進撃014

訓練場①


「おーい、ミカサ! こっちこっち!」
 訓練場へ着くと、ひとりの少年が大きくこちらへ向かって手を振ってくる姿が目に入った。ミカサの名前を呼ぶ金髪の少年は、穏やかな瞳をまっすぐにこちらへと向けている。ミカサと目があったのだろうか。その青い瞳が柔和に細められた。
 あの子は、確か――。
「アルミン」
 ミカサが、彼に応えるように呟いた。そうだ、アルミンだ。彼とはまだ喋ったことはないが、ミカサやエレンと同じくシガンシナ区の出身で、ふたりの幼馴染だという噂は耳にしている。短い期間ながらも、3人が一緒にいる姿を幾度となく目にしていることが、噂が真実なのだという確信を抱かせた。
 彼の方へと歩みを進めるミカサに手を引かれるままについていく。私たちの到着を待ち構えていたアルミンは、たどり着いたばかりのミカサと私とを交互に眺め、意外そうに目を瞬かせる。その戸惑いを受けたミカサは私にちらりと視線を流し、アルミンと私を対面させるように間に立った。
「紹介する。彼はアルミン。私たちの幼馴染」
 私から手を放したミカサは、アルミンを紹介すべく彼の前に手を差し出す。紹介を受けたアルミンは、ニッコリと顔をほころばせ頭を揺らした。その笑みに応えるように私も口元を柔らかく曲げる。
「こっちは……どうしてかよく話しかけてくる」
「仲良くなりたいからだよ?!」
 あまりの言い草に思わず声を大きくしてしまった。悲痛な顔を浮かべた私の心からの訴えを、ミカサは涼しい顔をしてさらりと流してしまう。
「そうなの?」
「そうだよっ! もう! なんてことを言うのよ!」
「あはは」
 怒る私を意に介さず、真顔で聞き返すミカサの反応が面白かったのか、アルミンは声に出して笑った。元々、やさしい印象だった顔つきが、笑うと更にやわらかくなる。エレンやミカサにも無いわけではないのだが、きっと彼ら3人の中では一番アルミンが人懐っこいんじゃないだろうかと見当をつける。
 観察するような私の視線に気づいたアルミンの視線がこちらへと流れる。ミカサの言葉に傷つきました、とでも書いてありそうなくらい困惑に塗れた私の表情を目にしたアルミンは小さく苦笑した。
「笑っちゃってごめん。よろしく、
「うー……こちらこそよろしくね、アルミン」
 人懐っこい笑みを浮かべ、軽く首を傾げてこちらに手を差し出したアルミンは、女の子のように愛らしい。感情の持って行き場がわからず、唸りながらもその手を取れば、意外と厚みのある手のひらだと気づく。顔つきとのギャップに驚かされたが、顔が可愛くてもやはり男の子なのだと実感した。
 穏やかに笑うアルミンからはトーマスやマルコとはまた違った人当たりの良さを感じる。愛嬌のある顔つきの男の子が新鮮で、ついまじまじと見つめてしまう。利発そうな眉や、丸っこい瞳がアルミンの人柄の良さを思わせた。観察癖があるのは私の悪いところだと何度ジャンに咎められても治らなかったのだが、私のそんな無遠慮な視線も、アルミンは微笑んで受け止めた。
はたしか、ジャンと仲がいい子だよね?」
「うん、幼馴染だからね。ミカサとエレンとはまた違った意味だと思うけど」
 言葉の裏に潜むものを隠しきれず、口の端を引っ張っていたずらな笑みを浮かべる。長年の付き合いのあるアルミンなら、ミカサのエレンへの想いには気づいているんだろう。だからこそ、中途半端な説明で、誤解される要素を残したくはなかった。あらかじめ釘を刺すことで、いらぬ詮索を回避したことに気づいたのかアルミンは小さく笑った。
 アルミンの視線が、ミカサに流れたのに合わせて、私もまたミカサへと視線を差し向ける。キョトンと目を丸くしたミカサは、うっすらと眉根を寄せて首を傾げた。
「なに? ふたりとも」
「いや、別に……そうだ。ミカサは今のの話を聞いて、なにかわかった?」
「……はジャンと家族ではない、という話でしょ? 違う?」
「うーん……まぁ、そうなるかな」
 アルミンとミカサの会話を目の当たりにし、今度はこちらが目を丸くしてしまう番だった。他意を含んだ言葉の裏を読まないミカサの素直さもあるんだろう。だが、自分とエレンの仲、と言われて、即座に恋慕に結び付けないあたり、どうやらミカサの恋心は無自覚なものらしい。
――ちょろっとしか喋ってない私に対してもあんなに嫉妬したのに、ミカサってば気づいていないのか。
 ミカサのいじらしさにますます顔がほころぶようだった。わけがわからずに私を見やるミカサは、元々顰めていた表情を更に渋いものへと変貌させる。
……どうしてニヤついているの」
「そこは笑ってるの、に留めようよ……」
 明け透けな言葉は、端的なだけに大きなダメージが私に襲いかかってくる。体から力が抜けるままに膝を折りそうになったのをギリギリで持ちこたえた。縋るようにミカサの肩に手を置きたしなめると、ミカサの視線が私からアルミンへと転じられる。そういうものなのか、と確認するような視線に、アルミンは黙って頷いてくれた。
 項垂れていた背を起こし、改めてふたりへと向き直る。納得がいかないといった表情を取るミカサを説得するべく丁寧に話すアルミンの姿を、後ろ手に自分の指同士を絡めて見守った。
 ミカサの抑揚のない言葉が、私の胸に刃物のように突き立てられる。「私の目にはニヤついているように映った」とか「緩んだ顔、といえばいいの?」だとか、歯に衣着せぬ言葉が目の前で飛び交うせいだ。自衛する方がいいだろう、とふたりの会話を聞き流していると、不意にアルミンがこちらを振り返る。
「ごめん、。ミカサはこう言っているけど悪気があるわけじゃないんだ」
「なんとなく、わかるからいいよ。気にしないでー」
 蒼白な顔で私を見つめるアルミンは、ミカサを説得するよりも私の許しを得た方が早いと判断したらしい。元々、怒ったわけでも本気で傷ついたわけでもなかったから、許すもなにもないのだが、誠実な対応を取るアルミンはいいこだ、と強く印象に残ることになった。
 ホッと胸をなで下ろしたアルミンは、「よかった」とポツリと零した。気を揉んでいたアルミンとは打って変わって、ミカサは飄々とした態度を貫いている。そのふたりの態度の差が、なんだか面白かった。
「じゃあさ、アルミンとミカサと、あとはエレンの3人が幼馴染ってことであってる?」
「うん、そうだね。シガンシナ…‥あ、えっと、小さい頃からずっと一緒なのはその3人だよ」
 言葉を詰まらせたアルミンはにわかに顔を顰める。避難所生活の中で関わりがある者も入団したことを言外に含みながらも、おそらく頼れる者はお互いだけだったのだろう。寄り添うように生きてきたはずの彼らの傷が浅くないことを知る。その辺りの話は入団初日のエレンの様子からも推察することができた。
 暗くなった表情を、それでも気持ちを立て直すかのように笑顔に変えたアルミンは、正面に立つ私の目をまっすぐに射抜く。その瞳の底からは、アルミンの心根の強さが滲んでいた。
「今はここにはいないけど……エレンとも仲良くしてくれたら嬉しいな」
「え、あっ。うーん。そ、そうだね?」
 その要望はすぐには同意しかねるものだった。チラリとミカサに視線を差し向けると、相変わらずの表情で、彼女の心中を読むことはできない。
 どうしたものかと首の裏に手をやり考える。戸惑いを見せる私を不思議そうな表情で見つめるアルミンに、小さく口の端を持ち上げることで応じた。
「とりあえずは訓練兵として一緒に頑張っていけたらなって思うよ」
 愛想笑いを浮かべた私に、アルミンはああ、と納得したようにひとつ頭を揺らした。
にひとつお願いがあったんだった」
「うん、なぁに?」
「エレンは、さ……かなり向こう見ずな性格だから君の幼馴染に迷惑をかけるかもしれないんだ。でも、悪いヤツじゃないから大目に見てあげて欲しいんだ」
 アルミンは私の戸惑いがミカサへの遠慮にあることを察してくれたようだ。あえてジャンのことを出すことで、あくまでジャン側の友達として今後、エレンとの間で波乱がないようにしてほしい、という話にすりかえた。頭の良さそうな子だ、という印象はどうやら間違いではなかったらしい。
「ふふ。ジャンも意外といい子だからよろしくね。でも、もし失礼なこと言いだしたらちゃんと怒りに行くから!」
「その時は、私もエレンを止める。ので、そちらはよろしく」
 ミカサの言葉に吹き出して笑ってしまう。おそらく、ミカサの中でジャンはエレンに突っかかる男として認識されてしまっているようだ。恋心が届かないばかりか、排除すべきエレンの敵のような扱いを受けているジャンは、いつかこのことを知ってしまうのだろうか。エレンに喧嘩をふっかけるのやめない限りはいつか気づいちゃうかもな。もしくはミカサが直接エレンの敵は私の敵、だなんて直接ジャンに言ってしまうかもしれない。
 自業自得であったとしてももしジャンが落ち込むことがあったら、気が向けば慰めてやろうかな。まぁ、あまり気が向きそうにはないけれど。
「それより、そろそろエレンの再試験が始まる。私たちは前の方で見守るべきでは?」
 そう告げたミカサは、私たちの返事を待たずにそそくさと訓練設備の先頭へと向かってしまう。ミカサが向かった先へとさらに視線を伸ばせば、エレンの姿が目に入った。腰に手を当て、真剣に器具へと向き合ったエレンの表情は険しい。今日の訓練の結果によって彼の運命が変わるのだと改めて実感する。
「ねぇ、
 遅れてはいけない、とミカサの背を追いかけようと一歩踏み出しかけた私に、唐突にアルミンが声をかける。踏み出した一歩を地面に縫い止め、アルミンを振り返った。
「なぁに?」
「……ミカサはあぁ言ってたけど、きっととも仲良くなれたら嬉しいって感じてるはずだから…頑張って」
 彼の言葉に、目を丸くした。どの発言をさしているんだろうかと考え、思い当たったのは「どうしてか話しかけてくる」というミカサの言葉だった。その際、ストレートに仲良くなりたいと告げたが、ミカサの反応は鈍かった。だが、幼馴染のアルミンの目からはまた違って見えたのかもしれない。
「ありがと、アルミン」
 お礼の言葉を投げかけると、うん、とひとつアルミンは頷いた。顔をほころばせたアルミンは、手のひらを先導するように前へと差し出す。
「それじゃ、。はぐれないようにミカサの後を追うよ」
「うんっ」
 アルミンに促され、集まり始めた人の間を縫うように先を行くミカサの背中を追いかける。まっすぐにエレンへと向かって走る、ミカサの背中はやはり凛としていて綺麗だと思うと同時に羨ましかった。
「……いいなぁ」
「ん? どうしたの?」
 ポツリとこぼしてしまった本音を、アルミンが拾い上げる。隣を走るアルミンに一瞥を投げかけ、苦笑する。
「ミカサって素直だよね。正直っていうか」
「あぁ……そうだね。ミカサはあまり自分のために嘘をつくような人ではないかな」
「ふふっ」
 アルミンの言葉の裏に潜むものに気づき、つい笑ってしまう。きっとミカサはエレンのためにならいくらでも嘘をつくのだろう。そういうエレンに一直線なところも含めて、羨ましさをますます募らせる。
「いつか私も、ミカサみたいに好きな人にまっすぐ走っていきたいなー……」
「今は、いないの?」
 率直な質問に思わず面食らってしまう。思えばエレンも喋ったことのない私にでさえ、まっすぐに自分のできないことをさらけ出してまで質問をしてきた。長年の付き合いがあるからなんだろうか。この幼馴染たちの素直さは、よく似ている。ジャンは正直者という意味では彼らに似ているのかもしれないが、あの子はちょっとねじれ曲がっているからなぁ。
「それがいないんだよねー」
 苦笑しながらもあっさりとした態度で答えると、アルミンはクスッと小さく笑った。おそらく、アルミンには深刻な祈りではなく、単なる憧れ程度の言葉だとバレたのだろう。
「いつか出来るよ。なら、きっと」
「ふふ、その時は応援よろしく」
「そうだね。絶対、応援するよ」
 確証のない未来を差し出しても、応援すると断言してくれたアルミンに笑いかけ、またミカサへと視線を戻す。アルミンとともに、ミカサの背中を見つめながら胸の内を温める。
 だが、思い返せばこの短い時間で、随分とミカサに邪険に扱われたものだ。変に勘ぐれば私とは友だちになる気がないとでも言っているのかと疑ってしまいそうな要素を孕んでいる。だけど、多分それはまた違って、私がちょっかいかけるのも単なる気まぐれか何かのようにミカサは感じただけなんだろう、と思う。私の言葉に、心底意外そうに目を開いたのがその証拠だった。
 先々、ミカサと気のおけない仲になれたなら、また妙なことを言われてもこんな風に落ち込むこともなくなるんだろう。言葉の裏を考えるのも苦手だし、ズバッと言ってくれる子の方が、私も付き合いやすい。
――これから先が楽しみなのか、思いやられるのか。
 何を言っても反応の鈍いミカサの笑顔を見れることはないのかもしれない。だけど、仲良くなれたらいいな、という気持ちは変わらなかった。



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