちんに苦言を呈されたのでよく覚えている。
あれ以来、は暑かろうが寒かろうが玄関の前でじっとオレを待っている。

「もう置いてったりしねぇのによ」
「良平は私が外にいなかったらうちの呼び鈴押す?」
「……押さねぇな」
「ほら。じゃあ、外にいなきゃ」

普段から気兼ねなく遊びに行き合う仲とは言え、朝っぱらからはなんとなく気が引ける。ンちのおばちゃんも親父さんも歓迎してくれるのは目に見えているが、昔ながらの気安さよりも居心地の悪さが勝った。
そこまで考えて、もしかしたらも同じように考えているのかもしれない、と初めて気がついた。それならオレんちの呼び鈴を押さないのも納得だ。
スン、と鼻をすするを見ているともう少し早く出てきてやった方がいいんだろうなと反省に似た気持ちが浮かび上がってくる。だけど、多分、明日になったらまたを待たせているんだろうな、とも思った。
――まぁ、帰りはオレが待ってんだからおあいこだろ。
放課後、特に部活がある日は2時間近く待ってやってんだ。朝の5分くらい我慢させたっていいだろ。開き直りのような考えを頭に思い浮かべながら階段を降りきると、一段と寒さに晒される。
 吹き荒れる風の冷たさに思わず首を竦めれば、オレを横目に見上げたは、ふふ、と笑った。
 
「良平、またマフラー忘れてる」
「ゲェ! マジだ」

 ついさっきまで覚えていたはずなのに、またしても椅子に引っ掛けたままにしてしまった。心許ない首元を手のひらで覆ったが、そんなもの気休めにすらならない。学ランのボタンを一番上まで留めたところであまり効果はないと知っている。
――となると、取れる選択肢はひとつ。

、これ貸して」
「やだ」
「チッ」

が巻いたマフラーの端を軽く引いたが事も無げに振り払われる。諦めずにもう一度引いてみたが今度は手ごと叩かれた。
奪われたらたまらないとでも思ったのだろうか。スタスタと先を歩き始めたの背中を追いかける。
隣に並んで歩き始めると、はチラリとこちらを見上げた。鼻の頭を赤くしたは「寒い?」と分かりきったことを尋ねてくる。

「寒ぃに決まってんだろ」
「バイク乗るときはあんなに薄着なのに」
「バカヤロウ。バイク乗ってる時とは気合いの入り方が違ェんだよ」

たかが学校に行くために気合いなんて入るわけねぇだろ。フンと鼻を鳴らしての言葉を打ち返せば、眉尻を下げたはポケットからハンカチに包んだカイロを差し出してきた。

「使う?」
「マジか! いいのかよ?」

 突然の申し出に驚くオレに、は「ん」と頭を揺らす。いつも通りの鈍い反応だが、今だけは後光が差しているのではとすら思えた。

「授業中、寒いとイヤだから持ってきただけだから。着いたら返してね」

 の言葉に、コイツが教室の窓から2番目の席に座る姿を思い出す。たしかにあの位置じゃロクに日は差さないうえに換気で窓を開けられたらひとたまりもないだろう。

「じゃあ遠慮無く使わせてもらうワ」

 巻かれていたハンカチをに返し、受け取ったばかりのカイロを手で握り込む。じんわりと滲む熱を指先に移すと首の裏へ持っていき、学ランとシャツの間に滑り込ませた。首筋に広がる熱に、身体の芯にまで届きそうだった冷えが次第にやわらいでいく。

「首、直接くっつけたら熱くない?」
「いや、ちょうどいいワ。オマエもやってみろよ」
「……セーラー服だとどこに載せたらいいかわからないからいい」
「そーかよ」
 
首を横に振ったがほんの少しだけ残念そうな顔を浮かべたのが横目に入る。やってみたいけど出来ない。そう言わんばかりの表情に、じゃあオレがなんとかしてやんねぇとな、なんて気持ちが湧いてくる。
借りたばかりのカイロを取り出し、の首に当ててやろうかと手を伸ばす。だがマフラーやら髪やらに阻まれてしまい、すんなりと差し込めそうにない。背後でチラチラ様子を窺うオレを不審に思ったのだろう。が眉根を寄せてオレを振り返る。

「何してるの、良平」
「いや、オマエの首にも当ててやろうと思ったんだけどよ。隙がねぇな……」
「隙があってもしなくていい……」

 さらにきつく眉根を寄せたは、マフラーを一周させて首の周りの防御を上げる。ここまでされては最早カイロを首に当てるどころの話ではない。マフラーを奪い取るしか方法が無さそうな状況にひとつ息を吐くと、カイロを元の位置に戻した。
 そんな風に他愛もないやり取りを繰り返しながら学校へ行く道を辿っていると、信号待ちに差し掛かったところでおもむろにがこちらを振り仰いだ。

「そうだ。ねぇ、これも先に渡してもいい?」
「ア? ンだよ」

 の言葉に促されるまま手を差し出せば、黒鞄と一緒に提げていた紙袋を渡される。持ち手に白いリボンを巻かれた薄い緑色の紙袋。いかにも女子が好きそうなラッピングが施されているそれを今から持たされるのかと思うとゾッとする。
それが表情にも出たのだろう。目ざとく勘づいたらしいは眉尻を下げた。

「中身、昨日のカップケーキだから」
「あぁ、なんだよ。早く言えよ」

そういうことなら話は別だ。オレへのバレンタインチョコだとが言うのなら、ありがたく受け取るのが筋ってもんだ。

「バレンタインおめでとう?」
「おめでとうは違くねぇか?」

妙な言い回しと共にオレの手に紙袋の持ち手を引っかけたに反論する。も言いながら変だと思っていたのだろう。軽く眉根を寄せつつも「そうかも」と口元を緩めた。

「まぁ、サンキュな。昼にでも食うわ」
「うん。たくさん入れたからいっぱい食べて」

 誇らしげな顔をしたは、昨夜、オレに第一弾を食わせた後に第二弾を作ったらしい。その分オレへの分け前が増えたのだとは笑った。「途中でチョコチップが足りなくなったからプレーンになったけど」と眉尻を下げたはオレが盗み食いしたことを覚えてないようだったので、その発言を掘り下げるのはやめておいた。
 
「っつーか今日貰ってもよかったのかよ。明日が本番だろ?」
「早い方がいいかなって。それに今日の放課後は私も部活あるしパーくんもいないでしょ?」
「あぁ、そういやそうだったな」

 昨日そんな話してたワ。一晩経ったらまるっと忘れてしまっていたが、今日はパーちんがもりユミんとこに行くからひとりでを待たないといけねぇんだった。
家庭科室で待つか外に出るかは考えてなかったが、カップケーキがあるのなら家庭科室で待っていてもいいかもしれない。まぁ、放課後のオレの気分次第だけどよ。

「……っつーか多くね?」
 ひとつ、ふたつと数えて行けば合計で12個のカップケーキが入っていた。いくらパーちんの分もあるとは言え、さすがにもらいすぎではと危ぶんでしまう。

「手芸部の子と良平のとって色々わけたらお父さんの分がなくなっちゃったから……」
「あぁ、それで第二弾ってやつか」

 先程聞いたばかりの話と繋がったことで納得したワと頭を揺らす。パーちんの分を親父さんの分ってことにしたらよかったんじゃねぇのかと思ったが、すでにもらったものを取り上げられかねないので黙っておいた。

「っつーかよォ。パーちんにやらねぇ分、他のヤツにはやんなくていいのかよ? 三ツ谷とかさ。オマエ、部活でもクラスでも世話になってんだろ」
「うーん……。それも少し考えたんだけど、三ツ谷くんには別で用意してるから」
「え、なんだよ。それ」

昨日、ふと頭に浮かんだ「が三ツ谷に気があったら」なんて仮定が頭を過る。だが、それを話題に出すより先にが言葉を続けてしまい、浮かび上がったばかりの考えが霧散した。

「昨日、手芸部の子とクッキー作ったって言ったでしょ? アレ、三ツ谷くんに渡すバレンタインの準備」
「あぁ、なるほどな」

部活の連中とまとめて渡すってんならがひとりで渡すのも妙な空気になっちまいそうだ。女同士の間で〝抜け駆け禁止〟だとか妙な約束でもあるかもしれない。
 ――モテそうだもんな、三ツ谷は。
 普段からよく女子に囲まれている三ツ谷の姿を思い浮かべる。三ツ谷を真正面から慕う手芸部の連中はもとより、どっかしらで引っかけてきたらしい女子に声をかけられる姿をよく見かけていた。
 その影響は三ツ谷だけに留まらずオレへと波及することも少なくない。珍しく知らない女子の先輩から話しかけられたかと思ったら「今日、三ツ谷くん休み?」なんて質問されるし、オレらの知らないところでヨメのひとりやふたりいてもおかしくはない。
 おそらく、今日の休み時間もエグい目に遭うんだろうなと想像しては同情とも羨望ともつかない溜息が漏れた。
 信号が変わったのをきっかけに歩き出せば、当然、も隣に並ぶ。横目に入った顔はいつも通り涼しい表情だったが、ほんの少し唇の端が上がっているのを見逃すわけがなかった。

「ンだよ。その顔」
「ん。昨日味見したクッキー美味しかったなって思って」
「アァ?! コッチは食ってねんだわ。自慢すんな」

 事もなげに真意を口にしたにムッと唇が尖る。オレの表情の変遷にまったく気付かないは、ふふ、と機嫌よさそうに笑ったままだ。もらったばかりの紙袋を軽く振り、の足に当ててやったが、ちっとも響いた気がしなかった。



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