Encounter 04

Another encounter 04


 クソみたいな結果で終わった中間試験の補習が始まって半月はすぎた頃。カレンダーが6月になった途端、待ってましたとばかりに雨は降りはじめた。毎日のように雨が降ってはジメジメとした空気を校内に撒き散らしている状況に、自然と機嫌は悪くなる。
 イライラしてるオレの感情が移ったのか、それとも元からの性質なのか。その苛立ちはオレだけでなく、兄弟分のペーやんにも現れはじめる。
 放課後になってオレのクラスに迎えに来たぺーやんに、今日も補習だと告げると「またかよ!」と声を荒げたのがいい例だ。

「いつまであんだよ、その補習ってやつはよォ。さすがに長過ぎじゃねぇか?」
「仕方ねぇだろ。テスト全部赤点だったんだからよ」
「パーちんの脳みそマジ真空パック」
「バッカ、いきなり褒めんなよッ」

 薄っぺらい鞄を肩に引っ掛けたぺーやんが「ったくよー」とぼやきながら溜息を吐くのを横目に、オレも大きく息を吐き出した。
 ――オレだって補習はヤだっての。
 机の中に置きっぱなしの教科書の中から、補習に使う分を引っ張り出しながら唇を尖らせる。五教科全部の補習となると、月曜から金曜まで埋まってしまう。それが各3回ずつあるだけでほぼ1ヶ月分の放課後がダメになった。
 ぼやくオレらに「音楽や保健体育の補習がないだけマシだろ」と三ツ谷は言っていたが、そんな言葉で慰められるほどオレもぺーやんも大人ではない。

「チッ。あーぁ……今日もまたひとりでを待たねぇといけねぇじゃん……」
 
 ぺーやんの言うとおり、今日はの部活がある日だ。一日おきで行われる手芸部を待つのに慣れたとは言え、ひとりで待つのを億劫に思うのは痛いほどわかる。
 ――つっても「待ってらんねぇから帰る」とは言わないあたりぺーやんらしいよな。
 口では文句を言いつつも、ぺーやんがを置いて帰ることはない。そういうところはホント情に厚いと思う。

「いいじゃん。明日はもいるんだしよ」
「そういう問題じゃねぇっつの。今日の話をしてんだよ、オレは!」

 再び声を荒らげたぺーやんにムッと唇を尖らせる。待たせているのは自分とは言え、目の前で文句を叩きつけられては反論したくなるのが人の性ってやつだ。

「ひとりで待つのが嫌ならぺーやんも一緒に補習受けりゃいいじゃん。赤点じゃねえって言ってもギリギリだったろ?」
「ハァ? ヤダよ」
「ハアッ?! なんでだよ!」
「なんでじゃねぇよ。フツーにイヤだわ」

 キッパリとこちらの言い分をはねつけたぺーやんは、ちらりと黒板の上に取り付けられた時計に目をやると「っつーかそろそろ補習行かなくていいのかよ」と言ってくる。言われるままに時間を確認すると、すでに集合時間が過ぎていることに気がついた。これ以上遅れると補習担当の教師がこっちまで呼びに来かねない。

「おー。じゃあ、そろそろ行くわ」
「オゥ、オレもンとこ行ってくるワ。……チッ。気乗りしねぇな」

 心底鬱陶しそうに言うぺーやんは家庭科室に行く度に怒鳴りつけてくる安田さんのことを思い出しているのだろう。
 ――そんな態度を見せるくらいなら代わりに補習に出てくれたらいいのによ。
 教室を出てそれぞれの目的地に向かう直前、大仰に溜息を吐いたぺーやんを目にするとなおさら不満は募った。
 面白くねぇな。そんな感情を抱えたまま補習を受けたところで身につくはずもなく、先生の言葉が右から左に通り抜けていくだけだった。
 1時間弱に及ぶ補習の時間。黒板に並ぶ意味不明の英単語が呪文のように思えてならない中、最後に解かされた小テストも玉砕し来週以降の延長戦を言い渡された。

「あーぁ、うまくいかねぇなぁ……」

 あの後、英語の先生に延長は嫌だと訴えかけたが、「合格するまで頑張ろう」と一蹴された。また来週からも五教科全部の補習を受けなければならないのかと思うとそれだけで気が滅入るようだった。
 爽やかな笑みと共に放たれた先生のすげない返事に消沈したまま家庭科室へ向かう途中、別棟にある渡り廊下の先に人の影が目に入る。階段に座り込んだ相手が誰なのか。目を凝らして見てみれば、マッカンを片手に座り込んだぺーやんだと気がついた。

「ぺーやん!」

 歩み寄りながら声をかけると、ぺーやんはのろりと顔を上げる。いつもなら目が合えば歩み寄ってくるはずの相棒は、不機嫌そうな顔をしたままオレを一瞥すると「オゥ、パーちん」とだけ言い、また視線をあさっての方向へと投げ出した。

「どーしたんだよ。こんなとこで」
「あぁ? ……ちょっとな」

 ここから家庭科室までは目と鼻の先ってやつだ。もまだ部活中だってんなら三ツ谷と話でもしながら待ってればいいのにそれをしていないってことは――。
 頭に思い浮かんだ恒例行事に「また安田さんに締め出しを食らったのか」と問えば「違ェよ」と返ってきた。じゃあなんでこんなとこにいんだよ。
 いつになく煮え切らない態度を見せるぺーやんにオレは頭の上にクエスチョンマークを撒き散らしながら首を捻る。

「なんだよ、ぺーやん。元気ねぇな。心配事があるならちゃんと相談しろよ」
「あー……。オゥ、そーだな」

 オレの言葉に唸り声を上げたぺーやんは、後ろ頭をガシガシと掻いてひとつ溜息を吐き出した。何かを言いかけ、そして再び口を閉ざしてしまったぺーやんは何を躊躇っているんだろう。
 追い打ちで問い質したら「なんでもねぇよ」って言われそうな気がする。なんとなく肌で感じた直感を信じて、わけわかんないなりにぺーやんの言葉を待っていると、俯いたまま首の後ろに手を乗せたぺーやんがポツポツと言葉を零しはじめた。

「あー、そのよォ。……ちょっと前になるんだけどよ、後味の悪ィ喧嘩引き受けちまってよ」

 はぁ、と溜息を零すぺーやんは、手のひらを下げて顔を上げた。だがそれでも気分は落ちたままらしく、膝の上で頬杖をついてどこか遠くを眺めだす。
 反射的に何かあんのかと視線を追ったが、渡り廊下の先に異変を見つけるどころか人っ子一人目に入らない。腑に落ちない感情を抱えたままぺーやんを振り返れば、ぺーやんは相変わらず不機嫌そうな顔つきで遠くを睨んでいた。
 
「喧嘩って?」

 話の先を促せば、一口、マッカンを煽ったぺーやんは顔を顰めたまま口を開く。

「この前……中間試験の後だったかな。後輩が一方的にヤられたってんでお礼参りに行ったんだけどよ」
「おぅ」

 よく聞く出だしに相槌を打つ。ぺーやんも同じことを考えたらしく「それ自体は別にいいんだけどよ」と前置きし、顰めっ面のまま言葉を続けた。

「なんかその相手が変なやつでさ……。こっちが殴りかかろうかってのに、殴る直前で防御してた腕を下げやがったんだよ」
「ハァ? なんでだよ?」
「知らねぇよ。でもなんつーか……ワザとオレに殴らせたんじゃねぇかって思ってよ」
「ワザと殴らせる?」

 なんだか聞いたことがあるような話だな。つい最近、それに似た話を聞いたような聞かなかったような。
 すぐにはピンと来なくて首を捻っていると、そんなオレの行動に気付いてないペーやんがマッカンのプルタブを指先で引っ掻きながら言葉を続ける。

「変なやつだなって思ったけど、理由を聞こうにもソイツすぐに気ィ失っちまったから聞けずじまいでさ」
「まぁ、ぺーやんに殴られたんなら仕方ねぇだろ」

 端から手加減なんて出来ない男だ。きっと防御を解かれたと気付いたところで咄嗟に手を緩めるなんて出来なかったんだろう。
 思わず苦笑を浮かべるとぺーやんも釣られるように小さく笑う。だけど、それも一瞬の反応で、すぐに沈んだ表情に戻ったぺーやんは自嘲気味に肩を揺らした。

「そしたらさっき、ソイツがまたほかのやつと喧嘩してんのを見かけてよ。倒した相手に聞いてんだ。〝先輩を差し向けたのはオマエか?〟って」
「先輩ってのがペーやんってワケか?」
「多分な」

 眉間に皺を寄せたぺーやんにオレもまた唇をへの字に曲げる。喧嘩で負かした相手を探すなんてありふれた行動だ。ぺーやんが気にかける必要は無い。
 だがワザと殴られようとするようなヤツが自分を探しているのを見ちまったら、「あっそ」なんて流せるはずがない。ましてや「オレに何の用だよ」なんて乗り込むことも出来ないだろう。オレだって同じようなのを目撃したら確実に戸惑う。
 妙な確信を抱きつつも、顔を顰めたぺーやんに話の続きを促すべく言葉を投げかける。

「でもよ。そのくらいならよくある話じゃね? お礼参りのお礼参りっつーかよ」

 喧嘩で負かされた相手がおとなしく引き下がるのは再戦どころか顔を見るのさえ嫌になるほどコテンパンにやり込められた時くらいのもので、たいていのヤツらは仲間を引き連れてやり返しに来る。ちっぽけなきっかけで小競り合いが続き、いつの間にかデカい抗争が引き起こされるのなんてしょっちゅうだ。
 元を正せばその変なヤツにペーやんの後輩がヤられたってんならオレだって無関係ではいられない。相手の出方次第だが、ゆくゆくは〝東卍VSどこかのチーム〟だなんて事態が引き起こされる可能性だってある。
 オレと同じようなことをぺーやんも考えたのだろう。こちらに視線を転じ、深く頷いたぺーやんはまた視線を外しながら言葉を紡ぐ。

「あぁ、オレもそう思ったんだよ。喧嘩なんて売られりゃ応じるしかねぇもんな。だからソイツがオレを探してるってんなら、その喧嘩はもう買うしかねぇだろ?」

 ぺーやんの言葉に頷いてみせる。もしぶっ飛ばした相手がオレを探してるなんて知ったら、すぐに乗り込むはずだ。
 オレの反応を横目に確認したぺーやんはまたひとつ頭を揺らす。当然、そんな場面を目撃したぺーやんはソイツの望むとおりに喧嘩を買ったのだろう。半ば確信していたが、顰められたままのぺーやんの顔つきに、なんだか別の意味が隠されているように思えて口を挟むのを躊躇してしまう。
 戸惑うオレをよそに、唇を尖らせたぺーやんは訥々と言葉を続ける。

「ただ……ソイツが〝ひとりで喧嘩売りに来たのは最近じゃ先輩とお前くらいだ〟って言っててよ……」

 言葉尻を弱めたぺーやんは、再び膝頭に頬杖をつくと大きな溜息を吐き出した。

「そんなセリフ、大勢にぶちのめされんのに慣れてねぇと出てこねぇだろ?」
「言われてみればそうだな」

 ぺーやんの言葉にオレは深く頷いた。喧嘩を売られたら買う。そんなのはオレらにとっては当たり前のことだ。だからその変なヤツも喧嘩を売ってきたぺーやんを迎え撃ち、殴られるハメになったはずだ。
 だけど「ひとりで喧嘩を売られたのが珍しい」なんて言われては聞かされた内容の印象がガラリと変わる。もしかしたら、ソイツは集団で殴りかかられるのに慣れてしまっているのかもしれない。
 そんな不安がぺーやんの頭の中にも浮かんでいるのだろう。渋面が刻まれた横顔は、いつも以上に機嫌悪そうに見えた。

「それで、ひとつ思い出したことがあったんだよ。……そういや、オレに頼んできたのも三人組だったなって」

 躊躇いがちに続けられたぺーやんの言葉に、3対1で喧嘩をする時のメージを頭の中に思い描く。それと同時に鮮やかな声が脳裏に蘇った。

 ――ハーイ! 正当防衛成立ッ!

 やけに明るいその声は、随分前に耳にしたものだった。時間が経つに連れて、記憶の底に沈んでいったはずのものがぼんやりと浮かんでくると、同じ頃に三ツ谷と交わした会話までもが引っ張り出されてくる。

「……正当防衛ってやつかもしれねぇのか」
「ア? どーした、パーちんいきなり頭良くなりやがって。補習で脳ミソいじられたのか?」
「違ぇよ。前に三ツ谷に聞いたんだよ。人殴るときは殴られてからにしろってよ」
「アァ? そんな意味だったか?」

 眉根を寄せて首を捻るぺーやんはオレの言葉が信じられないとばかりに顔を顰めている。
 たしかにオレも言ってて「こんな意味だったか?」とは思ったけど仕方ねぇだろ。三ツ谷に解説してもらったのは結構前だし、いろんな補習を受けるうちに身につけた知識が押し出されちまったっておかしくねぇよ。

「別にいいじゃん。テストに出るわけじゃねぇんだしよ」
「そりゃそうだな」

 あっけらかんと受け入れたぺーやんはニッと歯を見せて笑った。だがその眉尻はいつも以上に下がったままで、さっきの話が気掛かりでしょうがないと雄弁に物語っていた。
 ――困ってるってんなら、なんとかしてやりてぇよな。
 眉根を寄せたまま視線をどこかにやったぺーやんが、元気ないままでいるのは調子が狂う。そう思い、少しは気が晴れたらと頭に浮かび上がった話題を口にする。

「そういやさ、三人組で思い出したんだけどよ。ちょっと前に、オレも面白いヤツと会って――」

 そう切り出した途端、ふと頭の中になにかがひらめきかけた。口を開けたまま動かなくなったオレを訝しんだのかぺーやんが「パーちん?」と声をかけてくる。
 
「……ちょっと待った」
「? オゥ」

 不思議そうな顔をしつつも口をつぐんだぺーやんに反応を返せないまま頭に浮かびかけた映像を追う。3対1の喧嘩なんて、いつどこで起こってもおかしくはない。珍しくも無い状況だと

 それでも、たった今、ぺーやんから聞いた話と例のチビを見たときの光景が重なったような気がした。

「……なぁ、ぺーやん。オマエが殴った相手ってこんくらいのチビ?」

 ハッキリとしたサイズ感を覚えてなくて胸の下くらいで手のひらを水平に動かす。こんなには小さくなかったかもしれない。そう思ったオレの心配が伝わったのだろう。ぺーやんは首を捻りながらオレを見上げた。 

「そこまでは小さくなかったけど……まぁ、チビだったな。目つきが悪ィけどまだ小学生のガキって言われた方が納得出来るようなヤツ」

 顔を顰めたぺーやんが口にした特徴は、オレが覚えているヤツの印象と似ていた。条件が揃うにつれて、仮定が確信へと近付いていく。

「……やっぱり、オレが知ってるヤツに似てるかも。なぁ、他に何か覚えてねぇか?」
「アァ? ……そーだな」
 
 かすかに唸り声をあげたぺーやんは、頬杖をついた手のひらを顎の下へと移動させ、指先で唇をリズミカルに叩きはじめる。そのまましばらく考え込んでいたようだが、結局は何も思いつかなかったようで諦めを含んだ溜息を吐きこぼした。

「ぱっと見、ガキくせぇなって思った以外は別に覚えてねぇなぁ――のことは」

 溜息交じりで紡がれた言葉を、一度は聞き流した。だけど、最後に付け加えられた名前を耳にした途端、時間が過ぎるにつれ朧気になっていたチビの笑った顔が鮮明に脳裏に浮かんだ。

「ソイツだ!」

 あの日、三人組の中で一番にチビに殴りかかった男は、たしかにチビのことを「」と呼んでいた。
 点と点が結びついたような感覚に、オレは思わずパチンと指を弾く。突然声高に叫ぶほどテンションを上げたオレとは裏腹に、ぺーやんは目を丸くしてオレを見上げていた。

「は? いきなりなんだよ、パーちん」
「オレ、ソイツに会ったことがあるんだよ」
「ハァ? なんでだよ、聞いてねぇぞ」

 困惑を露わにしたぺーやんは、頬杖をついていた手のひらから顔を浮かせる。軽くこちらへ身を乗り出したぺーやんに一歩近付いたオレは、覚えている限りをぺーやんに伝えた。
 コンビニに行く途中、チビ――が三人に絡まれていたこと。その三人が前にぺーやんと話してたのを見たことがあるヤツらだったこと。いじめかと思ってを助けようかと思ったがひとりでソイツらを倒したこと。そして、きっと、またどこかで会うんじゃないかと半ば確信していること。
 オレが見たままの光景を耳にするに連れ、ぺーやんの眉間のシワが深くなる。

「ぺーやんには言ってなかったっけ?」
「聞いてねぇよ……」

 うなだれた頭を手のひらで支えたペーやんはその横顔に苦悩をにじませる。オレの話と後輩がぺーやんに伝えた話。そのどちらを信じるべきか悩んでいるのか、それともすでに結論を出しているのか。
 ――これだけ暗い顔をしてんなら、後輩に騙されたって気付いたのかもな。
 が生意気言って怒らせたにしろ、三人で袋叩きにしようとしたぺーやんの後輩たちに非があるとオレは思う。それで負けたからってぺーやんに敵討ちを頼むなんて逆恨みもいいところだ。
 そんなこと、バカなオレでもわかる。

「アァー、マジか……。おかしいとは思ったんだよ……。クッソ」
「聞いた話と違ぇのはもう仕方ねぇだろ。殴っちまったんだからよ」

 喉の奥から唸り声を絞り出すぺーやんにフォローを入れてみたが、一向に響いた様子は無く、ぺーやんは力なく頭を下げたままだった。

「ちょっとに謝ってくるワ……。あー、っつーかその前に一応裏とんねぇとな。アイツらまだ残ってっかな……」

 ガシガシと後頭部を掻いたぺーやんは、立ち上がるや否や一年のクラスに向かって歩き始めた。いつになく落とされた肩に元気のなさがダイレクトに伝わってくる。

「オレもついてってやろーか?」
「いや、先に家庭科室に行っててくれ。が帰ろうとしてたら送ってくれたら助かる」
「待たなくていーの?」
「そんときは走って追いかけるからメールくれや」
「オゥ、わかった」

 じゃあな、と残してその場を後にしたぺーやんの背中を見送って、オレは家庭科室へと足を運んだ。

 ***

 結局、家庭科室で三ツ谷としゃべりながらの部活が終わるのを待っていたが、下校時刻になってもペーやんは戻ってこなかった。家庭科室の鍵を職員室に返しに行く三ツ谷を見送ってもなお動こうとしないの顔を覗き込む。

「帰んねぇの? 
「ん。良平が戻ってくるまで待つ」

 ひとつ頭を揺らし、鞄の中からケータイを取り出したはきゅっと唇を結んだまま何やらメールを打ち始めた。恐らくぺーやんに待っているから置いて帰るなとでも送るつもりなんだろう。

「やっぱぺーやんがいないと寂しいもんな」
「それもあるけど、いつも待ってもらってるから」

 メールを打ち終えたらしいがケータイを鞄に押し込んだのを横目にとらえながら、廊下の先へと視線を伸ばす。手芸部の連中も軒並み帰ってしまった廊下はシンと静まりかえっていて、寂しい気持ちに拍車がかかるようだった。
 背筋をまっすぐ伸ばして廊下の先を睨むは、ぺーやんが向こうから歩いてくるのを待っているんだろうか。普段のはあまりオレらに無理強いをしないけれど、決めたことに関してはテコでも動かないのを知っている。
 こうなっちまったら、ぺーやんが帰ってくるまで待つほかないだろう。

「そうだな、たまにはオレらがぺーやんを待ってやんねぇとな」

 の部活とオレの補習。文句を言いつつも毎日待ってくれたぺーやんに義理立てするチャンスを逃してはならない。何もぺーやんがいないのをよしとしないのはだけではないのだ。
 ん、とひとつ頭を揺らしたは、窓の外へと視線を向ける。梅雨の空はどんよりと曇っていて、今にも雨が降り出しそうな雰囲気を纏っていた。

「なぁ。。オマエ、今日は傘持ってきた?」
「一応。折りたたみだけど……。パーくんは?」

 窓ガラス越しに空を見上げていたがこちらを振り返る。微かに眉根を寄せた表情は心配に満ちていた。

「それがよー……。持ってくんの忘れちまったんだよなぁ……」
「そっか……。じゃあ、迎えに来てって服部さん呼ぶ?」
「あー、むしろもう来てるかも」

 傘立てを確認すればオレが傘を持ってきたか忘れたかなんて一発でわかる。雨が降ったからって執事に迎えに来てもらうのは少しばかりかっこ悪いが、雨をしのげるメリットは捨てがたい。

「……雨が降る前にぺーやんが帰ってきてくれるといいんだけどなぁ」

 ポツリと呟いた言葉は、静かな廊下に染み入るように消えていく。憂鬱な顔をして外を眺めていたオレとは、会話が途切れたのをきっかけにふたりして重い溜息を吐きこぼした。

「とりあえずどっか行こうぜ」
「どっかって?」
「……どこだろうな」

 オレの提案に首を傾げたと同じようにオレも頭を傾ける。家庭科室から閉め出されたオレたちに行き場なんてあるのか。考えずとも見えている答えに抗うようにオレもも首を捻って考えた。
 最終下校時刻が迫る今となっては教室で待とうにも施錠されて入れないだろうし、昇降口で待つのもつまんない気がするから却下。一度、オレの家に帰ってポチの散歩がてら戻ってくるのもいいけど、ポチはぺーやんのことをかなり嫌っているから会わせんのはかわいそうだしなぁ。
 頭に浮かび上がった案を口にしては、あぁでもないこうでもないと投げ捨てる。どこかで時間を潰すにしても、せっかくなら楽しいことがしたい。暇を持て余したオレらの間で確定しているのはこれだけだった。

「あ、じゃあさ、ぺーやん探すついでに学校の中を探検でもするか?」
「探検……?」

 不思議そうに首を捻ったは入学直前に骨折して入院してたこともあり、学校内を見回るレクレーションに参加していない。一年越しになるが、学校の中を見て回るのも目新しくていいんじゃないかと思っての提案だ。それには他の学年のやつに目をつけられるのが嫌で決まったとこにしか行かねぇけど今なら、オレがいるし大丈夫だという自信もあった。

「外は雨降りそうだからナシだけど、校舎の中でも行ったことないとこあんだろ?」
「いっぱいある」

 オレの提案に目を輝かせたはパッと表情を明るくさせた。久々に見られた晴れやかな表情に、オレの気持ちも簡単に上向く。

「決まりな! まずは上まで行ってさ、そっから色々見ながら降りてこうぜ」
「うん! あ、屋上も見れる?」
「鍵が開いてたらな」

 オレの返事にはますます笑みを深くさせる。これがポチならきっとしっぽをぶんぶん振ってんだろうな。嬉しそうなに釣られるように自然に頬が緩む。

「じゃあ、行こう。パーくん」

 軽やかな足取りで階段に向かい始めたの背中をゆったりとした足取りで追いかける。オレの数歩先を歩くは、時折こちらを振り返ってはオレがちゃんとついてきているのかを確認する素振りを見せた。さっきまでは家庭科室の前からテコでも動かなかったのが嘘みたいにはしゃぐを見ていると、なんだかオレまで楽しくなってしまう。
 ――といるとなにやっても楽しいな。
 ガキのころから変わらない親しみを自覚すると同時に自然と口元は綻ぶ。それでも、ここにぺーやんがいたらもっと楽しいんだろうなと願うあたり、オレもわがままだよなぁ、なんて思った。

「あーぁ。早くぺーやん戻ってこねぇかな」
「……だね」

 の隣に並びながら、溜息交じりの言葉を零す。それを拾い上げたは控えめに頭を揺らして同意してくれた。軽くこちらを振り返ったの眉尻は寂しさに下がりきってしまっている。多分、から見たオレも同じような顔をしてんだろうな。

「ちゃんと探してやんねぇとなぁ」
「うん」
「でもたまにはふたりで遊ぶのもいいよな!」
「うん!」

 寂しさを振り払うようにニッと歯を見せて笑いかければ、もまた落ち込んだ様子を一掃させた。口元に描かれたカーブを横目に捉えながら、差し掛かった階段へ足を踏み出した。

 あの後、屋上をぐるりと見て、初めて図書室前の廊下を通り、中庭へと降りると昇降口の手前でぺーやんと合流した。

「先に帰ってりゃいいのになんでふたりして残ってんだよ」

 そう言って顔を顰めたぺーやんだったが、オレらがふたりして「待ってたんだよ」と伝えれば、照れくさそうに笑った。



error: Content is protected !!