進撃022

井戸②


 ライナーのまっすぐな瞳が私のそれに落ちてくる。男の人に使っていい表現かはわからないが、その瞳の輝きは、星の瞬きのようだと思った。
 導かれるようにゆったりとした動きでライナーへと体ごと向き直ってもなお、ライナーの手のひらは私の頭の上から動かない。応えるようにじっと見上げていると、不意にライナーの目元が柔らかく細められる。
「少しは泣き止んだか?」
「泣いてないよ!?」
「そうか?」
 面食らった私を、ライナーが小さく笑う。からかうような言い方も、落ち込んだ私の気持ちを察してワザとやっているのだと思えば腹は立たなかった。
 気の使い方が上手いひとだな、だなんて内心でライナーのことを褒めていると、表情に出ていたのだろうか。ライナーが、ほんの少しだけ頬を赤らめながら眉を顰めた。
「……見過ぎだ」
「わっ」
 私の視線を受け止めきれないという代わりに、ライナーの手のひらが大きく左右に動かされる。私の頭の上に乗ったままだった手が暴れれば、当然、私の前髪もライナーの手の動きに合わせてわしゃわしゃと乱れることになる。半ば無理やりに外された視線を戻すと、ライナーは白い歯を見せて笑っていた。いたずらっぽいその笑みに、意外とライナーって意地悪なんじゃ?とついさっきとは真逆のことを考えた。
 乱されたばかりの髪を手櫛で整える中で、ヘアピンが外れかかっていることに気付く。するり、と髪から抜くように外してまた付け直していると、じっと私の行動を見守っていたライナーが、感嘆の声を漏らした。
「器用なもんだな」
「うん。小さい頃からずっと使ってるからね」
 なんの飾りもついていないそれは、アクセサリーと呼ぶには簡素すぎた。ただ、シンプルなものにはそれなりのよさがある。例えば訓練中につけていたとしても、オシャレではなく前髪が邪魔にならないようにつけているだけだ、という大義名分を背負えるのだ。
「ほら、ちゃんといつもどおりでしょ?」
「あぁ。よく見かけるお前の顔だ」
 いつもというほど見ていない、だなんて跳ね除けられるかと思った言葉もすんなりと受け入れられる。試す、というほどではなかったが、ライナーがおどける私の言葉にどういう反応を見たかったのは本当だ。どうやら彼の他人との距離感は割と開け放たれたものらしい。
 居心地のいい距離感に自然と笑みが浮かび上がる。ほんの少し怪訝そうに首を傾げたライナーも、次の瞬間には同じように口元を緩めた。
「ね。ライナーはこんな時間にどうしたの?」
「あぁ、さっきまで薪割りをしてたんだ」
 私に状態を見せるように開かれた手のひらを遠慮なく覗きこむ。ライナーの手のひらには、昼の訓練のものとは全く違う、横に走るような跡をくっきりと残していた。
 聞けば、ライナーは今日の昼間の皿洗いの当番のみの予定だったが、今夜の薪割り当番の中には昨日脱走したものが多く含まれていたらしい。困り果てたコニーがいろんな人に頼みまくった結果、ライナーがそれに応じた、という経緯があったようだ。疲れたぜ、だなんて口にしながらも苦にした様子のないライナーは、太い笑みを浮かべた。
「大変だったね! でもライナー体つきがいいから薪割るのも苦じゃなさそうだねー」
「いや、俺よりも……ミカサ、だったか。あいつの方が随分と手馴れた様子で割っていたぞ」
「え、ほんとに?!」
 にわかには信じがたく、目を見開いてライナーを見上げる。微塵も嘘をついた様子のないライナーに、昼の訓練前に組んだミカサの腕を思い返す。
 手の中の記憶を探ってみても、ミカサの腕に対し逞しいと感じた記憶が微塵もない。痩せ型のベルトルトと比べても幾分も細い腕だった。ミーナと比べたら若干、筋肉質かもしれないが、あの腕でそう何本も薪を割れるのものだろうか。開拓地にいる時に、薪割りのコツでも教わったのか。だが、いくらコツがあったとしても目の前に立つライナーの腕を目にすれば、ミカサに勝機があるとは思えない。
 頭の中でどうやったらこの体格のライナーよりもよく働くことが出来るのか算段をつけようと努力してみたものの解決策は見い出せない。ライナーに対してなぜ負けたのかと傷を抉るような質問は投げかけない方がいいだろう。今度、直接ミカサに聞くか、と勝手に結論づける。
「男として負けるわけにはいかないと張り切ったんだが……そのせいで普段よりも疲れてしまってな。だから水でももらおうかと思ったらお前が実に美味そうに飲んでいた、といったところだ」
 先程の真実味を帯びた声とは打って変わって、からかうように言ったライナーに、照れくささで頬に熱が生まれるようだった。
「そんなに美味しそうにしてた?」
「あぁ。だからお前に声をかけたんだ。なにか特別なものでも入れたんじゃないかと正直、疑いもした」
「そんなことないのにー」
 右手で頬を抑え、生まれたての熱を隠すと、ライナーは穏やかに目を細めた。
「まぁ……いいんじゃないか。それもお前のいいところなんだろう」
 フッと小さく笑ったライナーは、私の左頬へと手を伸ばす。指の甲で、まるで猫をあやすかのように触れられる。反射的に片目を瞑れば、程なくしてその指先は離れていく。
「美味いものを美味いと正直に顔に出すやつは信用できる」
「うー……褒められてる気がしないー」
 好感が持てると評されてもなお納得の行かない気持ちが勝る。単純だ、と蔑むまではいかなくとも、どこか幼い子どもをあやすかのように聞こえてしまうのだ。
 ライナーの言葉を素直に受け止めることが出来なくて、眉を顰めたままでいると、ライナーは胸の前で腕を組みながら軽く胸を反らした。
「そういうは昨日、何をしていたんだ?」
「ん? 昨日?」
「ほら、山の中で鉢合わせただろう。あの時だ。お前は一人しかいなかったようだし脱走するという雰囲気でもなかったからな」
 ライナーはゆうべ、5人で行動していた。それに対し、私はひとりぼっちでぷらぷらと歩いていた。散歩というには山に入り込み過ぎだと、言外に咎められているのを暗に感じ取る。これはライナーからの3回目の注意になるんだろうか。その考えが頭にチラつくと、取り繕うような言葉を差し出した方がいいのだろうかと身構えてしまう。
 だけど、本当にたいした用事はなかったのだ。なにかいいものを見つけられないだろうかと歩き回った、というのが正直なところだ。訓練施設だなんて特殊な環境に入り、なにか想定外のことが起こった場合に、逃げ道を確保しておかなければ、だなんて正当な根拠すらない。
「ただの探検だよー。新しい場所に来たら、いろいろ行ってみたくなっちゃって」
 呆れられるかもしれない、と思いつつもゆうべの心境を素直に告げると、ライナーはかすかに眉根を寄せた。
「でも途中で有刺鉄線があってさ。さすがにもういけないなって」
 怒られる前にフォローを入れるとライナーの表情がほんの少しだけ和らいだ。安堵の溜息を、小さく吐きこぼす。どうしてだか、ライナーに呆れられることはひどく居心地が悪く感じてしまうのだ。名前も知らないうちに受けた2回の注意が尾を引いているだけなのかもしれないが、それ以上の理由もあるのかもしれない。
 感覚として掴みそこねているのは、やはりライナーから父親の面影を感じ取ってしまっている弊害からなんだろうか。嫌われたくないという感情が前提にあることで、ライナーへの感情にフィルターがかかってしまったように感じている。それどころか、もう少しいい子っぽく振舞ったほうがいいのだろうか、だなんて考えてしまう始末だった。
 だがそれも、正直なところがいいところ、だなんて言われてしまった今では、変に取り繕うのもはばかられる。なるべく自然体で、だなんて考えている時点で自然体もなにも、という状況だが、そこはあえて開き直るしかない。
「ああ、アレか」
「ライナーたちも見たんだ? ……あの先には流石に行ってないよね?」
「いや、通り抜けたな」
「え、ホントに?」
「あぁ。俺たちは外套も着ていたし、ランタンも用意していたからな」
 有刺鉄線により阻まれた道の先は、その場からちらりと見た程度だが、あまりいい道ではなかったはずだ。本能的な危機を感知し、これ以上先をひとりで出歩くにはまずいのだろうと感じたからこそ引き返した。
 ゆうべ、道行く5人を見かけた際、先頭を歩いていたのはベルトルトだった。それはつまり、ベルトルトが真っ先にあの有刺鉄線を越えて進むことを選んだということにほかならない。真面目そうな風貌の割に意外と大胆なんだ、と思わず感心してしまう。
「お前はひとりで、しかも手ぶらで歩いていただろう」
 咎めるような声音にビクリと背中がはねる。口元を引き締め、真面目な表情を取り繕いながら内心で狼狽する。先程、うまくごまかせたと思ったのに、認識が甘かったようだ。
「まぁ……そうだね。なんとなく思いつきで出ちゃったからさ」
「好奇心が強いのはいいことかもしれないがあまり感心はしない。次からは誰か誘った方がいいだろう」
「はぁい……」
 これで3回目だ。 訓練兵となってまだ3日しか経っていない。つまりは1日1回、ライナーから注意を受けているということになる。それも平均としてではなく本当に毎日叱られているのだから申し訳ないやら肩身が狭いやらでなんとも複雑な心境に陥ってしまう。
 これから先も考えなしな行動を起こしがちな私では、ライナーから幾度となく咎められることだろう。ジャンやミーナ、果てはトーマスからも注意されることは少なくない。お小言をもらう相手が増えてしまった予感をひしひしと感じた。
 私の迂闊さを、ライナーはどう思っているのだろうか。正しく導いてやらなければという優等生としての言葉というよりは、目に余る行動が危機に繋がる前にその可能性を排除するべきだという兄貴分としての立場からのものが近いように感じる。
 チラリとライナーを見上げると、困ってるの半分、怒ってるの半分、な視線が落ちてくる。もうしない、と簡単には誓えないが、控えたほうがいいだろう。反省しているのだと言葉にする代わりに眉を下げてみせると、ライナーはしたり顔でひとつ頷いた。



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