林05:たんたんと続いてく06

たんたんと続いてく 06



 今朝方、パーちんが宣言したとおり、今日一日、パーちんとが会話を交わすことはなかった。授業間の休憩はもちろんのこと、昼休みに様子を見に行っても「には会わない!」と頑なに机にしがみつくパーちんには正直オレも呆れるほかなかった。それでも「絶交だ!」とは言わないあたり、パーちんもつくづくには甘い。
 
 放課後を迎え、廊下でパーちんと合流すると、パーちんは後ろ髪を引かれるとでも言いたげな顔つきでのクラスへと視線を向けた。
 ――気になるなら声をかけに行けばいいのによ。は他人に拒否られんのに慣れてっから、今日は口きかないなんて言えば律儀に守り通すぞ。
 現に、いつもならオレとパーちんがしゃべってるとこに紛れ込んでくるはずのが、一度たりともパーちんの前に姿を現さなかったのがその証拠だ。とは言え、休み時間に声をかけに行ったときには「今日だけの我慢だから」と言ってたあたり根が図太いと言わざるを得ないのだが。
 ――まぁ、そんだけもパーちんのことを愛してっからな。
 そしてパーちんも同じ気持ちだと知っている。ガキのころから積み上げてきた絆やら信頼ってやつをも疑うつもりがないんだろう。

「……

 いつになく頼りない声がパーちんの唇から漏れたのが耳に入る。一歩前で足を止めたパーちんの様子を確認すると、首だけで背後を振り返っていた。その視線を辿れば、簡単にの姿が目に入る。
 だがこっちにオレらがいると気付かなかったは、同じクラスの三ツ谷と連れだって部活が行われる家庭科室に向かって歩き始める。その背中に声をかけるのを諦めたパーちんを尻目に、オレはひとつ溜息をこぼした。
 心なしか元気のないパーちんを正門まで見送り、覇気の無い背中を軽く叩いて送り出す。

「じゃあな、オレは三ツ谷ンとこ行くからよ。もりユミによろしくな」

 マイキーの中学に向かうパーちんに別れを告げるまま校舎に向かって踵を返した。だが切羽詰まった声音で「ぺーやん!」と背後から呼び止められると、反射的にその場で足を止める。
 首だけで振り返れば、心底悲しくて仕方が無いと言わんばかりに眉尻を下げたパーちんと視線が交差した。

「あ、あのよぅ……」
「ン。どーした? パーちん」

 いつになく言い淀むパーちんらしからぬ態度に首を捻りながら先を促せば、パーちんはきゅっと下唇を突き上げて言葉を紡ぎ始める。
 
「その、今日一日……悪かったな。オレとの喧嘩に巻き込んじまって」

 自分の行動を反省しているのだろう。肩を落として項垂れたパーちんの言葉には聞き覚えがあった。もっとも、それを口にしたのはパーちんではなく、もうひとりのオレの幼馴染なのだが。
 ――本当にコイツらは、バカさ加減も含めて似たモン同士なんだよな。

「アァ? ……ったくよー。謝るくらいならはじめから喧嘩すんなっつの」
「オレだってしたくてしてんじゃねぇよ。でも今日のは絶ッ対ェが悪ィからよ」
「ハッ。まぁ、そこは同意してやるワ」

 パーちんにしてみれば、の「今年のバレンタインは、パーくんの分はない」なんて宣言は心底受け入れがたいものだったに違いない。歴代のもらったチョコを覚え、あまつさえ遅刻しないように登校してきたあたり、本当に楽しみにしていたんだろう。
 それをつまんねぇ遠慮で踏みにじったが、どう考えても悪い。

「っつーかよぉ。次、顔合わせた時にはちゃんと仲直りしろよ? 間違っても来年のチョコを貰うまで絶交なんて言うのはナシだぜ」
「言わねぇよ、そんなヒデェこと」

 眉根を寄せながらもニッと歯を見せて笑ったパーちんに、安心したオレはひとつ肩で息を吐いた。

「それ聞いて安心したワ。じゃあな、パーちん。またあとでな」
「オウ。またな、ぺーやん」
 
 夕方行われる予定の集会でまた会う約束を交わしたオレたちは、ひらりと片手を振ってそれぞれの行き先へと足を進めた。


 ***


 部活を終えたと家まで帰る道すがら。いつもと同じような会話を交わしながらも、は時折ぼんやりとした視線を宙に差し向けた。どこか変だなと思いつつも、なんとなく事情はわかっていたので流していたが、不自然なタイミングで言葉を詰まらせては溜息をこぼす姿を何度も見せられるとさすがに辟易してしまう。

「ンだよ、。辛気くせぇな」
「……ごめん」
「謝んなくていいけどよ。どーせパーちんのこと考えてんだろ?」
「すごい。良平、なんでわかったの」

 目を丸くして微かにこちらを見上げたに今度はこちらが溜息を吐き出す番だった。
 
「んなモンわかんねぇわけねぇだろ。っつーかもう気にすんなって言っただろうが」
「うん……」

 歯切れの悪い返事を残したは、軽く眉根を寄せたかと思うと俯いてしまう。さらりと流れた横髪がの顔を隠す。表情が見えないのがどうしても嫌で、親指の腹で横髪を流してやるときゅっと唇を結んだの横顔が見て取れた。
 
「泣いてんの?」
「泣いてはないけど……失敗したなって」

 反省しているのだと口にするの表情は、別れ際のパーちんのそれとよく似ていた。改めて「やっぱりコイツら似てるわ」とオレなりの評価を確信していると、はまたひとつ溜息を吐きこぼす。

「仲間はずれは良くないね」
「朝も聞いたわ、それ」
「うぅ……」

 唸り声を上げたから手を離し、ポケットの中に手を突っ込む。黙り込んだを横目に捉えながら歩いていると、不意に顔を上げたが話しかけてくる。

「明日、良平とパーくんで遊ぶんだよね?」
「オゥ。そのつもりだワ。……って、どこ行くか決めんの忘れてたな」

 今日の昼にでも話すつもりだったが、なんやかんやあってすっかり忘れていた。とは言え、パーちんもそんな話をする気になれない雰囲気だったし仕方ねぇよな。
 後で集会あるしその時にでも決めりゃいいか。そう思い直すと同時に、にもどうするつもりか聞いてないなと思い出す。

「で、は? どーする?」
「由美ちゃんに話を聞いてからだけど、もしかしたら行きたいって言うかも」
「オゥ、パーちんに詫び入れんなら早いうちに言ってやれよ。オマエと同じくらい凹んでたからよ」

 まだハッキリと決めてねぇみたいだが、昨夜聞いた時よりも一緒に遊びたい方に気持ちが傾いたらしい。「来てぇならちゃんと言えよ」と続けるとは「ん」といつものように頭を揺らした。
 話に一段落ついた心地にオレもまた頭を揺らすと、同じタイミングでポケットに入れていたケータイが鳴動する。
 信号待ちに差し掛かったところで足を止め、取り出したケータイを親指で弾いて開く。画面を確認すると、パーちんからの新着メールが届いていると表示されていた。

「お、パーちんからメールだ」
「パーくんから?」

 パーちんの名前の出現に、ぼーっと車の往来を眺めていたがこちらを振り返った。目を丸くしたを目の端に捉えながらパーちんからのメールを開く。そこに書いてあった内容を目にすると、自然と口角は上がっていた。

「パーちん、もりユミからチョコ貰ったってよ」
「そうなんだ」
「ホラ、見ろよ」

 も見やすいようにとケータイを傾けてやると一歩分こちらに寄ってきたがオレの手元を覗き込んでくる。
 あっさりと「もりユミからチョコもらった!」とだけ書いてあるが、文末にわざわざ動く絵文字でピースマークをつけているあたり、パーちんもかなり浮かれているらしい。ここにいなくても伝わってくる歓喜に、オレももにんまりと口元をゆるめる。

「パーくん、うれしそう」
「だな。もうオマエからチョコ貰えなかったの忘れてんじゃね?」

 ニッと歯を見せて笑いかければ、はほんの少しだけ眉根を寄せて笑った。

「それはそれで寂しいけどパーくんが元気になったならそれでいいかな」

 パーちんが落ち込んでないと知り、すっかり元気を取り戻したらしいは、今日一番ゆったりとした表情を浮かべた。たったひとつのメールでこうも嬉しそうにするんだから、本当には単純だ。そんなを見ていると「ちゃっかりしてんな」と思いつつも、こっちまで気分がよくなってくるんだからオレも同じくらい単純なんだろう。
 変わったばかりの信号を渡り、少し歩いた先でがぴたりと足を止める。

「どーした?」
「ん、私もメール来たみたい」

 さっきのオレと同じようにポケットからケータイを取り出したは、丁寧な手つきで操作し、メールを確認しているようだった。足を止めその隣に並ぶと、が「よかった」と呟きこちらを見上げる。ふわりと頬を緩ませたの機嫌のよさを目の当たりにすると、聞かずともいい知らせが入ったのだと察しがついた。

「誰からだよ」
「由美ちゃんから。パーくんにチョコ渡せたってお知らせ」
「ハハッ。ンだよ、アイツら。似たようなことやってんな」

 へと身体を傾け画面を覗き込めば、さっきパーちんが送ってきたものに比べると目がチカチカするほどデコられた文面が目に入る。中でも特に目立つ真っ赤なハートに思わず苦笑を漏らせば、がそっと片手で画面を覆った。

「これは見ちゃダメだよ」

 やんわりとこちらの行動をたしなめたに「悪ぃな」と返し、手元から視線を外しがてら寄せていた身を離す。いつもの距離感に戻ると、は再び歩き始めた。

「メール、返さなくていいのかよ」
「うん。もうすぐおうちつくし、帰ってから返事する」
「それもそうだな。オレもパーちんにメール返さねぇとだし、さっさと帰ろうぜ」
「ん」

 ひとつ頭を揺らしたと連れだって家に帰る道すがら、今日のパーちんの凹み具合をに聞かせてやった。ひとつ説明する度に申し訳なさそうにするだったが、時折笑顔を浮かべるあたり、ふたりから来たメールのおかげで気が楽になったんだろうと思えた。
 そうやって帰路につくままに辿り着いた団地の階段をのぼりきる。いつもなら親が帰ってきてない時はどっちかの家でとダラダラしながらしゃべるところだが、今日はこのあと東卍の集会があるからこれでお開きだ。
 ポケットから取り出した鍵をドアノブに差し込めば、同じように自分ちのドアの前に立つが声をかけてくる。

「あ。ねぇ、良平」
「ンだよ」
「良平、集会行くのって何時から?」
「アァ? そーだな……18時には始まるし、17時半くらいには出るんじゃね?」

 軽く目線を上げて武蔵神社までかかる時間を逆算して答えると、は「そっか」と相槌を打ってくる。
 
「ねぇ、あとでそっち行ってもいい?」
「いーけど……。あんま構ってやんねぇぞ」

 いくら家を出るまで少しは時間があると言っても、パーちんにメール返したり、特攻服に着替えたりする時間を考えるとに割ける時間はない。あと腹の足しにカップケーキも食っておきたいし、と考えるとなおさらだ。

「大丈夫。すぐ終わる」
「そーかよ。じゃあ待っててやっからなるべく早めに来いよ」
 
 ん、と頭を揺らしたを横目に確認したオレは「じゃあな」と声をかけ、それぞれの家に入った。ドアを閉じる音以外聞こえない静かな室内に、今日は母ちゃんが先に帰ってきていないのだと知る。
 の部活があったとは言え、昨日より早い時間だし残業でもしてんだろ。そう結論づけ、学ランを脱ぎ捨てながら自室へと向かう。手にした鞄と学ランを机の上に放り投げ、残り少なくなってきたカップケーキを口にくわえながらパーちんにメールを返す。「よかったな」と一言だけの返事だが、あとでちゃんと顔を合わせたときに話を聞くつもりなので今はこれでいいだろ。
 送信ボタンを押したケータイをベッドの上に落とすと同時に、残り半分になったカップケーキを指先で押し込んで食べ終える。パサついた口元を舌で舐めたが一向に改善される気がしない。
 ――とりあえずが来る前に下だけ履き替えて牛乳でも飲むか。
 勉強机の椅子に引っかけたボンタンと履き替え、上を全部脱いだところで台所へ向かう。パックの牛乳を口元で傾けていると、不意に呼び鈴が鳴った。

「鍵開いてっから勝手に入っていいぞ!」

 パックから口を離しがてら大声で呼びかけると控えめに玄関のドアが開く音が聞こえてくる。冷蔵庫に牛乳パックを押し込み、自室へと戻るべく歩いていると、ドアの方からの声が聞こえてきた。

「良平、入る」
「オゥ」

 声をかけてきたに一言返せば、玄関からこちらに近付いてくる足音が聞こえた。一緒に部屋に戻るかと足を止めて待っていると、オレの姿を見た途端、は吃驚したように目を丸くした。

「着替え中なら言ってよ……」
「なんでだよ。上だけだからいーだろ」
「そういう問題じゃない。びっくりするからイヤ」

 ぎゅっと顔を顰めたは、ふいっとオレから視線を外すと唇を尖らせて「イヤ」を全面に押し出してきやがる。
 ――オマエがワーワー言うから先に下を着替えてやってんだ。感謝しろや。
 むくれちまったに内心で悪態をつきながらも着替えを再開しようと部屋に戻ればも黙ってついてくる。
 勉強机の横にハンガーで掛けていたジャケットを羽織り、ボタンをひとつずつ止めていると、服を着たことに安心したのだろう。がこっちに近寄ってきた。

「良平、これあとで三ツ谷くんに渡してくれる?」
「オゥ、いーよ?」

 ボタンを留め終え、手元に落としたままだった視線をに差し向けるとオレンジ色の紙袋を渡された。袋越しに伝わる質感といい重さといい、さっきまで持っていたものと酷似していたが、確証はなかったため首を捻りながらに問いかける。

「なんだよ、これ」
「カップケーキ。三ツ谷くんにも友チョコする」

 予想通りの品物だと口にしたに一瞥を流し、再び手元に視線を落とす。持った感じ、三つか四つは入っているらしいその包み紙は、オレがもらったものとはまた違うラッピングが施されていた。
 ホント、こういうとこは細けぇな。感心と呆れが入り交じった感想を抱きながらひとつ息を吐き出した。

「そういや帰る前に、三ツ谷に食いに来るかって聞いてたな」
「うん。今日はもう無理って言ってたけど、良平なら渡せるかなって思って」

 男子に友チョコを渡すの渡さないのでと三ツ谷が議論を交わしていた様子が脳裏に描かれる。男子相手なら義理チョコってヤツになるんじゃ無いかと思いながら聞き流していたが、にとってこのカップケーキは友情の証らしい。他の手芸部の連中にもカップケーキを渡してたみたいだし、同じ手芸部の部長である三ツ谷に渡すのも頷ける。
 そこまで考え、納得したと頷きかけた。だが、三ツ谷にまで渡されたとなるとのダチでありながらカップケーキをもらえなかったのはパーちんただひとりになってしまうんじゃないだろうか。その事実に気が付くと長年の絆に対するあまりの非情さに思わず顔を顰めてしまう。
 ――まぁそんだけにもオレら以外に大事なヤツが出来たってことなんだろうけどよ。
 昨日の帰り道でパーちんが喜んでいたように、オレらの知らないうちにが交友関係を広げていくのだとしても、それをちゃんと喜んでやるべきなんだろう。どこかにうまれかけた寂しさから目を逸らし、受け取ったばかりの紙袋を小脇に挟みながら、同じように昨日ぼんやりと頭に浮かんだ疑念を口にする。

「そういやオマエ、三ツ谷のこと好きなのかよ?」
「え、なにそれ」

 顔を顰めたに見当違いの質問だったかと察しがついた。だが、一度出した言葉は今更引っ込めようがなく、このまま突き進むしかないと悟ったオレは観念して言葉を続ける。

「いや、もりユミがパーちんのこと好きだって話じゃん?」
「まだそうとは決まってないけど……まぁ、うん」
「だからオマエの方にもそういう話あんのかなって思ってよ」

 オレの弁に対し、はますます渋面を刻む。イヤだとか気持ち悪いとか、そのレベルに感じられる嫌悪感を露わにするに、そういやコイツは「何組の誰々がのことを好きらしい」なんて噂話を耳にしたときもこういう顔をしてたなと今更ながらに思い出した。

「そういうのって別にまねっこでするものじゃないと思う」
「まぁ、そうだけどよ。ちょっとはそういう気持ちあんのかなって気になっただけだワ」

 もしもパーちんともりユミが上手くいったうえにが三ツ谷を好きだと言い出したら、今後のオレの生活がガラリと変わる予感しかない。ひとりにするな、なんて情けないことを言うつもりはないが、そんな事態が起こるのなら前もって知っておきたかった。
 だが、もりユミにチョコをもらったパーちんはともかく、の態度を見る限りそんな未来はやってこなさそうだと結論づける。今もなお顔を顰めているは、口元に指の甲を押しつけて何事かを考えているようだ。

「三ツ谷くんのことは尊敬してるけど……好きとかはないかな……」
「そーかよ。違うなら悪かったな、変なこと言って」
「……ん」

 おおよそ尊敬している相手の顔を脳裏に描いているとは思えない表情を浮かべたは眉根をきつく寄せたまま頭を揺らした。
 ――その嫌そうな顔をヤメロ。三ツ谷がかわいそうだろうが。
 勝手にの恋愛相手の候補に挙げておきながら、勝手に落選させる片棒を担いだオレに言われたくはないだろうけれど、さすがにその顔はねぇわと呆れてしまう。寄せられた眉間に親指を押しつけ、シワを伸ばすべく左右になぞればはほんの少しだけ表情を和らげた。

「けどよ、初めてじゃね? オレら以外のヤツにチョコ渡すの」
「お父さんとか服部さんとかにも渡すけど」
「そこは次元が違うだろ。同じ年頃のヤツで、って意味だよ」

 せっかくの表情がほどけかけていたのに、会話の流れでうっかり追い打ちをかけてしまった。オレの言葉をしつこいとでも思っているのだろう。先程以上に眉根を寄せたは見るからに不機嫌な顔つきでオレを睨めつけた。

「別に、好きとかじゃないけど……部活でも教室でもお世話になってるし、それに三ツ谷くんは良平たちとも友だちだから」
「あぁ、なるほどな……」

 オレらのダチだから三ツ谷にも気を回すってのは、どこからしい選択だと思えた。腑に落ちたと伝えるべく頭を揺らせば、もまたこれ以上オレが追求する気が無いと知ったらしく、今度こそ表情をほどいた。
 その変遷を見届けた後、そっと親指を外した。だけど手を下げきるよりも先に、またしてもは眉根を寄せる。

「……でもそういうの言われるのヤダからやめようかな」

 暗い顔をしたはオレの手元にある紙袋に視線を移すと、じっと見つめ出す。三ツ谷に渡すか否か。後者寄りの選択に傾きはじめたように見える視線に思わずの額に手を置いた。オレが上を向かせるよりも先に、パッと顔を上げたから手を離しがてら言葉を紡ぐ。

「変に勘ぐっちまって悪かったな。いーじゃん、オマエが渡してもいいって思ったんなら。渡しとけよ」
「良平は変に思わない?」
「思わねーよ」

 オレを見上げていた視線を手元に落としたは、ほんの少しだけ考え込むように黙り込んだ。だが、次に顔を上げたときにはすっきりとした顔つきでまっすぐにオレを見つめた。

「ん。そうする。ちゃんと三ツ谷くんに渡してね」
「オゥ」
「良平が食べちゃダメだよ」
「バァカ。オレの分ならまだ残ってるし、さすがに人の分までは食わねぇわ」

 言い回し的に「残ってなかったら食べんのかよ」と突っ込まれそうなことを言ってしまったが、は安心したように「うん」と頷いただけだった。

「で、用事って三ツ谷にコレ渡せってだけか?」
「うん、そう」
「わかった。じゃあ、オレももう出るからよ。も家に帰んだろ?」
「うん。ごめんね、ギリギリまでお邪魔して」
「別にいーって。気にすんな」

 紙袋を小脇に抱え、バイクの鍵やヘルメットを手にしながら玄関へと向かうとが後ろをついてくる。

「先に出ろよ」
「ん」
 
 スニーカーを履き終えたがドアを押さえている間にブーツの紐を留める。忘れ物が無いか背後を振り返って確認すると、早速三ツ谷への紙袋を置いたままにしていた。何食わぬ顔をして拾い上げヘルメットの中に詰めると小脇に抱えながら家を出る。
 一瞬でかじかんだ手で鍵を閉めていると、朝と同じようにが階段の方へと歩いて行く姿が目に入った。

「あ? オマエ、これからどっか行くのかよ」
「このままスーパー行く」
「じゃあ、ついでだし送ってくワ」

 掛けたばかりの鍵を開け、靴箱の中から用のヘルメットを取り出すと小走りでを追いかける。自分で持てよ、とヘルメットを押しつけたが、は困惑したように眉根を寄せるだけだった。

「これから東卍の集会があるんじゃないの?」
「まだ時間はあるしバイクで飛ばせばなんとかなるだろ」
「飛ばすのは困るけど……」
「オマエ乗せてるうちは安全運転してやっからよ。オラ、行くぞ」
「そういうことじゃなくて――」

 まだ何か言いたげなだったが、ポンと肩を叩いて先を促せばは軽く唇を尖らせながらもおとなしくついてきた。
 駐輪場に停めたバイクを引っ張り出している間にもヘルメットをちゃんとつけているかと思いきや、さっきのオレと同じように寒さで手が思うように動かなかったらしい。あごひもを留めれないと苦心するに「貸せよ」と声を掛けて代わりにつけてやる。

「オラ、これでいいだろ。あ、あとコレも持ってろよ」

 そう言って押しつけたのは朝方から借りっぱなしになっていたホッカイロだ。さっきボンタンを履き替えるときにポケットに入れたのだが、オレよりもバイクの寒さに慣れてないに持たせてやった方がいいはずだ。
 100%善意のつもりだったが、カイロの出所に気がついたらしいは納得いかないと言わんばかりに顔を顰めてオレを睨めつけた。

「これ私の……」
「オゥ、返すワ。ありがとな」
「もうほとんどぬくくない……」
「それでもちったぁマシだろ」

 さっきまでホッカイロが当たっていた太ももはまだほんのりと熱を持ったままだ。まったく効果が無いわけではない。
 の手にホッカイロを握らせると、ようやく諦めてくれたようで、渋々といった様子でポケットに突っ込んだ。その行動を見守ってから自分のメットを首の裏に提げたが、即座にに「ちゃんとかぶって」と指摘される。渋々ながらも頭につけかえていると、がバイクの後ろに乗り込んでくる。セーラー服のまま乗せんのは気が引けたが、今からやっぱり着替えに戻れと言うのも違う気がしてそのまま送ってやることにした。
 補導の可能性が跳ね上がったとしても振り切ってやりゃいいだけの話だ。腹を括ったオレの後ろに座ったが落ちないように腰を掴んだのを確認してからエンジンを吹かす。

「寒ぃならくっついていいからな。しっかり捕まってろよ」
「ん」

 オレの指示に応えるように、が腰を掴んでいた手を前へと回してくる。シートに段があるのも手伝って、胸の周りを圧迫されて息が詰まるかと思ったが、軽い咳を挟めばすぐに馴染んだ。

「じゃあ、出るぞ」
「うん、よろしくお願いします」
 
 いつもより重い車体を蹴り出し、一気に加速する。が怖がらない程度にスピードを上げながら近くのスーパーを目指しバイクを走らせた。広い道に出たところで風を切る音に負けないように声を張り上げ、へ話しかける。

「そーいやよ。、明日は結局どーすんだ?」
「――たは」
「アァ? 聞こえねぇよ、ハッキリしゃべれ!」
「明日は、由美ちゃんと遊ぶッ」

 も普段よりかは声を張っているようだが、元々の声が小さいのも手伝ってまったく聞こえやしない。それを指摘してやると耳元に口を寄せて話しかけてくる。
 あんまり身を乗り出して落っこちても知らねぇぞ。そう注意しようかと思ったが、ほとんど密着しているから落ちるなら共倒れだ。ならばオレが踏ん張ってどうにかするかと思い直す。

「遊ぶって、もりユミんち?」
「んーん。どこかでご飯食べて、カラオケ行く」
「じゃあ、それオレらも行くワ。もりユミにもちゃんと言っとけ」
「今度こそ?」
「そーそー」

 オレの発言には昨夜の失敗を思い出したのだろう。今度こそ、勝手にパーちんを送り込むのではなく4人で集まるようにちゃんと言えよと伝えれば、が軽く笑ったのが聞こえてくる。
 多分、また困ったように眉根を寄せてんだろうなと察しながら、パーちんから来たメールを思い返す。
 結局、オレらが知っているのはもりユミがパーちんにチョコを渡したという一点のみだ。そこにあるかもしれない想いを勘繰ることは出来てもふたりが上手くいったかどうかまでは知らねぇ。けど、パーちんが喜んだんだから、明日いきなり会う約束を取り付けたって構わねぇだろ。
 どうせいつもつるんでるんだしよ。そう結論づけると、程なくしてスーパーの看板が見えてくる。駐車場の奥へ向かってバイクを走らせると、バイク置き場に停めてへ声をかけた。

「着いたぜ。降りれるか?」
「うん、大丈夫。送ってくれてありがとう」

 バイクを片足で支えたままが降りるのを待って、エンジンを止める。一足先に身支度を調えたはヘルメットを抱えたままスーパーへ向かおうとする。

「オイ、それ寄越せ。一緒に置いておいてやっからよ」
「え、でも良平はもう集会に行くんじゃないの?」
「アァ? 送るなら家までだろ。ンな気を回すヒマあったらさっさと買いに行こうぜ」

 から取り上げたヘルメットをハンドルに引っかける。同様にオレのも反対側に引っかけると、ぽかんと突っ立っていたをせっついてスーパーの中へと足を踏み入れた。

「で、何買うんだよ」
「えっと、バターが昨日で切れっちゃったから買おうかなって。由美ちゃんに渡すお菓子、あとで作るから。――あと、パーくんの分も」

 言いながら乳製品のコーナーへと足を向けたの背中を追いかける。心なしかいつもより足早に歩くのペースに合わせながら頭を揺らした。

「おぉ、いんじゃね? 何作るんだよ」
「クッキーがいいかなって。チョコじゃない味だったらバレンタインっぽくないし」
「いいじゃん。クッキーは昨日食い損ねたし楽しみにしててやるよ」

 昨日自慢するだけしたを思い出すと腹が立ちそうになるが、それも明日食えると思えばチャラにしてやってもいい。微かに胸の内を弾ませていると、オレの言葉を聞きつけたは困った顔をして「え?」とこちらを振り返った。

「え、ってななんだよ」

 反射的に声を尖らせたオレをはますます困ったように見つめている。かすかに身構えてもじもじしはじめた姿に、トイレでも我慢してんのかと思ったが、どうもそうではないらしい。言いづらそうに口元を引き締めたは、眉根を寄せたまま訥々と言葉をこぼした。

「だって……カップケーキたくさんあげたから良平のはない」
「ンだよ、テメェ! 仲間はずれはよくねぇんじゃなかったのかよ?」

 ――本当にこのバカは頭ン中どうなってんだよ。
 今朝、パーちんと喧嘩になった一言をオレに差し向けるなんてどういう了見だよ。別にパーちんみたいに1年掛けて楽しみにしてたなんて事情はないが、それでも4人で一緒に遊ぶときに渡すものをオレにだけ寄越さないのはおかしい。パーちんともりユミが食ってる姿見て指をくわえて見てろとでも言うつもりかよ。違ぇだろ。
 今度はオレと仲違いするつもりかよと詰め寄れば、は口を開いたまま硬直している。微妙に合わない視線を捕まえるべく身を乗り出してやれば、の視線が恐る恐る戻ってきた。

「……パーくん、怒んないかな?」
「パーちんならもらったもんで頭いっぱいになるだろ。いちいち今日の話なんて蒸し返さねぇよ」

 震える声で尋ねてきたにバッサリ答えを突きつけてやったが納得いかないのかいまだ眉根を寄せたままだ。

「ンだよ。まだ何か気になるのかよ」
「由美ちゃんにもカップケーキあげてないし……」
「アイツもパーちんと一緒で細けぇことごちゃごちゃ言うタイプじゃネェだろ」

 オレの言葉に対しはまだ考えることがあるのか、視線を彷徨わせたまま黙り込む。今頃、の頭の中にはパーちんともりユミでいっぱいなんだろう。
 ――ったく、アイツらがいちいち目くじら立てるようなやつらじゃねぇってわかりきってんだろ。
 オレがからたくさんカップケーキを貰ったからって「じゃあクッキーは渡すな」なんてふたりが言うはずがない。それよりも仲間はずれにされた方が傷つくって、今日のパーちん見たらわかんだろうに、本当にはバカなんだよなぁ。
 どこに義理立てするかを履き違えているにひとつ溜息を零す。そのまま揺れる視線をじっと見つめていると、どうやら観念したらしくいつものように「ん」と頭を揺らした。
 
「ふたりが気にしないなら……良平の分も作る」
「オゥ、決まったな? じゃあ、早く材料買ってきてくれよ。さすがにのんびりしてるヒマはねぇからよ」
「わかった」

 ひとつ頭を揺らしたが小走りでバターを取りに走って行く後ろ姿を眺めながら肩で息を吐く。ついパーちんみたいに怒っちまったが、本当はそこまでクッキーが欲しかったわけじゃない。ただ、オレにだけ渡さないなんて馬鹿げた話を受け入れられなかった。
 ――あとでパーちんに謝んねぇとな。
 朝は簡単に諦めろなんて説得してしまったが、同じ立場に立たされてパーちんの苛立ちを完璧に理解した。物わかりが良いフリなんて、オレらには合わねぇな。
 後ろ頭を掻きながら今朝の行動の反省をしていると、バターと薄力粉を抱えたが戻ってきた。どうやらオレがねだった分、材料が足りないと判断したらしい。そのまま連れだってレジへ向かい精算を終えると、行きよりも少しだけスピードを出して帰路についた。


 ***


 団地の階段前にを送り届けバイクから降ろしてやると、ポケットに入れていたケータイで時刻を確認する。表示された時間とここからかかる時間を考えると集合時間ギリギリか、少し間に合わないかの瀬戸際に立たされていると知った。
 ――マジで飛ばさねぇと間に合わねぇな。
 パチンと音を立ててケータイを閉じるとポケットに捻じこんだ。バイクから降りて身なりを整えていたがこちらを振り返る。

「送ってくれてありがとう。良平」
「オゥ。それは明日返してくれ」

 ヘルメットとは言わずコンコンと自らの頭にかぶせたものを叩いて伝えるとはひとつ頭を揺らした。

「うん。良平も気をつけてね」
「わかってるって。オマエこそもう遅ぇんだからまっすぐ家に帰れよ」
「もう家の下なのに」
「買い忘れあったつってスーパー戻んなっつってんだよ。オマエそういうのやるだろ」
「……今日は大丈夫」

 気まずそうに視線を逸らしたの頭の中には数々の前科が駆け巡っているのだろう。それで変なヤツに絡まれた記憶もきっちり思い出して、自戒して貰いたいもんだと息を吐きだした。

「じゃあな、。行ってくるワ」
「うん。いってらっしゃい、良平」

 ふわりと口元を緩めて笑ったに片手を上げて応じると武蔵神社を目指してバイクを走らせる。アクセルを強く回せばブォンと排気音が鳴った。いつもならワザと吹かせながら走るところだが今日はそんな時間は無いのでスピードを出すことに集中した。
 ――のヤツ、ちゃんと帰ったかな。
 階段前まで送ったとは言え、ちゃんと家の中に戻るまで見届けたわけじゃない。せめて階段をのぼりはじめる姿だけでも見ておけばよかったと思ったが、そんな時間は残されていなかった。
 ――もうあとは、を信じるしかねぇよな。
 イマイチ信用ならネェが、買い忘れはないと言っていたんだ。ちゃんと家に帰って、クッキーを作り始めるはずだ。
 そう考えると同時に、昨夜、ン家でアイツがカップケーキを作るさまを眺めた記憶が頭に過る。焼きたてのにおいや味が思い起こされると同時に、かすかに腹の音が鳴った気がした。
 の部活中や出掛けにカップケーキを食ったとは言え、成長期なんだ。あんなもんじゃ足りるはずがない。
 腹の足しに何かコンビニで買っていくかと考えたがそんなことやってたら完璧に遅刻する。となると、手元にあるから預かったカップケーキに手をつける、なんて選択肢しか残されていない。
 三ツ谷に渡す分は食わないと豪語した手前、さすがにそんな浅ましいことはしない。だが、一個くらい食っちまってもバレねぇんじゃないか、なんて。一瞬、魔が差してしまった感は否めなかった。
 ――まぁ、食わねぇけどよ。
 せっかくがオレら以外のヤツとも仲良くしようとしてんだ。それを踏みにじるような真似をしてたまるかよ。オレが勝手に決めた誓いだが、その気持ちだけはブレないようにとハンドルを握る手に力を込める。
 ぎゅっと目元にも力がこもるままにまっすぐ前を見つめると、程なくして武蔵神社の駐車場に東卍メンバーが集まっているのに気がついた。その中には多分、パーちんと三ツ谷の姿もあるはずだ。
 すぐには目に入らないふたりを探すよりも先にバイクを停めることを優先し、ぐるりと視線を巡らせスペースを探す。適当な場所を見つけたオレはバイクを滑らせエンジンを切ると、ヘルメットとからの預かり物を入れ替えた。
 ――っつーか、明日がバレンタイン本番ってやつなんだよな。
 パーちんと三ツ谷の姿を探しながら、ふとそんな考えが頭を過った。
 結局、いつもの四人で集まることになったが、パーちんともりユミはともかくオレらはいいのか、なんて今更ながらに考えてしまう。だが、浮かび上がった疑問はすぐに打ち消した。
 バレンタインがどういうイベントかは漠然と頭にある。だけど、それがどういう意味を持つかまでは考える気がしねぇし、そんなことまで気を回してられるほどヒマじゃない。多分、だって同じだ。
 そんなイベントなんて関係なく、一緒にいたい相手は自分で選ぶ。オレらはそうやってずっと一緒に生きてきた。

「おーい! ぺーやん、こっちだ!」

 遠くからの呼びかけに、反対方向を向いていた顔を声のした方へと差し向ける。大きく手を振るパーちんの隣には、探していた三ツ谷の姿もあった。
 ――ひとまず、の頼み事を片付けてやんねぇとな。

「あ、いたいた。おい、三ツ谷ァ!」
「ん?」

 目を合わせるときょとんと目を丸くした三ツ谷に向かってオレンジ色の包みを放り投げる。胸の前で受け止めた紙袋を不思議そうに眺める三ツ谷と、恐らくその中身が何かを察知してしまったらしいパーちんの元へ歩み寄りながら、オレは軽く口元を緩めた。



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