林05:たんたんと続いてく03

たんたんと続いてく 03


「じゃあ着替えたらすぐそっち行くからよ」
「うん、待ってる」

 お互いの部屋の前に立ち、ポケットの中から鍵を取り出しがてらに声をかける。鍵を片手に握ったが頭を縦に揺らしたのを確認するとそれぞれ自分たちの家に入った。

「あら、おかえり。良平。アンタまた日に日に帰ってくるの遅くなってんじゃない?」
「アァ? フツーだよ、フツー」
「あぁ、そう? まぁいいわ。夕飯まで時間掛かるから我慢しててね」
「うぃー」

 家に入ればすかさず母ちゃんが話しかけてくる。さすがにこの時間になれば帰ってきててもおかしくはないが、晩飯の用意にかかりっきりだったらしく小言で済んだのは助かった。
 自室に入るや否や鞄を放り投げたオレは制服を脱ぎ捨てると適当なジャージに着替えてまたすぐに部屋を出る。

「ちょっと、今からどこに行くつもり?」
「アァ? ん家だよ」

 たった今、帰ってきたばかりの息子が速攻で家を出ることには慣れているだろうに、いちいち母ちゃんはどこに行くのかと聞いてくるから本当に面倒くさい。行き先を告げれば安心したのか「だったらこれを持って行って」といつものように何やら持たされた。
 ご近所付き合いってヤツに巻き込むなよな。悪態をつきながらも持たされたそれを置いてったところであとから散々文句言われんのが目に見えている。

「ったくよー」
 
 ぼやき混じりで靴をつっかけ玄関を出る。鍵をかけがてらビニール袋の中を覗き込めば、みかんがみっちり入っているのが目に入った。そういや台所に段ボール箱があったような気がする。中身見てねぇから知らなかったけど、どうやらあの中にみかんが入っているらしい。
 ――今度腹減ったときにでも食うか。
 明日帰ってからか、今日帰って風呂に入ってからか。いつ食うかなと算段を整えながら、ん家の呼び鈴を鳴らせば、数秒後、「ちょっと待って」とドア越しに声をかけられる。ちゃっちゃと出てきてしまったが、まだは着替え終わってないのかもしれない。
 別に急ぐ用事でもねぇし、と手すり壁の上にみかんの入った袋を置き、そのままもたれかかった。じっとしてると染み入るような冬の冷たさを実感する。壁にくっついていると尚更だった。
 ――そういやんちのおばちゃんたちは帰ってきてんのかな。
 普段からお互いに入り浸っているから今更遠慮なんてしねぇけど、さすがに晩飯の用意をしてるってんなら出直す必要がある。どうしたもんかと視線を斜め上に差し向けていると、目の前のドアが開かれた。

「ごめん、お待たせ」

 パーカーのフードを被ったままのが玄関のドアを押し開いて微かにこちらを見上げた。着替え終わってからでいいのにどうやら急いで出てきたらしい。壁に預けていた身体を起こしの前に立ったオレはとりあえずビニール袋をに差し出した。

「ヨォ。これやる」
「なにこれ?」
「みかん。母ちゃんに持たされた」
「ありがと。あとでお母さんに渡しとく」
「ん」
 
 先に部屋に入るのあとをついてって家に上がる。つっかけていた靴を脱ぐの頭に手をやり、フードのてっぺんを引っ張ってやると、は首元に納まっていた髪を手の甲で流した。

「みかん美味しいから好き」
「食い過ぎて腹壊すなよ」
「……気を付ける」

 そんな会話を交わしながらうちの間取りと左右が逆な廊下を歩き台所へと辿り着く。家に入ったときから漠然と感じていたが、どうやら以外まだ誰も帰ってきていないらしい。

「あれ? おばちゃんは?」
「まだ帰ってないみたい」
「マジか。晩飯作んなくていいのかよ」
「昨日のカレー残ってるし大丈夫」

 誰もいないから怒られなくて済んだとでも思っているのだろう。鼻歌を歌い出しそうなほど機嫌良さそうに口元を緩めたは早速カップケーキ作りに必要な器具を棚から出し始めた。

「良平、こっち取るの手伝ってほしい」
「オゥ、いーよ」

 とオレの身長はそんなに変わらないが腕の分も合わさればそれなりの差になる。椅子を出すより、オレに助けを求めた方が早いと判断したのだろう。に手招きされるがままに隣に立ち、言われた器具を取り出した。

「つっーか珍しいよな。が菓子作るの」
「今度バレンタインだから」
「あぁ……。そういやもうすぐだったな」

 大きめのボウルや量りを手にしては横で待ち構えているに渡す。一通り指示されたものを下ろし終えると、が適当に重ねた器具を扱いやすいようにテーブルの上に並べ始めたのが目に入った。
 その光景からふいっと視線を外し、食器棚の横に貼ってあるカレンダーを確認する。日にちを目で追いつつも、今から作るってことは明日がバレンタインなんだろうなと勝手に思い込んだ。だが、カレンダーが示す2月14日まであと2日もあることに気がつくと思わず目を丸くしてしまう。

「明後日じゃん」
「でも土曜は学校ないし。だから繰り上げ」
「オレのも?」
「うん」
「そーかよ」

 すげない言葉に思わず溜息が漏れる。テーブルの上に置かれた量りの皿を指先で押したり離したりしても、は冷蔵庫の中から卵や牛乳を出すのにかかりっきりでこちらを気にする素振りさえ見せない。別に日付にこだわりはないけど、周りの事情が優先されるとどこか面白くないなんて思ってしまう。まぁチョコを貰えるならなんでもいいんだけどよ。
 どうせ毎年の恒例行事だ。ちょっと変わったくらいでいちいち目くじらを立てる必要は無い。そう思い直し、ほんのりと尖った唇の先を内側に巻き込んだ。
 それより土曜日だ。土曜は夕方からは集会の予定だがそれまでは特に予定もない。明日パーちんとどこ遊びに行くか決めるつもりではあるが、先にを誘っておいてもパーちんなら歓迎するだろう。

「なぁ、。オマエ、土曜予定でもあんのかよ」
「え? 特にはないけど」
「じゃあ一緒に遊べばいいじゃん。パーちんとも遊ぶしよ」
「んー……。ちょっと考える」

 寒い日はあまり外に出たがらないは場所によっては来ねぇつもりなんだろう。まぁどっか遊びに行くにしても、最終的にはオレんちで遊ぶ流れになるだろうしその時がヒマしてたら呼べばいいか。

「まぁ無理には呼ばねぇけど来たくなったらちゃんと言えよ」
「ん」

 軽く頭を揺らしたはどうやらカップケーキ作りに必要な材料と器具をテーブルの上に並べ終えたらしい。髪をヘアゴムまとめると早速作業に取りかかり始めたようだった。
 こうなるともうオレの手伝いは不要だろう。そう思い、テーブルの上で作業を始めたの向かい側に周って椅子に腰掛けると、大さじで計るついでにマグカップに注がれた牛乳を渡される。「大さじじゃなくてよかったワ」と茶々を入れればは「大さじはまだ使うから」と応じた。

「んだよ。使わなくなったら大さじで飲ますつもりじゃねぇだろうな」
「んふふ」

 悪態混じりの軽口を飛ばせば肯定とも否定ともつかない笑い声が返ってくる。曖昧なの態度に思わず目を瞬かせた。普通なら大さじなんかで牛乳を飲ますなんてありえないが、あいにくとオレは普通じゃない。長い付き合いの幼馴染だからこそ、悪ふざけのひとつやふたつ、仕掛けあうなんてザラにある。
 もしかしたらのやつは、腹の底ではオレに大さじで牛乳を飲ませるチャンスを窺っているのかもしれない。そう思いつくと同時に、の動向に注意を払って見つめる。
 テキパキと砂糖や粉を振り分けるが、何か妙な動きを見せないか。警戒心に塗れた視線を差し向けた。だが、今はお菓子作りに意識を傾けているがふざけた真似をするはずもなく、計り終えた材料を大きなボウルの中に放り込んでいくだけだった。
 ここまでくると、来もしないイタズラを待ち構え続けるのも疲れるだけだ。勝手に抱いていた警戒心をほどくと、材料を量っては使うもの、使わないものと分けていくを眺めながら牛乳に口をつける。計り終えて余りになりそうなチョコチップを「食っていいか」と聞いてみたが「こぼすかもしれないからちょっと待って」と断られた。
 そんな他愛もない話を重ねていると、少し離れた場所からケータイの呼び出し音が聞こえてくる。軽く首を捻れば、その音がの部屋から鳴っているのだと気がついた。

「おい、。ケータイ鳴ってんぞ」
「え? 誰?」
「いや知らねえし」

 オマエの部屋にあんだろうが。反射的に聞いてきたのはわかるが、さすがにここにない情報を教えろと言われても引くわ。呆れて顔を顰めたが、ボウルに入った生地を混ぜる手を止めないに伝わるはずがない。
 生地の入ったボウルをカップに傾けはじめたにひとつ溜息をこぼす。すぐに電話に出る気はなさそうなは暗に「見て来い」とでも言うつもりだろうか。
 ――仕方ねぇなあ……。
 小さく唇を尖らせ席を立ったオレは、聞こえてるか聞こえてないかわかんねぇに「勝手に入んぞ」と一言断りを入れ、部屋へと足を向ける。オレの部屋と真逆の構造で作られたの部屋は昔からあまり変化がない。慣れ親しんだ風景からあえて変わった点をあげるとすればランドセルが黒鞄に変わったのと部活で作った小さなぬいぐるみが増えたくらいだ。
 パッと部屋全体を目に入れ、肝心のケータイがどこか探そうと視線を左右に振れば、ここにあるぞとばかりに勉強机の上に置かれたケータイが音を鳴らす。台所へと戻りがてらいまだ鳴り止まないケータイを開き画面を確認すると、オレらの幼馴染のひとりである森田由美の名前が目に入った。

「もりユミじゃん」
「え、由美ちゃん?」

 もりユミの名前の登場に顔を上げただったが、ボウルを持つ手の汚れを見る限りすぐには電話に出られなさそうに見えた。もりユミならオレが話しても問題ねぇだろ。そう判断したオレは、今度はに断りを入れず電話に出る。

「オゥ、どーした? もりユミ」
「ハァ? ぺーやん?! ちゃんは?!」

 オレとしてはもりユミを驚かすつもりもなく、良かれと思って電話に出たつもりだった。だが結果としてもりユミを盛大にビビらせてしまったらしい。
 予想以上に甲高い声が叩き込まれ、思わずケータイを耳から離す。声が止んだか訝しみながらも再び耳に宛てがえば「ちょっと! 黙んないでよ!」とまた大声が耳に響いた。

「っせーな。今、菓子作ってっから手が離せねー」
「あ、そうなんだ⋯⋯ねえ、そこパーちんいたりしないよね?!」

 さっきからやけに焦ったような声を出すもりユミの態度に「アァ?」と首を捻る。

「いねーけど。パーちんに用あんなら番号間違ってんぞ」
「違うから! あー⋯⋯もうそんなこと言ってないでしょ!」
「ハァ?! っつーかなにキレてんだよ?」
「キレてないってば! ってゆーかちゃん忙しいならあとでかけ直すけど、今どんな感じ?」

 電話越しというのもあるんだろう。やけにキンキン響く声を遠ざけながらを振り返れば、いつの間にか作業を止めていたらしく、流しで手を洗う姿が見て取れた。

、出れるか」
「んー」

 手を洗うの背中に声をかけると曖昧な声が返ってくる。
 ――いやどっちだよ。
 ハッキリしゃべれ、と内心で悪態をつきつつも手を洗い終われば出るんだろうと勝手に見当をつけた。

「あとちょっとみてぇだから待ってろ」
「わかった。あ、ねぇ。そういえばぺーやんって昔は甘いの好きだったよね?」
「アア? そうだったんじゃね?」
「そっか。ねぇ、今度バレンタインじゃん? ぺーやんもチョコいる?」
「いや、いるかどうか聞くなよ……」

 くれるっつーならもらうけど、くれって言うのはなんか嫌だ。毎年もらってるに聞かれるのならともかく、保育園ぶりに再会したもりユミ相手だとなおさらだった。
 渋る声音にオレが顔を顰めているのだと察しがついたのだろう。もりユミはどこか楽しそうに笑った。

「オッケー。じゃあ用意するから今度取りに来てよ。義理だけど」
「はいはい。まぁ、そっち行くことあったらな」

 もりユミはマイキーやドラケンと同じ中学だ。たいした用はなくともそっちに立ち寄る可能性は高い。ふたりんとこ行くついでに声をかけてもいいし、それより前にヒマが合うならパーちんやと遊ぶ時に誘ってもいい。
 どちらにせよ比較的、都合のつけやすい相手であることには変わりない。軽い笑いと共に「そのうちな」と続ければ、もりユミもまた「りょーかい」と笑った。

「あ! ……ねぇ、ぺーやん。ついでにあと1個聞きたいんだけど」
「オウ、なんだよ」
「あ、あのさ……」

 ついさっきまで普通にしゃべっていたくせに、突然歯切れが悪くなったもりユミに首を捻る。言葉にならない呻き声をいくつかこぼしたもりユミは、コホンとひとつ咳を挟んで言葉を紡ぎはじめた。

「パ……パーちんは? 甘いの好きか知ってる?」
「ハァ? パーちん? 普通にケーキとかクッキーとかあれば食ってっけど……アイツ甘いもんより肉のが好きだぞ」
「えぇー! 肉ー?!」

 ついさっきまでひそめられていた声がまた耳元で弾ける。さっきからテンションのアップダウンの激しいもりユミの態度に顔を顰めた。
 ――大体「えぇー!」ってなんだよ。パーちんの好きなもんを否定すんなよ。
 好きかどうか曖昧なものよりハッキリ好きだとわかってるもの伝えた方が参考になるだろうがよ。親切にしたつもりだったのに、こんなにも不満そうにされると伝え甲斐がない。
 面白くない心地ついでに、パーちんはお菓子を買う時もチョコよりポテトチップ派だと伝えればもりユミはさらに「えぇー!」と不満を重ねた。

「っつーかなんだよ。さっきから。パーちんが好きなもん知りてぇんじゃねぇのかよ」
「えっ。そうだけど……。ハッキリ言わないとダメ? そういうの察してくれないの?」
「なんでオレがオマエの考えてること先回りして考えてやんねぇといけねぇんだよ。ハッキリしゃべれや」

 この期に及んで言い淀むもりユミの煮え切らなさにイラついて、いつもよりトゲのある言葉遣いになってしまった。女子相手としては当たりの強すぎた言葉にいつかの安田さんみたいに泣かせてしまうんじゃないかと一瞬で心臓がはねる。
 ガキのころはオレより強い女だったが、今は違うかもしれない。その可能性が脳裏にチラつくと同時に冷えた心地を抱えたまま黙ってもりユミの言葉を待つ。数秒の沈黙が一生続くのではと疑いを持ち始めたころ、もりユミはやけに長い溜息を吐きこぼした。

「うん。たしかにそうだよね。ごめん、ぺーやん。私が甘えすぎた」
「ん? オゥ。オレも言い過ぎたワ」

 あっさりとした態度で謝ってくるもりユミに思わず拍子抜けしてしまう。だが泣かれたり突っかかってこられたりするより全然いい。軽い謝罪を返せば電話の向こうでもりユミが楽しそうに笑った。

「まぁ、でもちょっとは考えてくれたほうがぺーやんに彼女できたとき苦労しなくていいとは思うけどね」
「んな予定ねぇよ」
「わかんないじゃん。バレンタインもあるんだし電撃告白とかあるかもよ?」
「あっても好きでもねぇやつと付き合ったりしねぇ」

 そもそも好きなやつもいねぇし学校でまともにしゃべる女子なんてくらいだ。その辺をひっくるめて彼女なんて要らねぇと言えば、もりユミは「ふぅん、そっか」とこぼした。
 つまらない追求が止まったのはいいが、ニヤニヤした声音で話すもりユミの思惑が見えてこないのが気に入らなくてフンと鼻を鳴らした。

「で、結局なんだったんだよ」

 察してほしいなんて言ったからにはもりユミにもなんらかの考えがあるのだろう。その辺りをつついて見せれば答えられないとばかりにもりユミはぐっと言葉を詰まらせた。

「だ、だからぁ……もうすぐバレンタインじゃん……」
「アァ? そーだな」
「それで、その……パーちんが喜んでくれそうなもの渡したいだけなんだけど……」
「ハァ? パーちんは人からもらったもん悪く言うような男じゃねぇぞ」
「……バッカ! もうほんとバカ!!」
「ハァア!? んだとテメェ!」

 ついさっきまで機嫌良さそうだったのに突然怒りだしたもりユミにまたしても言葉が悪くなる。だがいきなりバカなんて罵られて聞き流すことなんて出来ない。幼馴染とはいえ、言っていいこと悪いことくらいはあるだろうよ。
 ――上等だよテメェ、今度会った時覚えてろよ。
 電話の向こうにいる相手に息巻いたところで意味は無い。だが振り上げた拳の落とし所がわからないままでいるのも気持ち悪い。
 少しでも溜飲を下げるべく文句のひとつやふたつ、三つや四つは言ってやろうと口を大きく開きかけた。だが言葉を発するよりも前に、ちょうど手を洗い終えたらしいがちょんちょんとオレの肩を指先で突いたことで空振りに終わる。

「良平、代わる」
「……オウ。もりユミ、が代わるってさ。ちょっと待ってろ」
「ん、わかった。じゃあね、ぺーやん。さっきの話とりあえず参考にする。ありがとッ」

 あんまり感謝して無さそうな口調で吐き捨てたもりユミに腹は立ったが、ここで言い合いを続けても電話を代わろうとしてるを困らせるだけだ。舌打ちをひとつ挟んで「じゃあな」と残すと耳に宛がっていたケータイをに差し出した。

「取ってきてくれてありがとう」
「オゥ。どーいたしまして」

 うっすらと口元を緩めたにオレもまた頭を揺らして返事をする。
 ――これだよ、これ。普通のお礼ってのは。見たかもりユミめ。
 電話越しどころかその電話すらも手元にない状況では伝わるはずもない悪態をつきながら椅子に腰掛ける。オレと一度目を合わせたは、こちらに背を向け、流し台に片手を置きケータイを耳に当てたようだった。

「……もしもし? 由美ちゃん? うん、久しぶり。元気してた?」

 の目がこっちに向かってないのを確認し、そっと余り分のチョコチップに手を伸ばす。適当にいくつか取って奥歯で噛みしめれば甘い味が舌に乗った。時折牛乳を傾け、一粒、二粒と食い進めながら、うっすらと聞こえてくるの声に耳を傾ける。

「そう。バレンタインの作ってた。今年はカップケーキ。由美ちゃんは?」

 女子らしい会話を繰り広げるがくるりと身体を反転させる。流しに背中を預けたにチョコチップを盗み食いしているのがバレたらめんどくさい。そう思いきゅっと手の中にある残りを握り込んで隠せば、は気付いたのか気付いてねぇのかわかんない顔でオレに笑いかけてくる。

「パーくん? 何だろ……肉とか?」

 どうやらもりユミのやつはさっきと同じ質問をにも投げかけたらしい。再び聞こえてきた「えぇー!」の声に軽くがケータイを耳から離す姿を目に入れながら、頬杖をつくふりをして手のひらに隠したチョコチップを口の中に運ぶ。
 しかし、さっきからパーちんの好きなもん探ってる風のもりユミは何がしたいんだか。バレンタインだからとかなんとか言ってたが、そんなもん別にお歳暮だとかお中元みたいなもんなんだからそこまで気にしなくていいだろうに。
 っつーか言っちゃ悪いがオレらくらいの年頃の男は甘い物もしょっぱいものも量さえあればなんでもウェルカムだ。チョコレートなんて一箱でも二箱食い切る自信しか無い。夕飯前にスナック菓子やら肉まんやら食ってるパーちんだってオレと似たようなもんだろう。
 普段、ファストフード店やファミレスに行った際の注文量を思い返しながら確信を深めていると、手の中に隠してたチョコチップを食い尽くしてしまったことに気がついた。の視線がこちらから外れたのを確認しつつ、もう一度手を伸ばしてつまみ上げる。
 あまり食い過ぎるとバレちまうだろうけれど、どうせ今から作るカップケーキはオレのモノなんだから別にいいだろ。
 開き直りにも似た考えを頭に浮かべつつ、指先で一粒ずつチョコチップを口の中に押し込んでいると、はまたこちらを振り返る。楽しそうな様子でもりユミとの会話に興じているは、どうやらもりユミにもカップケーキを渡す約束を取り付けているようだった。
 オレのモノだと思っていたカップケーキの分け前が減る予感に唇を尖らせたものの、普通に考えたらパーちんの分もあるに決まってる。じゃあこの半分がオレのか。そう考え直したのも束の間、たった今、もりユミの分があると知ったことで更に懸念が募る。バレンタインは女子が男子にやるモンだと思っていたが最近じゃ友チョコなんてモンもあるらしいし、下手したら手芸部の連中の分も含まれているのかもしれない。
 ――っつーか三ツ谷にもやるのか?
 ふと閃いた疑念に促されるままパッと顔を上げる。が三ツ谷を好きだとか、そんな面白い話になっているのかどうか。一瞬、跳ねた心音に促されるままを見つめたが、相変わらず楽しそうにもりユミとしゃべっている姿に思わず息を吐く。
 今、ここにいない相手へ恋慕など見てわかるはずがない。それ以前に、日頃のの様子を見ていたらオレやパーちんより好きな男なんているはずがないと結論づける。
 上がりかけたテンションが平常に戻ると同時に浮きかけた背中を再び椅子に預けた。
 だが、安堵にも似た感情にひとつの思いつきが押しやられた途端、新しい〝もしかして〟が頭をよぎる。
 ――いや、待てよ。よりもりユミの態度の方があからさまじゃ無かったか?
 先程、電話越しにもりユミと交わした会話や態度を思い返せば、やけにパーちんのことを気にかけていた。オレにはさらりとチョコをいるか聞いたくせにパーちんのことになると口ごもっていたのが動かぬ証拠ってヤツだ。……動いてるかもしんねぇけどよ。
 ――ってことはもりユミのやつ……パーちんのことが好きとか、そういうのか?
 馴染みのない話題だからすぐにはピンとこなかった。だが、電話を替わる間際に怒り狂ったもりユミの態度を思い出せばそうとしか思えなくなってくる。
 ――そりゃ怒るわ。
 勝手に納得すると同時に「見る目あんじゃねぇか」と誇らしい気持ちが沸き起こる。ガキのころから知ってる相手だ。アイツがパーちんに相応しいかどうかなんて頭を捻んなくたってわかる。
 まぁ〝反則のもりユミ〟のままならちょっとは考えたかもしれねぇけどよ。ガキの頃に飲まされた煮え湯は忘れちゃいねぇ。だが、今は噛みついたり引っ掻いたりもしてこしねぇし、ズボンを脱がして頭にかぶせてくるような舐めた真似もしてこない。そもそもオレらの間で喧嘩をしなくなったんだ。それも当然か。
 さっきの話を信用するならオレの分も義理で用意されるらしいし、成り行き次第ではうまいことパーちんを連れ出してやってもいい。緩みそうになる口元を、チョコチップを口にすることで封印し、いまだ電話を続けるを眺める。

「わかった。明日の放課後……学校終わったら連絡する、でいい? ん。わかった。うん、じゃあね。ばいばい」

 やわらかい表情のまま電話を終えたに「もりユミ、なんだって?」と聞こうとした。だが、オレがチョコを飲み込むよりも早くまたしてもがどこかに電話をかける素振りを見せると閉口せざるを得ない。
 ――しゃーねぇ。この電話が終わってからでいいか。
 そう気を取り直したオレは、飲みかけのマグカップを手に取り牛乳を口に含んだ。

「パーくん? だけど……。うん。お家ついた。うん、平気。……大丈夫、ちゃんと良平と帰ったよ」

 パーちんにかけたのか。そう思いながら眺めていると、はサラッと嘘を吐いた。
 ――ちゃんとじゃねぇだろ。人の苦労をサラッとなかったことにしやがって。
 恐らくにしたら問題なく帰れたのが真実なんだろうが、どこか釈然としない心地が沸き起こる。
 マジで腹立つな、コイツ。視線を脇に逸らし、内心で悪態を吐きながら牛乳を飲み進めていると、がなにかに気づいたように「あっ」と声を上げる。

「あのね電話したの、もう一個だけ話があって……。明日、由美ちゃんがパーくんに用事があるんだって」

 に視線を戻すと同時に正面から聞こえてきたとんでもない言葉に思わずブッと牛乳を噴いた。

「良平……。あ、うん。なんか良平がいきなり牛乳噴いちゃって……。うん、だから明日の放課後、由美ちゃんの学校行ってくれる? え、なんでだろ。わかんない」

 噴きこぼした牛乳に塗れた口元を手の甲で隠していると、が近くにあったティッシュボックスをこちらに渡してくる。口元を拭い、テーブルの周りを拭き上げる間も頭の中は混乱と戸惑いでいっぱいだった。
 たしかにはオレらより少しは勉強は出来るみたいだが、根本的な頭の出来はオレとどっこいだ。だからアホなことを言い出しても特に意外に思わず、またバカなこと言ってやがると大抵のことは受け入れらる。
 だが、そこまでを理解していたとしても今の発言はナイ。
 ――さすがにここまでバカとは思ってねぇよ。
 がオレとパーちん以外とはロクにしゃべってこなかったとしても弁護する気にもならない。今の発言は、パーちんを凌ぐほどの最高峰級のバカ発言だ。
 オレが頭を抱え出したことに気付きもしないは、眉根を寄せて困ったような顔でパーちんと話し続けている。

「私は明日部活あるもん。……良平も行く?」
「行かねぇよバァカ!」

 まさかの提案に思わずがなり声で返してしまう。ぴゃっと肩をビクつかせたは次の瞬間にはまん丸にした目を細めてパーちんとの電話に戻った。

「……だって。うん。だから明日はよろしくね」

 バイバイ、と言い残しケータイを閉じたは、隣の部屋からウェットティッシュを持ってきてオレに差し出してくる。事もなげな態度を睨めつけたが何の効果もないらしく、は頭を傾げるだけだった。

「おい、……オマエ、さすがにそりゃねぇだろ」
「なにが?」

 うっすらと眉根を寄せたは、オレが何に対して呆れているのか皆目見当もつかないって顔をしてやがる。うんざりして口も開けないオレを見下ろしていたは、不意になにかに気付いたように目を見開くと、ウェットティッシュの筒に書かれた成分表に視線を転じた。
 違ぇよ。なにが「未成年にアルコール入りはよくない……」だよ。本当にバカすぎんだろ、コイツは。

「なにがって……オマエ、明後日バレンタインなんだろ?」
「え? うん」

 軽いヒントを出したところでピンとこないらしいは相変わらず困ったように眉根を寄せたままだ。
 コイツの鈍い頭にもわかるように言ってやんねぇといけねぇのかよ。骨の折れそうな厄介事に直面すると突っ込んで話すんじゃなかったと後悔の念が沸き起こる。
 だが、一度話題に出してしまったからには引くには引けない。まして、パーちんが絡むのならなおさらだ。たとえ面倒くさくてもが下手を打たないようにしてやんねぇとな。

「だから、もりユミもパーちんにチョコ渡してぇからうまいことやってくれってに頼んだんじゃねぇの?」
「うん。由美ちゃんにもそう言われたからパーくん誘った」

 あっけらかんと返してきたに重苦しい溜め息が口から出る。
 ――こいつは何にもわかっちゃいねぇ。
 日頃からバカだ、アホだと思っていたが、改めて思い知らされるとただただ呆れてしまう。かなりストレートに伝えたものが空振りに終わる虚しさに頭の奥が鈍く痛むような気さえした。
 テーブルに肘をつき、ガクンと下がりそうな頭を手のひらで支える。肩でひとつ息を吐くと、目線だけでを見上げて言葉を紡いだ。

「だから、そのチョコってのが本命なんじゃねぇのかって言ってんだよ」

 オレだって正解を知ってるわけじゃない。ただ単にもりユミの態度を振り返って勝手にそうなんじゃねぇのかと憶測しただけだ。それでも何かしら感じ取るものはあったから、こうやってにも忠告している。
 本来なら直接もりユミに頼まれたの方がこういうのに勘づきそうなもんだけど、気付いてないというのならオレが言うほかない。
 だが、オレがこれ以上ないほどの言葉を差し出したにもかかわらず、は首を捻りやがった。長年オレとパーちんにだけチョコを渡してきた弊害ってやつだろうか。コイツは本命チョコの意味を知らずに生きてきたんじゃないかと危ぶんでしまう。
 怒鳴りつけそうな衝動を、ぐっと奥歯を噛み締めて堪えの反応を待つ。じっと見つめるオレの視線にただならぬ気配ってやつをさすがに感じとったのだろう。軽く眉根を寄せたが、考え込む仕草を見せた。
 ふたりとも黙り込むこと数秒。壁掛け時計の秒針がいくつか進むのを耳にしていると、の顔色がその音に促されるように次第に青ざめていくのが傍目から見てもわかった。
 肩を震わせ、口を半開きにしたが眉を八の字にさせてこちらを見つめてくる。
 ――ったく、ここまで言わせんなよな。今更焦ったって遅いっつぅの。
 オレの意図するものが正しく伝わったことを知ると同時に肩で息を吐き、椅子に深く腰かけ直した。

「……どうしよ」
「どうするもねぇだろ。もうパーちんにバラしちまったんだから」

 顔面蒼白なをあしらい、コップに半分残った牛乳を傾ける。
 出した言葉は引っ込めようがない。出来るとしたらもりユミに明日直接パーちんが会いに行くから覚悟しとけと伝えるのみだ。

「それで、パーちんはなんか言ってたのかよ?」
「ううん。じゃあ明日の放課後行ってみるわって……。あとは、なんでに言うんだろうなって言ってた」
「マジか……」

 パーちんはパーちんで気付いていないのか。もりユミも苦労するな、これは。バレンタイン間近なんだからちょっとは〝もしかして〟と浮かれてもいいだろうに。
 ホントバッカなんだよなぁ、アイツ。
 勉強も出来なければ人の気持ちにも鈍いなんて、じゃあ一体何ならわかるんだ。まぁ、オレも同じ立場に立たされた時に気付けるかどうか危ういが、そんな場面に直面していないしそんな予定もないので別に構いやしねぇだろ。
 口をつけていたマグカップを傾け、一息に飲み干す。テーブルに置きながらを見上げると、手のひらで口元を覆ったが隠しきれない動揺を浮かべたままこちらを振り返る。

「ねぇ、良平……」
「ンだよ?」
「……由美ちゃんってパーくんのこと好きなの?」
「いや、そこまでは知らねぇけどよ。……まぁ、オレと話すよか仲いいみてぇだしわざわざ明日呼び出すってんならそうなんじゃねぇの?」
「そっか……うわぁ……」

 テーブルの縁を掴んだは顔を伏せたままその場に蹲る。指先以外隠れてしまって見えないが、時折聞こえてくる唸り声には後悔の念が色濃く滲み出ていた。
 失敗した自らを省みるの様子に同情にも似た想いが沸き起こるが、こればっかりはもりユミの真意次第なのでフォローしようがない。
 実際、もりユミが本当にパーちんを好きなのかどうかは聞いてないから知らねぇ。だが〝もりユミがパーちんに惚れてる〟という前提で考えてみれば、過去のもりユミの行動がそういうつもりで起こされたものだったんじゃないかと勝手に推測してしまう。
 もりユミとは中学が違うからそんなに頻繁に会うことはない。だが偶々会うにしても待ち合わせするにしても、自然とパーちんの隣にはもりユミが並んで歩くことが多かった。
 今にして思えばオレと話す時もパーちんの話題ばっかりだったし、と4人で飯食いに行った時やカラオケ行った時もパーちんの隣にはちゃっかりもりユミが座っていたような気がする。先にオレがを隣の席に押し込むこともあったけど、それは身体のサイズ的にオレとで並び、向かいにパーちんが座るって組み合わせが一番収まりがいいってのが染みついているだけだ。
 過去の記憶を引っ張り出していると、どんどんそれが正解だと言わんばかりの状況が思い描かれる。多分、似たようなことをも思い出していたのだろう。目の前から唸り声とも呻き声ともつかない声が継続的に聞こえてくる。

「どうしよ……」
「やっちまったもんはしょうがねぇよ。あとはパーちんがうまいことやんだろ」
「大丈夫かなぁ」
「さぁな」

 こればっかりは明日のパーちんともりユミの反応次第だ。今、オレたちが頭を悩ませたところで意味は無い。
 テーブルの縁に額を寄せるようにしゃがんでいたが背中を伸ばしたことで顔半分がようやく見えた。眉根をきつく寄せて泣きそうな顔をしたはちらりと上目遣いでオレを一瞥すると、じっと目の前に並べたカップを睨みはじめた。

「……良平、これいくつ食べれる?」
「ハァ? 今か?」
「じゃなくて、今日とか明日とか合わせて」
「別に、時間おけば全部食えるぜ」
 
 100個とか200個とかバカみたいな数を言われたら怯んでしまうがテーブルに置いてある量で出来る数くらいならたかがしれている。が何個作るつもりかは知らねぇが、もとより甘党なんだ。腹さえ減ってりゃいくつでも食えんだろ。
 テーブルの上に頬杖をつきながら答えれば、は眉根を寄せたままオレを見上げた。

「じゃあパーくんの分も良平が食べてよ」
「ハァ? なんでだよ」
「だって由美ちゃんがパーくんのこと好きなら私が渡すのよくない気がする」

 ツラがいいのも考えもので、はその目立つ容姿ゆえに必要以上の執着や嫉妬を差し向けられて生きてきた。過去に男を取っただのなんだのと因縁をつけられた記憶が頭の中を駆け巡っているのだろう。眉根を寄せたは困ったのと泣きそうなのとが入り交じった顔つきをしていた。
 一連の出来事を隣で目の当たりにしてきたからこそ、が悩むのは致し方ないと思う。だが、相手がもりユミであればそんな不安を覚える必要がないようにも思えた。

「ハァ? もりユミ相手にそこまで気ぃ回すこたねぇだろ」
「わかってる。……でも、せっかく仲良くなれたのに変に誤解されたくない」

 どうやらもまたもりユミの為人は理解しているらしい。それでも余計な不和が生まれるくらいならパーちんとの交流を減らした方がいいと考えてしまったようだ。
 この難儀な考え方に辿り着いた理由はわかるけどよ。それでもどこか釈然としない心地が残ると「じゃあ、そうしろよ」などとは簡単に言えそうに無かった。
 テーブルの縁を掴むの指先にますます力が入るのが見て取れた。同じくらい強く寄せられた眉根に、の感情がこっちにもなだれ込んでくる。

「……オマエ、今すげぇめんどくせぇって思ってんだろ」
「……」

 オレの問いかけに答えられないのか、はぷいっと顔を逸らした。その横顔からもありありと滲む煩わしさにオレはまたひとつ溜息を吐きこぼす。
 その音が気に障ったのか、それとも責められているように聞こえたのか。きゅっと唇を噛んだは泣きそうな顔でこちらに視線を流す。

「どーした?」
「……パーくんは本当に友だちなのに、って思って」
「そうだな。……あんま気にすんなって。オレら兄弟みたいなもんだし、もりユミもオマエがパーちんにその気がねぇのなんて分かってんだろ」

 フォローを入れてやったつもりだが、あまりには響かなかったらしい。喉奥で唸り声を上げたは、相変わらず大いに悩んでいるようだ。こうなっちまったらオレが一緒に考えようがチャチャ入れようが、はそのうちひとりで結論を出すと知っている。
 放っておくのが一番だ。そう確信したオレはもうの目を盗むことなく余っているチョコチップに手を伸ばす。思った通り、は自分の思考の渦に飲まれているようでオレの行動に気付く素振りさえ見せなかった。

「……とりあえず今回はやめとく。今度一緒遊んだ時に由美ちゃんにどうしたらいいか聞こうかな」

 ひととおり考えたことで自分なりの落としどころを決めたらしいはきゅっと眉根を寄せたままそう宣言した。

「オゥ、いんじゃね?」

 軽く同意してやるとは「ん」とひとつ頭を揺らし、おもむろに立ち上がった。ずり下がっていた袖を捲り直したは、流しに向かって手を洗い始める。まっすぐに伸びているはずなのにどこか気落ちした背中を見ていると、自然と唇が尖った。 
 バレンタインなんて単なるイベントのひとつで、や母ちゃんがチョコをくれる日くらいにしか思っていなかった。そこに不意に投げ込まれた別の意図を感じとってしまうと、どうしてかひどく居心地の悪い思いが生まれる。
 そのうちオレが誰かと付き合うことになったら、からはチョコをもらえなくなるかもしれねぇんだな。そのことに気がつくと、途端に腹の内がぐるりと渦巻くような感覚が走った。言い知れない感情に思わず唇を結ぶ。
 大事にする相手を間違えたくはないが、だからと言ってを蔑ろにする自分は思い浮かばない。当然、その逆もだ。
 めんどくさそうな顔をしてる、なんてに指摘したくせに、オレ自身もまたその厄介な思考に絡め取られそうになっているんだから本当に救いがたい。
 ――ったく、世話ねぇな。
 自分自身に悪態を吐きながらを眺めていると、あらかじめあたためておいたらしいオーブンレンジにカップを並べた鉄板を突っ込み始めた。もうすぐカップケーキが出来上がる。そんな予感に、腹の中に渦巻いていた嫌な感情を一掃させたオレは、テーブル越しながらも前のめりでに問いかける。

「あとどんくらいで出来んだよ」
「15分くらいかな。良平、いくつ食べる?」
「とりあえず3つ。腹減ってたらもう少しくれって言うかもしんねぇ」
「ん。わかった」

 本当は何個でも食えるけどバレンタイン用ってんなら当日の分も考えて残しておいてやんねぇとな。まぁ、今回に限ってはパーちんの分も転がり込んでくるらしいし、ちょっとは欲張ったっていいだろうけどよ。
 使い終えたボールを洗うの背中を見つめていると、程なくしてオーブンから甘い匂いが漂ってくる。もうすぐカップケーキにありつける期待に、いち早く腹の虫が鳴り響いた。結構な音だったらしく、ちょうど食器を洗い終えたらしいが水道の蛇口を捻ってこちらを振り返る。

「良平、そんなにお腹すいてるの?」
「ったり前だろ。こっちは給食から何も食ってねんだワ」
「……うそつき。さっきからチョコチップ食べてたじゃない」
「ウッ。……そりゃ、ちょっとは食ったけどよォ。あんなモンで足りるわけねぇだろ?」

 タオルで手を拭くは半眼でこちらを睨んでくる。言い淀みながらも反論すると、は軽く眉根を寄せて笑った。

「じゃあ、もう少し待ってね。焼きたてだからきっと美味しいよ」

 ふふ、と自信ありげに笑ったの表情はいつも通りやわらかい。さっきまであんなに眉間に皺を寄せていたのが嘘みたいだ。でもそっちの顔の方が見慣れてるし安心するんだよな。
 釣られてオレも口元をほころばせていると、身につけていたエプロンを外し始めたがなにかに気付いたように「あ」と言葉を漏らす。

「服部さんの分はパーくんに預けてもいいと思う?」

 不意に投げかけられた質問に、一瞬で顔を顰めてしまう。
 が立ち直ったのは喜ばしい。けどさすがに立ち直りすぎだろ。なにかと世話になってる服部さんへ礼だとチョコを渡すのは間違っちゃいねぇ。けどよ、オマエ、今パーちんにチョコを渡さないって決めたんだろうが。それなのにパーちんを通すのはあんまりだろうよ。

「鬼かテメェは」

 ガチでパーちんが泣いちまったらどうすんだ。懸念と共に遠慮の無い言葉をぶつけてやると、は不服そうに唇を尖らせた。



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