いつ甘06

06.一方的な嫌悪感


 背が高いから、だなんて安直な理由でベランダの窓掃除を任命されたのは、入学してすぐのことで、もうすぐ5月になろうかという時期になってもその役目は終わっていない。
 適材適所という言葉の通り、僕が拭けば他のやつらに任せるよりかは広範囲で掃除ができるのは解っていたが、毎日砂埃を纏うそれを磨くのは苦痛でもあった。同じく窓掃除をしている山口は、砂がたくさんついて白くなった窓に指先で顔文字を描いたり、拳を縦にくっつけて点を書き赤ちゃんの足だなんて描いていたり楽しそうにしていたが、そういう戯れに付き合うつもりは毛頭ない。
 窓ガラス越しに教室内を覗くと、それぞれが黙々とホウキなり雑巾なりで教室内を磨きあげているさまが目に入る。進学クラスということもあり、うちのクラスのヤツラは性格的におとなしいだとか真面目だとか所謂”イイコチャン”な部類に入る人間が多く集まっていた。
 部活で日向達のような騒がしい連中と顔を合わせなければいけないことを考えれば、クラスのヤツラの方が楽なのかもしれないけれど、退屈なのは否めない。かと言って、山口のように騒がしい連中ばかりだと嫌になるのだろうけれど。
 ある程度拭き終えた窓ガラスから手を離し、窓枠に雑巾を置く。そのまま身体を反転させて手摺に凭れ掛かり、外を眺めた。
 天気が良いけれど、まだ少しだけ風が冷たい。額をそよぐ風に目を細めた。
 4月ももうすぐ終わり、あと数日もすればゴールデンウィークに入る。
 バレー部で合宿をするだのという話も出ていたが、本当にしなければいけないのだろうか。家に帰ることもままならず3日も4日も一日中、暑苦しくバレー漬けだなんて考えるだけでも煩わしい。
 小さく溜息を吐き、手摺に肘を置いて頬杖をつく。小指で眼鏡の縁を抑えながら階下へと視線を向ける。面倒だと思いながらも、ここの掃除を他の人と変わらない理由が、そこにはある。
 僕と同じように、吹いた風に目を細める、一人の少女。
 ――
 心の中で、彼女の名前を呼んだ。当然声を掛けたわけじゃないのだから彼女が僕を振り仰ぐことはない。
 中庭掃除を割り振られたらしいは、クラスのやつらと話しながらも、テキパキとした動作で掃除をこなしている。遠目からでも楽しげな声が耳に届き、口元が緩みそうになる。
 ただ単に掃除をしているだけで、面白くもなんともないのに、のことを目で追ってしまう。
 は率先して周りを引っ張るタイプではなかったが、視野の広い彼女は他の連中がしていない作業をカバーするのがうまかった。四角い場所を丸く掃くという言葉が当てはまるかの如く同じ所ばかりを掃いて回る連中の残したゴミの山をザカザカとホウキで袋に突っ込んでいくの姿を眺めながら、横着しないでちりとりを使えばいいのに、と思う。
 そう気付いたのは僕だけじゃなかったようだ。器用にも竹箒でゴミを掬うに、ちりとりを持った一人の男が近付いていく。
 唐突に視界に入ってきたその男に、自然と顔が顰められる。顔は見えないけれど、の傍らにしゃがみこんだその背中には覚えがあった。
「あ、ツッキー! アイツだよ! 今、っちに話しかけてるやつ!」
 山口の声が唐突に耳に飛び込んでくる。いつから僕がのことを眺めていることに気付いていたのかと内心ドキリとしたが、山口の視線は僕ではなく、一心にその男へと向かっていた。
「アイツが、!」
 無遠慮に人差し指で指し示した山口から告げられた名前に対する驚きはなかった。やはりというべきなのか、単なる答え合わせと言うべきか。つい先日、山口にと仲の良い男子が居ると聞かされた時に思い浮かべた男が、今、まさにの側にいるだったのだと知る。
「やっぱ仲いいってホントだったんだー……」
 山口の感嘆の声に、自然と口元が引き締まった。階下に見える二人は、それはそれは傍目から見ただけでも解るほど仲の良い様子が見て取れた。太陽に向かうひまわりのように、まっすぐにに向かって笑いかけるに、胸が詰まりそうになる。
 人見知りという程ではないが、はあまり慣れ親しんでいない男相手だと遠慮がちな笑みを向けることが多かった。
 ああいう風にが笑いかける男なんて僕か山口だけなんじゃないかって勝手に自惚れていた自分が恥ずかしい。
「……ツッキー?」
 黙りこくった僕を、山口が横から不安そうに見上げてくる。その視線を無視し、ひたすらにの背中を睨みつける。
 のことは、色々と耳に入ってきていた。ただそれは、僕が聞きたがったわけではなく、山口がどこからか掻き集めてきての話を交えて僕に一方的に捲し立てたからだった。
 そこには脚色や穿った見方もかなり含まれているだろうけれど、そのひととなりをなんとなく認識するには充分だった。
 僕と似ているのは性別が男だってことと長身であることくらいで、それ以外は全然似ていないということを特に強く山口は言った。
 寡黙な割には他者からの信頼も厚く、野球部では守りの要である捕手をやっていること。成績は芳しくなく、下から数えた方が早いバカだという話も聞いた。
 それよりももっといやに耳についたのは、がかなり仲良くしているということだ。一緒に帰っているのを見かけただとか、休みの日に一緒に遊んでただとか、その挙句、の家にが遊びに行っただとか、他愛もない風を装った暴力的な噂をいくつも聞いた。
 部活で忙しくしてるはずの2人がそうそう遊んだりしてるはずもないからその全てが真実だとは思わないけれど、どれもが嘘だとも思えなかった。
 が何かを口にしたのか、怒ったような表情を浮かべたが持っていたホウキについた枯れ葉を拾い上げに向かって投げつける。手で避けながらも時折肩を揺らすに、胸がじくりと痛む。
 その場所に居るのがどうして、僕じゃないんだろうか。
 ゴミを掛けられるのなんて御免被りたいけれど、それでもがじゃれてくるのなら我慢してもいいかもしれないだなんて自虐的なことを考えてしまう。
 大きく息を吐きだしたところで、胸に詰まる嫌な感情だけは胸に残った。こんな光景を見せつけられたら、さっきのような噂を信じるほかなかった。
「ねぇ、ツッキー。俺ね、っちにはあんな奴似合わないと思うよ」
「……あんな奴って?」
 曖昧な山口の言葉に聞き返すと、山口は途端に返答を詰まらせる。回答を用意出来なかったのは、自分がかき集めた人物像の中で、にそぐわないという要素を見つけられなかったからなのだろう。
 それでも否定したいのは、多分、僕と一緒で、ポッと出の男にを取られたくないという心境がそうさせているのだ。
 もしではなく山口を選んでいたとしたなら、葛藤はあってもその事実を受け止めることは出来たはずだ。
「と、とにかく! あんな奴はあんな奴だよ! あんな奴、俺はいやだ!」
 唾を飛ばす勢いで叫んだ山口は、いつものタレ目ではなく目を見張って僕に訴える。その眼差しに気圧されて、首の裏に手をやり痒くもないのに爪を立てる。
 単純な山口の言葉に、僕の心情が全て詰まっていた。
 嫌なものは嫌だ。正直、これ以外の理由は持ち得ない。
「別に、が楽しそうだから、いいんじゃないの?」
 俯いたせいかくぐもった声になる。怒ったように聞こえたかもしれない。
 同意しかねたのは、別に腹を立てたからというわけじゃなかった。
 物事を素直に考えるクセのない僕の言葉に、山口がどう返してくれるのか聞きたかった。
っちは――」
「ねー。どっちかゴミ捨てに行ってくれると嬉しいんだけど……」
 山口の声を遮り、控えめな声が背後から聞こえてきた。振り返るとクラスの女子が窓から顔を出して申し訳無さそうな顔をしているのが目に入る。その背中の向こうでは、教室前方に固めた机を忙しなく並べ直すクラスメイトの姿が見えた。窓枠に凭れてサボっているようにしか見えない僕らにその白羽の矢が立つのは当然ことだろう。
 ただ、そういう指図を素直に聞く気は、微塵もない。凭れたままだった姿勢を正し、薄い胸を反らし、顎を持ち上げその少女を睨めつける。
「なんで僕が……」
「あ、俺が捨ててくるよっ!」
 行かなきゃいけないの、と続けようとした言葉は山口によって遮られる。舌を打ち鳴らした僕に山口がチラリと視線を向ける。困ったような、許しを請うようなその視線に益々腹が立った。
「山口君ありがとー。もうゴミ袋用意出来てるからお願いするよー」
 教室へと入ろうとする山口の背中を眺めながら、ふと、さっき、がゴミを集めていた姿が脳裏を過ぎる。もしかしたら、もまたゴミ捨て場まで行くのかもしれない。中学の時にも、目を離した隙に一人で大きなゴミ袋を抱えて出しに行ったを追いかけることが多々あった。彼女の性格的に、その予想が真実に近いことを確信する。
「僕が行くよ」
 クラスメイトが示した教卓の前でゴミ袋を持ち上げた山口の手からそれを取る。
 数度、瞬いた山口も、僕が何故気持ちを変えたのかに気付いたらしく、口元を持ち上げて笑う。
「いってらっしゃい、ツッキー!」
「うるさい山口」
 大声で見送られるようなことじゃないのに、と歯を食いしばったけれど足がほんの少しだけ駆け足になるのは隠しようがなかった。



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