いつ甘14

14.芽生えた決意も呆気なく


 学校を出て真っ直ぐに帰らない。それだけでわくわくするほど子供ではなかったが、共に歩く相手がだと思えば簡単に胸は弾んだ。部活は完全下校時間まできっちり行われることもあり、お互いの帰宅時間は同じなのだが、部活後に合流して一緒に帰ることは少ない。そうでなくとも今日みたいに前もって約束をして、というのは片手で足りるほどの数しかなかった。
 いつもふたりで会うときは、甘いものでも食べながら話そうか、だなんて提案に乗って商店街だったり駅前に足を伸ばすことが多い。今は試験準備期間中。時間はたっぷりとある、ということで駅前に新しくできたケーキ屋へと足を運ぶことになった。店に入り、僕はいつもどおりショートケーキを、は迷いに迷ってガトーショコラを選んだ。
 試験勉強を始める気のないは、甘い、美味しい、チョコが濃厚、などと口々にこぼしながらケーキにぱくつく。どうやらかなりお気に召したようだ。僕もまたショートケーキに口をつける。なるほど、確かに甘いが後味が妙にスッキリしていて、更に食べたいと思わせるだけの余韻がある。これはまた来てもいいかもしれない、だなんて口にすると、もまたすかさず同意した。
 3分の1ほどを食べ、ようや落ち着いたようすを見せたは、手直にあったナプキンで口元を拭い、オレンジジュースにさしたストローに口をつける。
「ねぇ、月島」
「……なに?」
「あー……そうだ。この前さ、合宿あったんだよね? どうだった?」
「どうって……別に、普通だよ」
「その普通がわかんないから教えてほしいんだよ」
 躱す言葉を伝えたところで引き下がるようなではないことは理解していた。紅茶のカップを傾け、に伝えてもいい範囲の出来事はなかったかと考える。だが、体力オバケのバレー馬鹿のせいで何度も練習試合をする羽目になって疲れただとか、しかも試合結果は全滅だったとか、カッコ悪いことを伝える気にはなれなくて、差し障りのない出来事を吟味して話題として差し出した。だが、淡々と伝える僕自身が面白くないと思っているせいか、会話が広がるはずもない。の質問に対しても「別に」「特には」だなんて気のない返事ばかりを返してしまう。
 何か他になかっただろうか。部活以外のことも含めて考えたが、どうしても現状の学校生活の中心がバレーにまみれているため、思いつくことが自然とバレーのことばかりとなってしまった。楽しくほどほどに、だなんて望んでいたはずなのに、その願いは同じバレー部の連中を顧みるにどうも叶いそうもない。
 部活のことを、と絞って考えていると、合宿の初日に日向がやらかしたことを思い出した。
「そういえば、なんだけど」
「うん。どーした?」
「合宿中にさ、朝からランニングしなくちゃいけなかったんだけど……それで迷子が出てさ。ホント……小学生じゃないんだから」
「へぇ。それって忠……はないよね。もしかして影山?」
「いや、1組の日向ってやつなんだけど……知ってる?」
「あぁ、あの小さくてかわいい子か」
 の言葉に、反応してしまう。チラリと視線を彼女に向けてみたが、飄々とした態度は崩れておらず、ガトーショコラをじっくり味わっているようだった。
「かわいいって……なに、ってあんなのがタイプなの?」
「えぇ? 別にそんなんじゃないよ」
 僕の言葉に、にわかに顔を顰めたは面倒くさそうに後ろ頭を掻いた。態度を見咎めるというほどではないものの、胸の奥がざわついていくのは抑えられそうにない。面白くないというのを全面に押し出すかのように唇が自然と尖った。
「ふぅん……」
「なんだよー」
「別に」
「何かあるんじゃん。その顔」
 僕が態度を硬化させたことに、もまた意固地な様子を見せる。小さく溜息を吐き、自らの胸中にある感情を追い出すよう努める。喧嘩がしたいわけじゃない。気まずい空気を肌で感じ取りながら、いつも口に出す程度の言葉ではこの場をうまく収めることはできないだろうと予感していた。少しくらいに、本心を見せなければ、これから先、”ちゃんと”することはできない。伏せていた視線を上げる。僕の視線を感じ取ったは、口にしていたストローを離した。
「じゃあ聞くけど。ってどういうのがタイプなわけ?」
「……そういうこと、月島が聞く?」
「聞いちゃダメなの?」
「……後々めんどくさいことになりそうだから教えない」
 渋い顔をしたは、離したばかりのストローをまた咥えた。色恋に触れた話題を出したのは失敗だったらしい。アプローチを変えてみたところで決定打を打てないのであれば意味がないのだろう。不機嫌そうに顔を顰めているの様子を眺める。浮かび上がった眉間のしわはオレンジジュースの酸っぱさによるものではないことは痛いほどに理解していた。
 一緒にいれば、うまくいくのだと思っていた。学校を出る際には確実に気持ちが重なっていたと思っていたのにそれも錯覚だったのだろうか。手繰り寄せることができなかったものを考えながら、僕もまた顔を顰めているとが唐突に口を開いた。
「逆に聞きたいんだけど……月島はどういう子がタイプなんですかー?」
 ストローで氷を弄りながら質問を返してきたに面食らってしまう。おどけたような口調に、本心で聞きたいわけではなく、意趣返しの意味合いを多分に含んでいることを知る。どうやら僕が伏せているものを先に暴くようなことはさせないということらしい。
「ハァ? 教えてくれなかったのに僕だけが答えるワケないじゃん」
「だよねー」
 あえて突き放すような言葉を選んでみせると、は眉を下げて苦笑した。あまりよくない態度だったが、先程まであった膠着状態からは脱したらしい。の空気が若干ながらも和らいだことを感じ取り、僕もまた紅茶を傾けた。喉を通る熱い感覚に、少しだけ冷静になれた。
「そういえばさ、バレー部ってインターハイ予選の組み合わせっていつごろ出るの?」
「さぁ? 5月中旬くらいじゃないの」
「じゃあちょうど試験終わったくらいか」
「多分ね……応援にくるの?」
「んー……まぁ、部活次第かな」
 例年通りであればの言うとおり、中間試験明けには大会期間に突入する。主将や顧問の武田先生が言っていたからほぼ間違いないはずだ。試験に身が入らなくなることを危惧して期間を設定しているであろう教師側の作為的なものを感じてしまう。
 そのまま、また当たり障りのない会話に戻ってしまう。の方の部活の様子を聞けば、部活の先輩たちがおいしいお菓子を持ってきてくれるからみんな少しずつ太ってきているだなんて愚痴をこぼすものだからケーキを取り上げようと手を伸ばせばその手の甲を叩かれた。
 こういう友情の範囲での健全な空気も悪くない。それだけでも十分だ、だなんて少し前までの僕ならば自分を納得させることができた。だが、その先をチラつかされた今では、もどかしいと感じてしまう。
 紅茶のカップを手にとった。残っていたすべてを傾けて飲み干し、ソーサーに戻す。真っ直ぐにへと視線を向け、今日、この場へと来た目的を果たそうと口を開いた。
「ねぇ、
「ん?」
が、さ。……言ったよね。ちゃんとしたい 、って」
「……言ったよ」
 テーブルの脇に置いてある小さいメニュー看板を眺めていたが、僕へと向き直る。背筋を伸ばしたの実直な視線が、いつものように僕の目を射抜く。胸の奥が甘く痛むのは、その目を見ればいつも現れる兆候だった。
 ちゃんとしたいとが言った。その言葉は嘘じゃないんだろうか。
「僕も、ちゃんとしたいと思ったから、今日誘ったんだけど」
 真一文字に口元を引き締めたは、うん、とひとつ頭を揺らして応じた。
「わかってる。私も、そのつもりでここにきた」
 いつになく真面目な顔をしたをからかうような気持ちさえ起こらない。きっと僕も、同じ種類の表情を浮かべているはずだと知っていた。きゅっと口元を引き締める。真剣さだとか必死さだとか、表に出るすべてを、もう取り繕える気がしなかった。

「――月島、」
 ほんの少し、僕が彼女の名前を呼ぶ方が早かった。先を譲る、という意味だろう。がひとつ頷いてみせた。膝の上に置いた手を拳に変える。決断は自然と体に力が入るのだと、今更ながらに知った。
「だから、僕は――」
 君が好きだ。それに類似する言葉を頭に浮かべたはずだった。だけどどのような言葉として形にしようかと迷った瞬間に、それを断ち切るかのようにブーンと低い音が鳴った。同時にマナーモードにしている携帯が震えたことを感知する。一度で終えるかと思った音が、断続的に繰り返されることで、メールの着信ではなく、電話がかかってきていることを知らしめる。
「電話、鳴ってるよ」
「……うん、でも」
「いいよ。出なよ。待ってるから」
「……わかった」
 に促されるままに、ポケットの中から携帯を取り出した。意気を削がれたような気持ちで画面を確認すると、電話の相手は母親だった。一瞥をへと差し向け、うん、と彼女が頷いたことを確認し、電話に応答すべく操作した。
「あぁ、蛍? ごめんね、遊びに行ってる最中に」
「別に。何かあったの?」
 淡々と会話を促す。告白未遂、という状況の中で母親の声を聞くのは、結構堪えるものがあった。喉の奥に詰まるような感覚は、僕の感情を覗き見されたかのような気まずさが要因だ。そこまで潔癖なわけではないが、気になってしまうのは否めなかった。
 だが、照れくささに頬を染めたのも束の間で、母親から告げられた言葉に、胸の奥の方がカサつくような感覚が襲いかかってくる。
「そう……うん、わかった。それじゃ」
 僕の表情の変化から気落ちしていることに気付いたらしいが、神妙な顔をして僕を見上げる。ただ事ではない、という程ではなかったが、浮かれていた気持ちはすでに打ち崩されていた。
「……何かあった?」
「……兄貴が、今日帰ってくるんだって。だから夕飯は一緒に食べれるくらいの時間に帰ってきてってさ」
「ああ、明光君だっけ?」
「……うん」
「そっか」
 大事ではないと知ったが安堵するかのように表情を和らげた。それに釣られるかのように僕もまた口元を緩める。だが、兄の存在が脳裏にチラつけば、どうしても気持ちが上がらない。何事にも意欲的になれない僕の根幹にあるものが、いまだ根強く染み付いていることを、無理やり思い出させられた。
には会わせたことあったっけ?」
「会ったことないよ。見てみたいな。似てるんでしょ?」
「別に、似てないよ」
 自分から兄の話を振ったというのに、いざ会話が続けば嫌な感情が胸を去来する。似ていないという表現は正しかった。だけどひどく自分を傷つけた。兄のように優しい嘘をつくこともできなければ、兄のように壁にぶつかり、もがくことさえもできない。すべて似ていない。散々思っていたことだけど今まで口にすることは無かった。口にすれば途端に胸の奥に苦い感情が広がる。
「ねぇ、
「ん、どした?」
「――なんでもない」
 縋るようにの名前を呼んだ。だが電話が掛かるよりも前の気持ちに戻ることはできなかった。
 必死に足掻けば彼女を手に入れるかのように錯覚していた。だが「今更言われても」だなんてあっさりと否定される可能性が残っている。 想いを受け入れてくれなければこれから先、ただの友人としても傍にいれる気がしない。はそうしてくれたけれど、僕にはきっと無理だ。ならば、リスクを負ってまで自らの本心を打ち明ける意味なんてあるんだろうか。
 先程まで膨れ上がっていたはずの気持ちが急に萎んでいくのがわかった。兄に余計な期待を抱かないと決めたとき、同じように何に対してもそこそこにうまくやっていけばいいという価値観を優先させるようになった。この場合のそこそこ、というのはに対して現状維持を望むことだ。今のままなら、傷つくことはない。
 もしかしたらは、僕がを好きだと知ってしまって、「ちゃんと」というのはきちんと「お断り」を入れるために呼び出しに応じたのかもしれない。今までのように、友達でいよう、だなんて宣言をしに来ただけ、という線が濃厚なんじゃないだろうか。その証拠に、好きなタイプを聞くだなんてわかりやすい撒き餌に食いつくようなことをせず、ちゃんと、うまく躱してみせた。
 ――なんだ。やっぱりもう、ダメなんじゃん。
 諦めから深い溜息がこぼれた。僕の気持ちが変わったことを感じ取ったのか、が少し困ったかのように僕を見上げていた。



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