進撃011

訓練場への道①


「もー……遅刻しちゃったらジャンのせいだからね」
「知るかよ。お前が絡んでくるから余計に時間かかってるんだろうが」
 エレンに絡むジャンを引き離すことには成功した。だが、そのせいで余計にジャンに絡まれる羽目に陥った。同意したり貶したりしつつ、なんとか宥めすかしてエレンへの怒りを鎮めることはできたが、だからといって機嫌が直るわけではない。ただ単に矛先が私へと移っただけだ。
「ホンット……お節介な女だな、お前は」
「なによぅ。ジャンがエレンに喧嘩売ったりしなければ私だってこんな風に止めたりしないよっ」
「っるせぇ!」
 私の襟首を掴んで引き寄せていた手を離したジャンは、今度はその手を額に移し押し退けるかのように強く掴む。その腕を押し返すために、下から持ち上げようと試みたものの、びくともしないどころか、ますますその力が強くなる。
 男女の力の差をハッキリと感じ、思わず歯を食いしばる。脛でも蹴ってやろうかと思ったが、それをして本格的な喧嘩をスタートさせてしまっては、このあとの訓練に間に合わなくなる恐れがある。
 ちらりと横目に食堂の中を確認する。ジャンが私に絡んでる合間にミカサとエレンは既に食堂を出てしまっていた。結果、もう食堂の中には誰も残っておらず、辛うじて私たちが食べ終えた食器を洗う当番を課せられた子たちが数名、洗い場に残っているだけだった。そのことにジャンも気付いたのだろう。周囲を軽く見渡し、顔を歪めて舌を打ち鳴らした。
「クソ、もう行くぞ」
「あ、待ってよっ! ジャン!」
 抜け駆けはズルい。反射的に離そうと躍起になっていたジャンの腕を掴む。私を一瞥し、またしても舌打ちを残したジャンは、私の手を振りほどいて食堂を飛び出した。
 置いていかれてはまずいとその背中を追うべく、普段よりも早足で訓練場へと駆ける。だが、駆けてすぐに靴紐がほどけていることに気を取られた瞬間、本気で走り出したジャンに振り切られてしまった。
 遠くなる背中を眺め、ぽかんと口を開く、ジャンのために残ったというのになんという仕打ちだ。ミーナたちが去ったタイミングで見放せばよかったと後悔しても、もう遅い。
「もう! ジャンのバカっ!!」
 叫び声が届いたかはわからない。だが、振り返らずに駆けていくその背中がどうしようもなく憎らしくてもう一度「バカー!」と叫んだ。


* * *


 腹を立てたまま、5分ほど走った頃合いだろうか。先を急いだジャンの姿が見えなくなったが、その代わり最後尾と思われる一団に遭遇する。その中に誰か知っている者の姿はないか探せば、ひときわ目立つ背中が目に飛び込んできた。ひとり、黙々と歩く背中は周りの誰よりも大きい。
 気付いた途端、自然と口元が綻ぶ。気がついた時には、その背中に向けて駆け出していた。
「ベルトルト! おはよー!」
「あぁ、。おはよう。朝から元気だね」
 ベルトルトに駆け寄った私は、背中を軽く叩いて彼に呼びかける。振り返り、穏やかに笑んで迎え入れてくれたベルトルトは、普段の私の歩幅に合わせるかのように少しだけ歩みを遅くさせた。さりげない優しさに、自然と笑みが浮かぶ。
「朝ごはん食べたら元気なんだー、私。それまではこんな顔してるよ」
 薄目にしてわざと眉間に皺を寄せる。妙な顔つきをしてみせるとベルトルトは声に出して笑った。だが、はたと気付いたように声を抑えたベルトルトは、軽く握った拳で口元を隠しながら穏やかに言葉を続ける。
「女の子がそんな顔しちゃダメだよ」
「そんなに変な顔してた?」
「……うん」
「えー……そっかぁ。気をつけるよー」
 両手のひらで頬を抑え、表情を改めようとしたものの、不意にイタズラ心が沸き起こる。触発されるままに、わざと手のひらで頬をさらに寄せ、唇を尖らせてもう一度変な顔を見せると、困ったように眉毛を下げたベルトルトに、それもダメだよ、と窘められた。
 どうやら、彼には”女の子らしさ”というものを守ってほしい節があるらしい。変な顔をすれば遠慮なくブスと言ってくるジャンと感覚は似ているのかもしれないが、こちらに見せる態度は大違いだ。
 ベルトルトの言葉には素直に従おう。そう思わせてくれる言い方だった。手を放し、いつものように笑いかけてみせると、ベルトルトは安心したように微笑んだ。
「そういえばさ、昨日の実習、どうだった? ベルトルトはちゃんと上手く出来た?」
「上手くかどうかはわからないけど、一応……その、それなりに」
 控えめな評価ながらも自信はあるのだろう。その表情に微かに誇らしげなものが交じる。
「そうなんだ! ベルトルトって大きいからバランスとるの難しそうなのにすごいね!」
「昔から身体を動かすのは得意なんだ」
 今度は、はっきりとした言葉だった。照れたように目をそらしながらも断言したベルトルトの力強ささえ感じる言葉に応えるように私も、うん、と頷く。表情を柔らかくさせたベルトルトは、道の真ん中に大きく被さっていた枝を払いながら口を開いた。
も、結構上手に出来てたね」
「あ、見てたの?」
 本当に意外だったからこその言葉だった。どちらかというと卒なくこなした方だとは思うが、まさかその様子をベルトルトに見られていたとは想像もしていなかったのだ。私の言葉を受けたベルトルトは、気まずそうに顔を顰めてしまう。
「あ、うん、ごめん……その、ちょうど僕が降りたとき、隣にがいたから……」
「全然いーよっ。私の方こそ驚いちゃってごめんね?」
「うん……」
 困ったような表情のベルトルトは固く唇を閉ざしてしまった。おそらく、その心までも、だ。私の失言に対し、思う所があるのだろう。落ち込んでいるように見えるから悪い方向に考えてしまったことには間違いないはずだ。例えば、見られたら気持ち悪い、だなんて私が感じたと勘違いしているのかもしれない。
 チラリとベルトルトを見上げる。口元を引き締め顔を伏せてしまったベルトルトは、その視線を自分の足元へと落としてしまっている。合わせようとしても、決して交わらない視線がもどかしい。無理矢理、顔を突っ込んで視界を遮り、目を合わせることも出来るのだが、繊細さを見せるベルトルトにそんな雑な対応で踏み込みたくはなかった。
 ならば、どうやって彼の誤解を解くべきか。ごめんとストレートに謝っても回復しなかったのだから、理由をちゃんと言わなければ伝わらなさそうだな、と見当をつける。人は話し合いもなしに、相手の心を覗き込むことも私の心を差し出すこともできないのだから。
 だが、直球が通用しなかったことで、どう伝えたらいいのかわからなくなてしまっているのが現状だ。見て欲しいというと語弊があるが、ベルトルトに訓練中の様子を見られることに抵抗がないのはたしかだ。ヘタを打ったときは見られたくないかもしれないけれど、少なくとも昨日の訓練程度なら何も問題はない。
「本当にいいんだよ。ベルトルトがしてるの私も今度は見るから」
「……うん。でも、気を使わないで」
 ベルトルトにどう弁明するべきか。考えあぐねてもいい言葉は思いつかなさそうだ。こうなったら根気よく、直球を投げ続けるしかないだろう。そう思い、かけた言葉が簡単に打ち返される。
 やんわりとした拒絶に自然と唇が尖る。気を使わなければどうなるかだなんて目に見えている。ベルトルトは、このまま私から距離を取るつもりだ。直感が、そう告げた。
 ベルトルトの言葉に安心して放っておいたら、今後、彼と全く話せなくなりそうな危うささえ感じられた。落ち込んだ様子を隠しもしないベルトルトは、先程は同じシチュエーションで払った枝も目に入らないといった様子で、胸に当たるのも厭わずにトボトボと歩き続けている。
 肩で息を吐き、困った子、だなんて気持ちを追い払う。遊んでいたつもりがうっかり物を壊してしまい怒られた飼い犬のように消沈するベルトルトを見上げた。
「もう。そういうことじゃないの。あの時、私には周りをみる余裕がなかっただけだけど…普通、友達がやってたら気になるもんだよ」
 足元に落としていた視線を私へと転じたベルトルトは、ぽかんと口を開けて私を見つめた。
「え?」
「うん?」
「あ、いや、その……友達、って」
 誤解は解けたのだろう。私に対する申し訳なさはその表情から消えていた。だが、今度は戸惑うように眉を寄せ、目を丸くして驚いたベルトルトの表情に、新たな問題が発生したことを知る。
 突然の困惑にこちらも身構えてしまう。だが、先程のベルトルトの言葉を反芻すれば、”友達”という言葉にびっくりしてしまったのではないかと推察できる。たった2回、食事の席を共にしただけの相手に使っていい言葉ではなかったのだろうか。
――しまった。もしかしたらまた失敗したのかもしれない。
 まだ親しくなってない者に対して距離を縮めすぎるきらいがあるのは、ジャンやミーナ、果てはトーマスからも指摘されていたことだ。大人しそうなベルトルトにとっては、知り合った程度の女にそこまで踏み込まれるとは思っていなかったのかもしれない。
――だからお前はいつも強引だって言ってんだよ
 ジャンの呆れたような声が脳裏に蘇る。つい先日、同じようにベルトルトに詰め寄った際に、窘められた言葉だ。その時は質問責めにしてしまったことに対してはきちんと反省した。
 でも、私がベルトルトと友達になれたと信じた直感を疑いたくはない。顔を見ただけで笑って話せるのは、もう友達の証拠だ。
「ダメだった?」
「な、にが?」
 怯んだようなベルトルトの声に、嫌いな食べ物が食卓に並んだことに拗ねる小さな子どものような気持ちが湧き出てくる。唇を尖らせ不満を押し出すと、ベルトルトはますます萎縮したように私から距離をとった。その行動が気に入らなくて、反発したくなる。
 ベルトルトの腕を掴んで引き寄せる。体の大きなベルトルトはそれだけで簡単にバランスを崩した。転ばないように足元に注意を払うベルトルトの耳元に唇を寄せ、苦虫を噛み潰したような声で告げる。
「なによぅ。私と、友達じゃ……ベルトルトはいやなの?」
「い、いやじゃないよっ!」
 大きな声を出したベルトルトに驚いてしまう。だけど、ちゃんと私の意図するものが誤解なく伝わったのだと、その目が雄弁に語っていた。まっすぐに落ちてきた瞳には、もう私への遠慮は見られない。ほんのりと残った困惑を打ち砕くために、私はベルトルトに笑いかけた。
「じゃあ、いいでしょ? 私がベルトルトのこと気にかけても。もちろんその逆も」
「あ、ああ、そうだね」
 私の言葉に何度も頷いて見せたベルトルトは、深く息を吐いて、小さく笑った。眉を下げて私を見つめるベルトルトと、心が通ったと信じられた瞬間だった。
 ひどく安心したような顔をしたベルトルトだったが、次の瞬間にはまたしても落ち込んだかのように肩を落とした。意外と忙しない反応を見せるベルトルトに、どうしたの、と声をかける代わりに首を傾げてみせたが、何も言葉は返ってこなかった。



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