林05:たんたんと続いてく02

たんたんと続いてく 02


 あの後、教室から出てきた三ツ谷と合わせて3人で一緒に帰ったものの、やはりまっすぐ家に帰る気にはなれなかった。三ツ谷と別れた後も燻る気持ちは晴れなくて、湧き上がる違和感に唇の先は尖ったままだ。
 来た道を戻るのも癪だ。だがこのまま帰りたくもない。そう正直に打ち明ければ「じゃあどっかで遊んでいこうぜ」とパーちんは笑った。
 どう足掻いても埋まらない〝あとひとり〟から目を逸らしたままパーちんとふたりでコンビニやらゲーセンやら当てもなくブラついていると、いつの間にか空は真っ暗になっていた。

「なぁ、腹も減ったしそろそろ帰んねぇ?」
「オゥ、そーだな」

 ついさっき肉まん食ってたはずのパーちんが腹をさするのを横目にケータイをポケットから取り出した。示す時刻は18時15分。いつもの帰宅時間よりも随分と遅い時間を目の当たりにすると「さすがに解散しないとな」と思えた。
 念のため、ケータイを操作しからメールが来てないかを確認する。だがメールボックスに入っていたのは何日か前の授業中にふざけて送ったメールに対する返信が最後で、「今から帰る」なんてお迎え要請は入っていなかった。
 ――まだ遊んでんのか? それともとっくに帰ったのか?
 が無闇にその辺をフラフラするようなやつではないからこそ、今、何やってんのかまったく想像つかない。手芸部の女子の家に行くっつってたが、どの辺りなんだろうか。同じ学区内ならそんなに遠くねぇだろうし、呼ばれればすぐに迎えに行けるってのによ。
 言葉にならない唸り声が喉の奥から滲み出す。その声音を聞き咎めたのか、隣を歩くパーちんは怪訝そうにこちらを見上げた。
 
「どーした? ぺーやん」
「ア? からメール来てねぇなって思ってよ。遅くなるなら連絡しろよっつったのに。ったくよー」

 愚痴まじりでぼやいてみせればパーちんもまたポケットからケータイを取り出した。

「あー……、オレにも来てねぇなぁ」
「マジかよ。ったくホントあのバカ……」

 今の時点でパーちんにも連絡を寄越してないとなると、おそらくこのまま待ったところでの連絡は来ないはずだ。近所のスーパーに買い物に行くくらいならどうってことないんだが、自分の知らない場所をこんな遅い時間に歩いているのではと考えるといやに胸の奥が詰まる。

「……大丈夫かな、

 ぽつりと零されたパーちんの言葉に思わず目を見開く。ドキリと心臓が締め付けられるような感覚を抱えたままパーちんを振り返ったが、思いのほか混乱に叩き落とされてしまったようで安易に言葉を紡ぐことが出来ない。
 随分と情けない顔をしていたのだろう。こちらを見上げたパーちんは慌てたように手のひらを振った。

「や、大丈夫かなってのは別に変な意味じゃねぇからな!」
「……変な、って」
「悪ぃ! オレが言い間違えた! 大丈夫からぺーやん! そんな顔すんな!」

 またもや言葉を失ったオレをパーちんは心配そうな顔で見上げた。泣きそうなほどきゅっと眉間を寄せたパーちんを見下ろしていると、どうしようもない感情が膨れ上がる。奥歯を噛みしめても堪えきれない嫌悪感の行き場がないまま、ぎゅっと強く拳を握った。
 多分――いや、きっとオレもパーちんも同じ敵を頭に浮かべている。

 一昨年くらいから始まったへのストーカー行為をするふたつ上の男。アイツに追われたせいでは中学入学直前に歩道橋から落ちて足を折るはめになった。オレとパーちんで二度と近付くなとボコボコにしてやったが、アイツは最後までうんとは言わなかった。
 あの野郎は今もまだを追っているかもしれない。そんな一抹の不安を覚えれば「最近はまったく見なくなったから諦めたはずだ」などと楽観視するわけにはいかなかった。
 ――あぁ、これか。
 学校でに一緒に帰らないと言われたときの違和感を思い出す。別に一緒に帰らなくたって問題ないはずなのにあんなにも抗った理由にようやく納得できた。他にともだちが出来たら寂しい、なんて生やさしい理由じゃない。またストーカーが目を光らせているんじゃないかと腹の底で心配していたせいだったんだ。
 一緒にいないと心配で死にそうになるくらいなら、やっぱりひとりにさせるべきではなかった。オレらの目の黒いうちはもう二度とに手出しさせはしないと心に決めたからには極力そばにいたいと思っている。だが、今ここにがいない以上、いくら考えたところで何もかも無駄なだけだ。
 自然と顰められていた顔を取り繕うべく頬を手の甲でこすると、いまだ心配そうにこちらを見ていたパーちんに向き直る。

「……に電話してみるわ」
「! そっ、そうだな! そうしろよ! オレ待ってっから!」

 がなにかヤバい目に遭ってたら絶対にパーちんの助けが必要だ。だったらパーちんと別れる前に確かめた方がいい。そんな思いで宣言すれば、パーちんは何度も首を縦に振ってくれた。
 落ち着かない心臓を抱えたままの番号を呼び出しケータイを耳にあてがった。規則正しい呼び出し音が重なるに連れて、いやでも緊張が高まっていく。
 膨れ上がる不安に内臓が全部押しつぶされてしまいそうだ。焦燥を御しきれず、固唾を呑んで見守るパーちんに縋るように視線を差し向ける。出ないのか、と唇の動きだけで問いかけられるときつく眉根が寄った。
 肯定の意を示すべく頷きかけた。その瞬間、不意に呼び出し音が消える。電話が繋がったのを知ると同時に安堵と不安の両方が押し寄せてくる。
 誰が出る。ちゃんとが出るんだろうか。ぎゅっと強く瞑目し、次に聞こえてくるはずの声を待つ。

「……良平?」

 の声だ。そう気付いた途端、全身に安堵が駆け抜ける。脱力したのが傍目から見てもわかったのだろう。が無事だと伝えるよりも先にパーちんは「よかったー」とその場に腰を落とした。

「どうしたの?」
! オマエ、今どこにいんだよ!」

 思った以上に大きな声が出た。通りすがりのヤツらがこちらをちらりと振り返ったのが視界の端に映ったが、いつもみたいに睨み返さずの声に集中する。

「え、今? 公園の近く歩いてるけど……」
「ハァ!? 何してんだよ!」
「何って……普通に帰ってる」
「オマエッ……ちょっとコンビニかどっかにいろよ! 迎え行くから!」
「え? 他の子もいるからいいよ」
「いいから! どっか着いたら連絡しろよ!」

 言いたいだけ言うと反論は聞かないまま電話を切った。腰を落としたままのパーちんに視線を落とせば、うなだれておおきく息を吐く姿が見てとれた。「パーちん」と呼びかければパーちんは下がりきった眉でこちらを振り仰いだ。

「今から迎えいくわ」
「オゥ。そうしろよ。っつーかオレもついてこーか?」
「いや、大丈夫だろ。まだほかの女子もいるらしいし」

 パーちんの家は公園とは反対に方向ある。腹減ってるパーちんを遠くまで連れ回すのはさすがにかわいそうだ。そんな思いと共に断りを入れると、パーちんは軽く頭を揺らした。

「わかった。けどヤバかったらすぐ電話しろよ」
「オウ」

 ん、とオレもまた頷けば、しゃがんだままだったパーちんがのっそりと立ち上がる。

「それにしても冷えんな。待たせんのもかわいそーだし早く行こうぜ」

 ぶるぶると肩を震わせたパーちんは耐えられないとばかりに手のひらで二の腕あたりをなでつける。そんな姿を見ているとこっちにまで寒さが伝染してくるようだった。またひとつ頭を揺らして公園へ足を差し向ける。歩き始めても寒そうに身体を震わせるパーちんは真っ白な溜息を吐きながら言葉を零した。

「あーぁ。後でポチの散歩にも行かないとだし風邪引かないといいなぁ」
「パーちんなら風邪菌入っても気付かねぇだろ。ってゆーかあのバカ犬の散歩なんて一日くらいサボってもいんじゃね?」
「ハァ?! そんなヒデェことできるわけねぇだろ! ポチが楽しみにしてんのに!」

 帰ったらすげぇ尻尾振って寄ってくるのだとか渾身の力で走る姿もかわいいのだとか。ポチの愛らしさをひたすら力説するパーちんの言葉を聞き流しながら帰り道を歩いていると、時折強い風が吹いた。冬の寒さに首を竦めると〝マフラーつけてくれば良かった〟と後悔が頭をよぎる。
 ――いつも忘れちまうんだよなぁ。
 起きた時にわかりやすいように、と椅子の背もたれにかけっぱなしにしているが、朝起きて目にしても顔を洗って鞄を掴んだころには忘れちまう。廊下で待ってるがマフラー巻いてんのを見て「あ、また忘れた」と気付く日々が毎日のように続いていた。
 今日もまた家の中に戻るのが面倒だと巻かずに登校したけれど、帰るのが遅くなる日はちゃんと巻いた方が良さそうだ。
 二月も中旬になると一段と寒さが増す。にマフラー貸してとちょっかいかけながら歩く朝も悪くはないが、風邪を引いちまっては面倒だ。
 どことなく水っぽくなった鼻を啜りながらパーちんと喋っていると、程なく別れ道へと差し掛かった。いつもならその辺に腰を落としてくっちゃべることが多いが、今日はを迎えに行くからそのままお開きにするほかない。

「じゃあなー、パーちん」
「オゥ。また明日なー」

 肩に引っかけた鞄を掲げながらパーちんに別れを告げると、とりあえずケータイを取り出した。から何かしらの連絡が来てないか確認したが、メールも電話も入ってない。
 ――まだ手芸部の連中と一緒にいんのか?
 どっかでしゃべってて盛り上がるまま連絡が出来ないってんなら許す。けどアイツの場合、素で「迎えに来てもらうの悪いから」とかわけわかんねぇ遠慮で帰ってそうだから油断ならない。
 ダメ押しのつもりで「今どこにいる」とメールを送り、ひとまず公園を目指すべく足を向けた。普段よりも幾分か早い歩調で歩みを進めていると、自然と息が弾む。吐く息の白さを横目に追えば、隣を誰も歩いていないことにいやでも気付かされる。
 いつもだったらパーちんと別れたあともが隣を歩いてるから気にならないが、無言の帰り道というのはどうも面白くない。ぽつんと立ってる街灯と時折走る車のヘッドライトしか灯りがない状況も手伝って、どうしても考えがマイナス方向へと突き進む。連絡が来なくてやきもきしているのも重なれば自然と唇の先が尖った。
 ――っつーかどこだよ、
 公園を通り過ぎてもからの連絡は来なかった。念のためとぐるりと公園内を一周回ったがひとっこひとりいやしねぇ。次の角を曲がったとこにあるコンビニにいなかったらまた電話して捕まえてやんねぇと。
 苛立ちが募るままにおおきく息を吐き出せば、目の前をまた白い塊が通り過ぎた。ぎゅっと眉根を寄せ、頭の裏をガシガシと掻く。湧き上がる怒りを静めようと振る舞ったところで一向に気は晴れない。
 ――やっぱりパーちんに着いてきてもらえばよかった。
 後悔が募るままに前方を睨み付けると、ふとウチの中学っぽい制服を着た女子が男と連れ立ってひょこひょこ歩く後ろ姿が見て取れる。車道側を歩く男の姿はもとより、黒いセーラー服は街灯のない場所に差し掛かるとその姿がほとんど見えなくなった。
 ――あの女子がならな。ちょっと歩き方とか似てっし。
 ぼうっとした視線で遠い背中を眺めた。最初は似ているだけかと思ったが、距離が近くなるにつれて受ける認識は変わってくる。
 歩き方もそうだが、髪色や長さ、身長の割に華奢な体つきなど、見れば見るほどにしか見えなくなった。首に巻いたマフラーの色や鞄につけた女子の好きそうなキーホルダーを目にすると疑念がさらに確信へ近付いていく。
 じろじろと様子を窺っていると、そいつは隣を歩く男子へ顔を向ける。その横顔が紛れもなくのものだと気付いた途端、足早な歩調が駆け足へと変わった。
 
「おい! ! コンビニ行けつったのになんでこんなとこ歩いてんだよ! 心配するだろ!」 
「え? ……あ、良平」

 名前を呼びながら駆け寄ると、ほんの少しだけ驚いたように目を見開いたがこちらを振り返った。寒いせいか頬や鼻先を真っ赤にしたが悪びれもなくオレに笑いかけてくる。その顔を目にすると、押し寄せる安堵に紛れてどうしようもない怒りと呆れが湧き上がってきた。
 ――このバカ! なにボケっと歩いてんだよ!
 文句のひとつでも言わないと気がすまない。だがそれより先に変な男に絡まれてるのなら守らなくては、と使命感が沸き起こる。 
 駆け寄る勢いのままにの腕を掴み、ひとまず隣の男から引き離そうと背中に隠した。だが向かいに立つ男の顔を目にした途端、叫びかけた言葉を飲み込んでしまう。

「よぉ、ぺーやん。どうしたんだよ慌てて」
「……って三ツ谷じゃねぇか!」

 暗くてまったく気がつかなかったが、の隣を歩いていたのは私服姿の三ツ谷だった。見慣れた制服や特攻服じゃ無いとはいえ、さすがにこの髪色が目に入らないなんてありえない。よっぽど余裕がなかったことに気付かされると同時にズカズカと乗り込んだ勢いが鳴りを潜め、その勢いのまま気持ちが怯んでしまう。そんなオレの変遷を目の当たりにした三ツ谷は目を細めて苦笑した。

さんのお迎え? だったらそんな心配そうな顔しなくても何もしてねぇよ」
「え。良平……、三ツ谷くんのこと疑ってるの?」
「バッカ! そんなんじゃねぇよ!」

 オレの背中から顔を出したが眉根を寄せてこちらを見上げる。反射的に庇ったとは言え、いつまでも三ツ谷から隠してるのもなんだか悪い気がしてぐいっとの手首を掴んで隣に並ばせる。

「暗くて見えなかったからよ。知らねぇ男にが絡まれてんのかと思っただけだ」

 見間違えたのだときっぱりと伝えると三ツ谷は「ふぅん?」と首を傾げた。片眉を上げた三ツ谷の思惑はまったく伝わってこない。普段から涼しい顔をしているから感情が見えないことも多かったが、最近三ツ谷が煮え切らない顔を見せる頻度が増えたように思える。
 オレも釣られて首を傾げると、もまた不思議そうな顔をして三ツ谷へと視線を向けたようだった。ふたり分の視線を受け止めた三ツ谷は今度は眉尻を下げて笑った。

「見間違えたとは言え、変な絡み方して悪かった」
「別に怒ったわけじゃねぇから。まぁ、ぺーやんが必死な形相で走ってきたのはちょっと笑えたけどな」
「ハァ? んな顔してねぇっつの!」
「そうなの?」

 ぐいっと頬を拭い表情を取り繕ったが、こちらを振り返ったの視線が離れない。間近に迫るデカい目から逃れるべくの目元を覆ったまま顔を遠ざけると手のひらの下で「うぅ」と呻き声が聞こえた。
 
「おいおい、あんまさんいじめんなって」
「ハ? いじめてねぇだろ」
「いじめられてる」
「アァ?!」
「ほら、さんもこう言ってるしぺーやんも早く手離してやんなって」
「……チッ」

 三ツ谷に言われるがままにから手を離したが、相変わらずはこっちをじろじろ見てきやがる。離れない視線がどうしてもいやでもう一度の目を塞ぐ。今度は手のひらを載せるだけに止めた。だがそんな軽い抵抗が通用するはずもなく、が下から腕を押しのけてしまえば簡単に振り払われる。
 性懲りも無くの視線がこちらに向けられてるのに気付けば自然と唇の先が尖った。

「なんだよ」
「別に何もないけど」
「なんもねぇならあんま見んな」
「ん」

 やけに素直に頷いたはオレから視線を外すと三ツ谷を振り返る。ありがとう、と口に出す代わりなんだろうか。が軽く三ツ谷へ向かって頭を下げると、三ツ谷もまた口元を緩めて頭を揺らした。
 微笑み合うふたりだけがなんだか楽しそうに見える。毒気の抜かれそうな光景をぼうっと眺めていたが、どうも納得いかない。そもそも元はと言えば三ツ谷が「オレが変な顔してた」なんて言い出したのをきっかけにがこっちに興味を持ったせいだ。むしろからかわれたのはオレじゃねぇのかと気付いたが、すでに蒸し返すタイミングを失っているのだと気付けば唸り声をあげるほかなかった。
 
「まぁいいや。ありがとな。見張っててくれて」
「いや別にぺーやんのためじゃねえし」

 からかわれたことに釈然としない心地は残っているが、の傍にいたのが三ツ谷で助かったのは本心だ。だが素直に礼を言うオレに対し、三ツ谷は相変わらず苦笑を返すだけだった。

「助かったっつってんだから素直にどういたしましてでいいだろ、そこは」

 やけに煮え切らない態度を見せる三ツ谷に反論すると、三ツ谷は後ろ頭を掻きながら軽く頭を傾けた。

「だからぺーやんに礼を言われる筋合いねぇんだって。さすがにこんな遅い時間にさんをひとりで待たせらんなかっただけから」
「ハァ?」
 
 三ツ谷の言葉に思わず声を上げると、隣でがピクリと肩を震わせた。反射的にを振り返ったがついさっきまでこっちを見上げていた視線が外されていることに気付く。頭を傾けの顔を覗き込んだが、は顔を青くしてオレから視線を逸らすだけだった。

「オマエ……。さっきほかの女子といるつってたじゃねぇか」
「や……ちゃんといたけど」
「オイ、こっち向け!」
「うぅ……」

 左手を伸ばし両頬を掴んで顔を上げさせればきゅっと眉根を寄せた表情が現れた。気まずさを前面に押し出すの視線は面白いほどに揺れている。合わない視線を捕まえようとさらに顔を近付ければ、ようやく観念したんだろう。眉尻を下げたが唸り声混じりで言い訳を口にする。
 
「だって、その、良平を待ってたら遅くなっちゃうし……もう暗いし……一緒に待ってもらうの悪いなって……」
「だから暗くなったらオマエも危ねぇっつってんだろ!」

 その言葉、そっくりそのままに返してやりたい。遅いし暗くて危ないから、オレが迎えにいくつってんのにこの期に及んで何を言うんだコイツは。
 手芸部でなくとも他のダチん家に遊びにいくってんならそいつん家を出る前にでもオレに連絡を寄越せばひとりになる前に向かえに行ったっていい。こっちにはそのくらいの心構えはあるというのに、当のには全然その気が無いのが目に見えていて余計に腹が立った。

「ぺーやん。そんなにさん責めなくていいだろ。オレが合流したときはちゃんと他の子もいたよ」
「責めてねぇよ! 心配してんだよ!」
「あぁ、そう……。心配ね」

 的はずれな指摘でを庇う三ツ谷に大声で言い返す。面食らったような顔をした三ツ谷は歯切れの悪い受け答えを残すとこちらに差し向けていた視線を外した。
 三ツ谷に差し向けた視線をに戻せば、いまだ揺れる瞳が目に入る。オレの剣幕にビビるはオレが怒ってるのは理解しながらも、必要以上に凄まれる理由まではまったくわかってないようだった。
 ――の場合〝何かあったら〟が、シャレにならないから迎えにいくっつってるのによ。
 が無事かどうか心配でパーちんにまで相談した。そんなオレらの動揺なんて知るかとばかりに平然と暗い夜道を歩くを見ていると、あんなにも頭を悩ませたことが途端に馬鹿らしくなってくる。
 相変わらず合わない視線を揺らし続けるを睨み付ける。鋭い視線を差し向けたところで響かないとはわかっていたが、湧き上がる怒りはそう簡単には鎮まりそうもなかった。
 いっそのこと「あまり遅くに出歩いているとまた変なヤツが家までついて来るぜ」と脅してやろうか。過去の事件を引き合いに出すのはあまりにもタチが悪いから言わないけれど、そんな乱暴な考えが頭を過るほど腹は立っていた。
 大体、例のストーカー以外にも、に目をつけそうな連中はいくらでも想像つく。ガキのころから一緒にいるからこそ、ちょっと調べればがオレらの幼馴染であると簡単に知られちまう。
 中学入学直後まで通っていた〝代々木のW林〟の肩書きよりも、最近では東卍の名前が通るようになってきた。下っ端連中ならそう簡単に手出しはしてこねぇだろうけど、逆にオレらに恨みを持った連中から襲われかねない。
だからこそ、が酷い目に遭わないようになるべく一緒にいようとしているのに、当のがつまんねぇ遠慮でオレらをはねのける。「近いからいい」とか「寒いから悪い」だとか。そんなしょうもない理由で断られるのにはもううんざりだった。
 はピーピー泣くようなタマじゃない。だからこっちから聞かないと何にも気付けない。わざわざ気を回す方が楽じゃないといい加減学習しろっつの。

「オイ、
「う、うん」
「さっきから言ってっけど、マジでちゃんと連絡しろよ。どこにいても絶対ェ迎えいくから」

 色々と考えたけれど、これだけはマジで約束してもらわないと困る。その一点に絞ってに伝えたが、はぎこちない顔をしたまま頷くだけだった。
 ――本当にコイツは、わかったのかわかってねぇのかよくわかんねぇ顔しやがって。
 ひとつ溜息を吐き、近付けていた身体を離す。まだわかってねぇようなら何回でも言えばいいか。とりあえず今日はもう遅いし早く帰んねぇとその辺のやつにつまんねぇ絡まれ方したら面倒くさい。

「っつーか悪ぃな、三ツ谷。あとはオレでこのバカ連れて帰っから」
「ハイハイ。じゃあな、ぺーやん」
「オウ」
さんも、また明日」
「うん。バイバイ」

 表情を和らげた三ツ谷はひらひらと手を振り来た道を戻っていく。そういやアイツんちってたしか学校の近くだったよな。パーちん家なんか目じゃないほどに遠いくせにここまでを送ってくれたのかと思うと、もう少しまともに礼を言えばよかったと後悔が募った。
 唇の先を尖らせたまま三ツ谷の背を見つめていると、視線に気付いたのか三ツ谷は首を捻ってこちらを振り返る。肩にかけていた鞄を掲げて「じゃあな」と合図を送れば、苦笑を浮かべた三ツ谷もまた片手を上げた。
 そのまま帰り始めた三ツ谷の背から視線を外しに目を向けると、がじっと三ツ谷の背中を見送っていることに気付く。放っておけばそのままぼうっと眺めてそうな意識を戻すべく手の甲での腕を叩いた。
 
「じゃー、帰んぞ」
「うん」

 軽く頭を揺らしたと共に、オレらもまた家路についた。が隣に並ぶことでいつもの帰り道の風景が戻ってきたのだと実感する。慣れた距離感を取り戻すと同時に、と合流するまで肩に入っていた力がようやく抜けた気がした。

「すっかり遅くなっちまったな。オマエんちのおばちゃん怒んねぇのかよ」
「どうだろ……。一応帰りに友だちの家に行くって言っておいたけど」

 部活がある日よりも遅い帰りにオレ以上に親が心配するはずだ。そう思い尋ねてみればはさっきよりもきつく顔を顰めた。家にいるとごく稀にがおばちゃんに怒られているのが聞こえてくるが、うちの母ちゃんに勝るとも劣らない怒りっぷりだと記憶している。もちろんを心配しているのが大前提なんだが、あの剣幕を思えばできるだけ怒られたくないと思うのも仕方ないんだろう。 
 顔を顰めたまま「仕事から帰ってきてないなら助かる」とこぼすに「確かにな」とオレも頷いた。はともかく、オレでさえ帰りがちょっと遅くなっただけでも母ちゃんにどやされる。お互い苦労するよなぁ、なんて大仰に息を吐き出せば隣からまったく同じタイミングで溜息がこぼれた。

「良平は大丈夫?」
「あー……ちょっとは怒られんだろうけど……まぁオレは迎え行ったって言えばなんとかなるだろ」

 ヒヒと笑って思いついた言い訳を口にすれば、はぐるりとこちらを振り返る。ポカンと口を開けたままショックを受けたような顔をするは「えぇ……」と非難めいた声を上げた。
 
「それいいなぁ……。私も言ってみようかな」
「いやさすがに通用しねぇだろ」

 男のオレと女の。どう考えても迎えに行くなんて理由が使えるのはオレだけだ。

「じゃあスーパー行ってきたって言うのは?」
「制服では無理があんだろ。オマエいつも帰ったらすぐ着替えんじゃん」
「良平だって制服じゃない」
「オレはパーちんが遊び来てたけどに迎えこいって言われたからそのまま出たとでも言えばなんとでもなるんだよ」
「いいなぁ……」

 パーちんが遊び来てたとしても気にせず着替えるのだが、本当のことも混じっているので少しは信憑性があるだろう。とは言え、母親の帰宅が早ければその嘘も通用しない。こればっかりは神に祈るほかねぇなと結論づけると共にそっと息を吐き出した。

「そういやオマエさっき嘘吐いたのかよ」
「嘘って?」
「三ツ谷といるなんて言ってなかったじゃん」

 電話した時に三ツ谷もいると教えてくれれば合流するまであんなにやきもきしなかった。恨みがましい気持ちと共に横目で睨み付けるとは軽く頭を横に振る。

「電話した時はいなかったもん。その後、みんなでスーパー寄ったんだけど出たとこでちょうど三ツ谷くんと会ったから」
「あぁ。そういやアイツもなんか持ってたな」

 の手元に視線を落とせば見慣れたスーパーの袋が目に入る。同じように三ツ谷も大荷物を提げていたっけ。つい先程見た光景を脳裏に浮かべながら頷けばもまた軽く頭を揺らした。

「それで、途中まではみんなで一緒に帰ってたんだけどほかの子たちはあっちで、私だけこっちで……」

 空いた手であっち、こっちと示すの指先を目で追い、いつになく言葉を重ねるの横顔に視線を差し向ける。普段はボーッとした顔をしてるくせに、やけにハッキリとした顔つきのは傍目から見ても随分と機嫌良さそうに見えた。
 ――ちゃんと友だちがいたらこんな風に話すのか。
 の珍しい表情に、ふとそんな考えが頭をよぎった。同時に学校でパーちんが「に友だちができた」と嬉しそうに笑ったのも思い起こされる。いつかパーちんにも今のの顔を見せてやりてぇな。
 ――パーちんならきっと喜ぶんだろうなぁ。
 そんなことを考えながらの横顔を眺める。じっと視線を差し向けるオレには気付かないは手を引っ込め、鞄を持つ手に重ねるとまた口を開いた。

「でね、みんな待つよって言ってくれたんだけど、三ツ谷くんが遅くなると危ないから先に帰んなよって」
「あー……言いそうだな」
「良平が来るまでは一緒に帰ろって三ツ谷くんが言ってくれた」
「ったく……ホンット面倒見いいなぁ、アイツは」

 幼馴染のオレらが互いに気を遣うならともかく、三ツ谷はや手芸部の女子に対してもやたらと優しい。そのうえで妹やらオレらにも気を回すんだから面倒見がいいなんてもんじゃない。
 母ちゃんみてぇだな、なんて言うと三ツ谷は怒るだろう。だが並大抵の中坊では話にならないほど三ツ谷は情深いところがあった。

「だよね。三ツ谷くん、優しい」

 オレの言葉を受けたは、うん、と強く頭を縦に振る。の反応や言葉に、普段からオレの知らないところでがかなり三ツ谷に良くしてもらっているのだと窺い知れた。 

「で、手芸部の集まりは楽しかったのかよ?」

 わかりきった質問を投げかけてみれば、こちらを振り返ったがこの日一番、緩んだ表情を見せた。

「うん。今日は安田さん家に行ったんだけど、みんなでクッキー作った」
「お、マジか」

 パーちんが肉まん食ってる間、隣でコーヒーは飲んだがいくら甘くても腹が満たされるわけじゃない。クッキーくらいなら夕飯前に食べたって腹は膨れないだろう。そんな思惑と共に「くれよ」と手を差し出したが、は眉根を寄せるだけだった。

「え、土産は?」

 険しい視線に首を捻りながら問いかければ、は更に顔を顰めてみせた。
 
「ないけど⋯⋯」
「ねぇのかよ!」

 たっぷりの困惑と共に伝えられた真実に、差し出したばかりの手のひらを投げやりに引っ込める。
 わざわざクッキーを焼いたなんて知らせておきながら食わせてくれないのはちょっとひどくねぇか。焼いたそばからみんな食っちまったってのかよ。いつもなら卵焼きやらオムレツやら練習だと称しては作ったもんを頼まなくたってオレに寄越してくるのはのくせに。
 いつもと違う流れに止めどなく不満が押し寄せてくる。普段、寄越してくるのがおかずばっかで滅多にお菓子を作らないのを知っているからこそ尚更だった。
 ――オレがどっちかというと甘党だって知ってるくせに。
 恨みがましい視線を差し向けたところではどうせ「またなんか怒ってる」程度にしか思ってねぇんだろうな。そう思うと自然と溜息はこぼれた。
 今後、女子との集まりが増えていくと、たまに作ってたお菓子もこっちに回ってこなくなるんだろうか。の交友関係が広がるのは喜べても、どこか納得がいかなくてまたしても唇の先が尖り始める。が変わっていくのをこれから先、ずっと目の当たりにし続けるのだろう。そんな考えが頭を掠めれば、どこか寂しいような、腹立たしいような複雑な気持ちが沸き起こった。

「ねえ」
「ん?」

 短い呼びかけに振り返れば、ほんの少し困ったように眉根を寄せたと視線がかち合った。

「今からカップケーキ作るんだけど出来たら食べる?」
「は? 今から?」
「うん。さっきスーパー行ったのこれ買うためだし」
 
 そう言うと、は鞄と一緒に提げていたビニール袋をおもむろに掲げる。その手元に視線を向けると、ホットケーキミックスのパッケージがうっすらとビニール袋越しに見て取れた。
 ホットケーキミックス以外にもなにやら入っているようだったが、おそらくカップケーキに入れる材料なんだろう。今から作るというからには焼きたてのものが食える。そう思うとクッキーは無いと知らされたときに下がりきったテンションが簡単に跳ね上がった。
 
「マジ? じゃあ着替えたらそっち行くワ」
「そんなにすぐ出来ないから後でもいいよ?」
「どうせヒマだし母ちゃん帰ってきてたらワーワー言われっからよ」

 にも聞こえてるだろうが、オレもそこそこ母ちゃんに怒られている。家にいたってやれ買い物に行けだの部屋を片付けろだのどやされるだけだ。普段ならパーちんと別れた後は、廊下や階段でとしゃべって時間を潰すことが多いが、カップケーキ作るってんならんちに行くしかない。

「邪魔はしねぇからいいだろ?」
「良平を邪魔って思ったことないけど……いいの? あんまり相手できないかもだけど」
「いーよ。よし、じゃあ決まりな」

 この後の予定が決まったことにニッと笑みがこぼれる。そんなオレの表情を見たはほんのり口元を緩め、安心したように息を吐いた。

「……よかった」
「ん? 何がだよ」
「良平、今日ずっと機嫌悪かったみたいだったから」

 眉尻を下げたの言葉に思わず首を傾げる。機嫌が悪いなんて言われてもオレ自身にまったく身に覚えがなかった。そりゃ何回か怒鳴ったけど、そんなのオレにとってはいつも通りの、ってやつだ。
 
「別に機嫌悪くなかったろ」
「そう? 学校でも睨まれたし、さっき三ツ谷くんの前でも怒ってたから機嫌悪いのかなって思ったんだけど」

 困ったように眉根を寄せたの言葉にオレは長い溜息を吐きこぼす。はオレらほどはバカじゃねぇけどスゲェ鈍いところがある。たしかに学校でいきなり一緒に帰らないって言われた時は腹を立てたけど、それ以外はほとんど心配してただけだってのに。
 ――まったく伝わってねぇのもスゲェ空しいな。
 あれもこれも、と脳裏に浮かぶままに今日の帰り道、ずっとのことを考えていた自分の心境を思い返す。その全部を当のが知らないのは当然だ。だがそれにしても、まさかオレの機嫌が悪いと感じていただなんて知らされては怒りを通り越して力が抜けてしまう。
 ――ホンットコイツもバカなんだよなぁ。
 ぼうっとした顔でこっちを見上げるに呆れたと言わんばかりに目を細めたところで何も響かねぇんだろうな。
 とは言え、オレもバカの扱いや考え方には慣れている。だが、怒ってはなくても何も返さないのも癪だ。せめてもの反抗としてのデコを指先で突いた。

「?!」

 突然の暴力に声も出せないほどの驚きを見せたは荷物を持ってない方の手で額を隠した。二撃目に備えつつも非難の視線をこちらに差し向けるにオレはひとつ溜息を吐き出した。

「あのな、……。オマエ、いっつもひとりで帰ったりしねぇじゃん。オレらと一緒いるときは平気でもよ、頭おかしいやつが絡んでくること多いだろ?」

 例を挙げなくてもにの頭の中には数々の事案が頭の中をかけめぐっていることだろう。軽いナンパならまだしも、入学前には骨折事件なんて起こったんだ。オレやパーちんがには極力ひとりになってほしくないと願ってもなんらおかしくはない。
 
「だからまた変なやつに絡まれてんじゃねぇかって……その、気になっただけだっつの」
「そうなの?」
「そーだよ。ちゃんと言ったろ。心配したって」
「言われたかも……でも何もなかったよ」
「そっか」
「うん」
「じゃあ安心したワ」

 軽く口元を緩めながら目を細めた。そのままひとつ頭を揺らせば、は困ったような表情でガクンとうなだれた。
 
「ごめん。ちょっと誤解した」
「別にいーよ。あ、オマエ後でパーちんにも連絡しとけよ。パーちんもかなり心配してたからよ」
「パーくんならさっき電話掛かってきたから大丈夫だと思う」

 聞けば三ツ谷と一緒に帰ってる途中でパーちんから連絡があったらしい。三ツ谷が送ってくれるのだと伝えたら「よかったー!」と言われたと続けるに今日見たパーちんの笑顔が脳裏に浮かび上がった。
 
「ったく根回しいいなぁ、アイツ。バカなのに」
「パーくん、そういうとこしっかりしてるよね」

 ついさっきまではショック受けた顔してうなだれてたくせに、今じゃ機嫌良さそうに口元を緩めている。の笑った顔を横目に他愛もない話を重ねて歩いていると、程なくして自分たちの家についた。
 学校出るときは別だったのに、結局と一緒に階段をのぼっている。いつもの景色に安堵の息を吐けば、またひとつ目の前におおきな白い塊が浮かんだ。





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