Encounter 03

Another encounter 03


 その日を境に、オレはなんとなくあのチビを探すようになった。同じ学校の後輩。その程度の情報しか知らない相手だが、なんとなく、また会えるような気がしてならなかったからだ。
 とは言え、一年のクラスに押しかけ、男子全員並ばせて確認するほど積極的に探しているわけではない。
 例えば休み時間に廊下を歩いているときや階段を下りているとき、背格好の似た男子を見かければちらりと顔を確かめるような、気まぐれな探し方。それも思い出した時に確認するだけなので、オレの想像以上にあのチビに行き当たることは無かった。
 同じ学校とは言え、学年が違うと意外と会わないもんだな。そんな諦めがつく頃には、あのチビがどんな顔だったかもあやふやになっていた。

 ***

 結局、一度もチビと顔を合わせることも無く淡々と日々は流れ、その存在すらも朧気になった頃。玉砕覚悟で挑んだ中間試験は案の定華々しく散り、翌日からは補習三昧の放課後に突入した。
 そこそこ勉強している三ツ谷やが補習に参加しないのは仕方ねぇ。だけどオレ以上に勉強なんてロクにしてねぇはずのぺーやんまでもが補習をパスしているとなると「話が違う!」と暴れだしたい気持ちが湧いて出た。だが「勘が当たっただけだワ」と言うぺーやんに文句を言ったところで事態が良くなるはずもなく、おとなしく補習を受ける放課後ってやつを過ごしている。

「次、林田ー。ここの問題わかるかー?」
「えー……わかんねぇ。なぁ、先生。答え教えてよ」
「答えじゃなくて解き方を教えるから、ちゃんと覚えて帰るように。まずこの場合は……」

 教科書の何ページにある公式を使うのだと説明を始めた先生の背中を見つめたまま溜息を吐く。これを使うって教えてくれても試験の時は教科書見ちゃいけねぇじゃん。それに計算だって電卓を使っちゃいけねぇしまともに解かす気ねぇだろ、と内心で悪態をつく。
 ――そもそも数学なんて勉強したところで生きていくうえで役に立つとは思えねぇんだけどな。
 先生に聞かれたら泣かれちまいそうなことを頭に思い浮かべる。でも普段の生活に役立つものもあるってんなら、どんな時に使うのか教えて欲しいだけなんだ。あとは日常生活で「電卓を使うな」なんてシチュエーションはないんだから、そのあたりもうまいことさせてくんねぇかな。
 ブスっと唇を尖らせたまま、手にしたシャーペンでノートの端っこを叩く。
 ――あーぁ、つまんねぇな。せめてぺーやんたちがいたらこんなに退屈しないで済むのによ。
 幼馴染や友人の不在を嘆く気持ちが胸に過るといくらでも溜息はこぼれた。
 早く終わんねぇかな。そんな気持ちと共にちらりと黒板の上に取り付けられた時計を確認する。あと五分くらいで終わるかな、なんて少しは期待していたのだが、まだたっぷり補習の時間が残されていると知り、またもや重い溜息をこぼしてしまう。
 それと同時に隣から微かに視線を感じ、反射的に視線を転じる。目が合うか合わないか。ギリギリで交差し損ねた視線を留めれば、隣に座る男子は机の下に隠したケータイで何やらメールを打っているようだと見て取れた。
 そのままぐるりと教室の中を見渡せば、オレ同様に集中してるのかしてないのかあやふやな生徒たちの姿が目に入る。中には堂々とケータイをいじっているやつもいた。
 どうやら集中出来てないのはオレだけではないらしい。そう気付くと、ほんの少しだけ気が楽になった。
 肘を着いていた机から身体を起こし、椅子の背もたれに寄りかかる。ぼうっとした視線を黒板へ向けたまま教師の声を聞き流し、教室にいるヤツらの動きを目の端で追った。
 今日もまた、通常の授業が終わった後に集められたオレたちは、全員中間試験のデキがイマイチだった連中だ。同学年の選りすぐりのバカを集めたと言っても差支えのないメンバーたちは、一年の頃からの常連が多くいる。
 コイツらとはクラスが一緒になったことはないが、二年になった今ではそこそこ顔見知りになっているので休み時間に会えば挨拶や立ち話位することもある。
 だが、今は一応授業中で、人数も教室に半分くらいしかおらず先生の目が届きやすい。そんな状況ではさすがにべらべらとおしゃべり出来るはずも無く、おとなしく机に座って時間が過ぎるのを待つしか無かった。

「……林田、余所見していないで黒板を見なさい」
「オゥよ」
「返事はいいなぁ……。いや、素直なのはいいと思うぞ、先生は」

 小さく溜息を吐いた先生は、黒板へと向き直り教科書を片手にチョークで問題の解説を再開した。注意されちまったし、ちょっとは勉強してみるか。そう意気込んだオレは、つらつらと書かれていく文字を目で追いかけてみた。だが、この教室に入ってから一度も感じていない集中力が突然芽生えるはずも無く、ただ増える数字とアルファベットを見つめることしかできなかった。
 ――ダメだ、さっぱり意味がわかんねぇ。
 そもそも数学なのになんでアルファベットが出てくるのか。それさえよくわかってねぇのに、解説されたところで理解なんてできるわけがなかった。
 早々に諦めたオレは、黒板から窓の外へと視線を転じ空を眺めた。もうすぐ梅雨がやってくるとは思えないほどカラッとした空気が窓から流れてくる。
 青々とした空を見上げ、浮かんでいる雲の形がアイスクリームに似てんな、なんて考えながら補習をやり過ごしていると、ふと、地上を歩く陰が視界の端に映った。
 ――誰だ?
 軽く首を捻りながら目線を下げ、窓の下にある中庭をじっと見つめる。そこにある小さな人影を目にすると同時に思わず息を呑んだ。
 そこには、先日見かけたばかりのチビがいた。
 否、チビだけではない。あの時とはまた違う相手だが、見るからにガラの悪い男がチビの前を歩いていた。
 まるで仲が良さそうには見えないふたりは、中庭の空いたスペースで立ち止まると向かい合って何やら言い争いを始めたようだった。初めのうちは言葉の応酬だけだったようだが、そのうち、でかい方がチビの胸ぐらを掴んで怒鳴り始める。
 軽く宙に浮いたチビが何か反論したのだろう。男が拳を振り翳すと同時に、思わず立ち上がっていた。

「ど、どうした林田? ……なにかあったか?」

 突然立ち上がったオレに目を白黒させた先生は困惑の表情で教壇から降りてこちらに歩み寄ってくる。周囲の視線がこちらに向けられているのを肌で感じながらも意識は窓の外に釘付けだった。

「下で喧嘩がはじまった」
「……喧嘩だって? どこにいる?」

 険しい表情で窓の外を覗き込んだ先生に釣られるように、他のやつらも立ち上がって窓の外を見物しはじめる。オレもまた再び窓の外に注目したが、たった今、そこにいたはずのやつらが忽然と消えてしまっていることに気がついた。
 場所を移したのか、逃げたのか。一瞬、浮かび上がった考えは、植え込みから足が生えているのを見つけた瞬間に打ち消される。
 ――アレは、どっちだ? チビなのか。それともデカいほうのやつか?
 ここからは見えないが他の位置からは見えるだろうか。そう思い、席を離れて後方へと回ってみたが、上半身がすっぽり隠されてしまっているため判別はつかなかった。

「先生、あそこに人が倒れてんの見える?」
「? ……あぁ、本当だな」

 教室の前方へと向かいながら先生に指さしてみせると、そこで初めて倒れているヤツに気がついたらしく険しい表情を更に歪めた。

「なぁ、心配だから見に行ってもいいか?」
「うーん……そうだな。区切りもいいし、今日はここまでにするか……」
「サンキュ、先生! オレ行くワ!」
「あ! 待て、林田! 俺も行くから!」

 先生の許可が下りるよりも先に、オレは教室を飛び出していた。後ろからオレを呼ぶ声が聞こえてきたが、無視をして階段を駆け下りる。
 一階に着くと、下駄箱で靴に履き替える時間も惜しみ、そのまま外へ飛び出した。中庭へと辿り着くと同時に周囲に視線を見渡す。程なくして、教室から見えた植え込みに上半身を突っ込んだ男を発見した。
 一気に駆け下りてきたせいで滲む汗を手の甲で拭いながら近付いたが、その男はぴくりとも動かず地面に寝そべったままだった。
 ――もしかして、死んでンのか?
 ふと頭を過った考えにぞくりと肌が粟立った。その瞬間、うろ覚えだったはずのチビの顔が鮮明に脳裏に浮かび上がる。一瞬で肝が潰れるような心地に陥ったのは、チビの表情が死に顔で思い描かれたせいだった。

「オイ! 生きてるかッ?!」

 焦燥に駆られるままに植え込みを掻き分けて覗きこめば、チビとは似ても似つかない相手の顔が目に飛び込んでくる。
 ――違った。
 チビでは無かったと気付くと同時に、安堵の息がこぼれた。だが、目の前で人が倒れている事態には変わりないと気持ちを立て直し、相手の身体を揺すりながら声をかける。

「大丈夫か? オイ!」
「……ッ」

 左頬を腫らした男は、恐らくチビに殴られるか蹴られるかして脳震盪を起こしたのだろう。ぐったりとした様子ではあったが、微かに反応が返ってくる。そのことに胸を撫で下ろしつつも、根気よく声をかけた。

「おい、オマエ。大丈夫か?」
「……? は、林田くん……?! え、なんで……」

 うっすらと目を開いた男は、オレの顔を見るなり驚いた表情を浮かべた。どうやらコイツはオレのことを知っているらしいが、オレの方はまったく見覚えがない。もしかしたら東卍関係で顔を合わせたことがあるのかもしれないが、今はそれを思い出している場合ではないはずだ。

「上からオマエが倒れてるのが見えたからよ。……立てるか? 無理なら保健室まで連れて行くけど」
「ウッ……すみません……」
「いいから。ちょっと我慢しろよ」

 植え込みへと足を踏み入れると、男の脇の下から手を差し入れて肩を組むようにして立ち上がる。まだ足元がおぼつかないのか、ぐらつく相手を支えながら保健室を目指すべく足を踏み出した。

「林田! さっき言ってたのはその子か?!」

 校舎へ続く段差を上りかけたところで、正面の階段から補習担当の先生が駆け下りて来る姿が視界に入る。

「そーだよ。先生、コイツ頼むワ」
「あぁ。ここまで運んでくれてありがとうな、林田。教室はもう施錠してあるから直接家庭科室に行くといい。三ツ谷にお前の鞄を預けておいたよ」
「マジ? 気が利くじゃん」
「毎日のように〝手芸部ンとこ行くから早く終わってくれよ〟って言われちゃ覚えるだろ」
「いや、一日おきだって」

 ハハ、と笑った先生はオレの正面に立つとオレが支えていた男子を引き受けようと反対側の肩を組んだ。軽く力を抜いても男子が倒れないのを確認し、腕を引き抜く。そのまま家庭科室へ向かおうとすると力の無い声で「……林田くん」と聞こえてきた。くるりと背後を振り返ると、先生に肩を貸して貰った男子と目が合った。

「……本当にありがとう、ございました」
「気にすんなって。お大事にな」

 チビにやられた傷が相当痛かったのか、そいつは涙ぐんでオレを見つめていた。結局、コイツが誰かは思い出せなかったけれど、元気になるといいよな。
 ひとつ頭を揺らし「じゃあな」と手を振ったオレは、今度こそ家庭科室へと向かって階段を駆け上る。途中、一緒に補習を受けてたヤツと鉢合わせる度、すれ違いざまにバイバイと言い合っているうちに目的地である家庭科室へと辿り着いた。

「よー、三ツ谷。いるかー?」
「いるに決まってんだろ」

 扉をスライドさせながら声をかけると、呆れたような声が飛んでくる。声のした方へと視線を向ければ、つまんなそうな顔をしたぺーやんと視線がかちあった。今日は安田さんの許可が下りたのか、三ツ谷の隣にどっかりと座り込んだぺーやんは、いつものようにマッカン片手にの作業が終わるのを待っているようだ。
 オレもまたふたりの元へと歩み寄り、丸椅子を引っ張り出して腰を下ろすと、すかさずぺーやんに鞄を投げ渡される。

「数学のセンコーが置いてったぜ」
「お、サンキュ」

 受け取ったばかりの鞄を手近な机に放り投げると、ミシンと向き合っていた三ツ谷がチラリとこちらへ視線を向ける。

「それ、わざわざ先生がオレに預けにきたけど、何かあったのか? まさか教室に鞄を忘れて飛び出したなんてないだろ?」
「オゥ、補習受けてたら中庭で喧嘩がはじまってよ。そっちの様子を見に行ったんだよ」
「わざわざ下まで? 物好きなヤツだな」
「いや、わざわざっつーか、知ってるヤツが殴られそうになってたからよ。ほっとけねぇじゃん」

 喧嘩に巻き込まれたのか吹っかけたのかは知らないが、先に手を出したのはもうひとりの男だった。オレが目を離した隙にチビがぶっとばしちまったようだが、駆け下りるまでは「あのチビがやられたんじゃないかと」気が気じゃ無かった。

「へぇ。で、そいつは無事だったのかよ?」
「知らねぇ」
「ハァ?」

 マッカンを傾けながら口を挟んできたぺーやんに返事をするなりぺーやんも三ツ谷も顔を顰めた。なにやってんだよと言いたげな表情にムッと唇を尖らせたオレは、背もたれにしていた机に頬杖をついて反論する。

「だってそいつ勝っちまってたんだもん。オレが下に着いたときにはもういねぇしよ」
「あぁ、それじゃ助けようもねぇな」
「出遅れちまったな、パーちん!」

 肩を揺らして笑った三ツ谷とからかってくるぺーやんに釣られて、オレも思わず笑ってしまう。結局、ふたりの言うとおり、チビに微塵も影響が無いところでオレが勝手にあたふたしただけの、ただ、それだけの話。終わってみたらなんともしょうもない話だろうと自分でも呆れてしまう。それでも、自然と身体が動いたんだからしょうがない。
 別に感謝されたいだとか、また会いたいだなんて思ったわけじゃないけれど、「次は間に合ったらいいよな」なんてぼんやりと考えていた。




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