岩泉 一02b

運命の夜を繋げて#02


 薄曇りで太陽の効力を感じられない中、肌寒さから逃げるように早足で歩く。12月も半ばにさしかかり、寒さが一層の凄みを増しているようだ。生まれてからずっとこの土地に住んでいるから慣れているとは言え、冬になれば寒さが堪えると感じることからは逃れられなかった。家から歩き続けることで上がった体温も、信号待ちに引っかかれば外気に熱を簡単に奪われる。小さく溜息を零せば、空気の塊を視覚化させるだけだった。
 信号を待つ間、脇に視線をやっているなどと何気なく過ごしていると、背中から追いかけてくるような足音が聞こえてくる。まだ遅刻するような時間じゃないし、と悠長に構えていると、背後でその足音が止んだことに気付き、同時に、とん、と軽く肩を叩かれた。不意打ちに驚いて振り返ると、そこにははにかんだ様子のの姿があった。
「やぁ、おはよう。岩泉君」
「おぅ、か。今日も寒ぃな」
 走ってきたせいか、ほんのりと赤くなった頬を、良いように勘違いしてしまいそうになるのを堪えての顔を眺めた。俺の視線を受けたは平然とした様子で俺を見上げ、小さく笑った。
「鼻の頭、真っ赤だよ」
 自らの鼻を指し示したはいたずらに笑う。馬鹿にされたわけでもないのに無性に恥ずかしくなって、鼻の下をこすった。
「仕方ねぇだろ、寒ぃんだから。鼻垂らしてねぇだけマシだ」
「そうだね」
クスリと笑ったは、変わったばかりの信号をに歩みを再開させた俺の隣に自然と入り込んでくる。凛とした姿勢で歩くに、改めて一緒に学校に行くか、なんて言える気がしなくて黙って彼女の歩幅と合わせた。首の裏に熱が集まるのを感じる。さっきまで嫌というほど感じていたはずの寒さが気にならなくなったことに、俺も調子がいいな、と自嘲した。
 当たり障りのない会話を並べ、学校への道を辿る。正門をくぐり抜け、下駄箱で靴を履き変えてもなお隣を歩くに、同じクラスの女子や部活の後輩と思しき連中が幾度となく挨拶の言葉を投げかけては去っていく。
 普段のようにが女子どもに取り囲まれることがないことを疑問に感じ、チラリとその連中に視線を向けると、彼女らがではなく俺のことを見ていることに気付いた。どことなく気まずそうに目を逸らされた理由は分からないが、釈然としないものを感じる。
 常日頃のの様子を思い返せば、大勢の女子に取り囲まれていることの方が自然で、俺と二人でいる事の方がレアケースであることに違いない。ならば、今しがた視線を外した奴らにとって、俺はの用心棒だか番犬かのように見えているのだろうか。そのせいで近付けないとでも恨みがましい視線を向けられていたのだと仮定すればすんなりとその考えが当てはまるように思えた。
 妙な立場に置かれている予感に後頭部を掻いていると、俺の様子を不審に思ったのか、目を丸くしたが見上げてくる。
「なんでもねぇよ」
「そう?」
 疑問を示すような視線に答えるとは歯を見せて笑った。幾分か毒気を抜かれたような気がして、小さく息を吐き出した。今、と歩く道を邪魔されないのはいいことだ。単純に考えると、気持ちが軽くなるようだった。
 普段の教室での様子を思い描き、うん、とひとつ頭を揺らした。女子に集られたのもとへ足を運べば、当然その群れに突撃することになる。及川ならば気が咎めることなどないのだろうが、俺にとってはかなりの苦行だ。好きになる前はなんとも思わななかったのに、今では歯がゆく感じている。想いひとつで、こうも考えが変わってしまうなんて、身勝手なもんだと自分自身に辟易するようだった。

* * *

 コンビニの肉まんがどこのものが一番うまいか、だなんて会話に花を咲かせながら教室へと向かう。結論が出ないままに教室の扉を開けば、中にいた連中の視線が向けられた。
「はよーっす」
「おはよう」
 適当に朝の挨拶の言葉を投げかけ、それぞれの自席に足を運ぼうとしたが、前を歩いていたが立ち止まったことで自然と俺の足も止まる。の視線を辿れば、数人の女子と、及川の姿が目に入った。教卓に肘を置き、自然と女子の集団に混じる及川がでれっとした顔をしているのが腹立たしい。隣のクラスの割にしょっちゅう俺のクラスにくるからこそ馴染んでいるのだろうが、こうも頻度が高いと辟易してしまう。小さく溜息を吐き捨てると、集団の視線がこちらへと流される。
 なんだ、と疑問に思うままにへ視線を向けるとは微かに首を傾げて俺を見上げる。俺と同様にきょとんとした丸い目に、回答を求めることは難しそうだ。
「ねぇ! くん来たよっ」
「いーわちゃん」
 及川を取り囲んでいた輪が解け、浮き足立った様子を見せた女子に紛れて及川がこちらへと手をかざす。嫌な予感しかしない機嫌のいい表情に思わず口元を引き締める。
 及川の動向を警戒していると、手前にいた女子がこちらへ駆け寄ってきて、の腕を取った。
くんも一緒に行こうよ!」
「えっと、どこか行くの?」
 器用にも片手で首に巻いたマフラーを外しながらは尋ねた。そうこうしている内に数名の女子がを取り囲むように集り始めたので思わず数歩引いてしまう。
「もうすぐクリスマスあるでしょ? だからイブはみんなで集まってパーティやらないかって話が出てるの」
「パーティ?」
「……って言っても、多分カラオケになるんだけどね」
「そうなんだ。楽しそうだね」
 耳に入る誘いの言葉に、は乗るのだろうか。動向が気になり、耳を傾けてしまう。女子同士の会話を盗み聞きする罪悪感よりも、がどう答えるか知りたいという欲が強く出た。
 つい先日、一緒に肉まんを食った時にはクリスマスに予定がないことを聞いた。
 その時は付き合ってもいない間柄で誘うことに抵抗があったが、女子たちがこんなに簡単に誘っているのを目の当たりにすると「待った」を掛けたくなる。明確な答えを告げないに、女子連中が甘えたように腕や手を取って誘いの言葉を繋げた。
 ひとつ、覚悟を決めて、の腕に手を伸ばす。だが、その手が触れるよりも先に、唐突に現れた手のひらで遮られる。驚いて視線を転じると、その腕の持ち主である及川がニッコリと笑った。
「岩ちゃんもおいでよ」
 及川の口ぶりから、当然、参加するのだ、という意思が感じられた。パッと見た感じ、女子5、6人の中に男一人しか会話に参加していなかったのに、一体コイツのメンタルはどうなっているんだ。
「女の子たくさんいるよー。彼女欲しいでしょ、岩ちゃん」
 及川のふざけた言葉に、耳に熱が走る。及川にとってはいつもの軽口だったのだろう。だけど今、俺がのことを好いている状態では、感情を暴かれたかのように感じてしまう。に伸ばしかけていた手を引っ込め、及川の襟首を掴んだ。
「お前と一緒にすんなっ!」
「なんでだよー。いつも僻んでるじゃーん」
「僻んでねぇだろ」
「じゃあどうして殴るんだよぉ……」
「それはお前が鬱陶しいからだ」
 怒りと羞恥に触発されて反射的に殴ってしまっていたらしい。右の拳の痛みがそれを証明している。頭のてっぺんを撫で付ける及川の恨みがましい視線を睨み返すことであしらう。唇を尖らせて不満を押し出した表情を取る及川が、それでも諦めずに口を開いた。
「いいじゃん、来なよ」
「俺は――」
 いつもならば即答で選択するはずの「行かない」という選択肢が取り難い。答えを先延ばしにしたところで、気にしてしまっているのは明白だった。
 一瞥をに流す。相変わらず女子連中に囲まれているを確認し、視線を戻せば及川がかすかにつまらなそうな表情を取った。フン、とひとつ鼻を鳴らした及川が、目を細めて顎をしゃくる。
「お前は? どーすんの。
 他の女子に向けるよりも幾分か冷っこい声で、に問いかける。敵愾心を剥き出しにする及川は、相変わらずに対してライバル心を抱いているようだ。
 目を丸くして及川に視線を向けたは、縋る女子共の手を掻い潜り、羽織っていたコートから片手を抜く。
「……あぁ、じゃあ」
 簡単にコートを畳み、軽く握った拳で口元を隠したは、チラリとその眼差しを俺へと向ける。視線がかち合う。緩く笑んだの唇が滑らかに動くさまに目を奪われた。
「岩泉くんも、一緒なら」
 耳に馴染んだ声に、胸の内がドンと強く震えた。歓喜なのか、戸惑いなのか。カッと燃えるように熱くなった体が強張る。の言葉が意味するものを、瞬時に理解することが難しかった。どう足掻いても自分にとって都合のいい考えしか浮かび上がらない。
 どうにも身勝手な感情を飲み下せないまま、じっとの瞳を見返すことしか出来ないでいると、正面に立つ及川が一歩、前に出た。
「は?なにそれ、それ、どういう意味」
「うん。まぁ、その……ダメかな?」
 及川の厳しい態度を受け止めた上でさらりと流したの視線が再度、俺の方へと転じられる。口元を引き締めたの視線を目の当たりにして、心が動かないはずがない。
 に食ってかかるのは及川のみで、それ以外の女子連中は同様に俺の言葉を固唾を飲んで待っていた。語気を荒げる及川の膝裏を蹴り飛ばし、肩を掴んで横にやる。それだけでぐっととの距離が近づいた。若干のざわめきを感じながらも、ひとつ、咳払いをして口を開いた。
「別に、いいけど」
 すげない返答になってしまった。だけど、それだけでもはほんの少しだけ固くしていた表情を解く。
「うん。良かった」
 詰めていた息を吐き出したの頬が、俺の頬にあるだろう熱と同調したかのように赤らんだ。
「おお。けどよ」
 どういう意味だ、と続けるつもりだった声が女子たちの黄色い声にかき消される。興奮混じりの騒動に、瞬時にその輪から弾き出される。
 振り返ると、膝の裏を抱え込んだ及川の恨めしい視線を俺に差し向けていることに気付く。ひょっとこみたいに唇を尖らせた及川の唇から紡がれる恨み言を聞き流し、またへと視線を戻す。相変わらず女子に囲まれて楽しそうに笑うが、俺へと視線を向けてその笑みを深くさせた。ただそれだけで、またしても胸の奥に熱い液体が注ぎ込まれたかのように全身に熱が広がっていった。



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