Another encounter 05
中間試験の補習がとうとう4週目に突入にした。
補習続行か卒業かを賭けた小テスト。いずれの科目もオレなりに必死に解いた。だがそんな努力も空しく、完璧に埋めたはずの解答欄にたくさんのバツを付けられ、呆気なく延長戦に突入してしまったのだ。
オレとは違い何人かの連中は合格したようで、先週よりもスカスカになった教室を見渡しては溜息がこぼれる。
いつもの顔触れが欠けたことで、格段に先生の目が通りやすくなった点もオレの憂鬱さに拍車をかけた。細かく教えてもらえるのはいいことかもしれないが、先週よりも問題が当たる頻度も上がると嫌な方に気持ちは傾いた。ブスっとした顔をしていると、先生が「林田、今のわかんなかったか?」と声をかけてくれるのも、今ではもうありがた迷惑ってやつに成り下がっている。
それでも合格しないと解放しないと言われては頑張るほかないのだが、先週以上の頻度で問題を当てられるとその意気込みも次第に小さくなっていく。出された問題と向き合う度に頭をフル回転させたところで問題が解けないからなおさらだった。
黒板に向き合う気持ちはあるが、疲れたと悲鳴を上げる脳ミソが勝手にまぶたを閉じようとする。眠気に抗いきれず白目を剥いていると「林田ー、起きろー」なんて声が飛んできた。
そんな風にして過ごした補習時間のラスト。先週と同じ小テストに挑んだがやっぱりオレは合格できなくて、無情にも5週目の補習が確定となった。
「ちゃんと勉強したのによぅ……」
ぼやき混じりで肩を落とし、教室を出る。先生が心配して「来週も同じ問題にするからがんばれよ」と言ってくれたが、来週はもっと簡単なテストにしてくれたらいいのにと思わずにはいられなかった。
ポケットに入れたままだったケータイを取り出し、ぺーやんたちからメールが来てないかを確認する。今日はの部活がない日だから、どこか別の場所で待っているはずだ。そう思い、何件か来ているメールのうちふたりからのものに絞って目を通せば、のクラスで待っていると書かれたメールが見つかった。
ヘロヘロな状態でぺーやんとが待つ教室に向かうと、ふたりしてひとつの机に突っ伏して寝てる姿が目に入った。机の上に広く陣取ったぺーやんの腕を、向かい側に座るが枕にしている。遠慮なくオレの腹を枕にするらしい行動に苦笑しながらふたりに声をかけた。
「オイ。ぺーやん、それにも起きろよ」
「……アァ? ンだよ、パーちんか……。補習終わったのかよ?」
肩を揺すると酷く不機嫌そうな声と共に顔上げたぺーやんは声以上に不機嫌な顔をしてオレを睨んだ。寝起きの悪さを見るにどうやらガッツリ眠りこけていたらしい。
――チェ。オレは眠らないよう頑張ってたってのによ。
軽い羨望と共に唇を尖らせつつも「オゥよ」と返せば、ぺーやんは机に突っ伏したまま背中を伸ばした。
「オゥ。じゃー、帰るか……おい、退け」
「……うー」
が枕にしている腕とは逆の手を上げたぺーやんは、眠るの首の裏を掴んで揺すり始めた。力が抜けてるのか揺さぶられるままに上半身を揺らすの姿を見ていると、机から落っこちまうんじゃないかと危ぶんだ。だが、を掴んだぺーやんの方がその懸念を強く感じたらしく、最終的にはぎゅっとの頭を掴んで上半身ごと起こさせていた。
強制的に顔を上げさせられたは前に流れた髪の毛を手の甲で払いながらぺーやんの手から逃れる。それを機に身体を起こしたぺーやんもまた頭に手をやってガシガシと後頭部をなでつけて眠気を追い払っているようだった。
「パーくん、おつかれさま……」
眠そうにまばたきを繰り返すはゆったりとした動きで机の横に引っ掛けた鞄に手を伸ばす。いつもならもう少しシャキシャキしてる印象のだが、やけに眠そうなのが気になった。
「眠そうだな、。昨日は夜更かしでもしたか?」
「ゆうべは良平の特服直してたから寝るの遅くなった……」
鞄を膝の上に置いたは手のひらで口元を覆いながらあくびをこぼす。の言い分に、つい先日、抗争相手に掴み掛かられた拍子に特服の肩口から袖の部分を引きちぎられたぺーやんの姿が脳裏に浮かんだ。
「そういやこの前、派手に破られてたもんな。ちゃんと直せたのか?」
「多分。でもまた引っ張られたら自信ない」
「大丈夫だって。ちゃんと元通りになってたしよ。だからまた破れちまったら頼むワ」
「……いいけど、夜に持ってくるのはイヤ」
ふるふると頭を横に振るは、満足に眠れなかったのが相当堪えているらしく、珍しくぺーやんをジト目で睨んでいた。そんなの態度に唇を尖らせたぺーやんは「一緒に起きててやったろ」と反論しているが、寝不足の原因を作ったのは他でもないぺーやんなのでなんとも説得力がない。そのうえが「良平は途中で寝てた」と告げ口してくるもんだから、オレはの肩を持つほか無かった。
「そりゃぺーやんが悪ィよ。せめて早いうちに頼まねぇと」
「ンだよ。パーちん。相変わらずには甘いんだからよォ」
不満げに顔を顰めたぺーやんはオレをひと睨みするとへ視線を戻す。じっと押し黙っていたが重々しくこくりと頷いたことでようやく反省したのか、ぺーやんは眉尻を下げて溜息を吐いた。
「ちぇ。わかったよ……帰りにジュース買ってやっから、それで機嫌直せ」
「機嫌は悪くないけど……」
「じゃあなんでンな顔してんだよ」
「眠いだけ」
ゆっくりと瞬きを繰り返すは放っておけばまた机に突っ伏してしまいそうな空気を醸し出す。こんなとこで無駄話をしている場合じゃなさそうだ。
「よし! じゃあ、早くコンビニ寄って帰ろうぜ。頭使ったらオレも腹も減っちまったしよ」
甘い物でもしょっぱいものでもなんでも食べたい。そんなオレの宣言に、ぺーやんももそろって頭を揺らす。
「オラ、行くぞ。」
「ん」
まだどこかぼんやりとした顔つきで座っていたの腕を掴んで立たせたぺーやんはこちらを振り返ると、「角ンとこのコンビニでいいよな?」と言いながら教室の出口へと向かって歩き出す。
それに対し「いーよ!」と返事したオレは、先を歩くふたりの背中を追いかけそのまま三人連れ立って教室を出た。
***
いつもの帰り道。朝は降っていた雨が止んでいたことに機嫌を良くしたオレたちは、コンビニで買った物をそれぞれ口に運びながら帰路についていた。梅雨に入ってからは「帰り道はずっと雨」なんて状況が続いていたから、ただの買い食いだけでもかすかにテンションが上がる。
お気に入りのマッカンを片手に提げたぺーやんと、ぺーやんに買ってもらったいちごオレを飲むことでようやく目を覚ましはじめたらしいを横目に眺めながら、オレもまた熱々のアメリカンドッグを頬張る。
補習が終わんねぇ愚痴をこぼしたり、今度三ツ谷と部活の買い出しに行くなんて報告を聞いたりしながら、 普段より幾分かゆったりとしたペースで歩いていると、ふとぺーやんに聞きたいことがあったのだと思い出した。
「そういや、ぺーやん。あれからとは会ったのかよ」
「……いや、まだだな」
渋い顔でマッカンを傾けたぺーやんは、飲み干した缶を通りすがりに設置された自販機横にあるゴミ箱に突き刺した。ガコン、と強い音が響く。その音の大きさは、ぺーやんの中に少なくない苛立ちがあるらしいと気付くのには十分だった。
「なんだよ、謝るんじゃなかったのかよ」
「あぁ、ちゃんとそのつもりだワ。ただこっちも探してるんだけどよ。アイツ、休み時間になるとウロウロしてるっぽくてさ。全然捕まんねぇんだよなぁ」
顔を顰めたぺーやんの弁明に思わず目を丸くする。
だが、のちっちゃくてガキっぽいナリを思い出す限り、じっとしてる姿はあまり想像できない。むしろぺーやんの言う通り、ちょこまかと遊び回っている方が良く似合っている気がした。
「へぇ。まぁ、うろちょろしてそうな顔してるもんな」
「そーそー。昼休みはダチとサッカーやってるって話だから運動場に探しに行きゃその日に限って図書室にいたとかでよ。なんっかタイミング合わねぇんだよな」
どこに行っても捕まらないのだと嘆くぺーやんは「いっそ授業中に押しかけてやっかな」だなんて物騒な言葉を吐き捨てた。冗談めかしてはいるが、結構マジな顔つきで道の先を睨むぺーやんに、案外本気で言ってるのでは、と危ぶんでしまう。
「謝るつもりなら相手に迷惑かけちゃダメだろ」
「あー、それもそうだけどよ。謝んのは早い方がいいだろ?」
軽く諭してみたがあまり効果は無いようで、ぺーやんの表情にはイマイチ納得出来ないと書かれたままだ。きっと、明日は我慢できても明後日には押しかけてるんだろうな。
「――、って?」
ぺーやんの焦れた顔つきを横目に眺めていると、黙ってイチゴオレを飲んでいたが不意に口を挟んでくる。ぺーやん越しにオレへ視線を伸ばしたは「誰?」と続ける代わりに軽く首を傾けた。
「あぁ、オレが間違って殴っちまったやつ」
「え、そんなことしたの?」
あっさりと自白したぺーやんを、は困惑した顔で見上げる。顔を顰めたを振り返ったぺーやんは「だから詫び入れにいこうとしてんだよ」と開き直りにも近い言葉で打ち返していた。
「そんな顔すんなって、。ぺーやんも悪ぃことしたってわかってるからよ」
に詳しく話すつもりのないらしいぺーやんは、後輩の口車に乗ってしまった事実を伏せた説明しかしなかった。そんなんじゃに誤解されちまう。そう思い、ぺーやんも悪気はなかったのだとフォローを入れてみれば、は軽く頭を揺らして「大丈夫」と口にする。
「ちょっとびっくりしただけだから。良平はすぐに手が出るけど、無関係の人は殴らないって知ってる」
「そーかよ」
「うん」
ひとつ頷いたを横目に、ぺーやんは小刻みに頭を揺らす。その忙しない行動には詳細を言わずとも本質が伝わっていることに対する照れくささが滲んでいた。
微笑ましい光景に自然と唇が緩んでしまう。そんなオレの表情を見咎めたぺーやんは、いつもの下がり眉をきゅっと上げてこちらを睨み付けてくる。
「なにニヤニヤしてんだよ」
「いや、よかったなーって思ってよ」
「アァ? 別にいいことなんてなかったろ」
わけわかんねぇなって顔つきで首を捻ったぺーやんは、ぐるりとを振り返るとの鼻先に指を突きつけて言葉を放つ。
「言っとくけど、ソイツも別に無関係ってワケじゃねぇからな」
「そうなの?」
「オゥ。元々、あの野郎はオレの後輩とモメてんだからよ」
「え、なんで?」
理由はあるのだと口にしたぺーやんだったが、のストレートな疑問に「ウッ」と言葉を詰まらせる。言いにくそうにしているぺーやんを見上げたが首を傾げると、ぺーやんはさらに焦りを見せた。
疑問を投げかけられた以上、答えないワケにはいかない。観念したのだろう。バツの悪い顔で視線を脇にやったぺーやんは口元をへの字に曲げた後、薄く唇を開いた。
「オレの後輩が、チビのくせにナマイキだってソイツに喧嘩を売ったから……」
「それは被害者って言うんじゃ……」
いつになく言葉尻を弱めたぺーやんに対し、は追い打ちをかけるような言葉を紡ぐ。真っ当な意見をぶつけられたぺーやんは一瞬うなだれはしたが、すぐさま顔を上げ、開き直るように眦をつりあげた。
「わかってるっつの。だから謝ろうとしてんだろ」
悪態をついたぺーやんはフン、と鼻を鳴らしてそっぽを向いた。あさっての方向に鼻先を逸らしたぺーやんを一瞥したは、困った顔をしてオレに視線を伸ばしてくる。
「まぁ、ぺーやんも謝るって言ってるし……あとは相手次第だろ」
「それは、まぁ……うん」
謝って済むなら警察はいらないが、それでも許す・許さないはの判断で決まる。許してくれるならそれで手打ち。許してくれねぇなら気が済むまで殴れくらいのことをぺーやんは言うだろう。
オレの言葉に対し曖昧な返事をしたはイマイチ納得出来ないって顔を浮かべている。だが、それ以上深く追求する気もないらしく、俺から視線を外して前を向くと、再びイチゴオレのパックに突き刺したストローに口をつけた。
会話が途切れたのを見計らい、オレもまた残っていたアメリカンドッグを口の中に押し込んだ。ひとり、マッカンを飲み干してしまい手持ち無沙汰になったぺーやんが、ほんの少しだけ唇を尖らせたのが横目に入る。左右に視線を振ったぺーやんはに狙いを定めると、イチゴオレを持つの手の甲を指でつついた。
「ん」
いつものことだと割り切っているのか、あっさりとした態度でぺーやんにパックを差し出したは「残り少ないから全部飲んでいいよ」と続ける。パックを受け取ったぺーやんは遠慮無くストローに噛みついたが、の申告通り数口分も残っていなかったようで、数秒も経たずに底を啜る音を響かせた。
「ハァ?! マジで入ってネェじゃん」
「……だから最初に言った」
本当に入ってないのかと訝しむように飲み口の隙間から中を確認したりパックを振ったりするぺーやんの諦めの悪さを眺めるは呆れたような表情を浮かべる。ひときしり確認したことで飲み終えてしまったのだとようやく理解したらしいぺーやんは、ひとつ溜息を吐きこぼし、片手に紙パックを下げて歩き始める。
「じゃあ、明日はまた昼休みにでもを探しに行くのかよ」
「オゥ」
話を元に戻せば、さっきよりも幾分か機嫌が悪くなったらしく突き放すような声が返ってきた。苛立ちが抑えられないのだろう。長い溜息を吐きこぼしたぺーやんは、片手に提げた紙パックを指先で潰しはじめた。
「……の野郎ォ。明日こそ絶対とっ捕まえて謝ってやるからな」
いつになく眦を吊り上げて前方を睨んだぺーやんが、到底謝るつもりとは思えないセリフを口にするものだからオレとは顔を見合わせて苦笑してしまう。
「……なんだよ」
「いや、なんでもねぇって」
「うん」
「なんかあんだろ、その顔はよ……」
不服そうな顔をしたぺーやんは、わざとらしくオレとの交互に肩をぶつけてくる。「痛ェよ」と肩をぶつけ返すと同じタイミングでもぶつかってきたらしく、今度は挟まれたぺーやんが「痛ェって! バカッ!」と声を荒げる番だった。