Encounter 01

Another encounter 01


 の部活がある日の放課後は、終わるまでぺーやんと学校の周りでダラダラ過ごす。もう一年も続いた習慣はすでに身体に馴染みまくっていたが、それでもその日の気分によっては早々に待つのに飽きちゃう日もあった。
 今日はたまたま、そんな気分。

「なぁ、ぺーやん。今日、早く帰れねぇかな」

 帰りのSHRを終え、オレのクラスに遊びに来たぺーやんとしゃべって一時間ほど経ったころ。
 いつもなら放課後になればほとんどのクラスメイトがいなくなるはずなのだが、もうすぐ中間試験が始まるせいか、教室には10人近い生徒が残っていた。人数はいるはずなのにオレらの話し声以外はノートの上をペンが走る音しか響かない。その異質さに試験勉強をしなければいけないのではないか、なんてガラにもなく考えてしまうほどだった。
 漠然と感じる焦燥は、テストと向き合いたくない気持ちを連れてきて、学校から逃げ出したいような気持ちを加速させる。居心地の悪さに耐え兼ねての状況を尋ねれば、頬杖をついたぺーやんは「アァ?」と首を捻った。

「どーだろな。朝はそんな話は出なかったぜ」
「そっかァ……」

 登校時の記憶を引っ張り出したぺーやんの返事にオレはガックリとうなだれる。机に突っ伏したオレを不審に思ったのか、ぺーやんは不思議そうに「ア?」と声を上げる。
 上半身を捻り、のそりと頭だけを起こすと頭の上にクエスチョンマークを載せたような顔をしたぺーやんと目が合った。

「なんだよ、パーちん。もう帰りたくなっちゃったのかよ」
「うん……」

 力無く答えると、ぺーやんは頬杖をついていた手を顎へずらしながら視線を転じる。外れた視線を追いかければ黒板の上に付けられた時計が4時を回っているのが目に入る。「まだ4時」なのか、それとも「もう4時」なのか。にとってはどうなんだろうな。
 規則正しいリズムで進む秒針を眺めたまでいると、不意に近くでガタガタと音が鳴る。軽く目を開いて身体を起こすと、ぺーやんが椅子の脚で床を引っ掻きながら立ち上がっていた。

「三ツ谷ンとこの部活、終わったら早く帰ってもいいって話だしよ。ちょっと声掛けに行ってみるか?」
「そーだな。もしかしたらも帰りてぇかもしんねぇしな」

 うん、とそれぞれ頷きあったオレたちは、隣の席に投げ出していた鞄を引っつかみ、教室を後にした。
 ふたり連れだって家庭科室へと向かう道すがら、開け放たれた教室のドアから他のクラスのやつらも居残り勉強している姿が見て取れる。中には黒板を使って質問しあうやつらまでいて、思わずごくりと喉を鳴らした。

「どーした、パーちん」
「いや、別にたいしたことじゃねぇんだけどさ。学校に残ってまで勉強するのヤベェなって思ってよ」

 小学校の低学年まではめっちゃがんばって勉強してたけれど、まるで身につかなかった記憶は痛いほど刻まれている。少しは勉強していたはともかく、ちっとも勉強してないぺーやんにすら敵わなかった。
 今更焦ったところでどうにもならないのはわかりきっているが、こうも周囲が勉強しているさまを目にすると意識がどうしてもそちらに傾いてしまう。気にしているのだと正直に打ち明けると、ぺーやんはチラリと横目で教室の中を確認しながら呆れたように鼻で笑った。

「ホンットだよな。よっぽどヒマなんだろうな」

 オレとはまったく違う考えを吐き捨てたぺーやんに面食らう。目を瞬かせて見上げるオレに気付かないぺーやんは、事もなげにまっすぐ前を向くと「ンなモン見てねぇでとっととンとこ行こうぜ」と続ける。まるで周りなんて見る価値がないとばかりに切り捨てたぺーやんに驚きはしたものの、たしかに他のヤツらなんか気にしたって仕方が無い。

「そうだな。早く迎えに行ってやんねぇとな」

 オレらは別に学校の教師なんかじゃないんだし、他のヤツらが勉強している姿を見張る必要もなければ気にかけて焦る必要もない。それよりのことを気にした方がよっぽどいい。
 そう気を取り直したオレは、ぺーやんに向かって頭を揺らして見せると意気揚々と家庭科室へ足を向けた。
 いつも使ってる教室とは違い、家庭科室は化学室や音楽室と同じ建物にある。棟が違うと言っても、渡り廊下さえ通ればものの数分で辿り着くそこは、さっきいた場所よりも随分と心地良い空気に満ちていた。
 至る所に人の気配があって、当たり前のように聞こえてくる話し声や楽器を弾く音に安堵の息を吐く。異様なほど静かだった教室なんてとっとと抜け出して、もっと早くにを迎えに行けばよかったと後悔に似た念が沸き起こる。
 まだ部活の最終下校時刻まで時間はあるけれど、もしかしたら早い内に作業を終わらせたが待ちくたびれてるかもしれない。そう思うと、自然と足取りは軽く、早くもなった。

「なんだよパーちん、そんなに急いで。元気になったか?」
「オゥ! こっちの校舎にいるの気分いいな!」
「ハッ、違いねぇ」

 教室では何も言わなかったぺーやんも思うところがあったのか、さっきよりも晴れやかな顔をしている。明るい気持ちと共にぺーやんとしゃべりながら廊下を歩いていると、程なくして家庭科室近くの廊下まで辿り着く。
 気分が上向くままに家庭科室のドアに手を伸ばした。だが、オレらがドアをスライドさせるよりも先に、勢いよくドアが開け放たれる。
 いつも以上に騒がしい話し声が家庭科室の中まで響いたのがいけなかったのだろう。憤怒の形相を浮かべた安田さんが立っていた。不意打ちで現れた天敵の姿に、隣に立ったぺーやんが「ヒッ!」と短い悲鳴をあげた。

「林君! また部長の邪魔をしに来たの?! 本当に毎日毎日何考えてんのッ?!」
「いや……今日は、を……」
さんも今日は大詰めなんだから絶対に邪魔しないで! 早く帰りたいんだったら林田君とふたりで帰って!」
「ウッ……いや、でも……」

 ものすごい剣幕で怒鳴り散らす安田さんに圧倒されて後ずさるぺーやんの脇を通り過ぎ、三ツ谷の元へと向かう。オレが近付くと、三ツ谷はミシンの操作をしていた手元を止め、こちらに一瞥を差し向けた。

「ヨォ、パーちん。のお迎え?」
「オゥ。まだ終わんねぇ?」

 声をかけてきた三ツ谷に片手を上げて応じると、こちらを見上げていた視線を奥へと転じた三ツ谷はほんの少しだけ口元を緩める。

「そーだな。今日中にミシンかけきっちゃいたいって言ってたし、ギリギリまで残るつもりじゃないかな」
「マジか……」

 脱力するままに、近くの丸椅子を引きずって腰掛ける。一息ついた心地と共に三ツ谷の視線を追いかけると、奥の方でがミシンと向き合っているのが目に入った。ぎゅっと眉根を寄せた顔つきは、先程の三ツ谷以上に強ばっている。あの集中っぷりだとオレらが来たことには気付いてないんだろうなと安易に想像ついた。
 ――時間がかかるってんなら待ってやんねぇとな。
 ひとつ溜息を吐きこぼし、窓枠に背中を預けるように腰掛ける。だが、気を抜いたのも束の間、あと一時間近く待つ現実に直面すると途端に手持ち無沙汰を実感する。

「どうせ待つなら飲み物でも買ってこようかな。三ツ谷もなんかいるか?」
「いや、オレはいいよ。それよりあそこにいるぺーやんも連れ出してくれた方が助かる」
「……アレに声掛けんのは無理だわ」

 三ツ谷の言葉にに差し向けていた視線をぺーやんへ戻す。ここに来てからずっと安田さんにボロクソに言われてるぺーやんが慌てふためく様を遠目に見つめながら息を吐いた。
 ここに来たことを邪魔しに来るなと責められるならまだしも、生活態度や服装に至るまで文句を言われているぺーやんは、教師に指導されたとき以上に縮み上がっている。あんな状態の場に突撃したらオレまで安田さんに怒られちゃうかもしれないし、さすがに近寄りたくはない。

「ぺーやんのやつ、よく我慢できるよなぁ……」
「ん? そうだな。なんだかんだ言って優しいからな、ぺーやんは」

 感心したように呟けば、三ツ谷も頷いて同意する。三ツ谷の言うとおり、ぺーやんは見てくれの通りのガラの悪いところもあるが、面倒見は良いし情に厚いやつだ。安田さんに対しても、入学当初は威嚇していたけれど部活勧誘の時に泣かしてしまった負い目からか、文句を言い返すようなこともなくなった。
 ――だからって、あぁもいいように言われっぱなしなのもまた違う気もするけどな。
 オレなら心が折れてしまうか、逆ギレしてしまいそうな状況を傍目から眺めていると三ツ谷が再びミシンを動かし始めた。それに合わせて席を立つと、さっき入ってきた場所とは反対のドアから出て家庭科室を後にする。
 廊下に出たオレは、とりあえず昇降口に向かって足を進めながらもこれからどこに向かうかを考えた。
 飲み物を買うだけなら自販機でもいいけれど、小腹も空いたしついでにコンビニに行ってお菓子でも買おうかな。でもポテトチップスを食べてると布にクズや油がつくって三ツ谷がキレんだよなぁ。
 わざと落としたり布で指を拭いたりもしねぇのに、いちいち三ツ谷は血相を変えて注意してくる。おっかねぇけど、そういう細かいところが三ツ谷らしさでもあるんだよな。
 でも今のオレが食べたいのは甘いものよりしょっぱいものだし、飴やチョコを食べたところでまた後で買いに行きたいと思うに決まっている。
 ――よし、じゃがりこにしよう。
 比較的、ゴミが散らばりにくいはずのお菓子を頭に思い浮かべたオレは、ポケットに入れた財布の中身を確認しながら廊下を歩く。じゃがりことジュースを買ってもおつりが来る程度のお小遣いが入っているのを確認し、うん、とひとつ頭を揺らした。
 じゃがりこなら作業に集中してるにも食わせやすいし、なによりも気に入っているから喜んでくれるはずだ。
 そう確信したオレは、階段を降りきると家庭科室のある別棟から本校舎へ戻るべく渡り廊下を通り抜けようとした。だが、昇降口前にある三段程度の階段を上がる直前、近くに設置された水飲み場の周りに数名の人影が集まっているのに気付き、思わず足を止めた。
 目を凝らして見れば、ぺーやんの周りでたまに見かける三人組が小さいガキを取り囲んでなにやら文句を言っているようだった。物々しい雰囲気にどこか不穏な空気を感じ取ったオレは咄嗟に廊下の端に身を潜め、やつらの動向を伺う。
 ――じゃれあってるだけならいいけどよ。もし、いじめだったら助けてやんねぇとな。
 そう思いながら状況を見守っていると、その中で一番背の高い男が一番背の低い男を小突き始めた。

「態度デケェんだよ、オマエ。チビのくせに」
「そのチビに三人がかりってのもどうよ? 図体ばっかりデカくても肝っ玉が小さいんじゃ話になんないって」
「アァ?! テメェ、舐めてンのかよッ!」
 
 ガンを飛ばす大男に果敢にも言い返すチビに、思わず「おぉ……」と感嘆の息を吐く。体格はともかく、度胸と口の悪さは負けてない。だが、臆することなく応戦するチビに感心したのも束の間、正面きって煽られた大男はチビの胸ぐらを掴むとそのまま殴りかかる。まともに頬に入った一撃に、簡単にチビは吹っ飛んだ。

「オラァッ! 見たか、ッ! オイ、オマエらもやっちまえッ!」

 一発殴って終わるなら見逃すつもりだった。だが、後ろに控えていた男子ふたりまでもが参戦しようと前に踏み出したのが目に入ると黙ってなんていられなかった。

「オイッ! 弱いものイジメは――」
「ハーイ! 正当防衛成立ッ!!」

 その場に似つかわしくないほど喜色に富んだ声が響く。駆け寄ろうとした足が反射的に止まったのは、つい先程、殴られたはずのチビの声だと気付いたからだった。

「アァッ? なにが正当防衛だぁッ?! ここから先は一方的な殺戮だッ! イキってんじゃねぇぞ、コラ!」
 
 足を止めたオレとは違い、チビの正面に立つ三人の勢いは止まらない。特に一度チビを殴ったことで勢いづいたらしい大男は完全に頭に血が上っているようだった。
 倒れたチビに2発目を食らわそうとでも考えたのだろう。チビを大股で跨いだ大男は、もう一度胸ぐらを掴むべくニヤニヤと笑って手を伸ばす。だがそのニヤつきは、大男だけのものではなかった。
 倒れ込んだのを逆手に取ったチビは、地面に両手をついたまま片足を胸元へ引き寄せ、そのまま前に突き出した。勢いよく放たれた蹴りは、目の前に立つ大男の股間を思い切り貫く。

「――ッ!!」

 悲鳴さえあげれずに悶絶した大男は、蹴られた箇所を両手で押さえながらその場に膝を突き、そのまま横に倒れた。
 一瞬で訪れた静寂に、オレも倒れた男の仲間たちも固唾を飲んで立ち尽くす。一様に注がれた視線を屁でもないと感じているらしいチビだけが、平然と笑っていた。
 ――オ、オマエ……男同士でそれは無いだろ。
 傍目から見ているだけのオレでさえヒュンとなる光景に挟もうとした言葉が霧散する。なんか聞こえちゃいけない音も聞こえたような気がするし、アレは、絶対ヤバイヤツだ。
 絶句したまま、ぎこちなく視線を転じる。大男の後ろに控えていたヤツらも容赦ない攻撃を目の当たりにすればさすがに勢いが削がれたらしく、踏み出したはずの足をその場に縫いとどめているのが目に入った。
 ひとり元気なチビはニタリと口角を上げ、蹴り上げた勢いのまま軽やかに飛び起きる。大男のそばに呆然と立っていたひとりに狙いを定めると、そいつの顎を目掛けて拳を振り抜いた。衝撃で脳が揺れたのだろう。白目を剥いたそいつは大男に重なるようにその場に倒れ込む。

「ヤ、ヤベェわコイツ……」
 
 仲間ふたりが倒されたことに完璧に戦意を失ったらしい最後のひとりが逃げようと背中を見せた途端、チビはその膝裏を目掛けて蹴りを放つ。まともに正面から転んだ相手を蹴ってひっくり返したチビは、そいつの胸元に腰を下ろしマウントを取るとにやりと笑った。

「おーい。先に手を出したのはそっちじゃん? ……逃げんなよッ!」

 その宣言と同時にチビは相手の顔面目掛けて拳を振り下ろす。的確に左頬だけを殴り続ける徹底ぶりに唖然としたものの、これ以上、放置するのも良くない。我に返ったオレは、チビに近付くと次の攻撃を仕掛けるべく振りかぶられた腕を押さえた。

「……なぁ、もうその辺にしておけよ」

 突然、声をかけられたことに驚いたのだろう。険しい目つきのまま顔を上げたチビは、オレと視線を合わせた途端に目を丸くする。肘の内側でチビの腕を挟んだまま揺さぶると、ぱちぱちと目を瞬かせたチビはそっと息を吐きだした。

「そうですね。もう反撃されないでしょうし、そうします」

 気を失った相手を見下ろしたチビは、意外にも素直にこくりと頷いた。それを見届けたオレが腕を解放すると、倒れた男の上からひょいと足を上げたチビは「よいしょっ」と掛け声とともに立ち上がる。身体の周りについた砂をパタパタと払うチビの顔を見下ろし、ひとつ溜息を吐いた。
 初っ端で大男に殴られたはずの左頬には古い傷しかついていない。その代わり、まだ新しい学ランの腕周りに真新しい汚れがついている。どうやらあの殴られる瞬間に、反射的に腕を挟んでガードしたらしいと知るにはそれで十分だった。

「大丈夫か……って聞くまでもねぇな」
「はい、平気ですよ」

 事もなげに答えたチビは腕周りについている砂を払うと、今度は尻や背中についた汚れを落とし始めた。倒れた相手に気を払う素振りひとつ見せず砂を振り掛ける行動に「……おぉ」と言葉をこぼしてしまう。
 合わない視線を追いかけるのもおかしな気がして「そうか」と返すと改めてその場を視界に収めた。
 男三人が転がっている光景は別に珍しくもなんともない。それでもオレがやったのではなく、このチビが引き起こした現場だと思うと惨憺たる有様のように思えた。
 ――でも、自業自得ってやつだしな。
 オレは話したことないけれど、コイツらはぺーやんの知り合いっぽいし、本来ならぺーやんの兄貴分であるオレが仇を討つのが筋ってモンだろう。だけど、一対一ならともかく三対一で仕掛けた上で返り討ちにされたのを目の当たりにすると、どうもそういう気分にならない。むしろコイツらに非があるとさえ思えた。
 喧嘩はタイマンか、同じくらいの人数でやり合うかのどちらかだ。大勢でひとりを殴るのは好きじゃない。そんな信条がオレの根底にある以上、このチビの制裁に加担するわけにはいかなかった。
 ――っつーか、本当はコイツを庇うために飛び出すつもりだったんだけど、ひとりで倒しちまうんだもんな。
 ひととおり周囲を見渡した後、再びチビへと視線を落とす。涼しい顔をして泥を落とすこのチビが、ひとりで三人を退けたのかと思うと「やるじゃん」なんて感心してしまう。
 オレの出る幕がないどころか、コイツのやり口にドン引きすることしか出来なかったし、果ては殴るのをヤメロと仲裁にまで入った。助けるなんて、とんでもねぇや。
 じっと見下ろしたままでいると、オレの視線に気がついたのかチビがこちらを振り仰いだ。そいつはオレと目が合うと一瞬目を丸くしたが、すぐにイタズラっぽく目を三日月の形にする。

「ねぇ、弱いモノいじめに見えました?」

 そいつの言葉に思わず目を瞠る。聞こえていたのかと驚くと同時に、助けが入るのを察知しながらも三人相手に挑んだのかと呆気に取られた。
 こんなチビがよってたかって殴られているのかと心配した自分がバカみたいじゃねぇか。見くびってしまったけど、紛れもなくコイツがひとりで退けたんだ。弱いヤツとはとてもじゃないが言えなかった。

「――いや、見えなかった。ただの喧嘩だったワ」
「でしょ?」

 喧嘩と呼ぶには少しばかり一方的すぎた。それどころかオレが想定していたモノとは真逆の展開を見せられた。
 ――始めから、侮るべきでは無かった。
 反省に似た気持ちと共に弱いモノいじめなんかじゃないと伝えれば、そいつは誇らしげに笑う。元々の幼さも合わさったせいもあるんだろう。細められた目のやわらかさから生まれたあどけなさに、思わず面食らってしまう。
 ――まだランドセルを背負ってる方が似合いそうなもんなのにな。
 褒められたことを素直に喜ぶこどものような笑い方に苦笑すると、そいつは不思議そうに首を傾げる。その仕草さえも幼さに輪をかける一因となり、今度は肩を揺らして笑った。

「悪ぃ、変な意味じゃねぇから」
「そうッスか? まぁ、別に気にはしませんが……」

 くつくつと笑うオレを見上げたチビは傾けた頭を戻しながらもオレから視線を離さない。
 困惑に塗れているのだと言わんばかりに下がりきった眉尻は、幼さのほかに人の良さまで連れてきた。ついさっきまで容赦なく喧嘩をしていた人物像とあまりにもかけ離れすぎていて、また唇から笑い声を漏らしてしまう。
 ひとしきり笑ったオレはまだ滲みそうになる笑い声を溜息ひとつ挟むことで封じると、改めてチビに向かい合う。

「――それじゃ、オレ行くワ。オマエも仕返しされる前にどっか行った方がいいぜ」
「そうですね。……それじゃ、さよなら」
「オゥ、じゃあな」

 軽く頭を揺らしたそいつは、くるりとこちらに背中を向けると脇目も振らずに駆け出した。言われたとおり〝逃げているのだ〟と言わんばかりの後ろ姿に思わず苦笑する。
 ――変なヤツ。
 遠ざかる背中をぼんやりと見送っていると、十数メートルほど離れた場所で立ち止まったチビはきゅっと口角を上げてこちらを振り返った。

「あっ、そうだ! さっきは助けようとしてくださって、ありがとうございました!」

 嬉しそうな顔をして素直に感謝を伝えてきたそいつは、ペコッと頭を下げるとこちらに向かってひらひらと手のひらを振ってくる。それに返すように片手を上げて応えると、ニッと笑ったチビは今度こそ走り去っていった。

「――なんだ、アイツ。変なの」

 さっきは心の中で思うに留めていた言葉がこぼれ落ちる。ほんのりと緩んだ口元はそのままに、オレもまた踵を返してコンビニを目指して歩き出した。じゃがりことジュース。買いたい物を頭に浮かべてみたものの、すぐにさっきの喧嘩が脳裏に割り込んでくる。
 あのチビは、自分よりも体格のいい三人を前にしても怯むどころか返り討ちにしやがった。相手の反撃を許さないやり口を「おっかねぇな」と思うと同時に、骨のある男だと思った。
 なのに喧嘩が終わった途端、あの顔だ。しかもちゃんと助けたわけでもねぇのにお礼まで言ってきてさ。
 受けたばかりの印象を360度覆すギャップに、さっきから驚かされてばっかりだ。

「……ホント、変わったヤツだ」

 またしてもこぼれ落ちたひとりごとに、自然と口角が上がる。くすぐったいような感覚は、今年の一年にも見所のあるヤツがいるのを知った喜びに満ちていた。

「……そういや、名前を聞くの忘れたな」

 ふと、今のチビに関する情報をなにひとつ持っていないことに気がついた。反射的に背後を振り返ったがすでにチビの姿はなく、アイツがやっつけた三人がまだ地面に横たわっているだけだった。
 釈然としない心地に、ほんの少しだけ下唇が突き出たのを感じ取る。新入生が入ってきて一ヶ月くらい経ったし、ある程度強いやつのウワサは中学に入学してくる前から聞いていたがあんなチビの話は耳にしたことが無かった。
 顔以外の情報が無いと気付くと、なんとなく知っておきたいような気になった。だけど今からどこに行ったかわからないアイツを追いかけるのも面倒だし、わざわざ聞いて回るほどの興味が芽生えたわけでもない。
 ――まぁ同じ学校だし、本当に強いヤツなら、いつかまた会うだろう。
 そんな予感と共に気持ちを切り替えると、コンビニに向かうべく踵を返してその場を去った。



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