いつ甘07

07.君との世界だけでいい


 足早に階段を降りると、ゴミ捨て場の側での姿を見つけることが出来た。ただ、計算外だったのはその横にが並んでいることだった。右手にゴミ袋を一個持ったの左に、が左手に3個持って歩いている。寄り添うようなその自然な距離感に、眉根が顰められる。
 は自分から手伝ってと口にする女じゃない。だから多分、がゴミ袋を取り上げるくらいのことをしてその横に並んだのだろう。
 そのポジションは、ずっと僕が担ってきたものだったのに、とじくりと胸が痛む。
 何故、追いかけてきたのか。少し頭を回せばが一緒に来ることなんて、すぐにわかったはずなのに。
 身内にある焦燥に駆られてしまったことを恨めしく思いながら、の揺れる背中を睨みつける。2人の歩くスピードは、僕とが並んで歩く時のものとよく似ていた。それは、僕がに合わせて速度を落としたもので、当然、僕が普段通り歩いてしまえばその背中に即座に追いついてしまうだろう。
 気付かなかったふりでもして抜き去ってしまえばいいのだろうか。幸いというのも皮肉なものだけど、も話に夢中のように見える。とっとと足早に歩いてしまえば、気付かれないかもしれない。否、気付かれても別に毎回に話しかけないといけないとも決まっていないし、無視して去ってしまえばいいか。
 こんなくだらないことに悶々としている自分が嫌で、溜息を吐きこぼす。腹の奥に熱湯をぶちまけられたような熱が生まれているのも我慢ならない。
 こんなみっともない悋気を抱くくらいなら近づかなければいいのに、捨て置けない感情に抗えずにこんなところまで来てしまった。
 唇を尖らせてじっとの背中を見つめていると、ふと、その背中が揺らいだ。
「あぁ、月島」
 不意に振り返ったが目を細めて僕の名前を呼ぶ。空いた左手を高く掲げて、こちらに笑いかけてきたに驚き、思わず目線を横に流して立ち止まる。
「珍しい。ゴミ捨てとかするんだ」
 5メートルは残っていた距離を逆走してきたが僕の横に並ぶ。そのいつもの距離感に安堵して、へと視線を戻した。
「どうして? 僕だってちゃんと掃除くらいするよ」
「いやいや。教室内ならともかくゴミ捨てなんて「なんで僕が」とかって嫌がるタイプだったじゃん」
 歯を見せていたずらっぽく笑ったに口元が尖る。ついさっき教室で吐き捨てた言葉をそっくりそのまま言い当てられたことが不愉快だったのもある。だけどそれ以上に、僕のことをがよく理解しているということが嬉しくて、つい口元が綻ぶのを防ぐためでもあった。
 だけど、よもやがいるかもしれないから追いかけてきただなんて言えるはずもなく「別に関係ないデショ」と曖昧に言葉を濁すほかなかった。

 控えめながらも低い声が耳に入りこんでくる。
 、という呼びかけに触発され、へと落としていた視線を正面に向けると、もまたこちらへ歩み寄ってきていたことを知る。
 目線の高さから僕の方がほんの少しだけ背が高いようだったけれど、身体の厚みなどは圧倒的にの方が上だった。平然とした様子での正面に立ったは、微かに背を曲げてに何事かを囁く。それを受けたは遠慮なくの腕を叩いた。
 山口や僕にも滅多にしないその反応に、仲がいいというのは本当なんだと、思い知らされるのは充分だった。
「あぁ、もう……っ」
 怒ったような表情での名前を呼んだ。山口を忠と呼ぶ時よりも自然と口に出されたその声に、先程引いたかと思った熱が、また腹の奥に生まれる。痛くもないのに、手のひらを当てて抑えつけたが、当然和らぐことなんて無かった。
 隣にいるの手の平が翻る。修学旅行で見かけるバスガイドのように手のひらを上に向けて僕を指し示した。
「一応、紹介しとく。中学の頃からの友達で、月島っていうんだ」
「……どうも」
 の言葉を受けて、が僕に頭を下げる。覇気も抑揚もないその声に、野球部というのは煩いやつしか入れないんじゃなかったのかと認識を改める。
 頭を上げてなお愛想笑いの一つも浮かべられないその表情に、山口の言う”無愛想”という評価はハズレではないらしいことを知る。
 顎を少しだけ持ち上げて目を細め、に向かって笑顔を作り上げる。気に入らない相手でも、僕は笑いかけることが出来るんだと見せつけたかったのは、僕なりに虚勢を張りたかったからだ。
「初めまして、月島蛍です」
 ニッコリと笑って告げると、は微かに眉根を寄せた。他意のある笑みであることを感じ取られたのかもしれない。たまに対人関係で直感が働くタイプのやつから嫌がられることがあるが、どうやらもそういう類の人間らしい。
 僕に向けられていたの手の平がの正面へと滑る。
「こっちは……」
「知ってるよ、だろ」
「あぁ、もう聞いたんだ」
「有名だからね」
 多分に意味を含めて言葉を繋げると、は小さく苦笑した。どうやら彼女もその噂を知っているらしい。否定してこないところを見ると真実なのだろうか。
 面白く無いようなもやもやが胸の内に溢れてくるようだった。
 笑みを引っ込めてへと視線を戻す。首の裏を気まずそうに掻く仕草に、目を細めた。
「こんな風に2人でゴミ捨て行くなんて随分仲良くしてるみたいだね」
「え? いや、まぁ、ぼちぼちねー」
 嫌味たっぷりな言葉も、には届かない。そういう健全さが時に憎たらしくもある。
 前みたいに言えばいいのだろうか。
 ――僕のこと好きだったくせに、もう他の男に心変わりしたわけ?
 そのように口にしてしまえば、ちょっとは動揺させられるのだろうか。少しだけ考えたけれど、どうせ今みたいには流してしまうだろう予感しかなかった。
「別に、普通だろ」
 低く、ある種の迫力のあるその声に振り返ると、が憮然とした表情で僕を睨んでいた。その表情には覚えがあった。
 思い当たると同時に、カッと頭の中に熱が走った。他でもない、の側に居る時に、見かけたことがあった。山口が言った、あいつだけは嫌だという声が脳裏に響く。まったくだ、コイツだけは、絶対に、嫌だ。
 憮然とした表情で携帯を掲げ、僕を睨みつけた、あの男。
 コイツは、つい先日、の寝顔を隠し撮りした男だ。
 に初めましてと微笑むなんて、なんてバカなことをしたのだろう。さっきのの反応も、僕が気に入らないからではなく、僕と顔を合わせたことがあったからこそのものだったのだ。
 隠し撮りなんて下劣な真似をしておきながらの隣に並ぶなんて、図々しいにも程があるんじゃないか。
 すぐにわかれば、先日はどうもだなんて言いながら責め立てることだって出来たのに、攻撃のチャンスを自ら逃してしまったことを今更ながらに悔いる。
 僻みにしかならない考えが頭をめぐり、そして一つの仮定に辿り着く。
 そもそも自身が気にしている素振りも見せなかったのは、仲良くしているから、も撮られることを許容していたということなんじゃないか、と。
 それが、真実なのかもしれない。そう思いつくと同時に喉の奥が詰まる。呼吸がままならなくなり、小さく肩を揺らして口から重い息を吐きだした。
 実直に僕に視線を向け続けるの目が、の目と重なる。それが必要以上に僕を苛立たせた。
「さっきアンタ……上から見てたろ」
「ハァ?」
「ちょっと、。月島も」
 剣呑な空気を感じ取ったの静止無視して、に目を細め睨みつけ聞き返したが、体格有利であることに驕りがあるのか、はビビる様子も見せずに言葉を続ける。
を追いかけてきたのか?」
 率直な物言いに、怯んだのは僕の方だった。
 察しのいい男ってだけでロクなもんじゃないのに、しかもそれを悪びれもなく口にするなんて、ふざけている。
 何もがいる前でそんなことを言わなくてもいいだろう。
 天然を装って追い込んでくるやり口が気に入らなくて、眉根も口元も簡単に歪んだ。
「別に、アンタには関係ないでしょ」
 今度こそ悪意のある視線を向けたが、それを受けたは平然とした様子で僕を眺めた。目を細めたは、笑っているようにみえる。
 嘲笑とも取れる表情に、腸が煮えくり返るようだった。
 もう話にならない。こんな男と会話を続けるメリットが感じられない。こんな難儀な男と、どうしては仲良く出来るのか理解不能だ。
 そのまま立ち去ってやろうかと足に力を入れた。だけどそれを制すようにの手が僕の学ランの袖口を掴んだ。
「月島、ゴメン。ちょっと言葉選ばないところがあるから」
「オイ」
 悪びれもしないのはそういう性格だから許せということなのだろう。眼前で手を縦に伸ばしたが詫びるように片目を瞑る。
 が謝ってきたことにも腹が立ったが、それ以上にその距離感が気に入らなかった。
 ――僕は月島で、コイツはなのかよ。
 またもや頭を擡げ始めた悋気に、胃がやられそうだった。腕を持ち上げ、の手を引き剥がし、離れたばかりの手を掴む。
「ねぇ、
 に挑発されたのは、解っていた。ああやって言えば、僕が怒って立ち去るとでも思ったのだろう。
 だけど僕はアンタの思い通りには絶対に動かない。
「今日、多分うちの部活遅くなるけど……僕のこと、待てる?」
 目を丸くしたが吃驚しているのが、僕の言葉のせいなのか、掴んだ手の平のせいなのかなんて知らない。真っ直ぐに僕を見上げるその視線を外すこと無く、眼鏡のレンズ越しながらも真正面から受け止める。
 長い睫毛が瞬きに合わせて揺らめく。その形が三日月に変貌するさまが目に焼き付いた。
「わかった。一緒に帰ろう」
 遠回しな言葉を選んだのは、との仲をまざまざと見せつけてくれたに対する抵抗だった。それでも解ってくれる、の聡明さに口元が綻んだ。僕につられたのか、もまたほんの少しだけ嬉しそうに見える表情を浮かべる。
「部活終わったら連絡するから、ちゃんと携帯見ててよね」
「うん。待ってる」
 それじゃ、と一言残して、留まる二人を置き去り、僕はゴミ捨て場へ歩を早めた。
 にはもう視線を向けない。僕が見るのはアンタなんかじゃなく、だけでいい。



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