岩泉 一02c

運命の夜を繋げて#03


 初めは数人で収まるだろうと考えていたパーティとやらも、が声をかけたせいか、かなりの女子が参加を希望し、その女子に釣られた男子もまた参戦すると意気込んだ。結果、5・6組あわせて30人オーバーが参加するという大所帯でのカラオケ大会となってしまった。
 予約していたおかげで店に入ることはできたが、人数が多すぎたせいで6部屋に分かれて押し込まれてしまう。目当ての相手がいる連中はここぞとばかりに、目標のいる部屋に押しかけていった。便乗して行動に移すことが憚られた俺はというと、適当に男子のグループに混じってカラオケを満喫した。
 だが、その平穏も長くは続かず、女子のほとんどが目当てであることに気付いたらしい及川が半べそかいて戻ってきたことにより、男同士で気楽に盛り上がっていた空気は簡単に蹴散らされた。
 よくよく聞いてみると最初にパーティをしよう、となった時も、及川が誘われたのではなく「楽しそうだから混ぜて」とかなり食い下がって仲間に入れてもらったものだったようだ。後輩や女バレの息がかかってない女子には結構チヤホヤされているのに、近しい女子にはあしらわれることが多いのは別に今に始まったことじゃないだろうに、どうしてそんなに自信を持って突撃できたんだろうか。
「岩ちゃんが来るって言わなければ俺はこんな惨めな思いをしなくてすんだのにっ」
「あぁっ?! 俺のせいだってのかよっ!」
 責任転嫁のような言葉を吐き捨てる及川の辛気臭さに辟易して、空になったグラスを持って退出した。廊下の突きあたりに設置されたドリンクバーに足を伸ばし、適当に氷を見繕って飲み物を選択する。口をつけてみればスルスルと喉を通る烏龍茶に、意外と喉が渇いていたんだなと自覚した。
「やぁ、岩泉君」
「お、おぅ」
 軽い呼び掛けに振り返って見れば、そこには俺と同じように空いたグラスを片手にやって来たがいた。珍しく一人で行動しいるに視線を合わせると、はグラスを顔の横に持ち上げておどけるようにして片目をつぶった。
「ちょっと暑くなっちゃって」
 大人数で押し込まれた部屋では空調の設定も追いつかないのだろう。真冬の最中に暑い、だなんておかしな話だ。だが、歌うことによる熱気が篭れば致し方のないことだ。
 襟元に指先を差し入れたは、そこから空気を送り込もうと指先を揺らす。火照ったような表情のは妙な色気があって、じっと見続けていることを誰かに咎められるかもしれないんだなんて危機感が募るほどだった。
「岩泉くんもちゃんと歌ってる?」
「まぁ、適当に……お前は?」
「私も、ぼちぼちってところかな」
 一通り風を送り込んで満足したのか、俺の隣に並んだは、氷をトングで拾い上げ、アイスオレのボタンを押した。ガコン、と不穏な音を立てながらも液体を注ぐ機械を横目に、自分のグラスを傾ける。アイスオレを飲んだ経験がないがうまいんだろうか。今度飲んでみるか、だなんて算段をつけていると、出来上がったばかりのグラスを取ったが俺を見上げた。
「ねぇ、岩泉君」
 の指先が俺の脇腹あたりの衣服を掴む。子供がおねだりするようなその仕草に、図らずもドキッとしてしまう。
「ん? どうした」
「こっちの部屋、おいでよ。私、岩泉君の歌聞いてみたいんだ」
「おぉ……別に、いいけど」
「よかった。じゃあ、こっちだよ」
 自然と俺の手を取ったは、エスコトートするかのように俺の手を持ち上げ、自らの手のひらに乗せたまま先導する。染み付いた行動なのだろう。慣れた様子で先を歩くの様子には戸惑いは微塵も見当たらない。
 俺は女じゃないんだからやめろ、だなんて言葉が喉奥までせり上がってきた。だが、に手を繋がれるような機会を不意にすることは出来ず、結局黙ったままそれを受け入れてしまう。
 程なくしてドアの前へと辿り着いたは、サッとドアを開け、俺に先に入るように促す。扉をくぐればそこには女子ばかりが詰め込まれていて、にわかに逃げ出したいような胸中に陥る。一歩、後退れば、背後に立つとぶつかりかける。戸惑った俺の背に掌を添えたは、中にいる女子連中に鮮やかな笑みとともに声を掛ける。
「岩泉君連れてきちゃったーっ!」
「ひゅー! 岩泉君も歌ってー!!」
「イエーイ 歌え歌えー!!」
 酒も飲んでいないだろうに馬鹿にテンションが上がりきった女子というのは厄介だ。それも10人弱も集まっていれば姦しい、だなんて言葉では収まりきらない。こんなのに太刀打ちできるのは及川ぐらいのものだろう。
 別に女が苦手、というわけではなかったが、さすがにこの状況の中に喜んで飛び込む勇気はない。だがを前にして逃げ出す、ということもまた憚られる。戸惑いを飲み下すかのように、手にした烏龍茶を呷る。背に触れたの手のひらを支えに、俺は女子だけが蔓延る部屋へと足を踏み入れた。
 ドア付近ソファの端に座れば、がその隣に座ろうとしたのだろう。俺の両肩に手を乗せて横歩きで目の前を通り過ぎる。テーブルと椅子の隙間が狭いからこそ、転んではいけないと気を使った上での行動なのだろう。そんなこと解りきっているのに、それだけでなんだか堪らなくなった。
「次、君の番だよー」
「あ、ホントだ」
 部屋を出る前に次に歌う曲を予約していたのだろう。差し出されたマイクを受け取ったは、んん、とひとつ咳払いをして立ち上がる。
「この歌、最近好きなんだ」
 流行りの恋のうたを歌うの伸びやかな声はよく耳に馴染んだ。心に迫るようなものを感じ取ってしまうのは、俺がに恋をしていて、自然とその歌詞に自身の気持ちを乗せてしまうせいだろうか。
 隣に立つの横顔をまじまじと見つめる。ほんのりと頬を赤らめて歌うの様子に、俺の頬にも熱が移ってしまいそうだった。歌い終えたと視線が合う。ジッと見つめていたから視線に気付いたのだろう。照れくさいのか頬の朱を濃くさせたから、目が離せなかった。
「もう、次は岩泉君が歌うんだからね」
 ほんの少しだけ唇を尖らせて不満げな態度を取るにデンモクを押し付けられる。促されるままに適当に知ってる歌を探した、つもりだった。だけど結果として、柄でもないのに恋の歌を選んでしまったことに気付いたのは曲が始まってからのことだった。
 が見ている前で恋のなんたるかを語るような歌を歌う。しかも男目線で告白を決意するかのような歌詞が並べ立てられる曲を、だ。
 ただそれだけで胸が潰れそうなくらい痛くなる。これ以上この部屋に居ては体が持たない。そう悟った俺はその1曲だけ歌って、早々に退散した。名残惜しそうに俺を見上げたの瞳に、都合のいい勘違いを起こしそうになるのは、やはり考えがそちら側に傾いてしまったせいなんだろう。

* * *

 フリータイムを完走してもなお、別れがたいのか、カラオケ屋の受付の広場から離れる者はいない。時間はまだ19時を回ったところだ。ガキじゃないんだから解散するにはまだ早い時間だ、と誰かが言えば、夕飯もどこかでみんなで、と即座に会話が展開する。ファミレスが便利だとか予約してないと難しいんじゃない、などと会話が飛び交う中で、積極的に会話に参加しないまでも、いんじゃね、と軽い同意の言葉を投げかける。
 キョロキョロと視線を巡らせての姿を探す。程なくして見かけた彼女は、相変わらず女子連中にまとわりつかれているようだった。
 ――もしも狙いのやつがいたとしてもアレじゃ近づけねぇよな……。
 深く息を吐く。それが、女子が防波堤になっていることに対する安堵なのか、それとも自分自身も奴らに阻まれていることへの悔しさの表れのかは俺自身にも解らなかった。
 女子に両腕とも組まれ動きにくそうにしていたが、何かに気付いたようにポケットの中に手を突っ込んだ。震えたらしいスマホを取り出し操作するの手元を、無遠慮に覗き込むような真似をする女子二人が、途端に残念そうな顔をする。
 何かあったのだろうか。訝しみ、に声を掛けようと口を開きかける。だが、俺が声をかけるよりも早く溜息をこぼしたが、スマホをポケットに戻しながら口を開いた。
「残念、タイムオーバーだ」
君、帰っちゃうの?」
「うん。そろそろ父さん帰ってくるって妹から連絡があってさ。イベントの時は家族揃ってないと拗ねるんだ。――なんで今日に限って早いんだか……」
 ひどく残念そうに笑ったが、いたずらっぽく愚痴をこぼす。妹が彼氏と一緒に遊ぶ、と宣言したことが発端で監視の目が厳しくなったんだ、とかなんとか。流れ弾で監視の目がにまで及んでしまったことに、まだ会ったこともない妹とやらに恨みがましい考えを抱いてしまう。
「それじゃ、みんな遅くならないうちに帰るんだよ」
「うん、またね、君」
「良いお年を、って、また年末1回くらいは遊ぼうね」
「うん。約束だよ」
 口々に次の約束を結ぼうとする女子連中に別れを告げたは、真っ直ぐにこちらへと向かってくる。俺ら男子側にも別れの挨拶を告げたに、及川だけが「帰れ帰れバーカ」と小学生以下の悪態をつく。裏拳で制すと非難の声よりも賞賛の声が多く湧きおこった。
 ――もう帰んのかよ。まだいろよ。せめて飯くらい一緒に。
 頭の中で引き止めるための言葉を並べ立てる。だけどの父親がタイムキーパーなのだと考えるとおいそれとそれを提案することは出来なかった。
「またね、岩泉君。良いお年を」
「おぅ、またな。風邪引くなよ」
「ははっ。岩泉君もね」
 サッパリとしたの態度に、呼び止めようとした言葉が奪われるようだった。マフラーを巻き直しながら歩くの背中を眺める。ベロを出して目の下を引っ張った及川が横目に映ったが、今度はそれに対して何かを起こす気になれなかった。
「じゃあ、俺、近くのファミレス空いてないか聞いてみるねー」
 気を取り直していい笑顔を浮かべた及川が、女子連中に向かって声をかける。お願い、だとか任せた、という声を受けて気をよくしたのか及川がチャラけた笑みを彼女らに向けた。
 スマホを操作し、耳に当てた及川を横目に、小さくなっていくの背中を見つめる。だいぶ先を歩く彼女の背中をただ見送る。なんてことのない行動だ。それでも、その行動を歯がゆいものだと感じてしまう。
 良いお年を、だなんてもう今年は会わないと宣言するような言葉が、堪らなく、痛い。
 来年になったら、3年は自主登校期間に入ってしまう。1月、2月、そして3月頭には卒業が控えている。満足に会える日は、既に数えるほど無いのだ。
「……悪い、俺も帰るわ」
 誰に宣言するわけでもなく、言葉を零した。辛うじて聞き取ったらしい及川が「え?」と首を捻ったのが視界の端に映る。ほかの奴らの視線が集まるのを感じたが、誰かの言葉が発せられるよりも先に駆け出した。
「岩泉君! 君をよろしくねっ」
 察してしまったらしい一人の女子の呼びかけを背に、振り返ることもせず真っ直ぐにの背中を追った。



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