進撃012

訓練場への道②


「……」
「……うー」
 たった今、友達になったはずのベルトルトは、暗い表情で隣を歩いていた。心なしか、先程よりも歩調が重いように感じられるのは、間違いじゃないのだろう。つい先程、追い抜いたばかりのひとたちが喋りながら横を通過するのを眺め、ひとつため息をこぼした。
 気まずい沈黙が私たちの間に落ちていた。解放するよりも前に落ち込んだ様子を見せたベルトルトの腕は、いまだ私の手の中にある。さすがに体からは離れているし歩調は合わせてくれているから歩きづらいということはないのだが、気まずい空気に負けてこの手を離してしまいそうだ。
 振り払われないから拒絶されているわけではないんだろう。だけど、ベルトルトの仄暗い様子に、安易に話しかけることは憚られる。
――この手を離したら、また悪い方向に考えられそうだし…現状維持がベストだよね。
 誰に相談するわけでもなく、自分の中でそう結論づける。背の高いベルトルトの顔をチラリと見上げると、固く結ばれた口元がやけに印象強いということを再確認するだけとなった。
 胸に生まれた言いようのない不安には身に覚えがあった。買い物の途中で母親とはぐれてしまった経験が脳裏を掠める。この人と、離れたくない。指先を離したくないのは、そんな心境の現れだった。
 木々の合間からのぞく太陽を見上げながら、会話のとっかかりを考える。これがジャンだったら「なに暗い顔してんのよ」だなんて簡単に突っ込んでいけるのだが、友達になったばかりのベルトルトにそれをするのは気が引ける。
 雑な扱いをしていいタイプか、そうでないか。そういうのはいくら鈍い私でも、敏感に感じ取ることができた。
 だが、雑に扱わないとは言え、このままの状況を受け入れることもまた出来なかった。言葉がない状況を5分と我慢できない私は、思いつくままに言葉を紡ぐ。
「あー、そう言えば、なんだけどね」
「……うん」
「今日はさ、昨日ちゃんと出来なかった子の最終確認だって聞いたんだよね」
「……あぁ、うん。らしいね。それから崖の上に登る訓練、だったかな」
 訥々とながらも言葉を続けたベルトルトに安心して、彼に視線を合わせようと試みる。見上げる私の視線に気付いたのか、ベルトルトは躊躇うように一度視線を外したが、根気よく見つめ続ければその視線を戻してくれた。視線は交わったはずなのに、先程以上に心が遠くにあるように感じる。
 腕を掴む指先に、ぎゅっと力を入れると、ベルトルトはほんの少しだけ目を丸くした。困ったような表情は、私への遠慮のように映った。迷惑だと言われたのなら離れるしかない。だけど、どうしてもそうは見えないのだ。
 縋り付きたい私の気持ちを汲み取ってくれたのか、脇を締めるようにしたベルトルトの腕と体の間に指先が挟み込まれた。ただそれだけの動作で、ベルトルトが私の気持ちに応えてくれたことを知る。
 ベルトルトの仕草に背中を押されるかたちで、離れていた体を寄せる。それだけで先程よりも歩きやすく感じた。
「今日はさ、エレン、ちゃんとできるかな」
「どうだろう……」
「うまくいくといいんだけど」
「そうだね……」
 拒絶されていないとは言え、昨日までと比べて歯切れの悪い様子を見せるベルトルトに、また少しだけ不安な気持ちが頭をもたげる。唇を尖らせてもう一度ベルトルトを見上げると、曖昧に笑ったベルトルトが反対の手で私の手に触れた。1回、2回と柔らかく叩いたその手のひらは、また優しく離れていく。聞き分けのない子供をあやすようなその仕草に、歯がゆさから自然と口先が尖る。
 寄った眉根を見せたくなくて、ふいっと視線をベルトルトから外した。だけど気持ちはずっと彼に向かっている。指先に自然と入る力が、その証明だった。
 冴えない顔つきのまま歩く中で、「えっと」と小さな呟きが耳に入ってきた。声の発生源であるベルトルトを仰ぎ見ると、私に掴まれた腕とは反対のものを掲げて口元を隠している様子が見て取れた。
「そういえば、なんだけど…は、エレンともう話、したの?」
「うん、昨夜、少しだけ」
「そう……」
 昨夜の記憶を思い返してみたが、実際エレンと交わした言葉は少なく、それも立体機動装置の使い方、だなんて話題を限定されたものだった。話ができたというほどではなかったかもしれないと思い直す。
 大きな手のひらを唇に添えたかと思えば、その手を翻し口元を覆い隠す。そんな言い淀むような仕草を見せたベルトルトは、チラリと私に視線を流す。じっと見上げたままベルトルトの言葉を待っていると、言いにくそうに顔を顰めたベルトルトが、手のひらを下ろしながら口を開いた。
「エレンは、その、何か言ってた?」
 曖昧なベルトルトの質問に、数度目を瞬かせる。エレンの言葉なんて探って、何か面白いことがあるんだろうか。ベルトルトはジャンのように馬鹿にするようなタイプには見えないからこそ意図が掴めなかった。
 だが、今度はベルトルトが私の言葉を待っているのだと気付けば、わからないなりにでも、なにかしらの言葉を返すほかなかった。
「何かって……うーん、立体機動装置のコツを聞かれただけだからなぁ」
「え?」
 顎に手をやり記憶を探る。昨夜の会話を思い出せる限り思い返してみたが、やはり取り立てて中身のある会話ではなかった、というのが結論だった。ありのままを伝えると、ベルトルトが当惑したような顔つきを見せた。想定していた会話と違ったのだろうか。でもそれが真実なのだから致し方ない。
「でもエレンと話してる途中でミカサが来ちゃって……思わず逃げだしちゃった」
 へへ、と照れ笑いを浮かべた私に、ベルトルトは怪訝そうに首を傾げた。
「ミカサ?」
「黒髪の女の子なんだけど、髪型このくらいの」
「うーん……ごめん、わからない」
 浮かない顔をしたベルトルトは、同期の名前を知らないことに申し訳ないと恥じる様子を見せる。だが、まだここに来て3日目だし、男女の隔たりがある中で、顔と名前を一致させることは容易ではない。
 私だってこうやって喋ったことのあるベルトルトや、ミカサと仲良くしているエレンやアルミン以外はまだうろ覚えなのが現状だ。同室の女子を覚えるだけで手一杯で、男子にまで気を回せていない。おそらくベルトルトもそうなのだろう。
「仕方ないよ、たくさん人がいるもん。でも、そのうちわかると思うよー。凄く綺麗な子だし。ジャンなんて一目惚れしてたもん」
「へぇ、そうなんだ……」
 イヒヒ、と悪い笑みを浮かべておどけてみせたが、ベルトルトの反応は鈍い。女子とは違って浮いた話には興味がないのかもしれない。ゆうべのユミルたちの反応を思い返し、その差にほんの少しだけ驚いた。偏見ではあるが、みんなこういう話は好きだと思っていたからだ。
 ベルトルトが興味ないのであれば、この話はユミルたちに教えた方が面白くなりそうだ。もっとも、ミカサに迷惑がかからないことが前提だけど。
 頭の中で、どういう風に話をしたらミカサに迷惑がかからないだろうかと算段をつけていると、ベルトルトがほんの少しだけこちら側に歩み寄ってきたことを肌で感じとった。改めてベルトルトを見上げると、その表情に暗い影が落ちていることに気付く。
「その、話を元に戻しちゃうんだけど」
「ん、なに?」
 続きを促す私を一瞥したベルトルトは、辺りを憚るような声音で言葉を続ける。
「……エレンに、が調査兵団志望のことは、伝えたの?」
 ベルトルトの潜めた声がいやに耳の奥に響いた。仄暗い表情の理由はそこだったのかと今更ながらに知る。踏み込むことに躊躇いがあったからこそ神妙な表情を浮かべ、それでも向かってきたベルトルトを無碍にはできない。
 ひとつ溜息を吐き出して 、私の胸のうちにも伝染してきた暗い気持ちを追い出した。
「……ううん、言ってない」
 頭を横に振って答えた。私の答えが返ってきたことに、安堵したようにベルトルトは息を吐いた。だが、言葉を咀嚼し、意味が頭に浸透すれば、益々眉根を寄せ、苦々しい表情を浮かべる。
「そっか……言わないの?」
「うん……なんかおおっぴらに言う事でもないし……なんとなく、ね」
 昨夜はただ単にミカサの迫力に負けて、エレンとあまり仲良くならないほうがいい、という防衛本能に従っただけだった。
 他でもない、調査兵団を目指すと言ったエレンにならば伝えてもいいかもしれない、と魔が差した。あのままミカサが来ず、エレンとの話を続けていればおそらく同じ道を目指すものとして共に戦おう、と手を差し伸べていたはずだ。
 だが、その機会は既に逸してしまっている。そうなると、途端に伝えなくてもいいのではないかという考えが頭にちらついた。
 すべてをミカサのせいにするつもりはない。むしろ、ミカサがあの場に来てくれたからこそ、踏みとどまることができたとさえ今は感じている。
 訓練兵になっていろんな子と話をしたけれど、調査兵団を目指すという子はついぞお目にかからなかった。私と同じように内緒にしている子がいるのかもしれないが、彼女たちの反応を思い返すにその可能性は低いだろう。
――調査兵団だけは勘弁。
 苦々しく呟いた子たちの表情が脳裏を過ぎる。彼女たちはジャンと同様に、憲兵団に入れないのなら駐屯兵団に入るべきだ、という意見を掲げていた。中には、憲兵団に入れそうな男子と関係を持った方が早そうだ、だなんて過激なことを言う子もいたが、冗談なのか本気なのかはイマイチ判断がつかなかった。だが、それもまたひとつの選択なのだろう、と私は思う。
 平和が欲しければ努力をするか、それに見合う代償を払わなければいけない。その子にとっては生涯かけて身も心も相手に捧げることが、平和に見合う代償と考えただけのことだ。
 私にとって平和を望むことは、守るべき力を得ることだ。そして、得た力を正しく使うためには調査兵団に入ること、つまり命を対価に支払うことに繋がった。ただ、その選択肢を取る、ということがあまりにも少数派過ぎただけのことだ。
 死に行くようなものだとジャンは私に忠告した。それは、私の父親がそうであったからこそ、同じ道を辿るなと言ってくれたのだろう。実態を知ってなお、調査兵団を目指すなんてどうかしてる、とも言われたっけ。
 頭の中でジャンの言葉を反芻する。遠慮のない数々の言葉は、他の子からは言われないかもしれないが、きっと胸の内に起こるはずのものだ。
 異端なのだとわざわざ自己紹介する必要なんてない。私の心の内に秘めて、来るべき時に備えておけばいいだけだ。ジャンさえ余計なことを言わなければ、これ以上、私の希望兵団がほかの人に伝わることはないだろう。
「だから、ベルトルトも気にしなくていいからね」
「気にするよ」
 キッパリと言うベルトルトに目を丸くしてしまう。少ない会話の中で、ベルトルトがあまり自己主張をしないタイプだと認識していたからこそ、驚いてしまう。丸くなった目を隠さずに彼を見上げると、その視線はいつになく真剣に私に降り注いでいた。
 気にかけてくれるのは、ありがたい。だけど、いくら友達に止められたところで意見を変えるつもりはない。
 感謝と困惑、そして信念が胸の内に生まれる。相反する気持ちに、どんな顔をしていいかわからなくなって、曖昧に微笑んで見せると、ベルトルトはますます苦々しげに表情を歪ませるだけだった。
「でもが駐屯兵団に対して抵抗があるのもわかるから」
「……どうして?」
 簡単に気持ちがわかる、だなんて口にしたベルトルトに思わず理由を尋ねる。普段よりも幾分も鋭く、だが何も見えていないかのような仄暗い視線を向けてしまった。私と同様に、目の色を薄暗いものに変えたベルトルトは、目を半分伏せながらも、決して私から視線を逸らさなかった。
「2年前、の奪還作戦だよね?」
 黙ったまま、ベルトルトを見上げる。口元を引き締めたまま肯定も否定もせず、ただひたすらにベルトルトの瞳を見返した。
 私の中にある”駐屯兵団は嫌だ”という結論をベルトルトは知っている。だけどその根拠は語っていない。
 ジャンが私のいない間にベルトルトに告げ口をしたのかとも考えたが、それならば初日に食堂で一緒になった際にとっとと言ってしまっている可能性が高い。どうして、と問いかける代わりに、実直にベルトルトを見上げ続けた。
「ごめん、勝手に想像しただけだから……違うのかも、しれないけれど…の駐屯兵団を嫌がった言葉を考えていたら……それしか思い当たらなくて」
 訥々と言葉を紡ぐベルトルトに、その意図はないのだとしても、退路を絶たれていくような感覚を味わう。心を暴かれるような感覚は、想像以上に胸を痛ませた。
 静かに迫る暗い影から今にも逃げ出したい。無力さや悔しさが綯交ぜになって胸の奥にぶちまけられる。胸の内に不意に現れた嫌な感覚を目をつぶることで耐える。
 無言を肯定と捉えたのだろう。心底、すまなさそうに息を吐いたベルトルトは声をひそめたまま言葉を紡ぎ続けた。
「僕も……あの作戦には思うところがあったし……ただ抵抗も出来ず殺されるだけなら自由を目指して戦う調査兵団の方が、いいのかなって……」
「……うん」
 指先に力が入る。先程までは、ベルトルトを落ち込ませないようにと私が支えていたつもりだったものが、途端に私が縋りつきたいがための指に変わる。ぎゅっと握る指先は、痛むはずだ。それでも振り払わないベルトルトは、体を固くさせながらも真摯に私の指先を受け入れ続けた。
「でもに……難しいかもしれないけど、少しでも長く、生きていて欲しいから調査兵団を目指すのも応援出来なくて……」
 途切れがちの言葉を打ち切ったベルトルトは、重い溜息を吐きこぼした。額に手のひらを押し付け、深く目をつぶったベルトルトは横に大きく頭を振るう。
「ごめん、僕も言っててわからなくなってきた」
「いいよ。ありがとう、ベルトルト」
 胸が詰まったのを隠すように、掴むだけだった腕を組むように回してベルトルトを引き寄せる。軽く前傾するように体勢を崩した彼の腕に甘えるように頭を傾けた。息を呑むような音が頭上から聞こえてきた。だが、私の突然の接触をベルトルトは黙って受け入れてくれた。
 仰ぐように頭を傾け、ベルトルトに視線を差し向ける。眉を顰めてこちらの様子を伺うベルトルトは、本当に私のことを心配しているのだろう。私のことを考えてくれたからこそ、憶測を張り巡らせ、胸を痛めながら私に踏み込んできた。拒絶も出来ないくせに勝手に身構えて、勝手に傷ついたような気になっている私とは大違いだ。
 ベルトルトが私に向けたものは悪意ではない。愚直なほどに心配しているのだと繰り返すベルトルトの様子をみれば明らかだ。ならば、私は彼の言葉に怯える必要はない。私の心の奥底にある弱さまでも暴いてしまうんじゃないか、だなんて起こってもいないことを恐れるのはもう終わりにしなくちゃ。
「ごめんね、甘えちゃった」
「僕でよければ、いつでもいいよ」
「ふふっ。じゃあまた落ち込んじゃった時はよろしくね」
「……うん」
 頷いたベルトルトに、今度はちゃんと笑いかけてみせる。それだけでベルトルトの表情もまた簡単にほぐれた。凝り固まっていた空気もまた、どこかへと立ち消えていくのを感じる。
「えへへ」
 照れ笑いを浮かべ、ベルトルトの腕にじゃれつくように頭を擦り付けるとベルトルトは焦ったような声を上げた。
「恥ずかしいよ……
「いいじゃん、ちょっとだけー」
 ベルトルトの制止の声も聞かず、更に腕に寄りかかるようにしてみせる。本当は拒絶したいのかもしれないが、それでも転ばないようにと支えてくれるその腕が嬉しかった。ジャンがこんな場面を見たらやりたい放題だな、だなんて呆れるかもしれないけれど、今はただ、ひたすらにベルトルトに甘えていたかった。
 その状態で少し歩いたところで、不意にベルトルトが身を翻した。組んでいた腕が解けたことを嘆くよりも先にベルトルトの手が、私の腕を掴む。
「――あのね、
 引き止められたことに驚いて、ベルトルトを振り仰ぐ。立ち止まるとすぐに反対の腕が伸び、肩を掴まれた。肘のあたりを掴んでいた手も、体を這うように上ってきて、反対側と同じ高さで掴まれる。見上げれば簡単にベルトルトと正面から向き合うことになる。眉間の寄った彼の表情は、困惑や怒りではなく、真剣さを映し出していた。
「どうしたの、突然?」
「ねぇ、。ひとつ、教えて欲しいことが――」
「ベルトルト。探したぞ」
 ベルトルトの声を遮るように放たれた低い男の子の声に、私とベルトルトは振り返る。ベルトルトの腕越しに視線を伸ばせば金の髪の少年が駆け寄ってくる様子をとらえる。彼の袖口が濡れていることに気付き、食器洗いの当番を終えてやってきたのだと予測がついた。
「あぁ、すまない……」
 絞り出すような声と共に、ベルトルトの腕がするりと離れた。解放されたからといって、すぐさまその場を立ち去ることも気が引ける。ほんの少しだけどうすべきか考えてみたが良案は思いつかず、そのままベルトルトの背中にしがみつきながら彼へと視線を差し向けた。
「お前は……」
 ベルトルトに向けていた視線が私に落ちてくる。目を微かに開いた彼は、どうやらベルトルトのそばに私がいることに気がついていなかったようだ。
「悪い。邪魔をしたようだな」
「邪魔だなんて! そんなことないよっ!」
 焦ったように取り繕うベルトルトに、彼はごくあっさりとした態度で「冗談だ」と告げた。太い笑みを浮かべた彼は、ベルトルトをねぎらうかのように肩を叩いた。「痛いよ」だなんて口にしながらも安心したように笑んだベルトルトの対応の慣れ方に、かすかに目を見張る。おおよそタイプが違うふたりがたった3日ほどで打ち解けるとは思えなかったからだ。
 そう言えば、入団式の時、ベルトルトの隣には彼がいたっけ、と今更ながらに思い出す。以前からの知り合いなのだろうか。まじまじと無遠慮な視線を差し向けていると、彼の視線がベルトルトから私へと転じられる。ただそれだけで、息が詰まるような感覚が走った。
 二度も咎められた相手だ。今は特に悪いことはしていないけれど後ろめたさが無くなるわけじゃない。特に、彼が食器洗いの当番だったというのなら、最後まで食堂に残ってジャンと喧嘩をしていた様子を見られているはずだ。アレを咎められるとなると、ジャンのいない状態では素直に聞き入れられそうもない。怒られるならふたり同時がいい。わがままだけど、ひとりで怒られることには慣れていないのだ。
 まだ怒られてもいないのに、居心地の悪さを感じ取ってしまう。睨まれたわけではないのに鋭い視線だと感じたのは、先程までベルトルトからの優しい視線しか受けていなかった弊害かもしれない。
 唇を引き締めじっと、彼のことを見つめる。だが、どうやら彼はベルトルトに用があるようで、その視線が交わることはなかった。この分なら、この場で怒られることはなさそうだ。
 そう確信しながらも、いまだに落ち着かないような心境は、表情のみならず指先にも現れる。ベルトルトの背中の衣服を掴む力が入ってしまったことで、私の動揺に気づいてしまったベルトルトが私を振り返った。私の表情を目にしたベルトルトは、困ったように目を細める。
 私に話がありそうだったベルトルト。そしてそのベルトルトを探していた彼。どちらを優先したらいいか迷っているのだろう。そして、短い付き合いながらも、ベルトルトが他者を差し置いてまで我を通すタイプではないことは察知していた。
「ベルトルト。今度、また話そう?」
「……うん。ごめん」
 彼の耳に入らないように小声でベルトルトに伝えると、心底すまなさそうな声が降り注いだ。いいよ、という代わりにポンとひとつ背中を叩く。
「じゃあ私はこれで。またあとでねっ」
「あ、うん……」
「あぁ、悪いな」
 ふたりに向かって手を振って、訓練場への道を駆ける。まだまだ先は長い道のりを辿りながら、先程のベルトルトの真剣な表情を思い返した。
――一体、ベルトルトは何を聞きたかったんだろう。今度、改めてちゃんと聞かなくちゃ。
 駆けることで弾み始めた息を長く吐き出した。遠く離れて、ひとつ振り返ると、まだ私の様子を伺っていたらしいふたりと視線がかち合う。唇を引っ張るようにして笑いかけ両手を挙げて手を振ってみせると、ふたりもまた、こちらに向かって大きく手を振ってくれた。



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