進撃003

食堂①


 まだ痛みの残る額を抑えながら食堂に入り、周囲を見渡す。まだそれほど人数が集まっていないらしく疎らに席に着いた彼らの動向を探る。各々のテーブルには既に自分たちの分の食料を確保しているようだが、空いている席には配膳されてない。自分で食べるものは自分で持ってくる、という配給方法らしいことに気付くのに時間はかからなかった。
 配膳場所にてスープとパンと飲み物をそれぞれ受け取る。聞けば明日以降は食事の準備も片付けも当番制になるらしい。壁に貼られた当番表をきちんとチェックしておかなければ、意図せずサボるようなことになってしまいそうだ。食べ終えたらきちんとチェックしておかなければ。一緒に当番になる相手も合わせて確認できたらいいのだけど、以前から知り合いの子ら以外の顔と名前は一致していない。追々、覚えていかなければ、と自分自身に言い聞かせた。
 食堂の真ん中あたりに腰掛けたジャンの隣に座り、早速、とメインであるスープに手を付ける。とうもろこしをすり潰したものを煮込んだそれは、大人数分を作るためか、随分と大味に感じた。
「なぁ、このスープ薄くねぇか」
「うーん、まぁ、こんなものなんじゃない?」
「そうかぁ? チッ。こんな味じゃ成長するものも止まっちまうぜ」
 ぶつぶつと不平を口にするジャンに思わず苦笑する。ジャンのお母さんが作るご飯は美味しいから、食事における最低ラインはだいぶ高くなってしまっているのだろう。入団前の最後の団欒に、と招いてくれた際に振舞われたジャンの好きなオムレツも相変わらず絶品だったし、私の好きな豆のスープも同様だった。
 またいつか食べに行けたらいいのにな、と思いを馳せる。その時はもう訓練兵ではなくなっているのかな。とりあえずジャンとは離れている可能性は高いとして、誰と一緒に働くことになっているんだろうか。3年後の自分がどうなっているのか、と空想を頭に思い描きながら、ちぎったパンを口の中に放り込んだ。
 顰めっ面でスープをすするジャンを宥めながら食事を進めていると、背が高く、穏やかそうな少年が周囲を見渡しながら歩く姿が目に入った。食器を抱えて視線を巡らせる彼は空いている席を探しているのだろう。出遅れてしまうほど鈍臭そうには見えなかったが、誰かに面倒事を押し付けられると断れなさそうなタイプに見えた。漠然とそんなことを考えながら彼の動向をじっと眺めていると視線が重なった。一瞬、怯んだように戸惑いを見せた彼も、手を翳して見せれば、それに安堵したのか、躊躇いがちではあるもののこちらへと近寄ってきた。
「ここ、いいかな」
「いいよー」
「ありがとう」
 物腰通りに穏やかな声だった。ジャンの向かいに回った少年は、そっと椅子を引き、腰掛け、小さく息を吐いた。スープに口を付け、食事を始めたのを見計らって早速声を掛ける。
「ね、君、背高いね」
「え? あぁ……うん。ここ2、3年で結構伸びたんだ」
「ジャンも近所では結構背が高かったのにね」
「うるっせぇな、俺はこれから伸びんだよ」
 からかいまじりの言葉に、ジャンは軽く拳を握り、私の額にそれをぶつけた。反撃として肘を当てると、同じ強さのものがまたしても返ってくる。反射的に一瞥をジャンへと投げかけると、ジャンもまた私へと視線を差し向けていることに気付いた。交わった視線の強さに、心の中で戦いの鐘が鳴る。
 静かに肘をぶつける押収を始めた私たちに、戸惑いつつも向かいの少年は黙々と口にスープを運んだ。ジャンの攻撃をいなしながら、時折パンをちぎって口に運ぶ彼に、ニッと笑いかけると、彼もまた微かに口元に笑みを浮かべた。その笑みに安心して、私は彼に言葉を投げかけた。
「ねぇねぇ、ちょっと話しかけてもいい?」
「あぁ……うん、もちろん、大丈夫だよ」
 目を丸くして応じた彼は、口にしたパンを飲み下しながら、かすかに首を縦に振った。急な申し出に対し、嫌な顔ひとつ見せなかった彼の態度に、思わず笑みがこぼれる。優しそうだという直感は、間違いじゃなかったようだ。
「あ、その前に自己紹介しなきゃだよね。私、って言うの。こっちはジャンで、私たち、幼馴染なんだ」
 ジャンの右腕を絡めとりながら、軽く身体を傾けてジャンの肩に頭を乗せた。目の前で喧嘩をしたが、ちゃんと仲はいいのだと証明する。だが、それも、接触を厭うたジャンが左手のひら全体で私の頬を押し返したことで、一瞬で覆される。
 目の前に座る彼は、そんな私たちのじゃれあいを苦笑いを浮かべて見守っていた。
「あぁ、うん。よろしく。……と、ジャンも」
「おう」
 私の行動が心底気に入らなかったのだろう。不機嫌そうな声で唸るように応じたジャンに視線を向ける。案の定、不満に塗れた表情が目に入り、小さく息を吐いた。
 テーブルの下に手を伸ばし、機嫌をなおしてと言う代わりにジャンの太ももを指先でつつく。2回押し込んだあと、手を引こうと宙に浮かせたが、その途中でジャンが私の手を握り引き止める。目を丸くしてジャンの動向を伺う。左手でパンを掴み、口の中に押し込みながらも、その右手は私の手を掴んだままだった。
 くるりとジャンの手が翻る。その動きに合わせて裏返された手のひらに、ポン、と軽くジャンの手が落ちてくる。柔らかく重なった手も、一度の接触を終えればすぐにはねのけられた。
――今のは仲直りの合図だ。
 長い付き合いの中で何度も弾いた手の感触。思い当たると同時に、気持ちが軽くなる。喧嘩が打ち止めになったことで、心が弾むままに目の前に座る彼に、ニッと歯を見せて笑いかける。
「でさ、君はさっきの入団式で何も言われてなかったよね。名前、なに? どこ出身なの? どうして訓練兵に?」
「えっと……」
「……。お前なぁ、ちょっとは落ち着いて聞いてやれよ」
 矢継ぎ早に質問を投げかけた私をジャンが窘める。気がついたら前のめりで彼に迫っていた私に、目の前の彼はたじろいでいるように見えた。気を取り直して、椅子に腰掛ける。咥えていたスプーンを口元から離した彼は、目線を少し彷徨わせていた。
「あ、ごめんね?」
「……いや、いいよ。えっと、僕の名前は、ベルトルト・フーバー。ウォール・マリア南東の山奥の村から来たんだ」
 律儀にも私の質問に順番に応えた彼――ベルトルトは、伏し目がちな視線を脇に逸らした。何気なく質問してしまった出身地だったが、予想以上のものが返ってきて戸惑ってしまう。
「ウォール・マリア 、って……」
「うん、だから……この間までは開拓地にいたんだ」
 ウォール・マリアから逃れてきた避難民はトロスト区の中でも散見された。木を切り、石を退け、畑を耕し、それだけで一日が終わる。過酷な条件で働かされる開拓地には私と同じような年頃の子たちも何人か見かけていたが、あの中にベルトルトもいたのか。
 それ以上何も言えなくて口ごもる。大変だったね、だとか、どうしてそんなところに、だなんて言えるはずがない。ウォール・マリアから来たということは、少なからず巨人の脅威を目の当たりにしたことが簡単に予想された。
 肩を落とす私の戸惑いに気付いたのか、ベルトルトは気まずそうに視線を逸らす。なにか言葉を捜しているように見えたのは、口元が僅かに震えていたせいだった。
「ごめんね、変なこと聞いちゃって……」
「いや、別に……いつか知られることだから、気にしないで」
「うん……」
 優しい言葉をかけるべきなのは私の方なのに、逆にベルトルトに気を使われてしまう。至らない自分が恥ずかしくなり、体を小さくさせる。落ち込んだ様子を見せた私に、ジャンは呆れたような溜息を吐いた。
「だからお前はいつも強引だって言ってんだよ」
「うー……反省するよぉ」
 ごもっともだ。視野が狭いだとか押しが強いだとか。幾度となくジャンに私の悪いところを論われてきた。それでも治らなかった結果がこのザマだ。ますます萎縮した私を鼻で笑ったジャンは、私から視線を外し、ベルトルトに顔を向けた。
「で、ベルトルト。どうしてそんな環境で兵士になろうってんだ? 普通なら逃げ出したいくらいじゃないのかよ」
「……えっと、多分、みんなと同じ、なんじゃないかな」
「憲兵団に入って内地で暮らすため?」
 場の空気を変えたくて、あえてジャンを茶化すような言葉を選んだ。ムッとした表情のジャンに肘打ちを食らわされた私は、すかさずジャンに同等の力のものを返す。そんな様子を見たベルトルトは 、今度は先程よりもはっきりと笑った。
「あぁ、うん……そうだね。僕も、本当はそれが目標なんだ」
「ほら見ろ、口にしないまでも俺以外にもそういうやつが大半だって、なぁ?」
「そっかぁ……」
 同じ理由で訓練兵に志願した人が見つかったことに気をよくしたジャンが、ベルトルトに目配せをし、不敵に笑った。満足そうな表情を横目に眺めながら、皿に浸したままだったスプーンを拾い上げる。唇を尖らせて不満でいることを隠しもせずにいると、私の様子に気付いたジャンが、辟易した顔で私を睨みつける。
……お前、まさかまだ調査兵団に入るとか言うんじゃねぇだろうな」
「え?」
 ジャンの言葉に思わず口をつぐむ。別に内緒にしておいてくれと頼んだことはないが、あっさりとほかの人の前で暴かれたことに怯んでしまった。思わぬ言葉に、私と同様にベルトルトも驚いた顔をしている。
 無言を肯定と受け止めたジャンは、深い溜息を吐きこぼした。
「マジかよ……いい加減にしろよ。辞めろって。無駄死にするだけだぞ」
「そうならないように努力しますよーだ」
 誰がジャンの言うことなんて聞くもんか。言葉に出さずとも私の意思を伝えるために、ベッと突き出した舌をジャンに差し向けた。ジャンを煽るだけ煽って顔を背けた私は、止まっていた食事を再開させる。口の中の水分をすべて奪うのではと思うほど、パンは固く、パサパサとしていた。もぐもぐと一心に咀嚼していると、手を止めたベルトルトの視線が私に向けられていることに気がついた。どうしたの、と聞く代わりに首を傾げる。私の意図に気付いたらしいベルトルトは微かに視線を皿に落とし遠慮がちに口を開いた。
「……どうして、君はそんな無謀なことを?」
「無謀って……結構きついこと言うね」
「ごめっ…」
「や、いいの。別に怒ったわけじゃないんだ」
 眉を下げて口をつぐんだベルトルトに、曖昧に笑ってみせる。私の笑みを受け止めたベルトルトは、うん、とひとつだけ頭を揺らし、それ以上何かを言うことはなかった。
 躱すような言葉を選んだ自覚はあった。そして、ベルトルトの様子を見れば、このまま答えずとも追求されることはないことも理解していた。だけど、答えなければ、もしかしたらずっとベルトルトをいたずらに悩ませることになるかもしれない。自ら進んで調査兵団を選ぶ人は少ない。同期にはただのひとりもいない可能性だってある。
 不人気の理由は、その圧倒的致死率にあった。およそ3割から半数近くが初めての壁外調査で死ぬというのは子供でも知っていることで、わざわざ壁外に出て巨人と戦うだなんて正気の沙汰ではない、というのが世間的な評価だった。
 ジャンが面倒くさそうに首の後ろを乱雑に掻いたのが横目に入った。私の事情を知っているからこそ、今の微妙な空気が煩わしいのだろう。自分から言い出したくせに、 と内心で悪態をつく。中途半端に言われたらベルトルトだって気になっちゃうに決まってるのに、配慮が足りないというか、自分本位というか。
 ジャンは私のために、だなんて気を回して後でベルトルトに説明するような性格ではないけれど、居心地の悪さを無視できる性質でもない。ちゃんと私からベルトルトに伝えることが筋だというのも理解していた。
 もう一口、とスープを口に含み、それでも足りず、傍らに置いていたコップを傾け一気に飲み干した。手の甲で口を拭い、ベルトルトに視線を向ける。私の動向を伺っていたらしい彼と視線を合わせるのには何一つ労力はかからなかった。
「殺されるのをただぼうっと、待っていられないから」
「……殺されるって、巨人にってことだよね?」
「うん、その、なんていうか」
 うまく言葉に出来なくて口ごもってしまう。体裁を取り繕うための理由なら、いくらでも思いつく。だけど、人類が負けっぱなしだから、だとか、誰かが続かないと、だなんて、そういう上っ面の言葉では収まりそうになかった。
 ベルトルトが、戸惑いながらも私に質問を続けるからだ。迷いのある視線でも、まっすぐに私に向かってくるベルトルトは、私から”答え”を差し出されることを願っているように見えた。
 ベルトルトは、多分、私と同じなんだ。ただ、世間的な体裁を守るために訓練兵を志願したわけじゃない。出身が、ウォール・マリアだから、というのもあるけれど、私は彼の中にひとつの信念があるように感じられたのだ。
 ほかの子相手ならごまかしていたかもしれない。 だけど、ベルトルトは、私の質問から逃げずにウォール・マリア出身だと答えてくれた。その誠意に、応えたい。ベルトルトには隠しごとをしたままではいられない。直感が、そうさせた。
「うちの父さんが、さ。調査兵団だったんだよね。もう死んじゃったんだけど 」
「……え、」
 私の言葉に、丸っこい目を大きく開いたベルトルトは、次第にその顔を青白いものへと変えていく。いつ、誰に話をしても似たような反応を取られる。だが、予想通りだったからといってそれに心が動かないほど愚鈍ではいられなかった。胸の奥に、重くて暗い感情が生まれる。肺を握られたかのように、息が詰まった。
 曖昧に笑いかけてもなお、口を固く結んだままのベルトルトはじっと私の動向を見守っているようだった。軽く目を伏せて、なにか場を取り繕うような言葉はないだろうかと思案する。だが、咄嗟にいい案が浮かぶはずもなく、沈黙を保ってしまった。
「……それって……いつの、話?」
 沈黙を破ったのは、ベルトルトだった。視線を上げれば、表情を強ばらせたベルトルトと視線がかち合う。小さく息を吐き出して、極力、暗くならないような声音にしようと意識して言葉を繋げた。
「えっと、もう3年になるかな」
「……そう」
 重い溜息を吐いたベルトルトは、気の毒そうに眉を顰めた。3年なんて、もう随分昔の話なのに、言葉にする度に動揺してしまう自分に幼さを感じてしまう。辛気臭いのが嫌で、無理矢理に笑ってみせたが、ベルトルトは益々悲しそうに眉根を寄せた。
 どう振る舞えばいいのかわからなくて、取り繕うようにパンをちぎり、そっと口に運んだ。厳しい表情のままスープを口に運び続けていたジャンが、最後のひと掬いを飲み干したのが横目に入る。気付くままに視線をそちらに向けると、テーブルに肘をついたジャンが私へと視線を合わせてきた。
、いい機会だから言わせてもらうけどな 。あの親父さんでさえ、その、”ああ”なっちまったんだ。お前が続いたところでタカがしれてる」
 ストレートな物言いに顔が強張る。ジャンは優しくない。ただ、恐ろしい程に現実的なものの考え方をする。いつだって正常な判断を下すジャンの目から見て、調査兵団に入りたいだなんて希望する私は、ただの死に急ぎにしか見えないんだろう。
 正しいことを言っているのはジャンの方なのだと私だって感じていた。意固地にならず提案を受け入れるべきだと、私の中の臆病な心が叫ぶ。その感情を抑え込んで、蓋をするように、口元を引き締めて耐えていると、ジャンは静かな声で言葉を続けた。
「お前の運動センスから言えばまともな働きをする前に巨人の餌になるのがオチだ。憲兵団には絶対入れねぇんだからせめて駐屯兵団を志願しろよ。わざわざ死にに行くようなことはするな」
 パンを持つ手が震えた。喉の奥に力が篭るのをじっと耐え忍んでいると、目ざとくそれに気付いたらしいベルトルトが、捨てられた子猫のような目でこちらを見つめる。
「な、。お前だって別に本気じゃねぇんだろ?」
「……ジャンは何もわかってない」
 諭すようなジャンの声に、ようやく私は反論した。言い返されるとは思っていなかったらしいジャンは、怪訝そうに眉根を寄せる。 ジャンになにか言い返される前に、と先手を打って声を上げた。
「駐屯兵団に入ったって王政に殺されちゃうじゃないっ」
 暗に2年前の政策をチラつかせると、ジャンは表情を固くする。噛み付くような言葉になってしまったことを後悔しつつも一度口にしてしまった言葉を覆すことなんて出来なかった。
 気まずい空気のまま、ジャンから顔を背ける。恐らくジャンも同じように私に背を向けていることだろう。しん、と空気が張り詰めた。3人で食べていたはずなのに、私とジャンの間に亀裂が入った状態では団欒なんて出来る気がしなかった。偶然呼びつけられたベルトルトはとんでもないテーブルに座ってしまったと後悔していることだろう。
 きゅっと唇を引き締めて、その場の重い空気を甘んじて受け止めていると、ベルトルトが小さく咳を払ったのが聞こえた。
「ごめん、僕が、変なことを聞いたから……も、ジャンも、もう、やめよう、ね?」
 宥めるように言ったベルトルトへ視線を向けると、彼が私へとまっすぐな視線を差し向けているのに気がついた。咎めるような、困ったような視線には、ジャンと同じく翻意を勧めているように見えた。
 素直に聞き入れることができそうも無くて、ベルトルトから視線を外す。テーブルの上できゅっと拳を握った。我慢するべき感情は、それだけでは抑え込むことが出来ず、眉間に深いしわとして刻み込まれた。
 それでも、新しく知り合ったばかりのベルトルトに気を遣わせるわけには行かない、と思い直し、肩に入っていた力を抜いた。
「ごめんね、ベルトルト。……ジャンも、心配してくれてありがと」
「心配なんてしてねぇっつの。タコ」
 私と同様に肩肘を張っていたジャンも、私が態度を軟化させれば 簡単にその力を解いた。差し出されたジャンの右手を、私の右手で弾き合わせる。空気が和らいだことに安心したのか、ベルトルトは微かに微笑む。
、僕らも早くご飯食べちゃおう」
 ベルトルトの言葉に、うん、とひとつ頷く。改めてテーブルへと向き直り、残り少ないスープに改めて口をつけた。



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