哀れな惑星03

静かに迫る逸脱


 その少年は、自らを虎杖悠仁だと名乗った。

「とりあえずアッチ行こうぜ」

 そう言って道を指し示した少年――虎杖君は、僕に話があるのだと続けた。訝しみながらも誘われるがまま家の前から歩き出す。途中、走って行った外村先生が戻ってくるのではないかと危ぶんだが、幸いにもどこか遠くへ行ってしまったらしく、鉢合わせすることはなかった。

「さぁてと。――どこで話そっかなぁ……」

 ひとりごとなのか、それともこちらへの問いかけなのか。判断に迷う言葉を零した虎杖君は、キョロキョロと周囲を見渡しながら歩き続ける。
 相槌を打たなくて正解だったんだろうか。無反応でいるのも悪い気がして、助けを求めるようにを振り返った。だが僕の背後にぴったりくっついて歩いていたはちょうどスマホをいじっていたらしく、こちらの会話に気付いた様子はなかった。
 僕が見ていることに気がついたは、僕と視線を合わせると慌てふためいてスマホを手の中で踊らせた。突然目にした過剰反応に驚いて目を瞠る。

「え、なに。どうしたの?」
「な、なんでもないヨ?」
 
 絶対何かある。僕の問いかけに対し、いつになくぎこちない態度のにピンと察しがつく。隠し立てするのなら暴かないといずれ僕が被害に遭う可能性が高い。そんな思いと共にジト目で見つめれば「ホントだヨ?」とが続けるものだから疑念は確信にすり替わった。
 だが、何かあると気付いたところで、ここから先の道はない。黙り込むと決意したの口を割るのは到底楽ではないと経験上、痛いほどに知っていた。
 ――まぁ、どうせろくでもないことなんだろう。
 の妙な行動なんて今になって始まったことじゃない。全部が全部拾って相手するのも骨が折れるというものだ。
 小さな溜息と共に気を取り直した僕は、から虎杖君へと視線を戻すと、いまだキョロキョロと周囲を見渡す虎杖君を、そんな彼が身に纏う制服を観察した。正確には胸元についているうずまきのボタンを、だ。
 〝うずまきのボタンをしている学生に会ったら仲良くすると良い〟と真人さんは言っていた。そして〝彼らは呪術しだ〟とも。 
 ――一体、何の用事なんだろう。
 隣を歩く虎杖君を横目で見つめながらひっそりと眉根を寄せる。話があると言った以上、虎杖君に何らかの意図があるのは明白だ。だがその用件が、怖い。
 真人さんは仲良くするといいと言っていたけれど、実際目の前に現れると尻込みしてしまう。
 真人さんと知り合って、こんなにも間も置かずに彼が言っていた特徴と合致する相手が接触してくるとなると、どうしても警戒心が先に立つ。何も知らない生徒や教師の前で優秀な生徒を演じる伊藤の外面の良さを思い返すと尚更だった。
 ――でも、もしかしたら本当に仲良く出来るかもしれない。
 人なんて早々信じられない。その気持ちに変わりは無い。それでも僕が何かを伝える前に、外村を嫌いだろうと言い当てた彼の為人に興味は湧く。

「あー。さっぱりわかんねぇや。――なぁ。この辺り、詳しい?」

 ギブアップ宣言と共に虎杖君がこちらを振り返る。散々見つめていたうえに彼の人間性をジャッジしようとしていたバツの悪さも相まって、言葉がスムーズに出てこなかった。

「えっと、うん。まぁ……住んでる土地だし、そこそこ」
「お、いいね。じゃあさ、そんなに人がいなくて車でも立ち寄りやすい場所って知ってる? 俺この辺りまったくわかんなくってさぁ」

 降参だと言わんばかりに困った顔を浮かべた虎杖君の質問に対し、顎に手を添え「ふむ」と思案する。
 話しやすい場所、となれば立ち話よりも座れる場所がいいだろう。だが人がいない場所と指定されてしまうとファミレスやカフェは選びにくい。
 屋外で限定するとなると公園とか? でもこの時間帯の公園はきっとちいさなこどもで溢れかえっているはずだし、大事な話なんて出来る気がしない。
 だが車の寄りやすさで大通りを選んだとしても同様に話すのには向かないし、なにより人目がありすぎる。
 虎杖君の望む環境にほど近い場所はどこだろう。この近くの地図を頭の中に思い描いていると、ふと、母さんの帰り道にある川が頭に浮かんだ。
 
「あぁ。だったら向こうにある河川敷なんてどうかな。団地の前にはなるんだけど、そんなに人がいるの見たことないし、見通しも良いしから車が通ったらすぐにわかると思うよ」
「ナイス! じゃあそこに行こうぜ。案内してよ」
「――うん。こっちだよ」

 頭を揺らしその場所へ虎杖君を連れて行こうと足を踏み出した。だが、歩く方向を突然変えたことで、背後を歩いていたと軽くぶつかってしまう。

「うッ!」
「あ、ゴメン。大丈夫、?」

 短い悲鳴を上げたはぶつけたばかりの鼻の頭を撫でている。「だいじょーぶ」と口にしたに胸をなで下ろしたのも束の間、このまま彼女を連れて行くべきかどうか逡巡する。
 真人さんの弁を信じるのなら、おそらく虎杖君は呪術師だ。呪術師は呪いを祓う者だと聞いているが、どういう人種なのかは理解できてない部分が大いにある。実際、目の前に立たれると対応に迷う。 正直、話を聞いてみたい。だが込み入った話になるのならをつれていくのはよくない気がする。
そう気づきながらも、を置き去りにできない理由が頭に思い浮かぶ。もし僕がいない間に外村と遭遇すればバトル第二弾を繰り広げる可能性がある以上、つれていかないわけにはいかなかった。
 もうそろそろ落ち着いてほしいけれど、それをに求めるのは酷な話というヤツだ。溜息交じりにぼやきそうになる言葉を飲み込んだ僕越しに、虎杖君がの様子を覗き込む。

「そっちの子、大丈夫そ?」
「うん、へーき」

 虎杖君の問いかけには鼻の頭を隠したまま頷いた。虎杖君もも気にしてないみたいだし、やっぱりこのままも一緒に行って問題ないんだろう。自分の中にあった疑念に折り合いをつけた僕は、「まだちょっと赤いよ」と自らの鼻の頭を指さしながらに指摘する虎杖君と、そんな彼に「順平がいきなり立ち止まるんだもん」と僕への非難をぶつけるへ声をかける。

「それじゃ、行こうか」
「おう」
「うん」

 ふたつの素直な返事に頭を揺らして応じると、彼らに目的地を案内するべく先を歩いた。虎杖君がどういう意図で接触してきたかは不明だが、明らかに無関係なを連れていればそんなに大事にはならないだろう。
 人を信用するのはまだどこか難しいけれど、なんとなく、虎杖君はを利用するような人間ではないように思えていた。
 

 * * *
 

 河川敷へと向かう道すがら、他愛のない話を交わしていると、不意に虎杖君が疑わしげに眉根を寄せた。その視線は僕を通り越してさらに奥に向けられている。もしかして何か変な物でも見つけたんだろうか。例えば、彼が両手で掴んでいる見たこともない生き物の仲間だとか。

「どうかした?」

 謎の生き物が背後にいるならイヤだな。そんな気持ちを内心に抱えながらも軽く首を傾げて言葉を促せば、虎杖君は眉根を寄せたままこちらへ視線を戻した。
 
「いや。さっきまでいた女の子がいなくなっちゃったみたいだからさ」
「あぁ、なら買い物に行ったんじゃないかな」

 最初はおとなしく歩いていただったが、途中からは「喉が渇いた」と文句を言い始めた。「我慢しなよ」とか「先に帰る?」とか。その都度、解決策を提案したがのお気に召さなかったようで、どれも突っぱねられた。不貞腐れたが途中で見つけたコンビニにふらりと入っていったのは2、3分ほど前の話だ。
 そのまま飲み物を買って家に帰るのか。それともこちらと合流するのか。がどうするつもりかは知らないけれど、さっきの会話はさすがに聞いていただろうし、こっちに来たいならそのうち河川敷に現れるだろう。
 そんな事実と憶測は一切口にせずあっさりとの不在を告げた僕に、虎杖君は目を丸くする。

「放任主義?」
「結果的には」
「なるほどね、りょーかい」

 端的な説明を受け入れた虎杖君は、親指と人差し指をくっつけてOKサインを見せてくる。そんな彼の様子に自然と口元が緩んだ。

「で、その河川敷までどのくらい?」
「うーん。あと5分ってところかな」
「オッケー。てかさ、オレこっちの河川敷行くの初めてだわ。やっぱりドラマの撮影とかあんの?」

 急激な話の転換に思わず目を丸くする。もしかして某中学校教師ドラマの主題歌でも想定しているんだろうか。そう推測しながらも「どうだろう。僕は見たことないけれど、たまにあってるみたいだよ」なんて毒にも薬にもならない弁を返す。
 たったそれだけの情報に「マジ?! えー。誰が来たんだろうな。な、聞いてない?」と、どんどん話題を膨らませていく虎杖君はすこぶる楽しそうに見えた。
 ――こういう話だとが喜んで飛びつきそうだな。
 東京にヒーローショーを見に行くついでに芸能人がテレビで言ってたカフェに行ってきた。店に写真も飾ってあった。そう自慢するの姿が脳裏に浮かぶ。僕よりもアクティブななら、もっといろんな話を知ってそうだと思った。
 そろそろが戻ってきてないかな。そう思い、一瞥を背後に差し向けたものの、がこちらに駆けてくる様子は目に入らない。

「ん、どうかした?」
「ううん、なんでもないよ」

 虎杖君の問いかけに対し曖昧に答えた僕は、再び河川敷を目指して歩きはじめた。
 




error: Content is protected !!